RESEARCH
“こころの科学”のすすめ
“こころの科学”と“脳の科学”
“神経科学”から“脳の科学”へと脳に関する科学の発展はめざましい。さらに21世紀は“こころの科学”の時代といわれ、最近ではクオリアや自己意識など、主観に関する(類似する)問題までが研究の対象になりつつある。臨床家としての私は、一応、脳がなければ心もない、心の働きと脳の働きは“重ね合わせ”、という立場で仕事を進めており(そうでないと画像検査も向精神薬も脳の生物学的研究も意味がなくなる)、その中で、主観を対象としようとする最近の脳研究の方向に大きな関心と共感を持っている。
私は、精神病理学(異常心理学)と心理機能を脳との関連で検討する神経心理学を専門として研究してきた。これらの領域は、訴え(体験)の記載から出発してそれを脳の機能と関連させる方向、つまり主観から客観へと向かうことで、科学としての立場を確立してきた。つまり、“こころ”から出発し“脳の科学”へと“発展”してきたわけである。しかし、改めて考えてみると、その発展とは、実は“こころ(体験、主観)”を等閑視することでもあったのだ。
主観的訴えから脳機構へ
たとえば、神経心理学が研究対象にする視覚失認(連合型視覚失認)という症状がある。形態の視覚的認知はしっかりできているのに、見える物が何であるかわからないという症状だ。細部まで正確に模写ができ、その物の名前も知っており、それに関する知識もあるのに、見てそれが何であるかがわからない。神経心理学ではこの症状を、知覚そのものは正常、すなわち脳の中に視覚像は正しく結ばれているが、意味との連合が断たれている状態と説明する。“意味を奪われた知覚(Bensonによる失認の定義)”というわけだ。視覚失認については、それを生じさせる脳の損傷部位や症状形成の脳機構について多くの知見が得られてきた。当人の訴えによる視覚体験の記載から、その脳機構の解明へと科学的に発展してきたわけである。しかしそれとともに“視覚失認の人にはどのようにものが見えているのか”という体験自体への関心は薄れていった。失認は、科学の言葉では、意味を奪われた知覚とされるわけだが、連合型視覚失認の人は、決して「意味のないものが見える」とはいわず、「ぼんやり見える」「はっきり見えない」と口を揃えて視覚体験のあいまいさを訴える。視覚像と意味との連合が断たれたという“客観的”な事実からは予測し難い体験を訴えるのである(ここでは言葉が中心的役割を果たしている)。訴えから出発した神経心理学が、再び訴えに注目し、それを脳機構との関係で再検討すること、つまり“脳の科学”という基盤のあるところで“こころの科学”を構築すべきところにきていると考える所以である。
一方、精神医学における最重要課題のひとつである統合失調症では、訴えが検討の主たる対象であり、その脳機構に関する知見はないといってよい。“脳の科学”というにはほど遠いところで対応しているわけだ。そこでは、視覚失認のように脳の機構から訴えを捉え直すというところへは行かず、訴えからその脳機構を探らなければならない状態だ。以前の神経心理学のように訴えの分析から出発しその脳機構の解明へ、つまり“こころ”から“脳の科学”へと向かわねばならないところにいるのである。しかし、今は認知科学や脳の科学の発展がもたらした多くの知識と方法があるので、神経心理学での視覚失認の研究の時のように自分達だけで苦労しなくてすむ。“脳の科学”の進展が“こころ(体験や主観)の科学”の現実性を高めそれへの期待を高めてくれているのだ。
このように、神経心理学と精神医学とでは、状況は異なりながら共に“こころの科学”への期待が生まれているという興味深い状況にある。
改変グラフィック・ロールシャッハテスト
そこで、私たちが統合失調症における体験、特に視知覚について、訴え(知覚体験)からその脳機構を探っている試みを紹介したい。一般に知覚は“外(外的刺激)”と“内(内的表象)”により構成されるもので、神経科学的には刺激依存的で自動的なボトムアップ処理過程と、刺激に非依存的で意識的なトップダウン処理過程の協働・相互作用によって成立すると考えられている。前者は物品や線画などをそのものとして受動的に知覚する際に機能している過程(より“外”に依存している)で、後者はあいまい図形や多義図形などの知覚のように、対象を物理的刺激以上のものとして能動的に知覚する際に機能している過程(より“内”に依存している)である。統合失調症では知覚に関するさまざまな訴えが生じるが、その訴えに上記の2過程、すなわち“外”と“内”がどのように関わっているかを視知覚において検討するために、私たちはグラフィック・ロールシャッハテストを改変して用いる方法を開発した。
改変グラフィック・ロールシャッハテストはロールシャッハ図版のインクブロット全体が何に見えるかを描画させるという検査法であり、まず図版全体が何に見えるかを問い、次いで述べられたものについて描画してもらう。こうすると、ロールシャッハ図版のようなあいまいな視覚刺激を知覚する際の“分節化の様態”、つまり各分節(視覚刺激の各部位)が“部分”としてどのように分化し(より“外”に関係する)、“全体”へとどのようにまとめ上げられているのか(より“内”に関係する)についての評価ができる。正常反応では、ロールシャッハ図版のインクブロット全体が意味のあるまとまりとして捉えられ、その中から適切な選択と抑制とがなされ、分節化が行われる。その結果、各分節は部分として分化し、全体の中でよく体制化されており、他の人が見てもなるほどと思うものが描かれる。
ここではロールシャッハ図版ではなく、私たちが独自に作成したあいまい図形([a])に対する反応を示す。[b]は正常反応で“外”と“内”のバランスがよい場合である。異常反応には、二種類の対極的な反応がある。一つは“刺激優位反応”で、刺激依存的で柔軟性に乏しい([c]“内”よりも“外”に基づいた反応)。もう一つは“概念優位反応”で、描画されたものはインクブロットとの対応がほとんどみられず、分節化はほとんどなされていない([d]“外”よりも“内”の印象に基づいた反応)。“刺激優位反応”はトップダウン処理過程が機能せずボトムアップ処理過程のみが機能している状態で刺激依存的な知覚であり、他方“概念優位反応”はトップダウン処理過程が病的に肥大して機能している状態と解釈される。予備的な検討では、前頭葉損傷で“刺激優位反応”が多く、統合失調症では一人の中で上記の二種類の反応、“刺激優位反応”と“概念優位反応”が併存する傾向がみられている。
グラフィック・ロールシャッハテストは、知覚という主観的でしかありえない体験の脳機構を検討することを目指しており、“こころの科学”と“脳の科学”の関連を狙った試みとして始めているもので、ここから新しい展開があることを願っている。
鹿島晴雄(かしま・はるお)
1945年千葉県生まれ。1970年慶應義塾大学医学部卒業。1986年ドイツのマックスプランク精神医学研究所へ留学。帰国後、慶應義塾大学医学部精神神経科学教室専任講師、助教授を経て、2001年から現職。高次脳機能障害、特に前頭葉機能障害・記憶障害をテーマに、評価法・リハビリテーションの開発を行っている。また統合失調症の症状形成機構と症状への対処方略についても検討している。著書に『神経心理学入門:こころの科学』『認知リハビリテーション』『精神保健入門』などがある。]