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Talk

アジアと生き物/多様性の生まれるところ

田中優子 法政大学教授
中村桂子 JT生命誌研究館副館長

今回は、江戸からアジアヘ関心の広がる田中優子さんを迎えました。
「連」と「生命誌」。
2人の自由で独自の切り口は、人の文化と生物の世界の多様性を描き出します。

JT生命誌研究館1Fホールで。

江戸からアジアヘ ― 広がる多様性

中村

田中さんは、江戸時代を「連(れん)」という切り口で見事に捉えられたので江戸学者とみられていますが、さらに広くアジアとの関わりの中でそれを見ていらっしゃいますよね。

田中

着物の研究をしてみると、インドと東南アジアの影響が極めて強いことがわかってきました。浮世絵で描かれる縦縞の着物も、もとはインドのもの。縞にはサントメやジャカルタなど、インドを中心にしたさまざまなアジアの土地の名前がついています。江戸の庶民生活には外国製品が入り込んで活性化していたのです。

鈴木春信「風俗四季歌仙水無月」(1770年前後)(慶応義塾大学蔵)。隅田川べりの水茶屋でくつろぐ少年と少女は,着物も帯もはやりの縞模様。

中村

素材も色も柄も、その土地の自然のありように影響されますでしょう。島ごとに特徴ある織物があるのは、自然の多様性を背景にしているのでしょうね。東南アジアは、アマゾンやアフリカに比べても、生物相が多様で、生物学者の関心の高い所です。

田中

その多様性が交流によってまた変化する兼ね合いが面白い。大航海時代になって、ものが動くようになると、多様性がよりはっきり見えてきます。広がって、さまざまな展開をする。たとえば東南アジアの絣は赤・黄・緑など鮮やかな色がありますが、江戸時代の日本で作った木綿の絣は藍だけ。それが日本独自のよさを生む。広がることによってまた新しいものに変換する不思議さですね。

比較の物差し

中村

その場合、全体像を知るにはさまざまなものをいかに的確に比較するかが大事ですね。

田中

それをやっているのが平賀源内。本草学でも奈良・平安時代は、中国の文献を基本にして日本の植物を同定した。江戸になると、貝原益軒が基本を日本に据え、実際に何があるかを足で歩き、平賀源内がネットワークを作って集めた。それを、中国や東南アジアやオランダなどと比較する作業を始めます。源内は江戸文化の象徴で、国産技術を開発・商品化して産業を育てる。比較の目と実際に作り上げる決心とが重なって、そこに世界の江戸が見えてくるんです。

田中優子さん

中村

今、グローバル化、ネットワーク、ベンチャーなどと掛け声をかけるけれども、何かバラバラ。源内はそれを全部やっていた感じですね。

田中

明治以降の比較文化は、価値観も基準も全部ヨーロッパに置いて、江戸時代の中で近代化している部分だけを評価しました。その中間に中国も東南アジアもない。

中村

ヨーロッパ中心の比較は、生物でいうと人間中心の比較です。「生命誌」ではヒトもイモリも同じ40 億年の歴史をもつものとして比較します。それができるようになったのは、ゲノム(DNA)という、あらゆる生き物に共通する物差しが見つかったからです。これだと価値観を入れずに判断できる。文化の場合、そのような物差しは見つけにくいでしょう。

田中

社会科学なども、それで困っています。

中村

「生命誌」は生物を対象に比較を進めますが、そこから地理や文化も見えてくるのです。ムシから日本列島形成が見えたのが一つの例です。つまり「生命誌」の切り口が、他の学問全体や文化を知ることにつながらないか、ものを見る基盤にならないかというのが私のねらいなのです。

中村

非常に刺激的ですね。そんな基準があるといいな。東南アジアの世界など、多様すぎるほど多様で、言語や文字をとってみても、めくるめく世界なのです。

庶民の力

田中

江戸は新しいことを受け入れ、自分なりに変える力と対話性がすごい。外来のものも上からではなく、素早く庶民の中に入ります。たとえば遠近法も、狩野派の絵師は取り入れないのに、浮世絵師はどんどん使って描きます。メガネや望遠鏡も売られ、拡大レンズで見た昆虫図が本草学の本に描かれる。「黄表紙」って奇想天外なSFで、庶民の読み物ですが、その中にもレンズが描かれています。新しい文物は庶民文化の根底に入っていた。大きな要因はマーケットが活性化したことです。どうしたら売れるかをまず考え、そのために新しいものを入れたり、工夫したりするのです。面白ければ、すぐにわかろうと反応する。庶民の知的欲求は、エンターティンメントだけではなく、もっと高い。本当の意味で知的です。

山東京伝作,歌川国貞画,合巻『松梅竹取談(まつとうめたけとりものがたり)』(1809年)。顕微鏡で見た蚊,蚤,虱,ぼうふら。昆虫がレンズで「拡大」されるという発想から,人間より巨大になった昆虫が人間を襲うというSFになった。

中村

今、科学や科学技術がまさにその知的関心と、マーケットの活性化をつなごうとしているのですが、まだ外にお手本を求めている。日本にあるその基盤を生かせばよいのですね。

田中

はい、十分に。みんなもっていますよ。

中村

生命誌研究館を始めたのも、教育・啓蒙・普及ではなく、楽しく知的関心を高めるしかけのつもりなんです。

田中

楽しんでやる。一番大事ですね。江戸は、中世までとまったく違う価値観をもった社会です。桃山時代に日本は、南米の奴隷労働による高い生産性をもった銀開発などの要因で経済的に外国に負け、秀吉の侵略戦争の敗退で、ひどく没落します。世界経済との関係が江戸時代という特殊な時代をつくったということがだんだんわかってきました。ひどい状態から立ち上がる最後の方法が、外国との関係をコントロールして自力でモノを作り始める、という江戸時代をつくることになったのです。

中村

閉じて落ち着くのではなく、中はダイナミックに。

田中

もう必死。源内がいつも世界と比較し、国産化を図ったように。

中村

この前のバブルで踊った日本の再起は、たんに経済の側面だけでなく、時代として考える必要がありますね。今は閉じないまま、ダイナミズムを作り出さなければならない。江戸研究も「生命誌」もそこで生きると思いますよ。

多様化 ― ポテンシャルと環境

田中

江戸だけでなく、日本の中も多様です。各藩の経済を考えて、その土地に特有の技術産品をつくります。

中村

生きものの多様化の原因は、自分のもつ潜在能力と環境との関わりだということがわかってきたのですが、社会もそうでしょう。

田中

人間の場合、自然環境に加えて、文化・政治・経済といった諸環境がはたらいて、難しいですけれど。

中村

複雑な環境の中で生まれた多様性といっても、ポテンシャルは無限ではなく、ある範囲があるということが、「生命誌」ではわかってきたのですけれど。

中村副館長

田中

社会科学では、環境を先に、しかも一律に考えがちですが違いますね。たとえば「個人と集団」という言葉は、江戸時代には当てはまらない。寺小屋の教育、村の経営、町の文化など、集団で同じ目標や価値観をもっているわけではなく、ごく小さなグループを形成して、そのグループが重なりながら外に広がっていく。それが「連」です。

中村

関係ですね。私の場合、ゲノムという物差しでそれが見えてきました。関係と歴史。これまでは遺伝子から生物の構造と機能だけ見ていた。

田中

構造と機能の中に、もうすでに関係と歴史が入っているのですか。

中村

入っています。この構造がこの機能になったのは、歴史上そうなったとか、関係上そうなったとか。ゲノムを見てわかることがたくさんあります。すべてがわかるわけではありませんが。

田中

時間と関係の中で変化があるのですね。

中村

そう。構造と機能上の多様と共通は、40億年の歴史の中での変と不変。

内発的発展 ― 日本人女性の発想

田中

歴史性と関係性に注目なさったのは、中村さんが初めて?

中村

ゲノムを切り口にしたのはそうです。最初は、ゲノムと遺伝子はどこが違うんだ、などと言われながら。

田中

それは日本人であることと関係ありますか?

中村

自分では日本人とか女性という感覚はないけれど、今思うと・・・鶴見和子さんが「内発的発展」の重要性を指摘されましたが、ここで話し合ったことと同じだと思うのです。アメリカ型社会の方法論を水俣問題に応用しようとしたら行き詰まって、柳田國男や南方熊楠(みなかたくまぐす)を勉強なさった。内発的発展論。日本人女性であることがその発想をもたらした気がします。

田中

私もそういう関わり方に惹かれます。時間性といえば、日本の文化はまさにそうだと思う。絵巻、屏風、浮世絵など、1枚の空間に「時間」が入っている。江戸の人たちは、絵を動いているものとして見た、つまり時間の変化をその中に見ていたのです。こういうものを踏まえて私の仕事がある。

中村

関係と時間があれば、物語がある。「生命誌」の「誌」は物語性を入れようとしたものなので、私にとってはごく当たり前の発想なのですが、日本人であることと関係あるかもしれないと、この頃思います。田中さんの「連」もそうでしょう。

田中

日本文化を見る目も、もともといろいろな要素が入っているけれど、見えるか見えないかですよね。それが「連」という見方でいろいろ見えてきました。

中村

私も「生命誌」という言葉を見つけて以来、美術を見ても、田中さんの本を読んでも、大げさに言うとすべてが自分の切り口と重なるところが見えてくるのです。自然につながってきます。

田中

それこそ内発的なものですよね。もしかしたら女性は、ものの見方が自由なのかもしれませんね。

渓斎英泉「浮絵歌舞伎大芝居之図」(1840年頃)。18世紀前半から幕末にかけて,歌舞伎芝居,遊廓,茶屋,呉服屋などを描いた遠近法の浮世絵「浮絵」が大量に作られた。

(写真=桑島昌志)

田中優子(たなか・ゆうこ)

1952年横浜生まれ。法政大学教授。日本近世文学,近世文化,比較文化が専門。著書に『江戸の想像力』『近世アジア漂流』ほか。

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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