RESEARCH
ゲノムインプリンティング
-世代に刻みこまれる時
生物にとっての「時」
生物で「時」と言えば、その一つは親から子へ、子から孫へとつながっていく時の流れだろう。今ではそこにゲノム(DNA)を通して実際のつながりがあることがわかり、自分の体の中に生命の歴史が刻みこまれているという実感がもてるようになった。この生命の流れの中で誕生した興味深いしくみが“性”である。(関連記事:生命誌24号「雄と雌が決まる仕組み」)性の存在によって唯一無二の個体が存在することになったのだ。ところで最近、体細胞からクローン動物(ここでは後述する理由で哺乳動物について考える)が誕生し、性がなくても個体は誕生するという事実をつきつけられた。性にはどのような意味があるのか。親から子へとつながるとはどういうことか。改めて考えることが求められている。
クローンのもつゲノムは
クローン羊ドリーは、乳腺細胞の核を無核の未受精卵に入れてできた細胞を出発点として生まれた。このように移植された核内のゲノムには、すでに乳腺細胞としてはたらくようにさまざまな目印がつけられていたはずだが、その目印をはずして受精卵だった時と同じ状態にもどしてから(初期化という)卵の中に入れたことがクローン羊誕生に成功した理由だ。初期化されたゲノムは体中のどの細胞にでもなれる・・・つまりまた新しく乳腺は乳腺用に、心臓は心臓用に目印をつけなおすという作業をしていくわけだ。ところで、この初期化の時、すべての目印がとれているかというと実はそうではない!そうではないどころか、その目印がとれてしまったらクローンは生まれないという目印のあることがわかってきたのだ(図1)。その特別な目印が哺乳類に特有の「ゲノムインプリンティング(刷りこみ)」と呼ばれるものだ。ある遺伝子が父親由来か母親由来かを区別する父母型の目印はまさに性が存在してこそのものである。そこで、以下の研究報告を御一読いただきたい・・・少々ややこしい話だが、父親、母親の存在が不可欠である私たちの誕生のしくみが、なぜこのようになっているかを考えると、次々と問いが生まれるに違いない。
(図1)クローン動物と個体発生
父親由来か母親由来かが大事-ゲノムの刷りこみ
あなたの体を作る細胞にはゲノム(DNA)が46本の染色体という形で入っており、23本は父親由来、23本は母親由来だ。このうちの22本分は相同な染色体で、同じ位置で対になった二つの遺伝子(対立遺伝子と呼ぶ)は原則として同じようにはたらく。対立遺伝子はコピーに近いが、もちろんそのはたらきには優性と劣性の違いがあり、一方の性質が表面化する場合もある(図2-1)。ところが1984年、哺乳類のゲノムには、父親由来か母親由来かではたらいたりはたらかなかったりするよう予め記憶の刷り込まれた対立遺伝子が存在することが発見された。1991年には、父親から受け継いだ染色体でしかはたらかない遺伝子(Paternally expressed genes の略でPEGと呼ぶ)と、母親からの染色体でしかはたらかない遺伝子(Maternally expressed genes の略でMEGと呼ぶ)が実際に同定された(図2-2)。普通の生物学の教科書ではこの現象を扱ったものは少なく、まだあまり知られていないが、これから注目されるはずだ。あなたの体の細胞の中で一生、父親由来か母親由来かという記憶を持ち続け、その記憶によってはたらくかはたらかないかがきまる(生物学用語では発現が制御されている)遺伝子があるということは、哺乳類の個体発生にとってとても重要な現象だからである。PEGやMEGのことをインプリンティング(刷りこみ)遺伝子と呼び、この遺伝子のはたらきによって起きるさまざまな現象をゲノムインプリンティング(ゲノムの刷りこみ)と呼ぶ。
(図2-1)あなたのゲノム
(図2-2) 2タイプの対立遺伝子図2-1 あなたのゲノム
刷りこみは、ノックアウトマウス、つまり遺伝子を人為的に操作したマウスで証明された。たとえば、インスリン様成長因子2(IGF-2)という遺伝子の二つの対立遺伝子のうち片方を欠損させたマウスをつくったところ、変異が母方に由来する遺伝子にあるマウスは正常に発育するが、父方由来のものにあると正常マウスの半分以下のところで成長が止まってしまったのである。つまりIGF-2遺伝子は父親由来でなければはたらかないPEGなのだ。このようにして、いくつかの遺伝子については、それがPEGであったりMEGであったりすることがわかっている。
なぜ哺乳類は単為発生ができないか
日常眼にする生物のほとんどにはオスとメスがあり、精子と卵の受精で子どもが生まれるのが普通だが、生物全般で見ると、卵だけで子どもが生まれる単為発生の例も少なくない。タネなしブドウは単為結実の例だし、ミツバチ、フナ、鳥類でも単為発生が見られる(関連記事:生命誌13号「フナに学ぶ」:小野里坦・生命誌24号「雄と雌が決まる仕組み」)。ところが、哺乳類では決して単為発生はおきない。これは長い間の謎だったが、その理由が刷りこみ、ゲノムインプリンティングというわけだ。哺乳類にはIGF-2遺伝子を含めて100-200対ほどのインプリンティング遺伝子が存在し、胎児の成長や個体の行動に関係することが分かっている。我々が同定したPeg1/Mest、Peg3遺伝子は、どちらもIgf2同様に父親由来の染色体だけではたらき、胎児の成長を促進する役目をもつ。さらにメスのマウスの場合、この父親由来ではたらくPeg1/Mest、Peg3遺伝子が欠損すると、母性保育行動をせず子供を産みっぱなしで一切世話をしないという珍しい表現型を示す。このように、父親由来か母親由来かということで、はたらくかはたらかないかがきまる遺伝子が発生や行動に関わるのだから、父親と母親両者のゲノムの存在は不可欠である。なぜ哺乳類だけにこのようなことがあるのか。私たち自身を理解する上で、重要な現象であり興味深い。
刷りこみは世代ごとになされる
ところで、この刷りこみについてとても興味深い現象がある。生殖細胞ができる度に、刷りこみのやりなおしが起こるのだ。ちょっと複雑なので図を見ながら追って欲しい(図3)。青色は父親型の刷りこみ(PEGははたらきMEGははたらかない)、赤色は母親型の刷りこみ(MEGははたらきPEGははなたらかない)を表す。赤と青を受け取った受精卵は、体の細胞を作り、あなたの体の中では一生、この刷りこみが有効で、PEGは父親由来、MEGは母親由来の染色体ではたらき続けることは前述した通りだ。ところで、次の世代に伝えられる生殖細胞(男性なら精子、女性なら卵)は、胎児の頃にあなたの体の中で準備されるのだが、このときに、なぜか一度この刷りこみが消え、あなたが男性なら、父親由来の染色体も母親由来の染色体もすべてPEGだけがはたらくように刷りこみなおされる。精子の中に入る染色体は一組だけなので、父親由来のものが入るか、母親由来のものが入るかはわからないけれど、どちらが入ったとしても精子に入った染色体はPEGだけがはたらくのだから、あなたの子どもが母親由来の染色体が入った精子から生まれれば、子どもの中では、あなたでは抑えられていた母親由来のPEG(つまり子どもにとってはおばあさんの中ではたらかなかった遺伝子)が刷りこみなおされてはたらくことになる。反対に父親由来の染色体の入った精子が生かされた場合は、あなたの中ではたらいていたのと同じPEG(つまり子どもにとってはおじいさんの中ではたらいていた遺伝子)が子どもの中ではたらくのはもちろんだ。こうしてすべてのPEGがはたらく可能性をもちながら伝えられていくことになる。あなたが女性なら卵子に入った染色体はMEGだけがはたらくように刷りこみなおされ、以降は精子の場合と同じ理由で、次の世代へと、どちらの染色体にあるMEGもいつかははたらく可能性をもちながら伝わっていく。なぜこんな面倒なことが行われるのかはまだよくわからないが、とにかく「刷りこみなおし」をすることで生きものに特有の偶然性、多様性という性質が保たれることは確かだ。
(図3)生殖細胞ができるたびになされる刷りこみなおし
刷りこみなおしの解析
このように体細胞と生殖細胞では刷りこみという点で、大きな違いがあることを述べてきたが、これを実際に調べた私たちのマウスでの実験を紹介しよう(図4)。マウス胎児の細胞のうち、将来生殖巣(精巣と卵巣)になる器官(発生中少し隆起するので生殖隆起と呼ぶ)に移動してきた始原生殖細胞(将来精子または卵になる細胞)の核を使って生殖細胞クローンをつくる。生殖細胞クローンは胎児期までしか発生しないのだが、発生の途中段階の胎児の中で刷りこみ遺伝子がどうなっているかを調べた。始原生殖細胞そのものでは細胞数が少なすぎて刷りこみされた遺伝子のはたらきを調べるのは難しいが、クローン胎児にすると体細胞すべての中で刷りこみ遺伝子がはたらいている様子を調べられる。もとの生殖細胞で刷り込まれている目印は、クローン胎児の体細胞に引き継がれるからだ。こうしてクローン技術は「刷りこみなおし」を証明する実験技術として役立った。
まずオスの生殖細胞の場合、受精卵が受け継いだ父親と母親由来の刷りこみは、始原生殖細胞が体細胞から分化した直後(胎児期7.5日)にはしっかりと保たれていた。そして、始原生殖細胞が生殖隆起に移住した直後、10.5-11.5日目で刷りこみの消去がはじまり、12.5-13.5日には完全に記憶が消去された状態になる。15.5日目以降になると、父親型の刷りこみが入り始め、出生前にはほぼ完了して精子ができる。一方、メスの生殖細胞の場合、刷りこみの消去まではオスと同じ運命を辿るが、母親型への刷りこみなおしの過程は、クローン技術による証明は用いず、卵母細胞から2回の核移植で作製した胎児を解析する方法で明らかにされた(東京農業大・河野友宏教授)。これによると母親型の刷りこみは、出生して数日後から三週間までの間に徐々に完成して卵子ができることが分かった。実験はマウスで行ったが、この現象は人間も含めての哺乳動物全般で起きていることと考えてよいだろう。こうして、あなたが胎児だった頃に改めて刻まれた刷りこみの中であなたの子どもは一生を過ごすという形で“刷りこみ”という哺乳動物特有の記憶がつながっていくことがわかった。
遺伝子というときまったものというイメージが強いが、実際の生きものの中では、場合によってはたらいたりはたらかなかったりしており、それがたまたまオスの中に入ったかメスに入ったかできまるという偶然に支配されている場合が見えてきた。このような現象をエピジェネティック(epigenetic)(註1)と呼び、発生過程で脳、心臓などと性質がきまっていく細胞の分化もその一つである。個体の中では実際にはエピジェネティックな部分が大きな役割をしているのだ。図5でもう一度、ゲノムの刷りこみと細胞の分化という二つのエピジェネティックな目印の関係をまとめておいた。実際にこれらの遺伝子が多様にはたらいていく姿を思い浮かべていただけるとありがたい。
(図5)哺乳類の一生に刻まれた2系列のエピジェネティックな目印 ゲノムインプリンティングの刷りこみなおし
(注1) エピジェネティック(epigenetic)
後成的という訳はepigenesis (後成説)とpreformation theory(前成説)に対応する。すなわちepi+genesis(創世)の形容詞であるepigeneticの訳語となる。現在使われているepigeneticはepi+ geneticsで遺伝学で扱えない範囲を扱うという超(?)遺伝学的な使い方なので、私たち日本の研究グループでは適当な日本語訳ができるまではエピジェネティクスと言うカタカナで表現しようと話し合っている。
インプリンティングから見たクローン
ここで、大きなパラドックスに気づく。体細胞クローンが生まれるのは、前述したように、体細胞の核内のゲノムが発生をやりなおすときに、分化した細胞の目印は消えても父母由来の刷りこみは消えなかったからである。一方、生殖細胞クローンが胎児期までしか成長できないのは、生殖細胞では父母由来の目印がすべて消されたゼロの状態や、オスかメスかで片親型に刷りこみなおされている状態が生じるためである(図6)。このとき実際には、刷りこみ遺伝子のメチル化が目印つけとなり、脱メチル化が目印はずしとなる(図7)。生殖細胞からは新しい個体は生まれず体細胞からは生まれるという逆転は哺乳類特有のゲノムインプリンティングゆえに起きている。私たち哺乳類はゲノムインプリンティングが不可欠であり、世代毎にそれを書き換えていく存在なのだとすれば、クローンについて、この視点をもつことが重要だろう。少なくともクローン技術ではゲノムインプリンティングという本来の生殖に不可欠な段階が抜けているのである。なぜインプリンティングが生じたか、哺乳類が脊椎動物の中で進化した過程から考えられる仮説を、次号では報告する。こちらも楽しみにお待ちいただきたい。
(図6) 生殖細胞クローンと体細胞クローン
胎児期12.5日目の始原生殖細胞 (12.5PGC) の核ゲノムを移植して作製したクローンマウスは、初期胚で致死となる。最も発生したもので形態的に9.5日胚に相当する発生段階までしか発生しない。図には示してないが、より後期の13.5PGCや15.5PGCを用いたクローンでも同じ結果が得られた。この時期のPGCでは図5に示すようにゲノムインプリンティングの目印が完全に消去されている。このように父母由来の目印を全く持たない細胞の核からは、クローン技術によっても個体が生まれることはない。ところが11.5PGCからクローンマウスを作製すると個体発生能は大幅に改善し、ほぼ完全な11.5日胚まで発生する個体が現れる。この時期は、ちょうど父母由来の目印の消去がはじまった時期にあたり、まだ消去されていないPGCからほぼ完全に消去されたPGCまで、種々の中間段階のPGCが存在する。クローンを作るとき、おそらくまだ消去のはじまっていないものが、先の発生段階まで到達したと考えている(写真は理研バイオリソースセンター小倉淳郎博士の提供による)。
(図7) 始原生殖細胞(PGC)でインプリンティング遺伝子が受けるメチル化
胎児期の生殖細胞でおこるゲノムインプリンティングの目印の消去と刷りこみなおしは、遺伝子(PEGとMEG)の一部分に存在するDMR(Differentially methylated region :父母由来のゲノムでのメチル化の差を示す領域)でのメチル化状態と協調して起きる。遺伝子のはたらきを抑制する(つまり遺伝子の転写を抑制する)目印つけはDMRのメチル化によって起こり、逆に、抑制をとる目印はずしは脱メチル化によって起こる。このとき、メチル基はCG配列のC(シトシン)にくっつき二本鎖DNAに突出した立体構造をとって転写因子の結合を防ぐと考えられている。図では、胎児期10.5日から12.5日までのPGCにおける、2つのインプリンティング遺伝子のメチル化状態を解析した結果を示している。赤丸はメチル基を、黄色はメチル基が修飾されるシトシンの位置を示す。胎児期10.5日目の刷りこみがはじまる前のPGCでは、体細胞と同じように、父親由来の染色体ではMEG(H19)が選択的にメチル化され、母親由来の染色体ではPEG(Peg5/Nnat)が選択的にメチル化されている。つまり、父親由来の染色体ではPEGははたらきMEGははたらかない父親型刷りこみが保たれ、母親由来の染色体ではMEGははたらきPEGははなたらかない母親型の刷りこみが保たれている。ところが10.5日から12.5日までの間に、DMRでは急速に脱メチル化が進む。その進み具合は遺伝子、個々のPGCによっても異なる。
石野史敏(いしの・ふみとし)
1983年東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻博士課程修了。東京大学応用微生物研究所(現分子細胞生物研究所)助手、東京工業大学遺伝子実験施設助教授を経て、現在、東京医科歯科大学難治疾患研究所教授。