表現スタッフ日記
表現スタッフ日記
展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。
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【一つ一つを見て語る】
2009年1月15日
今村朋子
 寒の入りを迎え、高槻は朝晩の冷え込みが厳しくなってきました。この季節はカリキュラムの終わった高校3年生や大学生が来館することが多く、ときたまホールからにぎやかな声が聞こえてきます。ラボ日記には同期でBRHに入った金山君が充実した学生生活を綴っていて、だいぶ前に学校を卒業した私は学生の日常が懐かしくも羨ましくもあります。
 そんな折、BRHを訪れたかつての恩師から、「これは芸術作品だねー」に始まり、何がどう表現されているか、それによってどう感じたかの感想をいただいて、久しぶりに「見て語る」芸術学の基本姿勢を再確認しました。芸術学の基本は「description」、造形的特質の記述で、まず見ること、そして見たことを言葉にすることを最初に徹底的に叩き込まれます。例えば、ゴッホの有名な《糸杉》の絵を「内面の不安」とか「狂気」と評す人がいますが、これらの言葉には具体がありません。しかし画面に置かれた一つひとつの筆致を見ていけば、それが色面の連なりであることがわかり、なぜグラデーションの技法を使わないのだろうという疑問が起こります。歴史を紐解くと、およそ50年前の1839年に最初の写真技法であるダゲレオタイプが発明されました。その結果、写真に「再現性」の地位を奪われた当時の画家たちが必死に探した、写真にはない表現手段の一つが「筆致」です。このように「何がどう描かれた」を考えていけば、《糸杉》の荒々しい筆致が、単なる「狂気」ではない、歴史的背景を持つ表現の一つであることがわかります。
 芸術作品でも筆致、色彩、素材、歴史的背景と、見る観点は色々ありますが、まず具体的な「作品」というかたまりと向かい合うことから始まるように、生物学でも、ゲノム、細胞、発生、進化と色々な切り口がありますが、まずはどのような生きものがどう生きているかを考えることを基本として大事にしたいと思っています。昨年末に霊長類研究所に取材に伺った際、研究者の方が「ゲノム研究の技術的な可能性に取り組むためにモデル生物のショウジョウバエの実験を始めたけど、飼ってみるとショウジョウバエも種ごとに多様で、個性があるんです」と生き生きと語ってくださり、生きものを研究に必要なデータとして見るのではなく、本当に生きものが好きで研究しているという姿勢が伝わってきて、専門外の出身者として、ちょっとほっとしました。まずは生きもの一つ一つをていねいに見ることを基本にして、発生、進化、生態系を考える生命誌の表現をしていきたいなと思いました。

 [ 今村朋子 ]
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