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Essay

青い世界から

荻野由紀子

海中の多様な生物たちも,実験室で見るDNAも,どちらも生き物の世界の不思議を教えてくれます。実験室で魚類の遺伝子を研究する一方,ダイビングを愛する若い研究者の,海の中からのメッセージ。


青く果てしない海。人が実際に潜り,目にすることができるのは,この水圏の広がりの数%にすぎない。しかし,そこからふだん我々が触れることのない,もう一つの世界をかいま見ることができる。

50万都市鹿児島市から錦江湾(きんこうわん)を挟んで5kmばかりのところにある桜島。溶岩が織りなす複雑な地形の間に,サンゴが群落を形成し,多種多様な生物が互いに関係し合いながら生息している。初めて潜ったとき,「こんな世界があったのか!」と驚きを覚えた。さまざまな生物が生死を賭けて真剣に生きている,その姿が目に飛び込んできたのだ。ひどく直感的ではあったが,自分が地球上の生物の一つであることを実感させられた。

今まで泳いでいたクロホシイシモチが,突如として現れたアオリイカに,目の前で食われた。一方,溶岩の上ではヒメギンポが求愛のダンスを踊り,新たな生命が生まれようとしている。

突然,暗闇からアカオビハナダイが姿を現した。その艶かしさとハタ科特有の獰猛な顔つきに,食うか食われるかの厳しい世界で生き残ってきた自信を感じる。この目の前にいるのは,何百何千という卵の中から,厳格な必然と,それに負けないほどの偶然によって,選りすぐられた一匹なのだ。

海の生物は,我々の意識を超えた自然の厳しさの中で,さまざまなストラテジーを身につけてきた。カスリハゼは,テッポウエビとの共生を選んだ。もろく崩れやすい火山灰の海底に穴を掘っているから,テッポウエビは休む暇もないほど忙しい。カスリハゼは見張り番のように穴の前にいて,私が近づくと緊張した面持ち(顔色を真っ白にする)で,尾びれを振って穴の中のテッポウエビに合図を送る。カスリハゼにもそれぞれ個性があって,あっさりと穴に閉じこもってしまうもの,顔を真っ白にしながらもじっと我慢しているもの,あまり長い間閉じこもっているものだから,テッポウエビに土砂と一緒に外に放り出されてしまうものまでさまざまだ。   

上/刻々と変わる海の色。この色が今日の思い出の表紙となる。小さな魚たちのゆりかごになるホンダワラの群落(高さ約2m,水深6m)。

下/ジブチテッポウエビは,カスリハゼに見張りをしてもらうかわりに,巣穴に居候させる。巣から出るときも用心深く触角でカスリハゼに触れている(ハゼの体長約5cm,水深5m)。

海の中は,重力に左右されないせいか,グロテスクではあるが,どこか繊細で優美な生物が多い。色彩の豊かなトゲトサカの仲間やハナガササンゴは腔腸動物だが,陸上の花を連想させる。それぞれが独自のストラテジーをもって,ヒトよりもはるかに短いライフサイクルで一所懸命生きている姿を見ると,自分もしっかり生きねばと身につまされる。

なぜこんなに多様な生物がいるのか。その中で自分が存在していること自体も不思議だ。生きているとは,いったいどういうことなのか。それを少しでも知りたくて,分子生物学を志した。そこでの,実験を通して浮かび上がる生命の物質的なイメージ,システマティックで巧妙な姿は,私に初めて海に潜ったときと同様のショックを与えた。DNAを通じて描き出される生命の本質は,多くの謎を解き,またさらなる謎を浮き彫りにした。

万有引力の法則を発見したニュートンは,それで世界の本質が明らかにされたかのように喧伝する風潮に対し,自らは「私は真理の波打ち際で,美しい小石を集めているようなものだ」と述べたという。実験の合間に錦江湾に潜り,その無限の広がりのなかで多様な生物に出会うとき,この言葉が思い出される。

現代生物学は,生き物に普遍的に存在するDNAの性質を明らかにし,ヒトの全塩基配列を解読しようとしている。しかし,ひとたび実験室を出て多彩な生物を目の当たりにするとき,そうした画期的な成果も浜辺に打ち寄せた小石にすぎないと思える。そんな豊かな生命の海が,目の前に広がっているのだ。

トゲトサカの一種
溶岩にしっかりと固着し,潮の流れを体いっぱいに受けながら育つトゲトサカ。高さ2m近くにもなる(高さ約40cm,水深8m)。

(写真=荻野由紀子)

荻野由紀子(おぎの・ゆきこ)

鹿児島大学水産学部大学院博士課程在籍。魚類の鰓(えら)で,薬物代謝酵素としてはたらく遺伝子の発現の仕組みを研究している。

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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