Interview
形の進化とゲノムの変化
―ナメクジウオが教えてくれること
ナメクジウオは、その名の通り、ナメクジにも魚にも見える、ちょっと変わった生物です。
本当はどちらでもなく、魚類・鳥類・哺乳類などの「脊椎動物」の祖先にもっとも近いと考えられている「頭索動物」。ホランド博士は、ナメクジウオのゲノムを調べることで、ヒトを含む脊椎動物がどのように進化してきたかを明らかにしようとしています。
ナメクジウオで進化を探る
―― ホランドさんは、ナメクジウオという珍しい動物を使っておられます。なぜナメクジウオなのか。そこから何がわかるのか。今日はそれを聞かせて下さい。
生命誌研究館のホールでインタビューに答えるホランド博士。
ホランド
人間はもちろん、魚や、鳥など、背骨をもつ動物のことを脊椎動物といいます。背骨をもたない動物から、どのように脊椎動物が生まれたのか。私たち自身の由来を探る「脊椎動物の起源」は生物進化の大問題で、それを調べるためにナメクジウオを使っています。ナメクジウオは一見魚のように見えますが、背骨はありません。その代わり「脊索」という、脊椎動物の個体発生の初期にだけ登場し、のちに脊椎に置き換わる組織を一生もっています。また、筋肉や神経組織など、その他の組織も脊椎動物を簡単にしたような構造になっています。それらのことから、脊椎動物の祖先に似ていると、古くから考えられてきました。
―― 脊索をもつ動物というと、もうひとつホヤが思い浮かぶのですが。なぜナメクジウオを使うのですか。
ホランド
それはまず第一に、古典的な動物学でも最近のDNA解析でも、ナメクジウオのほうがホヤよりも脊椎動物に近いと考えられているからです。しかし、もっと重要なのは、ナメクジウオが、はるか昔、脊椎動物が生まれた頃の形態を今も変わらずにもち続けていると考えられることです。脊椎動物とナメクジウオの祖先が分かれたのは何億年も前のこと。その頃と比べて形態が大きく変わってしまっていたら、現在のナメクジウオを調べても脊椎動物が生まれた頃のことを知るのは難しくなる。実際には、ナメクジウオは形態的に過去の状態をかなり保っていると考えられます。
―― ナメクジウオは現在の生き物ですが、それを調べることで、太古の昔に生きていた脊椎動物の祖先を調べるのと同じになるわけですね。
ホランド
カンブリア紀の爆発が起こった5億数千万年前、脊椎動物が生まれるより前に、ピカイアという生物がいました。化石で見るピカイアはナメクジウオにとてもよく似ていて、そのことから、カンブリア紀にはすでに、ナメクジウオのような生物がいたと多くの生物学者は考えています。
形づくりの遺伝子を比較する
―― ナメクジウオについて、具体的にどんなことを調べているのですか。
ホランド
現在の研究を本格的に始めたのは1987年頃のことです。その数年前に動物の形づくりに重要な働きをする「ホメオボックス遺伝子」が見つかり、その他にもいくつかの形づくりの遺伝子が見つかり始めていました。そこで私は、こうした動物の形態をつくるのに重要な遺伝子が、脊椎動物とナメクジウオでどう違うかを調べることにしたのです。動物の形態がそれぞれに違うのは、形づくりの遺伝子の構造や働きが違うから。進化の歴史において新しい形態が生まれた時、形づくりの遺伝子はどのように変化したのでしょうか。形態の進化に関する本質的な問いを、私は解きたいと思ったのです。
(図1)脊椎動物の登場とともに重複したホメオボックス遺伝子群
脊椎動物の祖先がまだ脊椎をもたなかったころ、形づくりに重要な働きをもつホメオボックス遺伝子群は、1セットしかなかった。ナメクジウオはその時の状態をそのままもちつづけていると考えられる。一方、脊椎動物では、遺伝子が重複し、ホメオボックス遺伝子群は4セットになった。その結果、余分な遺伝子がたくさん生まれ、それによって脊椎動物特有の構造が作られるようになった、というのがホランド博士たちの仮説である。(ただし、重複のタイミングはまだ正確にはわかっていない。)
―― 確かに、ヒトとチンパンジーにしても、全遺伝子のうち約2%が違うと言われますが、その中に脳の大きさや骨格の形態を決める遺伝子があるはず。でも、それがどんな遺伝子なのか全然わかっていない。
ホランド
その通り。今でもこの分野はわかっていないことばかりです。そんな中で私たちは、比較的働きの明らかなホメオボックス遺伝子に注目して実験を始めたのです。ホメオボックス遺伝子は、よく似た配列をもつ数個の遺伝子がゲノムの中に並び(図1)、その働きによって、頭部、胸部、腹部などの異なる構造ができあがります。このように並ぶ複数の遺伝子をホメオボックス遺伝子のクラスター(=集団)と呼ぶのですが、80年代の終わり頃には、ショウジョウバエではクラスターが1つなのに対し、マウスなどの脊椎動物では4つということがわかっていました。この違いはいつ生じたのか。それを探るためにナメクジウオのホメオボックス遺伝子を調べることにしたのです。遺伝子の実験など行なわれたことのない動物なので時間がかかりましたが、最終的にクラスターは1つということがわかりました。脊椎動物の祖先には、もともと1つのクラスターしかなかったのが、脊椎動物が生まれたのと前後してクラスターは4倍に増え、その結果、余分になった遺伝子が変化して、新しい構造をつくるようになった、という予想が成り立つのです(図1)。
遺伝子で脳の進化を探る
―― ホランドさんは、ホメオボックス遺伝子を使って、脳の進化についても研究しておられますね。
ホランド
ナメクジウオは、はっきりとした脳をもっていません。その代わり、体の前後に脊椎動物の脊髄に相当する神経管が走っていて、その先端部で少しだけふくらんだ部分が脳胞と呼ばれています(図2)。19世紀に盛んに行なわれた研究で、脊椎動物の脳とナメクジウオの神経組織との関係について、いくつかの説が提唱されていました。そのひとつは、脊椎動物の脳はナメクジウオの脳胞に由来するという考え方で、もうひとつは、ナメクジウオは脳に相当する組織はもたず、脊椎動物の脳は進化の過程で新しく生まれた、とする考え方です。
(図2)
ナメクジウオ。浅い海の底にもぐり、体の前端を海底から出して海水中の餌を濾し分けて食べている。写真は日本の種Branchiostoma belcheriだが、ホランド博士の使っているアメリカ産の種(Branchiostoma floridae)も形態はほとんど同じ。(写真=楚山勇)
―― 形を比較するだけでは、どちらが正しいかは言えないように思えますが。
ホランド
それでホメオボックス遺伝子を調べることにしたのです。まず、ナメクジウオのホメオボックス遺伝子のうち、AmphiHox-3という遺伝子の発現を調べてみると、発現領域の前端は脳胞よりもずっと後ろにありました。一方、脊椎動物でAmphiHox-3遺伝子に対応するHox-3という遺伝子の発現領域の前端は後脳という脳の一部の中にあるのです。ホメオボックス遺伝子は、それが発現している領域とそうでない領域に違いを作るという働きがあります。そう考えると、脊椎動物の脳がナメクジウオの脳胞とさらにその後ろの神経管の一部というかなり広い領域に由来するのではないか、という、これまでとは違った、新しい仮説を考えることができるのです。現在では、AmphiHox-1という遺伝子でも同じような結論が出ており、ナメクジウオの脳胞に脊椎動物の間脳にあたる構造があるようだという結果も得られています。
(図3)ナメクジウオで脳の進化を探る
ホメオボックス遺伝子の発現の比較から、脊椎動物の脳(図ではマウスの黄色く塗られた部分)は、ナメクジウオの脳胞およびその後ろの神経管の一部(黄色の部分)に由来するのではないかという、新しい仮説が生まれた。
脊椎動物ゲノムの成り立ちを探る
―― 最近の総説では、脊椎動物が登場した際に、ホメオボックス遺伝子だけでなく、ゲノム全体が重複した、という考えを述べておられますね。
ホランド
きっかけは、93年に発表された一つの論文でした。ランディン(Lars G. Lundin)が、ヒトとマウスの染色体上に、広い範囲にわたって同じような遺伝子が並ぶ領域があることを見つけたのです。ヒトの場合なら、2、7、12、17番の4つの染色体に、ホメオボックス遺伝子のクラスターをはじめ、多数の遺伝子がお互いそっくり同じ順序で並んでいます(図3)。これを説明するには、もともとヒトやマウスの祖先はこの領域を1セットしかもたなかったが、過去のある時点で領域全体が重複して4セットもつようになった、と考えるほかはありません。
(図4)ヒトのゲノムは重複によってできた?
ヒトの染色体を詳しく見ていくと、4つの染色体に、広い範囲にわたって同じような遺伝子が並んでいる領域が見つかる。こうしたことから、ヒトのゲノムは、祖先の生物がもっていたゲノム全体が重複してできたと、ホランド博士は考えている。ここに示したのは、ホメオボックス遺伝子を含む部分の模式図だが、同様の例は他にもいくつも知られている。
―― その話は聞いたことがあります。ただ、ゲノム全体が重複したという話はあまり聞きませんが。
ホランド
私たちは、ホメオボックス遺伝子以外の形づくりの遺伝子についても調べてきました。すると多くの遺伝子が、ナメクジウオでは1つなのに、脊椎動物では2つ以上見つかるのです。こうした結果やランディンの話などを総合すると、脊椎動物が生まれたのとほぼ同じ頃にゲノム全体がまるごと重複して何倍かになった、と考えるのがもっとも素直な結論となります。これはまだ仮説の段階で、重複の原因もわかりません。とにかく倍加で増えた遺伝子のあるものは次第に変化し、あるものは失われ、やがて残ったものが新しい機能を獲得するという過程で、たとえば脊椎などの、脊椎動物に特有の構造が登場したのではないでしょうか。さきほどのホメオボックス遺伝子も、そうした遺伝子の一例だと思います。
―― 脊椎動物のゲノムは、背骨をもたなかった時代の生物のゲノムがまるごと増えることでできた。ゲノムの歴史の中での大きな変化を説明する、重要な原理かもしれませんね。
ホランド
私は今、ヒトゲノムプロジェクトに期待しています。ゲノムの重複の回数も、2回だったのか、3回以上起こった後に多くの遺伝子が失われた結果、4倍になったように見えるのか、今のところ区別がつきません。ヒトゲノムの全塩基配列が明らかになれば、重複の回数や遺伝子の消失の様子など、ゲノムの成り立ちが詳しくわかるはずです。
これからが楽しみな進化の研究
―― ゲノムプロジェクトをはじめ、遺伝子の研究は、進化の歴史の理解にとって驚くほど重要になっています。ホランドさんも、これほどの時代が来るとは予想されていなかったのではないでしょうか。
ホランド
今から15年前、私がオックスフォード大学の動物学の学生だった頃は、「普遍的原理」を求める分子生物学に対し、動物学は「生物間の相違」に重きを置く、まったく別の学問でした。そんな中で、両方を学んだ私は、遺伝子を使って多様な動物の進化を研究したいと思ったのでした。大学院を卒業して自分の研究を始めた頃、何をやろうとしているのかを周囲の人に理解してもらえず、この分野のパイオニアであるアメリカのラッフ(Rudolf A. Raff)のところにわざわざ出かけていって、話を聞いてもらったこともありました。分子生物学と動物学が一緒になって進化の研究ができるようになった今は、じつにすばらしいと思います。化石を扱う古生物学も、ゲノム情報をコンピュータで解析する情報科学も欠かせない存在となっています。こうした様々な分野が一緒になり研究が進むこれからの10年は、これまででもっともわくわくする時代になることは間違いありません。
ホランド博士が研究館を訪れるのは今回で3回目。個体発生や進化など、研究館のテーマと彼の関心は重なることが多い。
(聞き手/本誌・加藤和人)
Peter W.H. Holland(ピーター・ホランド)
1963年生まれ。オックスフォード大学で動物学を学んだ後、ロンドンの国立研究所(MRC National Institute for Medical Research)で、分子生物学をテーマに大学院の研究を行なう。オックスフォード大学動物学教室の講師等を経て、94年、30才の若さでReading大学の教授(動物学)となる。