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Talk

自然を捉える、自然を伝える

吉永良正 × 中村桂子

今を打ち破る理論として期待されている複雑系。
複雑系とはいったい何なのか。
そこに生命誌との同質性をみる中村副館長。
吉永さんのサイエンスライターとしての捉え方は・・・。
話は科学のありかたから科学を伝えていくことへ・・・
未来へのまなざしは広がります。

「複雑系」とは「自然」さらには「世界」

中村

吉永さんの『「複雑系」とは何か』を拝読し、「生命誌」の視点との共通性を感じました。つまり、あるがままの自然を知ろうとする気持ちです。自然科学は名前通り、自然を知るための活動と受けとめられていますが、じつはこれまでの科学は自然の中からわかりやすいところだけを切り取って調べてきた。複雑系という見方とは「自然」全体を見ようということだと思いますが。

吉永

自然というと、では社会はどうかという人もあるので「世界」といったほうがいいかもしれませんが、「世界」の一つの見方である科学に限界があって複雑系という視点が出てきた。だから、本当の狙いは世界そのもの、自然そのものです。

複雑系の方法論は、科学が目指してきたように統一理論を追うのではなく、ともかく現象面から自然に迫ってみようとすること。その方法として、コンピュータで人工世界を作って調べている。ところが、コンピュータの仮想世界ばかり強調されてしまうと、複雑系の本当の狙いである自然が見えなくなる危険性がある。両方を見る両眼視がすごく大事です。

二元論から両眼視へ

中村

これまでの科学は、二元論を基本にしてきましたから、黒か白かと問うてきました。もっとも生物学では、いくら二元論で見ようとしても、対象が、たとえば普遍と多様とをあわせもつというように常に二面性をもっている。それが科学の中では遅れになったのです。

吉永

かならずはみ出す部分がある。

中村

複雑系、つまり、あれもこれもと見る時代に入ると、遅れていると言われてきた生物学が1周遅れのトップになる可能性がある。生命誌はそこを見ています。

吉永

そうですね。生物学の再評価ということを、複雑系ではとても重視している。複雑な現象は、典型的に生物に現れている。本当に生物学の時代がもう一度来ますね。

しかし複雑系は、過去の科学の否定ではない。科学はすごいことをしてきた。19世紀に大成功した線形原理は、複雑な世界の中で、線形で解釈できるものがたくさん存在することを見つけた大発見です。ただし、当然非線形も山のようにあるはず。

複雑系は、今までの科学が攻略できたところを大きな海の中のいくつかの島とすれば、それらの島をつないでいくものと言ってよいでしょう。生物学では、たとえば自然淘汰説と中立説を対立させずにつなぐ、そういうところにチャレンジしている。

中村

もちろん生物を知るためにもこれまでの科学は大事なステップ。人間が心と体が一体化した複雑系であることはわかっているけれど、ともかく一度心と体を分けて、体を機械として見ようとする方法は有効です。

生物学では変異株の研究が大事ですが、それは欠けているものから本来のはたらきがわかるからです。デカルトは、心を外したミュータント、つまり体のほうだけまず解けと言った。心身一緒だと解く方法論がなかったと思う。デカルトやダーウィンを否定しても意味はなく、それを踏まえて次に進むわけです。

吉永

ものを要素に分けて知るのは、当然のこと。それで認識可能になる。今の複雑系は要素還元論を否定するという解釈の仕方があるけれども、それは違う。

要素に還元して、要素が一つの積木になり、そこでできたものがまた要素になって階層性ができ、階層の間でまた相互作用を行なう。たんなる全体論であれば何も出てこないですよね。そのへんの勘違いが広がっていますね。

中村

生物も遺伝子という要素に分解するところまで行ったから、ゲノムという生きもの全体を捉える切り口が出てきました。とにかく、ゲノムの中の文法を読み解き生物の歴史と関係を考える生命誌は、複雑系への一つのチャレンジと思っています。

モデル科学から複雑系へ

中村

これまでは、線形で語れる部分だけモデル化し、解いてきた。次に、残った部分、つまり複雑系を解くモデルを探すのか、それとももうモデルという概念自体がなくなるのか興味があります。

吉永

現在の複雑系の研究は、きわめて抽象的なんですよね。自然に似たモデルを作るのでなく、ゲームのような勝手に作った仮想世界の中でやっているわけ。抽象的で、数学に似ている。今後は生物学や社会学など、実際の対象をもった分野と突き合わせていかないと、複雑系の研究は進まない。

中村

人工生命の研究など、ちょっとそんな感じがしますね。

吉永

そんな中から自然を理解するためのいい発想が出るかもしれないけれど、ゲーム自体がおもしろくて、のめり込んでいる人も多いような気がします。

中村

のめり込んで、現実を見なくなる危険はありませんか。また、文字を習うとき、どの文字もキーを押す同じ作業で出てくるとなると、手で書いた時と同じ脳の構造になるのかどうか。

吉永

それはいちばん怖いことではないかと思う。僕自身はアナログ人間なので(笑)、パソコンもやらないし、未だに原稿は手書きなんです。

中村

私も手書きに戻りました。

吉永

子供が、はじめからコンピュータの世界の中に入っていくのは怖い気もする。

中村

自然界からの情報で作られていく脳の構造と、コンピュータという既存の科学の論理で作り上げたものだけからの情報で作られていく構造は、違うと思いますね。

吉永

幼児が抽象的な空間意識とかいろんな能力を得る時期ってありますからね。言葉もそうですが、そういう能力を獲得するのは、あくまでも外界との相互作用からです。外界からの莫大な情報量に比べてコンピュータの情報量なんて、本当に桁違いに少ない。

中村

この頃幼稚園からお勉強。いや0歳、いや胎児教育となってますでしょ。お勉強で入る情報の質は高くないですよね。

吉永

サル知恵ならぬ人知恵の浅はかさという感じがしますね。

中村

科学は今、複雑系、私の言葉で言えば、自然そのものを対象にしようと変化しているのに、教育に携わる人の認識が遅れているのではないかと。

吉永

教育は構造的に遅れていますからね。創造性ということで言えば、予定調和的に、たとえば5ヵ年計画で創造的な仕事をしようとしたって絶対できない。

中村

創造と予定調和は矛盾している。

吉永

新しいパラダイムを作ると言うけれど、パラダイムは、後でわかるものです。パラダイムを作るというのは、でたらめもいいところ。むしろ創造的な仕事をした人は、自分自身は古い考えでやっていると思っていたんですね。故木村資生(もとお)先生が中立説を出されたときもそうだったとお聞きしました。

中村

人間的にも学問的にも連続性がなければ、新しいことは生まれない。それは生物が証明しています。生命誌は、古きを生かし、新しいものを創る生き物の本質を解きたいと思っています。

吉永

従来の科学が、きれいなところだけ取ってきてモデルを作っていたとすれば、そこで忘れていた大事なものは、歴史かもしれないですね。

中村

20世紀前半の生物学では、進化や発生など歴史性を求めるテーマが百出していますが、解く方法がなかった。でもそれだけに深く考えているわけです。それを基本に次の展開をしたいと思っています。

吉永

哲学も、そういう思考実験の宝庫です。昔の哲学者は科学的事実をほとんど何も知らなかったし、でたらめなことを言っているとも言えるけれども、考えたことの中には、思考パターンとして参考になるものがいっぱいあります。

①ルイ・アガシによる動物の4部門と発生期の関係図
②マチアス・ゴーリッツのコンクリート・ポエトリィ、1961
③記憶の神経回路網モデルの視覚領の神経細胞に記憶される方位分布
④正方形を視認するときの視点の跳躍運動
⑤北方アジアで狩猟牧畜生活をおくっているオロチョン族の住居平面図
⑥整数の自然列とその逆数列との組み合わせ
⑦俵屋宗達の花押印
⑧向井周太郎「手のなかの風景」1974。「糸」を使ったコンクリート・ポエトリィ

サイエンスライターへの期待

中村

科学が社会の中にあるようにしたいと願っている私の中では、サイエンスライターという存在は大切なのですが、日本には少ないですね。

吉永

やさしく解説するのが科学書じゃないと思う。じつは複雑系の場合も、概略がわかったから書こうとしたけれど書けなかった。個々のものはわかっても、全体の道筋が見えない。悪戦苦闘を強いられ、自分の中での位置づけができて初めて、いろいろな事実を結びつけることができた。でも、こういう仕事は市民権がないんです。

中村

全体として何が見えるか、何を求めているかを伝えることを本当は科学者がやるべきだと思って、「シンガーソングライターになろう」と言っています。しかし一方、素晴らしい演奏家も必要で、それがサイエンスライターへの期待です。ところが世の中は、解説者・通訳者を求めている。これ違いますね。演奏家としてのサイエンスライターが増えてほしい。

吉永

僕たちの仕事は同時通訳みたいな感じで思われがち。市民権を得るには制度的なものを変えていかなきゃ。

中村

生命誌研究館は、科学を演奏する場として作ったので、ぜひ協力してください。

吉永

日本に今、本当の意味で学問への志がなくなっているのを改善するためにも。

中村

科学を好きな人の数が少ないことが問題になっていますが、数ではなく質が大事ですからね。

吉永

少しずつ体質を変えていくことですね。

中村

100年先を見て、種を蒔いておく、くらいの気持ちでゆったりやりましょう。大きな森になるよう。

⑨マーシャル島民の海図。くくられた石や貝殻が島などを表す
⑩マツボックリを下から見た半模式図
⑪現存している漢字のなかで最も画数の多い漢字で、64画。「テツ」と読む
⑫コーランのカリグラフィ
⑬クレーの正方形の研究のひとつ
⑭石原式色盲弱検査表を単色にしたもの
⑮フランコ・ブリーニ「建築的類型の部位分類」1968
⑯モーリス・ルメルトゥールの詩。男根の断面を想像して書いたといわれている

写真=桑島昌志

吉永良正(よしなが・よしまさ)

1953年長崎県生まれ。サイエンスライター。京都大学理学部数学科及び、同文学部哲学科卒業。9年前より東京を離れ、海の見える地方に居を構え、原稿はもっぱらFaxでやり取りする。『数学・まだこんなことがわからない』(講談社)で講談社出版文化賞科学出版賞受賞。他に『ふたつの鏡—科学と哲学の間で』(紀伊國屋書店)、『「複雑系」とは何か』(講談社)など著書多数。

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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