Special Story
化学物質でつながる昆虫社会
大きな集団を作り、驚くほど組織的に活動するアリやハチ、シロアリたち。 社会性昆虫は、その組織力を生かして地球でもっとも繁栄した生き物となりました。 その社会を支えるのは、さまざまな化学物質。
化学物質による情報交換の一端を紹介しましょう。
CHAPTER
さまざまな情報化学物質
アリの行列を飽きずに見た思い出はどなたもお持ちだろう。アリはハチとシロアリと同様、集団を作り、統制のとれた行動をする社会性昆虫である。人間は主に言葉や身ぶりで意思疎通 するが、アリは化学物質によるコミュニケーションを発達させた。センサーとなる2本の触覚を盛んに動かして化学物質を受け取り周囲の状況を知る一方で、自らも物質を分泌し情報を伝える。たとえば、道しるべフェロモンという発揮性の物質は、列をなして整然と行進するためにアリ自身が出すものだ。ほかにも、多種多様な化学物質で情報が交換される。
(写真=山口進、以下とくに記載のないものについては同様)
これらの化学物質の中でもとりわけ重要なのが、社会の成立の基本となる種や同じ巣の仲間を区別 する物質である。アリはこの物質で相手を判断し、異種ならばもちろん、同種であっても巣が異なれば戦いを挑む。ただ、触覚が直接相手に触れるまで喧嘩にならない。この物質は不発揮性で、触ってみないとわからないのだ。この物質の正体を求めて、体からの水分蒸発を防いでいる体表ワックスと呼ばれる不発揮性物質の成分を調べてみた。昆虫を溶媒(ヘキサン)の中に入れ、体表ワックスを抽出した後、溶媒を濃縮しキャピラリーGC/MSという装置で分析すると、複数の炭化水素からできていることがわかった。しかも、その組成は種によって異なっていた。アリ以外にもシロアリ、ハチ、カメムシ、コオロギなど500種以上の昆虫を調べてみたが、すべて種特異的な炭化水素組成をもっていることがわかった。だが、虫たちは、本当にこれで区別しているのだろうか。
科学的に擬態する
異種の個体に囲まれているのに安穏と生活するアリがいる。サムライアリだ。日本に1属1種しかいないこのアリは、集団で他のアリの巣に押し入り、主に蛹(さなぎ)をさらってくる。この蛹はサムライアリの巣で成虫となり、奴隷のようにサムライアリに奉仕するのだ。餌を運ぶのも、幼虫の世話をするのもすべて奴隷アリである。異種同士なのにどうして喧嘩しないのだろうか。この理由を調べれば、体表炭化水素が本当に種の弁別と関係があるかどうかわかるかもしれないと考えた。
そこで、サムライアリと、奴隷となっていたクロヤマアリの体表炭化水素組成を比較してみると、予想通り、寸分たがわぬものだった。しかも、その組成は奴隷アリがもといた巣のアリとも同じだった。サムライアリがクロヤマアリの体表成分を真似ているようなのだ。それならばと、今度はハヤシクロヤマアリを奴隷にしていたサムライアリを調べてみると、やはり同じことが起こっていた。サムライアリは、まるで"忍者"のように、奴隷とするアリに合わせて炭化水素組成を変化させていたのだ。 羽化したばかりや、単独で育ったサムライアリからは、体表炭化水素がほとんど検出されないので、サムライアリ自身は体表炭化水素をほとんど作っていない。奴隷アリの体表成分を体に擦りつけて化学擬態をしているのだろう。
ほかにも面白い例がある。カワラトビイロケアリとエイコアブラバチの関係だ。アリはヨモギの根に寄生するナマシルアブラムシと共生関係にあり、土中で一緒に生活している。ハチはこのアブラムシの体内に卵を産みつける寄生バチだ。孵化したハチの幼虫は、アブラムシが死なないように体内を食べて成長し、やがて成虫となって外に出る。この成虫が再び、ヨモギの根元の土中で、アブラムシに産卵するわけだが、やっかいなのが産卵だ。アブラムシを守ろうとするアリにすぐに追い払われてしまう。ところがである。ハチは一瞬の隙を突いてアリの背中に飛び乗りしがみつくと、触覚で頭部を撫でグルーミング(毛づくろい)を始めるのだ。これを30分ほど続けた後、ハチはアリの背中から降り、自ら翅を噛み落とし、腹部を内側に曲げてアリに近づき、触覚同士の接触を求める。いかにも仲間だぞという様子だ。触覚の触れ合いを引き金に、アリはハチに吐き戻しで餌を分け与える。これは栄養交換と呼ばれ、仲間同士でしか行われることはない。こうして仲間入りを果たしたハチは、堂々とアブラムシに卵を産みつけられるわけだ。ハチの体表炭化水素成分をグルーミングの前後で比較すると、その組成は劇的に変化し、主成分はアリと同じになっていた。みごとな化学擬態の成立である。
女王のもとに集まるわけ
体表炭化水素が種認識にとって重要なシグナルであることがわかってきたが、アリの場合、同種であっても巣が異なれば喧嘩をする。同種なら、炭化水素組成は同じはずなのにである。そこで、異なる巣のクロヤマアリの体表成分のガスクロマトグラフ(GC)分析を行ない、組成を比較してみた。すると面白いことに、どの巣のアリのGCチャートにも同じピークが表れていたが、その高さが違っていた。同じ種類の炭化水素が、異なる濃度で混ざっているということになる。この組成比の違いが本当に巣特異的であることをはっきりさせるため、同じ巣の個体を個別 に調べてみたが、どれもきわめてよく似た組成比であった。アリは、炭化水素の組成比をも認識して、同巣の仲間かどうかを判断していたのだ。
クロヤマアリの初期の巣の内部。まだ、部屋数が少なく、女王アリが蛹と同じ部屋にいる。羽化している働きアリが見える。
(写真=栗林慧)
組成比はどのようにして決まるのだろう。ハヤシクロヤマアリで同じ実験をしていたときのことである。調べていた3つの巣のうち1つで、なぜか個体の体表成分の組成比がばらついたのだ。そこには女王アリがいなかった。そこで、女王のいるグループと、いないグループを作ってみると、女王がいるほうは組成比が均一だが、いない方では徐々に均一性が失われることがわかった。女王がいなかったグループに女王を移し替えてやると、組成比が均一化してくるので、女王の存在が体表炭化水素の組成比の均一化に必要とわかる。
女王アリが統一を図る
巣のアリを、女王のいるグループといないグループに分けると、女王のいないほうでは、体表成分がばらついていく。このばらつきは、女王を戻してやると消失する。女王の出す集合フェロモンによって働きアリが集まると、互いの体表成分が混じり合い均一化するらしい。赤線は女王の体表成分を、青、緑、橙色の線は任意に選ばれた働きアリの体表成分を示しており、分ける前は、働きアリの体表成分はほとんど同じだった。
女王のいない巣に、女王を入れると、女王の出す発揮性の化学物質(集合フェロモン)によって働きアリが次第に集まり一塊になる。こうして体が触れ合うことで、体表成分が混ざり合うのかもしれないと考え、働きアリを隙間なくビンに詰め、体表成分の変化を調べたところ、案の定、普通 は個体ごとに違ってくるはずの組成比が似通っていた。さらに、おとなしくあまり喧嘩しないクロヤマアリとハヤシクロヤマアリを一緒に飼育してみると、互いの体表成分が混ざり合うこともわかった。女王アリは、集合フェロモンで働きアリを集め、働きアリ同士を接触させることで、体表成分を混ぜ、組成比を均一化しているのだ。
最近、アリは、頭部に存在する大型の貯蔵器官である後部咽頭腺に、体表炭化水素を貯蔵していることが明らかとなってきた。アリは頻繁にグルーミングをするが、その目的の一つは、自分の体やほかの働きアリの体表成分を舐めとり、混ぜあわせて貯蔵することらしい。一方、それを塗りつけるためのグルーミングもある。こうして、体表成分を均一化していくのだろう。
このように、アリはさまざまな情報化学物質によって、社会を維持している。ここでは触れなかったが、多くのフェロモンも当然含まれる。アリのコロニーは、あたかも一つの生き物のような統制のとれた行動をするが、このような社会性はどのようにして進化してきたのか。興味は尽きない。
アリは体中に多くの腺をもっている。後部咽頭腺はその一つで、舐めとられた体表炭化水素が混ぜ合わせられ、貯蔵されていると考えられる。
アリの多様な行動
その裏にはどんなコミュニケーションが?
山岡亮平
(やまおか・りょうへい)
1947年生まれ。京都大学大学院農学研究科博士課終了後、京都大学農学部助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、98年より同大学教授(化学生態学研究室)。農学博士。82年ニューヨーク州立大学に留学。著書に『アリはなぜ一列に歩くか』(大修館図書)などがある。