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宮田 隆の進化の話

最新の研究やそれに関わる人々の話を交えて、生きものの進化に迫ります。

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【分子の進化速度は形態と分子の進化を橋渡しできるか】

2005年8月1日

宮田 隆顧問
 進化がどのくらいのスピードで起きたかという問いは、誰しもが興味を持つ問いであるばかりでなく、生物進化を理解する上で基本的に重要な問いになっている。たしかに進化のどんな本を紐解いても、進化の速度についての話が何ページかにわたって必ずある。このシリーズでも「分子はどのぐらいのスピードで進化しているのか?」という問題を取り上げてみよう。自然淘汰による有害変異の除去は形態・分子いずれのレベルでも作用するが、分子進化速度はその大きさに強く支配される。最近の研究によると、あるタイプの分子が持つ進化速度は形態の複雑化に伴って減速することが明らかになってきた。このタイプの分子の進化速度は、木村資生が晩年解明を熱望し、後身に託した「形態進化と分子進化の橋渡し」の一つになれるだろうか。

分子自身の特性で決まる機能的制約:局所的制約
高次のレベルからの機能的制約:大域的制約
形態進化と分子進化の橋渡し

分子自身の特性で決まる機能的制約:局所的制約
 ある特定の分子がどのぐらいの速さで進化するかを表す量を分子進化速度と呼び、普通それは座位あたり一定の時間内に起きたアミノ酸あるいは塩基の置換の数として定義される。この量は通常実際のデータから次のように求めてられる:ある遺伝子の塩基配列あるいはタンパク質のアミノ酸配列を異なる2つの生物の間で比較し、配列間で塩基またはアミノ酸が異なっている箇所をカウントする。その数に補正を加えて置換数を推定する。観測された塩基あるいはアミノ酸の置換数を、比較した配列の全座位数で割った量、すなわち座位あたりの置換数Kを得る。比較した2つの生物はT年前に共通の祖先から枝分かれしたとすると、分子進化速度kは定義から
k=K/2T
と得られる。ここで2で割ったわけは、置換数Kは比較した2つの生物が共通の祖先から枝分かれした後、現在に至る間に、2つの系統で起きた置換の総和だからである。またTは通常化石のデータから与えられる。
 2つの分子の進化速度を比較する場合、それぞれの分子について同じ種間で比較できれば、分岐時間Tが共通なので、2つの分子の座位あたりの置換数Kの比較から進化速度の大小を見積もることができる。この場合、Kは相対進化速度と見なすことができる。
 上で述べた進化速度の定義からすると、アミノ酸や塩基が変化することを許さない機能的に重要な座位の数が増えると、相対的に変化が可能な座位の数が減るので、Kは小さくなり、進化のスピードが遅くなる。
 本シリーズ「機能シフト:制約からの解放と革新への道」で、分子の機能にとって重要な部位のアミノ酸は長い進化の過程で不変に保たれる傾向があると述べた。重要な部位には、酵素の活性中心の他に、タンパク質の構造維持の上で、他のアミノ酸では置き換えることができない場所もある。そのほか、他の分子と接触する部位も多くの場合変りにくい。これら機能・構造上重要な不変部位の数はタンパク質ごとに違う。こうした機能・構造上重要な部位に起きた突然変異は、多くの場合タンパク質の機能に障害を起こすので、そうした変異はその変異を持つ個体の生存に不利に働くことになる。個体の生存に不利な変異は自然選択の力で集団から除去されるので、結局、長い進化の過程で機能・構造上重要な部位のアミノ酸は不変に保たれることになる。このことを機能的制約と呼んだ。
 DNA、RNA、タンパク質といった分子の進化速度は機能的制約の強さに直接依存する。分子進化の中立説によると、分子進化速度kは中立な突然変異率で決まる。すなわち、k=f・μである(本シリーズ「パラダイムシフト:分子進化の中立説」を参照)。ここで、μは総突然変異率で、fはそのうちの中立な変異の割合である。突然変異は大ざっぱに有利、不利、及び中立な変異に分けられるが、有利な変異は数の上で非常に少ないので無視すると、1-fは不利な変異の割合になり、機能的制約の大きさに比例する量である。従って機能的制約が大きくなるとfが小さくなり、進化速度kが小さくなる。このことを実際の例で確かめてみよう。
 「パラダイムシフト:分子進化の中立説」で、血液中に存在する酸素運搬分子、ヘモグロビンの分子時計の話をした:ヘモグロビンのアミノ酸配列をいろいろな脊椎動物の綱のレベルで比べてみると、ヘモグロビンは進化の過程で時間に比例してアミノ酸(塩基)の置換を起こしていることが分かる。では、他のタンパク質ではどうだろうか。図1は、フィブリノペプチド、ヘモグロビン、チトクロームcの3つのタンパク質について、アミノ酸座位あたりの置換数Kと、比較した生物が共通祖先から分岐した時期Tとの関係を示している。3つのタンパク質はいずれも分子時計の性質、すなわちK∝Tの関係を示すが、直線の傾きが異なる。傾きは単位時間あたりの置換数なので、分子進化速度kを表している。従って、ヘモグロビンの進化速度は3つのタンパク質のほぼ中間で、フィブリノペプチドは速く、逆にチトクロームcは非常にゆっくり進化していることになる。なぜ3つのタンパク質で分子進化速度が異なるのか?リチャード・ディカーソンに従って説明してみよう。
図1. 3つの分子の分子時計と進化速度(直線の傾き)の比較・不変座位の大きさを模式的に赤の領域で示した。
 フィブリンは動物が傷つき出血した際に血を止める働きを持っている。止血活性のあるフィブリン分子は、万が一の場合に備えて、フィブリノーゲンという不活性の状態で蓄えられていて、必要になると、一部を切り捨てて作られる。この捨てられる部分がフィブリノペプチドである。フィブリノペプチドは捨ててしまう分子なので、それ自身特別な機能を持っていない。機能がないので、機能的に重要な部位は、切断する座位(図1の赤い部分)を除いて、ほとんどなく、従ってほとんど全部の座位でアミノ酸が変化できる。すなわち、機能的制約が非常に弱いのである。
 ヘモグロビンは肺で酸素分子を吸着し、血液を通して全身に酸素を運搬する。酸素分子を吸着するヘムと呼ばれる、鉄を含む小さな分子が後でグロビンと呼ばれるタンパク質に付加されるが、ヘム分子は比較的小さいため、それを支えるアミノ酸の数は少なくてすむ(図1の赤い部分)。つまり機能的に不変座位の数が少なく、そのため機能的制約が比較的弱いと考えられる。
 一方、チトクロームcは比較的小さなタンパク質の部類に入るが、オキシダーゼとレダクターゼという大きな分子と電子の伝達に関する相互作用を行う。この相互作用に関与するアミノ酸は主に分子の表面に局在している。その数はかなりあり(図1の赤い部分)、且つ機能的にも重要なので、強い機能的制約が働くことになる。従って進化がヘモグロビンに比べてずっと遅くなる。
 このように、分子の進化速度は機能的に重要な座位の数、すなわち機能的制約の程度で理解できる。極端な場合として、タンパク質のほとんど全領域が機能的に重要なら、アミノ酸が変化できる座位はほとんどなく、進化はゆっくり進むことになる。逆に機能的に重要な部位がほとんどないタンパク質では、どこの座位でもアミノ酸が変化できるので、進化速度が大きくなる。すなわち、各々の分子の特性によって進化速度が決まることになる。このように個々の分子の特性で決る制約のことをここでは局所的制約と呼ぶことにする。
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高次のレベルからの機能的制約:大域的制約
 上で述べた局所的制約のほかに別のタイプの制約があることがずいぶん昔から経験で知られていた。総ての生物の系統に存在する、生命維持に必須な分子(ハウスキーピング分子と呼ぶ)は総じてゆっくり進化するが、ある限られた系統にのみ存在する分子は比較的速い速度で進化する。このことは、いま問題にしている分子が、その分子と直接・間接に相互作用している高次の分子集合系からも制約を受けていることを示唆している。このような高次のレベルから受ける機能的制約をここでは大域的制約と呼ぶことにしよう。大域的制約は、もしそれが十分強いものであれば、分子の進化は組織や器官といった高次のレベルからの影響を受けている可能性がある。
 最初に組織・器官からの大域的制約が存在することを確認したのは隈啓一(現、京都大学化学研究所)と彼の共同研究者らであった。遺伝子の多様化機構は既存の遺伝子のコピー(すなわち遺伝子重複)と幾つかの遺伝子あるいはその一部の組み合わせ(遺伝子混成)である(本シリーズ「機能シフト:制約からの解放と革新への道」参照)。遺伝子重複による遺伝子の多重度が極度に進むと、相互に配列が類似した遺伝子のグループが形成される。こうした遺伝子の集団を遺伝子族と呼んでいる。チロシンキナーゼ族は膨大な数のメンバーから形成されている典型的な遺伝子族である。この遺伝子族に属するメンバーは、キナーゼドメインと呼ばれる互いに配列の相同な、タンパク質のリン酸化に関与する領域を持っている。このドメインに限定すると、異なるメンバーの間では機能がほぼ類似なので、局所的制約はほぼ同じであると期待される。従って、もし大域的制約が無視できる程度なら、共通に持つドメインの進化速度はメンバー間でほぼ同じであると期待される。
 ところで、チロシンキナーゼ族は(通常、他の遺伝子族でも同様だが)基本的な機能が互いに異なっている幾つかのサブファミリーから構成されており、同じサブファミリー内のメンバーは基本的な機能は同じだが、しばしば働いている(すなわち、発現している)組織が違っている(組織特異的に発現)。すなわち、脳や肝臓といった組織や器官ごとに、異なるメンバーが発現していることが知られている。もし、組織や器官といった高次のレベルに由来する大域的制約が存在するなら、これらの組織特異的遺伝子は、発現している組織が違うと、進化速度も異なると期待される。
 このことを明らかにするために、隈らはチロシンキナーゼ族に属するメンバーごとに、ヒトとネズミの間でキナーゼドメインの塩基配列を比較して分子進化速度を求めた。その結果、発現する組織に依存して、遺伝子の進化速度に違いがあることが分かった(図2)。すなわち、脳あるいは神経系で発現する遺伝子は進化速度が非常に小さく、逆に免疫系で発現している遺伝子は速い速度で進化していることがわかる。その他の組織では両者の中間の速度で進化している。この結果は、遺伝子は組織や器官から大域的制約を受けており、その強さの程度は組織に依存することを示している。他の遺伝子族についても全く同じ結果が得られた。こうして大域的制約の存在が確認された。従って分子進化速度kは、局所的制約と大域的制約のそれぞれの強さの程度(それぞれCL及びCGとする)からk∝CG・CL・μと表される。ここでμは突然変異率である。
図2. 脳と免疫系で発現している遺伝子の進化速度の比較.
 脳では膨大な数の遺伝子が発現していることが知られているが、そのことと脳で発現している遺伝子の進化速度が非常に小さいことと関連していると思われる。ニコチン性アセチルコリンレセプター(nAChR)遺伝子族のメンバーは脳で発現するタイプと筋肉で発現するタイプとに分類されるが、いずれも神経細胞のシナプスに局在する。従って脳型は中枢神経系に存在し、筋肉型は末梢神経系に存在すると考えられる。隈らの解析によると、中枢神経系に局在する遺伝子の進化速度は低く、逆に末梢神経系に局在する遺伝子の速度は相対的に高い。すなわち、システムの中心部に存在する分子は多くの分子と直接・間接に相互作用し、システムから強い制約を受けることになろう。逆に、システムの表層部にある分子は相対的に少数の分子と相互作用し、結果として、システムから受ける制約は小さくなると解釈できる。
 隈らの論文が発表された翌年の1996年、ケネス・ヘスティングスは、いろいろな組織で発現している遺伝子は、発現している組織が限定されている遺伝子よりもゆっくり進化していることを明らかにした。このことは、ある一つの遺伝子がいろいろな組織で発現していると、その遺伝子に起きた変異がさまざまな組織に影響するため、変化に対する制約が強く働くためと理解できる。2000年にローレン・デュレとドミニク・ムシルは多くの組織と遺伝子の解析から、上記2グループの結果を確認した:1)、遺伝子の進化速度は発現している組織に依存する(図3)。2)、多くの組織で発現している遺伝子はごく限られた組織で発現している遺伝子よりも進化が遅い(図4)。
図3. アミノ酸置換数(相対進化速度)の組織依存性 
    デュレとムシル 2000年論文を改編
図4. ある遺伝子が発現している組織の数と塩基置換数(相対進化速度)の関係
    デュレとムシル 2000年論文を改編
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形態進化と分子進化の橋渡し
 デュレとムシルの結果は隈らとヘスティングスの結果の確認ではあるが、多くの遺伝子とさまざまな組織を使った解析であるので重要な情報を提供している。ある遺伝子が多くの組織で発現すると進化速度が極端に減少するのは、その遺伝子がより多くの遺伝子と直接・間接に相互作用している結果を示しており、複雑なシステムに組み込まれた遺伝子が強い大域的制約を受けると解釈できる。また、発現している組織に依存して遺伝子の進化速度が変化するという結果は、分子進化速度が組織という形態の違いを十分反映しうることを示している。
 さて、分子進化速度が形態の複雑さを反映するのなら、ある系統が進化の過程で獲得した形態の複雑さに依存して、分子進化速度に顕著な変化が認められると期待される。星山大介(現、京都大学化学研究所)と共同研究者らは、形態形成に関与する遺伝子の一つであるPax6遺伝子が脊椎動物の進化の過程で進化速度を大きく変化させていることをみつけた。すなわち、脊椎動物の系統を、魚類と四足動物が分岐した時期を境に、それ以前と以後の時期に分け、それぞれの時期の進化速度を計算すると、後期は前期に比べて分子進化速度が極端に低下していた。
 では、なぜPax6の進化速度が脊椎動物の後期になって低下したのか。Pax6は眼の形成を誘導することで有名だが、発生の異なる段階でいろいろな目的に使われている転写因子(支配下にある一群の遺伝子の働きを制御する)の一種である。まず、胚発生の過程で神経管の腹側に発現する。ずっと後の器官形成時には、眼の形成を誘導する。鼻の形態形成にも関与しているらしい。また下垂体にも発現が認められる。さらに、成体においては、膵臓のα細胞の誘導に関係する。このようにPax6は胚発生、器官形成、成体の各過程で繰り返し発現する。例えば、顎のある脊椎動物では、Pax6は下垂体や膵臓でも発現することが知られているが、これらの臓器の構造が円口類などの顎のない原始的脊椎動物ではずいぶん違っている。このことは、脊椎動物の進化の過程で、体の複雑さが増すにつれて、同じ遺伝子が別の目的に繰り返し使われるようになったことを示唆している。
 では、同じ転写因子が別の目的に繰り返し使われるとどうして進化速度が低下するのか。転写因子上で起きたアミノ酸置換は転写活性に大なり小なり影響するが、支配下にある一つの遺伝子には大した影響がなくとも、別の遺伝子には悪い影響を及ぼすこともあり得る。結局、支配下におく遺伝子の数が増えれば、それだけ転写因子は変化し難くなると考えられる。すなわち、転写因子がいろいろな目的に利用されれば、それだけ機能的制約が強くなって進化速度が低下するというわけである。
 ある遺伝子が、本来持っていた仕事に加えて新たな組織の形成のためにリクルートされ別の仕事が付け加わると、大域的制約が増加して進化速度が低下することになるであろう。同じ遺伝子に新たな機能が付け加わるという現象はどの遺伝子にもみられることではないが、転写因子にはこうしたリクルート現象が起きやすいのかもしれない。こうみてくると遺伝子の進化速度は形態進化と分子進化を繋ぐ架け橋の一つになるのかもしれない。分子進化の中立説の提唱者、木村資生は「生物進化を考える」(岩波新書)という本の中で次のように述べていたことを紹介して今回の私の話の締めくくりにしたい:「今後に残された大きな問題の一つは、表現形レベルの進化と分子レベルの進化との間にどうしたら橋渡しができるかということである。この方面でも、将来、日本の若い研究者によって世界に誇ることができるような業績が上げられることを望みたい。」
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[宮田 隆]

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