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進化のポリフォニー

建築の中の「生」と「死」:渡辺 豊和

建築の発生はどのような経過をたどったのか不明ではあるが、私は以前から墓陵から建築が始まったと言いつづけている。ふつうならば住居から宮殿、宮殿から神殿、神殿からと、次々に模倣を繰り返して墓陵に至ると信じられている。私の説はそのまったく逆であり、この説を唱えはじめて15年ほどになるが、最近では、建築史の専門家にも受け容れはじめられている。

ではなぜ墓陵なのか。盛期の縄文遺跡(今から4000年以上前)である秋田県大湯のストンサークルは、直径40mを超す渦巻型星雲状配石で、世界でも珍しい。これが墓陵なのか祭祁のための聖域、結界なのか、今もって定説はないが、私はその両方であったと思っている。日本の建築は、このストンサークルを建ち上げ、神殿となす方向には向かわず、木造の巨材を円環状に配置するウッドサークルのほうに進んだが、イギリスのストンヘンジはこのストンサークルの立体化と考えていい。事実、ヨーロッパなど世界の聖堂は聖域、結界を立体化、建築化したものである。したがってこのような聖堂は、巨大な墓陵ともなっている。

人は死して神になり土に還っていく。土は死者を受容して地中のエネルギーをさらに活性化していく。これを地霊=ゲニウスロキという。となれば建築は地霊=ゲニウスロキを空間となしたものであり、その意味で生命を表象することにもなる。長い人類史のほとんどすべての時期にわたって、生と死は表裏一体であった。つい200年くらい前から、人々は「生」のみに執着し「死」を軽んじるようになったにすぎない。そうなると建築も無味乾燥なものになってしまった。鉄とコンクリートとガラスの箱であるモダンビルディングを見れば一目瞭然であろう。

私は、生と死を分離して意識するような心象を生来持ち合わせていなかった。建築家になったのも「聖なる空間」を創造したいためであった。ただし現代は神を喪失し、神のための空間も形骸化した。キリスト教会も含めた現代宗教建築もモダンビルディングの焼き直しにすぎない。これは私の建築の道ではない。小さな住宅に天球、地球を埋め込んだ「地球庵」も、建て主と私の心の交流の中に神、すなわち真なる生命感が躍動した証であった。対馬・豊玉町文化の郷の宇宙卵を形象化した文化ホールを構想できたのも、離島対馬の人々の共同幻想としての「神」を感得したからにほかならない。「神」は地霊だけを吸収するのではない。時々刻々に変化する天光を建築の闇に誘い込み、天地の神秘を現象する。ガウディはそのような「生命の建築」家だった。

長崎県下県郡豊玉町の湖畔にそびえる音楽劇場「文化の郷」

 

神殿住居「地球庵」(西宮市甲陽園)
(写真 = 川元 斎)


(わたなべ・とよかず/建築家)
1938年、秋田県・角館町生まれ。福井大学建築学科卒。大阪で建築工房を主宰。京都造形芸術大学教授。1988年、和歌山県・竜神村の村民体育館で日本建築学会賞受賞。

渡辺 豊和(わたなべ・とよかず)

建築家
1938年、秋田県・角館町生まれ。福井大学建築学科卒。大阪で建築工房を主宰。京都造形芸術大学教授。
1988年、和歌山県・竜神村の村民体育館で日本建築学会賞受賞。

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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