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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【科学は文化?そうにきまってます。でも文化といえばよいというものではありません】

2004.4.15 

中村桂子館長
 4月に入って、大勢の方が新しい所で勉強や仕事を始められたことでしょう。さあやるぞ! 私も場所と仕事は相変わらずですが、でも、4月には毎年今年はこうしよう、ああしようと考えます。もう何度も言ったり書いたりしましたが、研究館ができて昨年で10年。やはりここでもう一歩踏み出すときですし、これは“やらねばならぬ”としてではなく、内発的に新しいものが湧いてきているのを感じます。その内容はさまざまなものの絡み合いですが、一言で表現するのは難しく、あまり短く話すと誤解されてもいけませんので、追い追いここでも取りあげて行きたいと思います。たとえば、生命という視点からの科学技術文明の見直しという現代社会の抱える大きなテーマ。この問題は更に大きくなりつつあります。たとえば「生命を大切にする」という基本を考えた時、10年前と比べて納得のできる方向へ行っているでしょうか。生命科学研究をしている人たちは、当然これを問うてみる必要があると思います。けれども、「科学と社会」「生命倫理」「科学コミュニケーション」などさまざまな形で言われていることが、このような問題意識に欠けているので、違うよなあと疑問を感じることが多くなりました。
 BRHを始める時、「科学は文化です」と言いました。科学を科学技術に吸収して平気でいる人たちに、生きものの科学研究は、生命とはなにかという基本を考えることが大切であり科学技術のためだけのものではないことを考えて欲しかったからです。でも、その問題は解決しないまま科学技術万能を進めていく中で、ただ“科学は文化です。好奇心を持って科学を楽しみましょう”などという言葉が、科学と社会を考えたり、生命倫理や科学コミュニケーションの専門家と称する人たちの中で流行してきたのが驚きです。文化としての科学に眞剣に取り組んだら、自然、生命、人間を知るという目的に対して、従来の科学が持つ限界に気づきますし、今の形で生命科学の成果を科学技術にしていくことへの疑問が出るはずです。「科学は文化」というところから始めた者としては、そろそろ科学技術文明から脱却する方向を考えないと答は出ないという厳しいところに来ているのではないかとさえ思っています。このままでは、環境問題も解決しないでしょうし、医療も食べものも、教育や育児さえも、およそ“生命”とは遠いところへ行きかねません。 “生命”をいとおしむというところからどんどん離れていく状況の中での生命誌の役割は、科学が大事なのではなくて、自然、生命、人間を知ることが大事なのだという原点からの発信をすることだと思っています。さまざまな方法、さまざまな方向からとにかく「生命について考えましょう」ということす。そこから新しいものが見えてくるはずです。
 
 
 【中村桂子】


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