RESEARCH
ART in BIOHISTORY
擬人化-人の目でみる
対象を捉える観察眼は、芸術表現にも生きもの研究にも共通する。
本質の理解に繋がる表現とはなにか、「みる」を通して考える。
笑い転げる蛙、後脚で走り回る兎。軽妙な墨の筆致で描かれた「鳥獣戯画」は、擬人化された動物たちの躍動感において、比類なき魅力に満ちた絵画だ。水遊びに始まり、弓競べや相撲に興じる者、囃す者、法要を営む者…、猿、狐、猫、梟など愛すべき動物たちが登場するのは有名な甲巻。続く乙巻は趣きを異にし、牛馬や鷹など身近な動物と、虎や龍など珍獣や霊獣が描かれ、動物の生態図鑑や絵手本に近い表現とされる。しかしよく見ると、乙巻の動物も表情豊かである。甲巻の動物たちが二本脚で歩き、着物を着て人の遊びや行事を演じるならば、乙巻の動物は、動物としての営みの中で人の心を持っているようで、甲巻の擬人化以上に親しみを感じさえする。そこには人間社会の風刺ともお伽話とも少し違う、動物も人も同じ世界に共に生きるものだと考える描き手の心が現れているのだろう。
乙巻の動物の目を見てみよう。白目が大きいヒト特有の目が描かれている。人は相手の黒目の位置で視線の対象を知り、目全体の形で感情を読みとる。動物にも同じ視線を注げばこそ筆に任せて人の目を与え、描かれた目が口ほどにものを言っているのである。
動物ばかりではない。器物にまで顔を描いたのは、魂が宿った古道具の妖怪「付喪神」を表現するため。生命誌研究館の映像作品「細胞くん」は、細胞の中にある様々な物質に目をつけることにより、1つ1つのタンパク質や分子が役割を持ち、動き、作用する様子を生き生きと表した。分子が働いたり休んだり、眠っているやつを起こしに行ったり…、表現は擬人的だが「細胞が移動する時に起こる細胞内分子のシグナル伝達」に忠実に構成した。実は生データから直接受ける印象が擬人化を喚起することもある。例えば、細胞内での物質輸送を担うモーター分子が、2つの突起物を交互にのばして移動する様は、タンパク質が「歩く」と言う他ない。
科学の客観性、普遍性から見て、あまりの擬人化は避けなければならないが、人の目で見、人が考え、人に伝えていく過程には、どこかで擬人化や比喩法で現象を理解し、情報を整理することがあってもよいだろう。対象に近づき、よりよく理解しようとする時、ふと心に浮かぶ擬人化。これを表現に生かすには、芸術も科学も心をひらいて対象を見尽くす必要がある。見続けることで、生きものを愛づる気持ちを育てていくために、これからもたくさんの眼に注目していこう。
(きたじ・なおこ)
擬人化 in ART
「鳥獣人物戯画」(乙巻部分)
平安時代末期/高山寺蔵(写真:京都国立博物館)
黒目を強調して視線の向きを示し、表情をつけた目の表現。
「付喪神絵巻」(上巻部分)
江戸時代 写本/京都大学附属図書館蔵
器物が作られてから100年を経ると魂を宿して付喪神となるという。人を惑わすというので道ばたに捨てられた古道具が、人間への仕返しを計画、悪事を働くが、最後には仏教に帰依して成仏する。
[ 画像は、京都大学電子図書館内webページへ ]
擬人化 in Science
「ミクロのインタラクティブラボ 細胞くん」
形を変えながら移動する細胞。その時、細胞の中では何が起こっているのか。分子や細胞小器官の姿は、役割や動きを擬人化してデザインした。
「モーター分子の“歩く”様子」(写真:東大・医・廣川信隆教授)
巨大な荷物を背負ってふらふら懸命に歩いているような動きをする。“けんけん足”で進む1本脚のモーター分子よりも、移動速度は早い。