RESEARCH
あらたな科学哲学の再生を求めて
I
人間の視覚は、生後、一定期間、光刺激に目がさらされることにより、はじめて確立する。そのため、生後、何らかの理由により、光刺激を遮断された乳児は、視力が低下してしまう。つまり、人がものを見るための視神経を基軸とした脳神経細胞のネットワークは、生後の外界との接触をとおして形づくられるのである。
人間の認知、思考、判断、行動にかかわる脳神経細胞にも、これと似たことがあてはまることを示す研究が出はじめている。人はこの世に生まれ、他者と交わり、言葉を学ぶことにより、脳神経細胞のネットワークを形成し、これを基礎に、あらたな学習、遊び、創造を含むさまざまな活動を行う。
人間の脳はあらかじめプログラムされた先天的な物質的基盤もちつつ、「社会的に構成される」(L.Eisenberg)のである。この脳神経細胞と社会のなかでの人間のさまざまな経験との円環的相互作用およびこれをとおした脳神経細胞のネットワーク形成は、人間が生きている限り、とりわけ、日々新たな体験をするという手ごたえのある生きがいを失わない限り、絶ゆまず行われ得る。
ちなみに、高齢になっても演奏活動を続けている音楽家では、バイオリンやトランペットなどの楽器の音に対する大脳皮質での聴覚表象が普通の人に比べより鋭敏であることを示した研究がある。また、脳の画像研究により、精神障害の中には脳内の血流分布の異常が見られるもののあることがわかってきた。うつ病や強迫神経症では言語的働きかけや人格的交わりによる精神療法が功を奏したとき、脳画像上でも改善が裏付けられるようになっているのは興味深い。
これは、人間の脳と心的なもの、より広くは世界のなかでの人間の経験一般とが円環的な相互作用をしていることが科学的に実証され始めていることを示していると言えよう。
さらに、うつ状態になると、免疫細胞、なかでも健康人でも血中に一定数現われる癌細胞を排除するNK細胞の活性低下がおこることが明らかになっている。これは、生きる目標をなくし、心的緊張が下がると、風邪をひきやすくなったり、悪性腫瘍にかかりやすくなるというわれわれの臨床観察に一つの説明を与えてくれる。古来、「病は気から」と言われてきたが、これはおよそ単なる迷信ではなく、1つの科学的な真理を言いあてていることが明らかになってきているのである。
こうして、デカルトの心身二元論は修正をせまられ、身体と心的なものとはたえざる生成的な動きのなかで密接に深く結ばれていることが科学的に明らかになってきていると言ってよいのではないだろうか。
II
1990年頃から、ゲノムプロジェクトで人間の遺伝子解読が進められ、その成果が次々に発表されている。巷では、遺伝子の解読が終われば人間のことは、病気を含めすべてわかるというきわめて楽観的な幻想も耳にする。遺伝子解読は、さしあたり、4つの塩基配列の決定という遺伝子文字の記述の域を出るものではない。遺伝子がある機能を発現するに際しては、脳神経細胞と多少とも類比的に、環境、また社会との円環的な相互作用の側面があるはずである。
人間のおかれている環境を、DNAの二重らせんに加わるもうひとつのらせんに見定め、DNAの二重らせんは環境と分かちがたく結ばれていることを説く『三重らせん(The triple helix)』(Lewontin, R:Harvard University Press,2000)と題した本が2年前にアメリカで出版された。たしかに、遺伝子文字の意味の発現は、自然環境、また社会・文化環境との接触、出会いのなかでなされる部分が少なくないのではないだろうか。
さまざまな疾患について、病因にかかわる遺伝子の研究がなされ、一部の疾患では病因となる遺伝子が特定されている。その1つに、単一遺伝子病であることが明らかになった血液疾患β-サラセミアがある。この疾患は、不思議なことに、同じ遺伝子の障害をもちながら、重篤な貧血症状を呈する人から、検査ではじめて遺伝子異常がわかる無症候性の人まで表現型は実にさまざまである。これは、遺伝子文字が発現する上で環境的因子がかかわっていることを示唆するひとつの例だろう。
統合失調症(最近まで精神分裂病と呼ばれていた)にかかわる遺伝子があるとしても、それは、β-サラセミアやハンチントン舞踏病のような単一遺伝子病ではなく、生活習慣病に入れられる高血圧や糖尿病のように、多数の遺伝子がかかわるに違いない。しかも、その遺伝子発現には、その人のおかれた心理・社会的状況の関与が無視できない。また、単一遺伝子病のβ-サラセミアでさえ無症候性のものを含む多様な表現型があることからすれば、統合失調症ではその表現型は一層多様性を増すと思われる。
かつて、われわれは、構造主義言語学、またその流れをひくJ.ラカンに代表される構造論的精神分析の考え方に触発されて、意味の次元とは一線を画す、言語における音や文字といったマテリアルな次元の自立性、また優先性に注目し、ひとつの文字(ないし、シニフィアン)は他の文字(ないし、シニフィアン)との関係のなかで、あるいはまた、社会や人との生きた出会いのなかで、多様な意味をもちうると認識した。私は、4つの塩基からなる遺伝子文字の配列は、人間の無意識における文字(ないしシニフィアン)の連鎖に比較できるのではないかと密かに思っている。こうした構造論的な見地から、遺伝子文字について考えてみることも重要ではないだろうか。
いずれにせよ、遺伝子研究が進み、分子生物学が記述段階から機能の解明段階に入ると、人間のおかれた環境・社会とのかかわりのなかで、重層的に遺伝子文字の意味作用、つまり発現を考える必要が出てくるはずである。その意味で、生物学研究は、二重らせんから三重らせんへの視野の拡大を要請されているのである。
III
遺伝子研究をはじめとした現代の生物学的研究の目覚しい成果は、ややもすると、病気を含む人間の諸現象を生物学的身体に還元する生物学的還元主義の抬頭を促す傾向をもつ。しかしながら人間が、見えざる神ともいうべき匿名的な主体の導きのもとに、たえざる生成をする心身複合体である以上、われわれは、こうした生物学的研究の成果を、人間がこの世界で他者と生きる、今、ここのありのままの現実に置き戻して、再検討する必要があるのではないだろうか。精神科において、それぞれ個別性をもった多数の患者の治療に携わり、個々の実践的判断をせまられる臨床の現場において、私はこうした問題意識を実感していることをつけ加えておきたい。
学生が国家権力に異議申し立てをした1960年代には、世界のなかで他者とともに生きる人間をトータルに捉えようとする、E.フッサールにはじまる現象学、また、科学の方法論を検討することを課題とする科学哲学がわが国において確固とした位置をもっていた。ところが、とりわけ1980年代頃より、生物学の興隆とひきかえに、こうした哲学的方向が退潮傾向にある観を禁じえない。以上述べたように、現代生物学の研究の最前線から、人文科学との学際的研究を要請する問題枠が浮上してきていることに注意を喚起したい。端的に言えば、最近の生物学的研究や脳科学研究をふまえた、あらたな科学哲学の再生、ないし神経哲学、生物哲学の展開が求められているのではないだろうか。
鹿島晴雄(かしま・はるお)
1945年千葉県生まれ。1970年慶應義塾大学医学部卒業。1986年ドイツのマックスプランク精神医学研究所へ留学。帰国後、慶應義塾大学医学部精神神経科学教室専任講師、助教授を経て、2001年から現職。高次脳機能障害、特に前頭葉機能障害・記憶障害をテーマに、評価法・リハビリテーションの開発を行っている。また統合失調症の症状形成機構と症状への対処方略についても検討している。著書に『神経心理学入門:こころの科学』『認知リハビリテーション』『精神保健入門』などがある。