1. トップ
  2. 季刊「生命誌」
  3. 季刊「生命誌」17号
  4. Special Story 鶏の系統と文化

Special Story

DNAでみた鳥の世界—分類から文化史まで

鶏の系統と文化:秋篠宮文仁

ものごころがついた時分から家に鶏がおり、私自身も小学生の頃に父に頼んで飼い始め、新品種を作ろうなどとしていたことは今でもよく覚えています。しかし、成長するにつれ、しばらく鶏から離れていました。

そんな私が、再び鶏に興味をもちだしたのは、1988年から1年半ほどイギリスで生活していたときのことです。イギリスの中部・ウースターシャーに、鶏、アヒル、ガチョウなどの家禽類の保存を専門にしているトラストを見つけ、しっかりと系統保存された種々の鶏を見る機会に恵まれたのです。日本でも、鶏は愛玩動物として古くから重宝されていましたが、外来品種の系統保存ということはあまりなされていなかったようです。そこで、イギリスで保存されている鶏を日本に紹介してはどうかと思い、写真を撮るようになりました。

いろいろな系統の鶏を見ていると、疑問が浮かんできます。いったい、多様な姿・形をした鶏は、お互いにどのような類縁関係にあるのでしょう。鶏の祖先はアジアの野鶏だと言われていますが、4種類いる野鶏のうち、どれが本当の祖先なのでしょう。それまで魚の分類をやっていましたので、こういうふうに考えるのは、私にとってはごく自然なことでした。

そこで、帰国してから本格的に系統の仕事を始めることにしました。大学時代から研究していた魚の分野では、主に形態を見ていましたが、鶏の場合にはDNAを使うことに決めました。一つの種の中で、あれほどいろいろに多様化した生き物を調べるには、それまで私が行なっていたような形による研究では困難だろうと考えたからです。

鶏の祖先であろうと古くから考えられていた野鶏には、赤色野鶏、灰色野鶏、セイロン野鶏、緑襟(あおえり)野鶏の4種類があり、いずれもアジアに生息しています。かつてダーウィンは、赤色野鶏のみが鶏の祖先であろうという単一祖先の考えを発表していましたが、それに対し、他の野鶏も鶏の家禽化に寄与したであろうという多元説を唱える研究者もいました。多勢は赤色野鶏単元説でしたが、はっきりとした結論は出ていませんでした。

インドネシアの鶏文化

インドネシアには、今でも鶏の文化が人々の間に闘鶏や鳴き合わせなどの形で生きている。とくに闘鶏は、神事とのかかわりが強い行事である。
①毎年ジャカルタ近くで行なわれている鳴き合わせ大会で使う鶏を入れる篭。
②鳴き合わせの様子。
③鶏の運搬用の篭。
④デンバサールでの闘鶏の際に、闘鶏場に設けられた祭壇。

そこで、日本を含む各国で飼育されている鶏と、タイやインドネシアにすむ野鶏や在来家鶏の血液からDNAを分離し、ミトコンドリアのD-loopという領域の塩基配列を決定して、系統関係を調べるという実験を行ないました。インドネシアには、93年と94年の2回、調査に出かけて試料を採取しました。

その結果、少なくとも調べた13の鶏については、赤色野鶏が唯一の祖先になっていること、しかも、5亜種いるうちの特定の一つないし二つの亜種がすべての鶏の祖先となっている、ということが明らかになりました(図)。また、家禽化はタイの周辺で起こったのだろうということもわかってきました。

鶏は古くから人間の生活と様々な形で関わってきました。世界各地で、祭祀などの儀礼に用いられたり、太陽神との関わりで重要な役割を果たしてきたことがわかっています。特にインドネシアには、今でも多様な文化が残っており、神事の一部としての闘鶏や、鳴き声を楽しんだり、薬用にする風習があるということを、実際に調査に行って知りました。

 

(図) 鶏の系統樹

ミトコンドリアDNAの解析により明らかになった鶏の系統樹。インドネシアの家鶏(緑色で表記)、およびチャボやレグホーンなどの家鶏(青色)は、いずれもタイに生息している赤色野鶏(ガルス亜種とスパディケウス亜種、赤色)に近いことがわかる。つまり、現在人間に飼われている家禽化された鶏の祖先は、これらの赤色野鶏の仲間だという可能性が示された。インドネシアにも赤色野鶏(ガルス亜種とバンキヴァ亜種、ピンク色)はいるが、系統樹では上記の鶏たちとは別のところにあり、祖先とはならなかったと考えられる。(Akishinonomiya, F. et al. Pro. Natl. Acad. Sci. USA, vol. 93, p 6795の図を改変)

ところがおもしろいことに、さきほどのDNAの解析結果は、インドネシアでは、鶏の家禽化は起こらなかったということを示しています。つまり、インドネシアにも赤色野鶏の同じ亜種はいるのですが、そこからの家禽化は起こらず、大陸で家禽となったものが伝播していったということらしいのです。

では、大陸で家禽化された鶏は、いったいどのようにしてインドネシアに伝わったのでしょうか。鶏を儀礼に用いる文化がもともと大陸にあって、それが伝わってきたのでしょうか。詳細を知るには、各地に見られる文化がどのように変化し、伝播していったかを追いかける必要があり、今、その方面のことを調べているところです。

こうして、生き物としての鶏の起源を調べることから始まって、鶏を取り巻く文化の歴史にまで、対象は広がってきています。

生き物の研究をしている学者は、世界中にたくさんいますが、文化的な側面も含め、一つの生き物について多様な分野の研究者が集まって研究するということは、まだまだ少ないように思います。

しかし、このような総合的な視点から仕事を進めていけば、きっと新しい世界が開けるでしょう。そして、これからは、そういった研究がますます重要になるに違いありません。鶏の仕事を通して、私はそれを実感しています。


インドネシアの鶏たち。

⑤アヤム・プルーン。
⑥~⑧アヤム・ココ・バレンゲの内種。同じアヤム・ココ・バレンゲでも、羽色などによっていくつかの内種に分けられている。
⑥キナンタン。
⑦ジャラック。
⑧タドゥアン。
(写真=秋篠宮文仁。)

(あきしののみや・ふみひと/山階鳥類研究所。談話をもとに編集部でまとめました)

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

季刊「生命誌」をもっとみる

オンライン開催 催しのご案内

レクチャー

2025/1/18(土)

『肉食動物の時間』