RESEARCH
単細胞と多細胞のはざまで生きる
細胞性粘菌のゲノムでみる多細胞化の舞台裏
単細胞生物と多細胞生物では、子孫の残し方が異なる。細胞性粘菌は環境に応じて、両者を往来し、たくみに子孫を残す。多細胞生物に匹敵する数の遺伝子を持ち、単細胞と多細胞体の行き来の際、遺伝子をどうはたらかせるかが、多細胞生物への進化を知る手がかりとなる。
1.細胞の役割分担の基本を探る
細胞性粘菌は土壌中に棲息し、バクテリアや酵母等の微生物を捕食して分裂・増殖する単細胞アメーバである。周囲の餌を食べつくして飢餓状態になると、集合してナメクジのような移動体の形成、さらに胞子の塊とそれを持ち上げる柄からなる子実体と呼ばれる構造をつくる(図1)。胞子は次世代へと遺伝情報を伝えることのできる「生殖細胞」であり、柄細胞は生殖細胞を支え、その世代で死滅する「体細胞」である。単細胞でありながら多細胞体制を築き上げることができ、細胞の役割分担(分化)をたった2種類の細胞で行うので、発生・分化の原理を探る対象になる興味深い生物である。実験室での培養や発生の誘導が簡単で、さまざまな分子生物学的手法を適用できるため、発生の研究以外にも、アメーバ運動、細胞分裂等の細胞生物学的研究や医科学研究などにモデル生物として広く使用されている。
(図1) 細胞性粘菌の生活環
細胞性粘菌は、環境に応じて単細胞期と多細胞体期を往来する。
さまざまな発生段階のキイロタマホコリカビ
A アメーバ (増殖期)
B 細胞集合体 (集合期)
C 移動体 (移動体期)
D メキシカンハット (形態形成期)
E 子実体
そこで、代表種のDictyostelium discoideum(和名キイロタマホコリカビ)の全ゲノム配列が解読された。約3400万塩基対のゲノム上におよそ12,500個の遺伝子が存在すると予測されており、その数は多細胞生物の遺伝子数(註1)に匹敵する。私たちは、大規模なcDNA(註2)解析を行い、全遺伝子の半分強をカバーする6,790個の遺伝子を同定した。
全ゲノムを解読したからといって、すぐにその生きものの生命現象が解明できるわけではない。そこに記されている遺伝子が、環境に応じてどのようにはたらくのかを明らかにすることで、一歩一歩生命現象解明へと近づくのである。細胞性粘菌が飢餓状態になり、多細胞体を形成して分化していく際に、遺伝子のはたらきはどのような変化を見せるのだろうか。そこに多細胞生物の基本である「細胞が役割分担するしくみ」が隠されていると考え、解析を進めた。
(註1) 多細胞生物の遺伝子数
ショウジョウバエ・・・ 約14,000個
線虫・・・・・・・・・ 約20,000個
ヒト・・・・・・・・・ 約22,000個
シロイヌナズナ・・・・ 25,000個
(註2) cDNA
相補的(complementary)DNAの略。細胞内ではたらくmRNAを鋳型として逆転写酵素を用いて合成できる。
2.遺伝子の網羅的解析に向けて
トランスクリプトームという耳慣れない術語は、遺伝子の転写産物(mRNA)を意味する「トランスクリプト」に全体を表す「オーム」を接尾語として追加したもので、すなわち発現している遺伝子の全体を意味している。生物のもつ遺伝情報の総体であるゲノムの中、転写、翻訳されてタンパク質としてはたらく部分を切り出したものに相当する。遺伝子発現は細胞の種類や周囲の環境によって変化するので、トランスクリプトームは、細胞の生理状態を反映する指標になる。トランスクリプトーム解析には、以下のような手法が用いられる。まずは、細胞から抽出したmRNAからcDNAを合成して遺伝子を特定し、どのようなmRNAが細胞内に存在するかを調べる方法がある。私たちは、これまでに増殖期、集合期、移動体期、形態形成期 (図1) の各細胞からmRNAを抽出し、それをもとに合成したcDNAをクローン化(註3)して約16万クローンの配列決定を行った。しかし、cDNA を網羅的に取得して塩基配列を決定するには、多くの経費と時間が必要であり、多種多様な細胞について徹底した解析を行うのは難しい。そこで、ゲノムやcDNAの解析によって遺伝子の塩基配列がある程度決まっている場合に行うことのできる二つ目の方法として、DNAマイクロアレイを用いた遺伝子発現量の解析が選択できる。DNAマイクロアレイ(註4)では、網羅的かつ迅速に遺伝子発現の有無や、発現程度の情報を得ることができる。
私たちは、キイロタマホコリカビのさまざまな発生段階で、これら二つの方法を用いて遺伝子の発現解析を行った。
(註3) クローン化
特定のDNA配列を分離すること。cDNAである場合は、cDNAクローンニングという。
(註4) DNAマイクロアレイ
DNAチップとも呼ばれ、一度に大量の遺伝子発現データを得られる技術。
<方法>
1. 調べたい遺伝子に特徴的な配列のDNA(10,000個程度)をスポットしたスライドグラスを準備する。
2. 解析対象の細胞から抽出したmRNAを蛍光色素で標識する。
3. 1.と2.を反応させる(スポットしたDNAと相補的なmRNAとの配列が結合)。
4. 蛍光の強さを測定することで、遺伝子発現量を解析する。
3.集まることで切り替わる?
キイロタマホコリカビは、最適条件の22℃では約24時間で、単細胞アメーバから集合期、移動体期、形態形成期を経て、子実体への最終的に分化を行う(図1)。飢餓状態にした発生開始を0時間として、2時間おきに細胞集団からRNAを抽出し、キイロタマホコリカビの既知の7,385個の遺伝子を用いてDNAマイクロアレイ解析を行った(図2)。抽出した全RNAを混合したサンプルを基準にし、それとの比較で各RNAの発現量を表した。発現変化のパターンが類似した遺伝子同士が近接するように約2,000個を並べると、細胞集合体が形成される8時間後を境として、発現する遺伝子セットが大きく変化していることが明らかになった(図3)。
(図3) 発生過程における遺伝子発現解析
飢餓状態開始から24時間後までの遺伝子発現を調べ、発現パターンが類似した遺伝子2,000個を並べた。およそ8時間後に遺伝子発現が大きく変化しているのが分かる。
VanDriessche, N. et al.,2002, Development 129より
cDNAの大規模解析からも同じような結果が得られた。単離した約9万クローンの中には、何千個も見つかる遺伝子もあれば1、2個しか見つからない遺伝子もあるのだが、それらをおしなべて遺伝子の種類としてまとめると、増殖期ではたらいている遺伝子約3,500個のうち40%が、発生・分化を開始すると直ちに発現を停止し、新たに3,000個以上もの遺伝子が発現するのである。しかもその変化はほとんどの遺伝子で発生開始間もない集合期に集中している。この時期に大量の遺伝子のオン・オフを切り替えるめまぐるしい調整が行われていることになる。発現が停止するものの多くは、リボソームタンパク質、翻訳の伸長因子など、おもに細胞分裂に関わる遺伝子であり、誘導されるのは、シグナル伝達に関わるプロテインキナーゼ、ホスファターゼなどと分化形質発現に必要な胞子外皮タンパク質などの遺伝子である。また、特定のプロテアーゼ遺伝子の発現誘導があり、細胞内ではたらくタンパク質全体の構成を変えることに関わっているのではないかと予想される。
4.忠実で柔軟な形態形成
移動体では、すでに将来胞子になる運命の細胞(予定胞子細胞)と将来柄になる運命の細胞(予定柄細胞)に分かれており、その比率は、常に4:1と絶妙に制御されている。柄細胞の割合が多すぎると次世代に残す胞子の数が減るし、少なすぎればうまく胞子塊を持ち上げることができない。
移動体を前後軸に垂直に切断していくつかの断片に分けてみた(図4)。それぞれの断片では、予定胞子細胞と予定柄細胞の比率が異なっているはずであり、それに対応して胞子と柄の割合が異なる子実体ができるのではないかと考えたのである。中には柄のみ、あるいは胞子のみができるものもあるはずである。ところが、実際にはどの断片からも小さいながらも通常と同じプロポーションの子実体が形成されたのである。いったん運命が決定されて細胞分化が進行していても、状況の変化に対応して、脱分化、再分化(註5)し、全体の比を再調整するのである。野外では、移動中に土粒に当たって体が切断することも少なくないだろうから、このような調節機構は重要である。
(図4) 常に同じ比率で子実体を形成する胞子と柄細胞
移動体は、常に胞子:柄細胞が4:1からなる子実体を形成する。
移動体をいくつかに切断しても、小さいながらも同じ比率の子実体を形成することができる。
では脱分化過程において、遺伝子発現も正確に調節されているのであろうか。それを調べるために、集合期、移動体期、形態形成期の多細胞体を物理的にバラバラにして単細胞とした後に餌を与え、増殖を開始させ、時間を追ってその過程のアメーバからmRNAを抽出してDNAマイクロアレイ解析を行った(図5)。その結果、ここでも発現する遺伝子セットが大きく変化していることがわかったが、その変わり方は、通常の発生過程とは逆向きに進行していた。どの時期の多細胞体をバラバラにしても、1 最初の一時間は必ず分化状態の遺伝子発現パターンを示し、2 発現パターンが激しく変動する期間を経た後、3 増殖期の発現パターンを示したのである。形態形成期からの脱分化が一番時間がかかるが、その場合には2の期間が長くなっていた。細胞分化が進んでいる多細胞体の遺伝子発現をリセットして新たに切り替えるには、それだけ時間を要するのだろう。
脱分化過程だけで発現する遺伝子があること、脱分化が正常に進行しない変異株が存在することなどから、脱分化も、遺伝的に制御された過程であることがわかる。
(図5) 脱分化過程における遺伝子発現解析
集合期、移動体期、形態形成期において、物理的に細胞をばらすと、脱分化が起こり、増殖を再開する。その過程の遺伝子発現を調べたら、形態形成期からの脱分化が一番時間を要することが分かった。
Katoh et al., 2004, Proc.Natl. Aco. Sci. USA 101より
脱分化過程だけで発現する遺伝子があること、脱分化が正常に進行しない変異株が存在することなどから、脱分化も、遺伝的に制御された過程であることがわかる。
5.多細胞への道
細胞性粘菌の子実体は「生殖細胞」と「体細胞」への役割分担を成し遂げる最も単純な多細胞体制である。ところが細胞性粘菌の一種アキトステリウム(Acytostelium)属では、細胞が集合して子実体を形成するものの、柄細胞への分化はなく、全てのアメーバが胞子となって次世代をつくるのである。細胞が分泌してつくるセルロースチューブが柄の役割をするが、細くて短いため、支えることのできる胞子はごくわずかである(図6)。死滅する細胞をつくらないけれど、胞子分散の効率が低いのである。
(図6) 子実体の柄
上:アキトステリウムの子実体(右上)と柄(下)
下:キイロタマホコリカビの子実体(右上)と柄(下)
アキトステリウムの柄(上)は非細胞性(セルロースチューブのみからなる)で全細胞が胞子になる。柄の強度は、キイロタマホコリカビ(下)と比べ、かなり弱い。
新・生命科学ライブラリー生物再発見4
「細胞性粘菌のサバイバルー環境ストレスへの巧みな応答ー」より
分子系統解析によると、アキトステリウムはキイロタマホコリカビよりも以前に分岐しており(図7)、古い形質を残している可能性がある。
(図7) 分子系統解析による細胞性粘菌の進化的位置
キイロタマホコリカビのアレイ解析によって、柄になる細胞で選択的に発現することが明らかにされた約200個の遺伝子群はアキトステリウムには存在しないのであろうか、あるいは発現のしかたが違っているのであろうか。
現在アキトステリウムのゲノムと遺伝子発現を解析し、この疑問に答えを得ようとしている。2種間で存在する遺伝子の存在とそれらの機能との比較により、細胞が役割分担するに至る経緯を明らかにしたいと思っている。
漆原秀子(うるしはら・ひでこ)
筑波大学大学院生命環境科学研究科
1979年京都大学大学院理学研究科修了, 1981年まで三菱化学生命科学研究所, 1983年まで癌研究会癌研究所, 1985年まで米国NIH/NCI, 理化学研究所を経て、1986年より筑波大学生物科学系 講師, 助教授を経て2004年より同大学院生命環境科学研究科 教授