研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
月二回、スタッフが交替で更新しています。
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バックナンバー 【今日から「ラボ日記」が始まります】
これを略して「ラボ」です。このコーナーでは、研究員が「実験室」で日頃何をしているのか、何を思って「実験」しているのか、あるいは全く研究とは直接関係ないことを考えてるかもしれませんが、そんなことも含めて、日々の生活をお伝えしたいと思っています。 私が生物学(とくに発生学)を志して理学部に入った30年前、卒業後の進路は、生物学を続けていくとすれば、中学・高校の先生か、大学や研究所で研究を続けるかのどちらかであろうと思っていましたし、実際、同級生のほとんどはこのいずれかの道にいます。ところが今や、企業に就職できるらしいんですね。「バイオ」とかいわれて、大学の研究者も「ベンチャー企業」を起ち上げるよう推奨されているようで。問題は色々ありますが、組み替え作物などで見られるように、いわゆる「基礎研究」がいつの間にか「応用」につながってしまいました。こうなると、「基礎研究」はいずれ「応用」につながるから「基礎」である、と思うひとがでてきてもおかしくありません。しかし、「応用」を考えないからこそ「基礎」研究だと私は思ってます。 生命誌研究館での実験室ツアーなどで来館される方に、よく質問されます。「ここの人たちは、何のために研究をしているの?」私の答えは二つです。「基礎研究の成果 はいずれ応用面で大きな発明につながることは間違いなく歴史が示している」という実用的な、しかし決して本音ではない答え。近頃はこれで納得されてしまうので、実は困ってしまいます。「とはいっても、いやー、発生学なんて何の役にも立ちませんよ」と言いつつ、私にとってはちゃんとした二つ目の答えに持っていくのが難しい。その答えは、「面 白いから」、あるいは「面白いことを探すため」です。これは、「真理の探究」などというのとたぶん同じことなんですが、私は「真理」という言葉を語れるほど哲学者ではありませんので、「面 白いこと」といってます。研究費の申請書など堅めの文書には、「興味がある」とか「重要である」とか書きますが、ちょっと偉そうに見えるからそう書いているだけです。 科学者が研究するのも、ミュージシャンが他人の趣味に合わせるのでなく、(少しは合わせないと売れませんが)、自分の音楽を作っていくのと同じことだと想像してます。ミュージシャンでない人も音楽を楽しみますが、なかなか、自分で作ったり演奏したりはしません。ミュージシャンが自分自身気に入った音楽を作り、それを周りの人も楽しんでいるわけです。時には人気がなかったり時代にあまりに先行しすぎたり、あるいはダメダメだったりすることもありますが、それでもミュージシャン本人は、恐らく迷いはするでしょうけれど、自分の信ずる音楽を作り続けていきます。そして、そこには直接人間の生活に役立つような「応用」は含まれてません。科学もまた同じことで、自分の興味をそそられる事柄や考え方を追求していく、その結果 、生命の意味を考え直すような原理を発見したりすることもあるでしょうし、重箱の隅をほじくってひとり悦に入っていることもありましょう。重箱の隅をほじくっていたら、そこに隠れていたダイヤモンドを掘り出すかも、またわかりません。とにかく自分が「面 白い」と思える感覚(その根拠には論理性も必要ですが)を信じて、それを磨いていくのがプロの科学者のつとめだと思います。違いは、音楽ほどの人気が科学にはないことでしょう。周りの人が、その成果 を享受するだけではなく、発見の過程を知り、そしてそれもまた楽しめるような、そんな社会的役割を科学は果 たさねばなりません。とりわけ不況の折、市民の共感と支持こそが基礎科学を成り立たせる要件だからです。 ところで、この、「面白いこと」にはなかなかぶちあたりません。科学者は、何が本当に面 白いのか、その面白いことにぶちあたるまでうろつき回ります。その結果 出会った「面白いこと」が、BRHサイエンティストライブラリーの「スライド、この一枚」(s_library/j_site/scientist/aoyama_h/index.html)なのです。 [青山裕彦] |