TALK
[解剖学の歴史] 語りきれない人体とゲノム
プロローグ 解剖実習室で
坂井
解剖実習は、四人一組が助け合いながら進めていきます。解剖は医師になる人にとって非常に大切な作業ですが、解剖の作業に入ってしまうと対象を人間と実感している状態は意外に乏しいのです。四ヶ月間の実習の中で、人間を強く感じる時が三回あります。一回目は初日で、解剖台の上のご遺体を前にした時。私たちはこの時間をとても大切にしています。ご遺体にメスを入れて皮膚を外していくと、いつの間にか人間が消えています。あとは物体の操作になり、内臓なんかがつぎつぎ現れます。首より下の方が終ると今度は顔を解剖させていただくのですが、覆いをのけた時、また人間を強く感じます。首から下を隠して顔だけ見ると人間で、首を隠すと物体というとても奇妙な感覚です。両方をいっぺんに見るとなんか落ち着かない。私自身もそうです。
中村
先生のように長い間の体験をお持ちでも同じ気持ちなのですか。
坂井
ええ、何十年も解剖をしていますが、いまだに落ち着きません。でも意識を集めてメスの作業に集中します。顔の皮膚が取れるとまた人間らしさが消えて、落ち着きが戻ります。解剖が終ったあと、最後にお棺におさめて棺の上に故人のお名前を貼るのですが、その時にまた改めて人間を実感します。その三回の経験、つまり人間でありながら物体であるというその奇妙な感覚が、医療に携わる者が一番必要としている感覚なのかなと思います。
中村
手術でも、術を施していらっしゃる時は機械のように見て適確な処置をなさらなければ高度なことはできないでしょう。一方で医療は人間を扱うという面を失ってはいけない。人間と物体の間を往ったり来たりなさるという体験が医療の本質だということはよくわかります。それを具体的に実感する始まりが解剖実習なのですね。ただ身体の部分の名前を覚えるためのものじゃないということ、今日お聞きしてなるほどと思いました。
1. 知ることと表現すること
中村
年のテーマは「語る」です。情報が溢れ、データが大量にあるけれど、そこから大事なものを取り出すことが難しい状況です。意味を見つけ、表現していくことが大切です。それが語ると言うことですが、そこでは図像が大きな意味を持つと思うのです。
分子生物学のもっとも基本にあるDNAの二重らせんは高等学校の教科書にも出てきますが、DNAが働いている時にどんな形をしているのかを正確に描いた図はありません。そこで、BRHの工藤光子がそれを表現したいとコンピュータグラフィックスでつくってみたのです。(註1)
DNAの構造に始まり、転写、複製、細胞分裂における染色体の振る舞いなど、教科書や論文から図やデータを調べ、専門の研究者にも伺って組み上げていったのですが、その結果わかったことは、論文の図が思いの外いい加減に書かれていること。またすべての情報を合わせても不足があり、逆に図の中でうまく機能するにはこんな構造であるはずだと考えながらつくり上げたのです。
坂井
表現手段を手に入れて、人に見せるという努力を始めた時に、はじめてわかるようになるということですね。
中村
図で描くには、文字で書くより多くの知識と相応しい表現手段が必要なのだとわかりました。
坂井
ここにある大きな本は、1543年に、ヴェサリウス(註2)が著した『ファブリカ(人体の構造について)』の複製版です。『ファブリカ』が後世に大きな影響を与えた理由の一つは解剖図があることだと思います。それ以前の文献には絵がないので、そこで述べられているものが何か同定できない。ちょうど木版画の技術が生れ、活版印刷術を使って大量に複製できるようになったことで、図入りの『ファブリカ』が可能になった。それ以前の文献は、情報を蓄える貯蔵庫であって、情報の伝達手段ではなかったのです。
中村
語ることは伝えることですから、まさに『ファブリカ』で語るものになったのですね。そうなるとつくっているヴェサリウスにもいろいろな発見があったのでしょうね。
坂井
表わしてみてはじめてどこが不足かという発見がある。私の経験からもそう思います。
中村
いま科学の中での表現や伝達への関心は、一般の人にもわかりやすくという点ばかり強調されますが、科学の本質には、考えることと連動した表現があると思うのです。だから表現の方法が開発されれば、それに見合った発見がある。『ファブリカ』も、当時の新しい表現方法と、蓄積された情報、そしてヴェサリウスという人の情熱や能力が揃ったから生まれた歴史的書物ということですね。知ることと表現することの関わりを考えさせるとても興味深い業績だと思います。
坂井
ヴェサリウスは、自らの著書が活版印刷術で多くの人々に伝達されることによって、自分が評価されると確信して『ファブリカ』をつくっただろうと思います。
(註1)【関連情報】 展示・映像「DNAって何?PartI~III」/季刊『生命誌』26号 Special Story「DNAを描きだす 正確に研究を表現したい-意味のある絵をつなぐ|工藤光子」
(註2)ヴェサリウス 【Andreas Vesalius】 (1514-1564)
ベルギー生まれの医師。パドヴァ大学教授。古代からの解剖学の権威ガレノスの旧説を覆し、近代解剖学を創始。
2. 未整理のままを伝える方法
坂井
解剖学は、ヴェサリウス以前からありました。現在まで伝わる世界最古の解剖書はガレノス(註3)が著したものですが、当時はパピルスに書き記されたため現物は残存しません。写本で伝えられ、後の時代に印刷されました。19世紀に編纂されたガレノス全集のギリシャ語とラテン語の対訳版を読みますと、現代の解剖書を読む感覚と比べて、かなり違和感を覚えます。
中村
先生から予めコピーをいただいたので読んでみたのですが、実は、さっぱりわかりませんでした。
坂井
想定されている読者が違うのです。古代ギリシャ・ローマの時代には特定の個人に向けて書かれました。一緒に解剖した人に向けて、共通の体験の中で認識したものを覚書として残した。ですから、私は解剖をよく知っているので、これを読んで明々白々わかりますが、解剖した体験のない人にはわからない。中村先生が読まれてわからないのは当然です。
私は、ガレノスはよく見ているなあと思いますね。実は彼らは自分で書いたのでなく、しゃべったことを筆記させて点検もしない。それが彼らの時代の習慣です。その時、その場所での話し言葉がそのまま紙に残っている。ガレノスの著作をいくつか見ると、その場その場の流れは論理的で見事ですが、少し離れたところと比較すると矛盾だらけ。
中村
面白い。現場を控えた弟子のノートのようなものですね。今の科学が、共有体験のない人にも、ただ書いたものだけですべて伝わるはずだとしているのと違いますね。
坂井
標準化をして情報だけを共有しようという流れは医療も同じです。
中村
本当にわかってもらうには、その時、その場所で考えた体験をいかに共有できるものにするかが重要なことですね。
坂井
元になる共通の体験がある。そこから言葉によって切り取られ、伝えられたものを拠所にして、我々は次を考えて研究していく。しかし切り取られる前の元の体験まで遡れば、切り取るべきものがまだたくさん残っているはずです。
中村
論文や文献の形にしてしまうと捨てられてしまうものが多い。
坂井
我々はそういう形でしか自然現象を解析できないところにいるわけです。
中村
捨てられたものの方が多いかもしれませんね。
坂井
だから、また探せば見つかるわいという(笑)。
中村
現代科学は切り取ってきたものこそが真実と評価し、その時多くのものが切り捨てられたとは意識していませんでしょう。
坂井
その意識は薄いし、そうした感覚に慣れてしまうと、まだ引っ張り出されていない新しいものが出てきた時に対処できない。それに対処できる研究者、医師であって欲しいと思うから、若い人たちには、整理されていないもの、未整理に晒される体験を与えておきたいのです。
我々は研究者としていろいろ発信しますが、多くの人は、整理された形で発信したものしか受け止めてくれない。未整理のままを伝える方法があるとすれば、それは共通の体験を通して伝えることなのです。人体解剖はなかなか微妙なものですから、多くの方が本当に体験を共有できるものではありません。そこで標本をお見せするのですが、それにはT・P・Oが必要です。
中村
非常に難しいですね。
坂井
人体解剖標本の展示はかなり慎重にやります。昔から大学祭で解剖展がありますが、数年前にある国立大学で、本人の許可を得ているのかということが問題になった。でも本当の問題はそんな手続き上のことよりも、遺体に対する礼意ではないかと思います。誰が、誰に対し、どこで、どのように見せるか、T・P・Oが適切かどうかです。問題がすり替わっていますね。
中村
目的と場所とを考え、見せる意味のある人を対象にするものでなければならないということですね。不特定多数に向けては無理ですね。
坂井
見せる側も資格のある人、それを扱って当然の人が、しかるべき場所で、意思が確認された人に見てもらって共通体験の代りにするということですね。
中村
あまりにも整理された形では本質が伝わらないし、未整理のものをいかに伝えるかについては、よほどしっかりした考えをもって行なわないととんでもないことになる。科学や医学の研究成果をどのように社会に出して行くか、とても難しいことなのに、科学と社会をつなぐと言ってそこを安易に進めている人が少なくないのは気になることです。
(註3)ガレノス 【Garnos】 (129頃-199)
小アジア、ベルガモン生れの医学者・哲学者。ローマに定住し、ギリシア以来の医学を集成、解剖学・生理学の基礎を築き、体液病理学的疾病観に基づく治療を提唱。中世を通じ医学の権威と仰がれた。
3. 機械論という作業仮説
中村
生命は分子で成り立っているには違いないけれど、生物学は、そこから生れる「生きている」という現象を知りたいのです。しかし、現代の科学は機械論(註4)的自然観の上に成り立っているので、作業は常に分子への還元になっています。
坂井
現代の研究者、そして社会にとって、最大の成果を生み出す作業仮説(註5)が機械論で、それがなければ科学が成立しない。
中村
機械論という作業仮説によって、科学の枠の中で問題を解くのは構いません。けれども現代社会はそこから科学技術を産み出すので、医療や科学技術が使われる日常の中に機械論を横滑りさせることになり、そこが気になっているのですが。
坂井
我々は歴史的に、機械論によって取り出したものが役に立ってきた経験を持っていますからね。ガレノスの時代に戻りますと、その方法は、自然界からあるものを切り出して、言葉の世界で勝負するということでした。体液説など現代からは荒唐無稽な理屈と見えますが、それでも理屈がつくことで人の信用が得られたのです。
ガレノスは非常に理屈の立つ人で、プラトン(註6)やヒポクラテス(註7)などの原典を熟知し、それらと辻褄の合うことが言えた。また解剖をやってみせると誰にも負けない。その二つで医師としての信用を得て、皇帝の御抱え医師になる。立身出世にもその方法は役立ったのです。
今の科学者も、立派な目標と倫理観とを持った方は多いとは思いますが、どこかで個人的な動機がなければ動きませんでしょう。その上で、現代科学の成果は概ね社会に役立ち、社会もそれを認め支援してという具合に、科学と社会の共存関係が成り立っているかなと感じているのですが。
中村
おっしゃる通りですが、そろそろ機械論が役立つというところから抜け出す必要があるのではないかと。分子生物学がゲノム科学になりDNAを分析してデータを大量に出すことが研究になってきました。そうなると研究者にも、生きものを扱っているという感覚がなくなってくる危険があります。作業仮説である機械論から得た有効な知識は、私たちの暮らしに役立つ技術として、医療や環境や食に応用されます。しかし、日常への応用まで機械論的な感覚で進めてしまって良いものかという疑問が生れるのです。
解剖の場合、最初に実習室で伺ったように、対象を物体と思わなければならない面もあるけれど、人体を対象にしているという意識はあるので物体から人間へ戻ることがあるわけですが、DNAやタンパク質という物質を扱う場合、生きものに戻りにくいと思うのです。ある遺伝子が壊れると病気になり、それが働くようにすれば治るというようなメカニズムのところだけが見えてしまいます。
坂井
そうですね。その時点で成果が出ればよいということはいつの時代にもあったようです。ガレノス、ヴェサリウス、それ以後と解剖の歴史を辿ってみても、ある時点の学問が次の時代をよく考えてきちんとやっていたとは見えない。現在、「あそこが面白そうだから俺が先にやってやろう」と研究者が集まるのと同じで、ヴェサリウスの『ファブリカ』出版以後に解剖の研究人口が増加した。肉眼解剖は16~17世紀にかけて最先端の科学だったのです。さらに1628年、ハーヴィ(註8)の『心臓と血液の運動』による血液循環論以後、研究者と出版物が爆発的に増加します。その要因には、大学制度や読者人口などの社会的背景もありますが、重要なことは、研究する人が面白いと思えたからこそ、その分野が発展したということでしょう。
次の18世紀は、大きな進展はなく停滞の時代だと私は感じていますが、19世紀に入ると、研究技術や医療技術が大きく発達して研究者層も拡大し、その成果も表われてきます。この時代のトピックスが、細胞説(註9)と進化論(註10)です。細胞説が出た当時は、細胞によってすべて説明がつくと皆期待していたわけです。確かにそこから新しい技術も開発され、発見もありました。でも所詮はそこまでだったと思う。いまゲノムが出て、さあどこまでやれるか・・・。
中村
解剖学という長い歴史のある学問での研究の流れから、研究の本質を語っていただきましたが、まさにその中に現状への疑問が入っています。一つは、研究者が心から面白いと思うことをやるのが研究だということ。社会に役立つことが動機として先行するのは気になります。また常に研究には行き詰まりがあること、ゲノムで何でもできるわけではない。
坂井
ゲノムの言葉で新しく解析できて、説明がつくことはたくさんある。でもゲノムをもってしても解決つかないことが山ほどあるでしょうね。
中村
そうです。解剖学が最先端だった時代、当時者には、医療に役立つという感覚があったのでしょうか。
坂井
もちろんそれもあるでしょう。瀉血(註11)する人間は静脈の走り方を知っていた方がよい。主に外科手術で役立つ実用的な要請もあったでしょう。しかしそれは解剖学を動かした大きな原動力ではない。本当の原動力は、構造と機能のつながりを明らかにすること。解剖して、ある構造の働きをわかることが一番大きな動機です。
中村
構造と機能を知るというのは現在の生命科学研究の原動力でもありますね。
坂井
形を見ただけで機能がわからない場合は、さらに機能の研究に重点が移ることもあります。
中村
機能の研究も解剖学も一つなのですね。
坂井
形を見て機能を考えるというのが解剖学です。純粋に機能だけを追求することはない。
中村
形との関係で機能を見ていくのが解剖学。最近は画像を用いてそれを調べる技術が進みましたが、それでも実際の人体を解剖することの意味がなくならないのは・・・。
坂井
その技術に、どれだけ視覚に訴える力があるかにもよります。初期の画像診断で使われた単純エックス線(註12)は、熟練した者でないとわからない。それに比べてCT(註13)スキャンなどの断面画像はだいぶわかりやすいが、三次元の構造はわからない。だからCT、MRI(註14)の画像を積み重ね、再構築して立体画像を得るとまた少しよくなる。それを使って、人体解剖が担っているある部分をより鮮明に、より強調して提示することはできます。しかし再構築の画像は、注目したものだけを切り取ったものです。そこにはないものが実際の人体にはたくさんある。現実感、臨場感、それは周囲との関係です。
中村
体全体を見るということですね。たとえば心臓の手術をする時にも、心臓だけがあるわけではない。周りにいろいろなものがある。
坂井
余分なものも含めて最初からぜんぶ見るという体験。それは博物学ですが、その体験が今、極めて乏しい。博物館は、本物が展示されている貴重な場所ですが、それにしても、あらかじめ取り出された標本が陳列されています。未整理の全体を体験するための入口といったところでしょうか。
中村
有用な科学技術を是とし、効率を追いかける社会では、余分なものは無駄とみなされてきました。しかし人体もそうですが、生きものは余分なものあってこその存在だとつくづく思いますね。
坂井
それを実感してもらえる体験の場を提供することが、我々の大きな存在価値かもしれません。
(註4)機械論 【mechanism】
あらゆる現象を機械的運動に還元して説明しようとする立場、およびこの考えに立つ世界観。
(註5)作業仮説 【working hypothesis】
ある一定の現象に終局的な説明を与える目的で設ける仮説ではなくて、研究や実験の過程においてそれを統整したり容易にしたりするために、有効な手段として立てる仮説。
(註6)プラトン 【Platn】 (前427-前347)
ギリシアの哲学者。ソクラテスの弟子。アテナイ市外に学校(アカデメイア)を開いた。霊肉二元論をとり、霊魂の不滅を主張、肉体的感官の対象たる個物は真の実在ではなく、霊魂の目でとらえられる個物の原型たるイデアが真の実在であると説いた。著『国家』『饗宴』など約三〇編の対話篇。
(註7)ヒポクラテス 【Hippokrats】 (前460頃-前375頃)
古代ギリシアの医師。コス島の人。病人についての観察や経験を重んじ、当時の医術を集大成、医学の祖、あるいは医術の父と称される。
(註8)ハーヴィ 【William Harvey】 (1578-1657)
イギリスの生理学者。血液循環の原理を発見。また、昆虫、哺乳類の発生を研究、「すべての動物は卵から生れる」と主張。
(註9)細胞説 【cell theory】
「細胞はすべての生物の構造および機能の単位であり、いわば生物体制の一次的要素である」と要約される。生物体が細胞およびその形成物から成りたっていることの認識は、19世紀初頭から次第に発展してきたが、M.J.Schleiden(1839)は植物について細胞説を明言し、細胞の増殖機構について説をたてた。
(註10)進化論 【evolution theory】
生物のそれぞれの種は、神によって個々に創造されたものでなく、極めて簡単な原始生物から進化してきたものであるという説。 1859年、ダーウィンが体系づけたことによって広く社会の注目を引き、以降、文化一般に多大の影響を与えた。
(註11)瀉血 【しゃけつ】
治療の目的で、患者の静脈から血液の一部を対外に除去すること。
(註12)エックス線 【X-rays】
電磁波の一種。波長は100~0.1オングストロームの間。1895年レントゲンが発見、未知の線という意味でX線と命名。物質透過能力・電離作用・写真感光作用・化学作用・生理作用などが強く、干渉・回折などの現象を生じるので、結晶構造の研究、スペクトル分析、医療などに応用される。レントゲン線。
(註13)CT 【Computerized tomography】
コンピュータ断層撮影法の略称。エックス線ビーム走査装置とコンピュータとを用いて体内の精密な断層像を得る方法。超音波・粒子線・核磁気共鳴を使うものもある。
(註14)MRI 【Magnetic resonance imaging】
磁気共鳴映像法。人体に電磁波をあて、患部の水素原子などに核磁気共鳴を起させ断層撮影を行なう方法。腫瘍や梗塞の的確な診断ができる。
4. 細胞、個体、種を貫く物語り
坂井
動物や人間の体の中を開いていくと、形の見える器官があります。次に器官の材質を見て、それをふつう組織と呼びます。では組織をつくっているものはというと細胞。そのように我々はものごとを分析する時、何段階かの階層に分けて細かく見ていくという手法を取ります。それらの階層が同じ重みづけで良いかといえば、どうも細胞が主役になることが多い。ではなぜ細胞に大きな意味があるのかと考えていくと、自己増殖性というキーワードが見えてくる。自己と同じものをつくるものは個体と細胞だけで中間のものはその資格がない。さらに個体から上の階層では、種も自分と同じものをつくる。これは進化論です。19世紀の生物学の大きな出来事は、個体の上と下に新しく自己増殖をする単位を見つけたことだと思います。
中村
なるほど。個体という単位は日常的な感覚でわかる。その日常の感覚に対して、19世紀の生物学が、進化論によって大きな概念としての種を置き、また細胞説によって、小さな単位である細胞を置いた。解剖をして、さまざまな階層を分析していらした結果、細胞、個体、種の三つを見ていけばよいという実感を持たれたということですね。
坂井
そして細胞を支えるゲノムというものをどう捉えるのか。ゲノムあるいはDNAも生命を考える単位として要になる。DNAは自己複製するという資格を持っていますね。
中村
DNAの断片を試験管に入れ、酵素を入れて条件を整えれば確かに複製はします。けれども、生きものとして意味のある複製をする単位はゲノムであり、それがとても大事なことだと思います。「生命誌」という知を考えた大きな理由は、DNAを、ゲノムを単位として見るところにあるのです。ゲノムが入っている細胞が自己増殖の単位だというところを見ないでDNAだけを見ていても生きものはわからないと思うのです。ヒトの細胞にはヒトゲノム、イヌの細胞にはイヌゲノムが入っている。また私なら私という個体も私のゲノムによって特徴づけられ、ヒトという種もヒトゲノムによって特徴づけられています。そのようにゲノムは階層を貫いている。たとえば肺が肺として、心臓が心臓として働く時にそれに固有の特徴を与えるという意味では、間の階層でもゲノムは意味を持ちます。ただおっしゃるように自己増殖という生きものの基本を考えるなら細胞、個体、種の三つの階層に注目するのがよいと私も思います。ゲノムはそこで特に重要な役割を果している。
坂井
階層を通す狂言回しのような役割りですね。
中村
私は、ゲノムは階層を貫くお団子の串みたいなものと言っているのですが(笑)。細胞をその細胞に、個体をその個体に、種をその種に。生きるというお芝居の展開に必ずなくてはならないという意味で、狂言回しかもしれませんね。
坂井
ゲノムは個体と等しいわけではなく、個体との近似を表わすものでしょうか。個体には、いつでもそれまでの人生が積み重ねられています。病気もあるだろうし、それらも含めてその人ということですからね。
中村
その積み重ねは、常にゲノムと環境との関わりでつくられていくので、そこで働いている動き、ダイナミズムを生きているという現象として捉えていきたいのです。単なるゲノムの解析だけではわからない。環境との関わりの中でゲノムがどのように働くかを知ろうとすると「語る」ということになると思うのです。先生とお話をして、整理ができました。種、つまり人類と、個体、つまり私という日常的な関心の対象を細胞というミクロの学問的な生命の単位と結びつけて考える。そこを結びつけるものとしてゲノムがあるという構造の中で「物語り」をつくっていけばよいのかなと思います。
5. 博物学的な体験から理解する
中村
分子生物学は、細胞を理解する鍵であるゲノムを解析しました。ヒトゲノムは約30億という膨大な数ではあるけれど有限ですから、これは大変な成果です。でも、つぎにどこへ進めるのか。学問として、また社会を方向づける生命論として、とても重要です。
解剖学が扱う人体も、ゲノムと同じようにわからないことをたくさん含んでいる。けれど、個体として完結した有限のものとして隅から隅まで調べられます。解剖学は、ガレノスの時代からずっとその解析を続けてきて、なおかつまだやることがあるという現状ですね。これまで分子生物学と解剖学とはまったく違う学問だと思っていましたが、有限のものを有限のものとして捉えていながら、それはわからないことだらけという点で同じだという気がするのです。いや、その点で解剖学は大先輩。解剖学は、今、具体的にどこへ向かっているのでしょうか。
坂井
難しい問題ですが、我々が現実にどういう暮らしをしているかといえば、あきらかに教育と研究が乖離する中で暮らすようになりました。ここに何か問題を探る鍵があると思います。
ガレノス、ヴェサリウス以来理解を深め、知識を獲得してきた歴史があり、すべてがわかっているのではないが、でき上がった成果を大量に学生に与えることができます。でもそうしてしまうと、それしか扱えない人間になってしまいます。ですから解剖実習という固有の体験を提供することで、生の体験から自分自身で見つけ出し、言葉にして、さらにフィードバックをかけて洗練させていく。そのように理解を深めていく博物学的な体験を与えることを教育としてやっております。
中村
その時何を一番に伝えようとなさるのですか。
坂井
目標は三つあります。一つは体の内部構造を立体的に、意味をつけて理解してもらうこと。知識としてならばご遺体でなく、コンピュータや書籍などの手段からも可能ですが、それは受け身なものでしかありません。 そこで大切な二つ目の目標が、自分自身で責任を持って答を獲得する能力です。実習では、「今日はこの範囲で」と実習書をボンと与えるだけで、事細かな手順は教えません。あとは各自予習して、ご遺体を解剖するという問題を自分で解決しなさいというように課していきます。やってみて結果がうまく出せない時には、こちらから修正をかけますけれど。
三つ目は、人間の体をいじるということは、取り返しのつかないことであるという現実を知ってもらいたい。あなたや私とまったく同じ人が、たまたまご自分の意思でそこにいらっしゃるわけで、亡くなっていらっしゃるからいろいろ許してくださる。でもそれは、たった一つの存在で、真剣勝負でいかなければならないのだということ。体験の第一歩として、その三つのことを彼らに身をもって知ってもらうということです。
そのような教育としての解剖が研究につながるのかといえば、今の時代、肉眼解剖だけでできる研究はありません。今や電子顕微鏡でも、形を捉えるだけでは時代遅れでしょう。すると物質の局在、細胞の反応、細胞外基質、細胞骨格など、細かいところの機能と構造に入っていきます。私自身は電子顕微鏡で腎臓の細胞や組織を観察し、特に力学的な視点から見えてくるものを拾い出す仕事を続けてきました。
中村
なるほど。解剖学も、理解を深めるためはどんどん中へ、細かい方へと向っているのですね。
坂井
同じものを見ていても、問題意識が異なると、見逃していたものが見えてきます。それはいくらでもあるわいという感覚はありますね。
たとえば腎臓の腎小体には、糸球体という毛細血管の糸玉があります。ここで血液から不要なものが濾過されて尿細管へ渡されるのですが、この糸球体の形は多くの人が見ていました。それがどのように成り立っているかについては、個体発生の中で遺伝子が厳密に制御して 組織の形態をつくっていると漠然と思われていたのです。しかし遺伝子の調節によってつくられる形はある程度のもので、あとは現場まかせ、細胞の話し合いでやっている。その場の力学的な関係から緻密な形ができあがってくるのです。
具体的には、毛細血管の中に圧力があって、それが濾過の原動力(約50ミリメーター水銀値)になります。この膨張力に対して壁の構造が張力となって平衡する。覗いて見れば明らかですが、そこにある内皮は穴だらけで弱々しくあてになりそうもない。その外側にある糸球体基底膜と足細胞が、壁の張力をつくり出しているのです。それらが完全に毛細血管を一周していれば、力の輪が完成するわけですが、メサンギウムという結合組織の表面に移行して、完全に取り巻いていないのです(註15・写真1)。でも力の輪はそこにあるはずで、何かがそこで引っ張っているはずだと見つけ出したものがメサンギウム細胞だった。これは私の1987年の仕事です。
それ以前の模式図にも、確かに同じものが描かれていますが、ちょっとだらしない感じがします。同じ絵を描くにも、意味をわかって描くと生き生きしてきます。いかにも風船のように膨らんで、またちょっとたるんでという感じが良く出ます。力が描かれるのです。今は腸の絨毛で、同じような博物学的な発見をしているところです。
中村
なるほど。それは腎臓での発見ですが、体内での実際の臓器は現場主義というか、細胞がその場の力学的関係の中で話し合いながらつくっていくものではないかということは、生物の形づくりの基本につながる気がします。細かい現象を見ていった時にも、解剖の長い歴史があるから、そういう新しい芽が出せる。確かにこの細胞は力強く語りかけてきますね。今、解剖学の現在とこれからとしてお話しくださったことは、そのままゲノム研究にあてはまると思います。
(註15・写真1) 「糸球体毛細血管の横断面」(電顕像)
メサンギウムはじかに内皮細胞に接し毛細血管を束ねている。それ以外の部位は基底膜で覆われ、さらにその外側を足細胞が覆う。
6. 感覚で捉えるしかない多様さ
中村
すべての生きものに共通のしくみ、普遍的なものを探っていくと、そこにはDNAがあった。いまゲノムという切り口から細胞を、個体を、そして種を捉えるとすれば、やはり多様性を見なければ意味がない。人体の解剖でも、普遍性と多様性ということは意識なさいますか。
坂井
人体は普遍性だらけ、多様性だらけです。解剖させていただくと、骨の形、筋肉のつき方などは、基本的には教科書と対応するもの、同じ名前のつくものがそこに見えてくる。それは我々が同じと認め、同じ名前で呼ぶからそう見えるのであって、注意深く見れば、同じ名前のものでもこんなに違うのかということが見えてきます。
中村
筋肉だけでどれくらいの名前があるのですか。
坂井
四百とか六百とか人によって意見が違います。 たとえば脊柱についている筋肉は、いくつも並んでいて、隣にある筋肉を同じとするか、別と見なすかで数が違ってきます。
多様性ということでは、筋肉のつき方は比較的安定している方で、変異が目立つのは血管の走り方です。京都大学の足立文太郎博士(註16)は、全身の血管の層校と分岐を詳しく調べて、血管のパターンの頻度を明らかにしました。腹部の血管の走り方、肝臓、胃腸に行く枝の出方がそれぞれ何パターンあるかなど、多数例を解剖して分類され、この仕事は世界的な業績として評価されています。
中村
遺伝はするのでしょうか。でも同じ家系の人を解剖し続けるような例はあまりないでしょうし。
坂井
異常な変異でも、解剖するまでわからないことがほとんどです。血管の走り方に変異があることは見ればわかるし、その頻度を計る研究もあるわけですが、そもそも個体差というものがその程度のところに集約されるのか。体験としては、決してそうだとは思えない。脂肪の厚さ、結合組織の硬さ、それらはみなその人に固有のもので、そのような多様さは研究対象にすらなっていないのです。
そういう解析しきれないもの。たとえば自分の子どもを小さな頃から抱いていると、子どもはどんどん成長しますから、その感触も変わります。あの時の子どもの重さ、大きさ、そして弾力は、後からはもう取り戻せない。私の感覚に残っているだけです。とても大事なものだけれども、その瞬間にしかないものを一人ひとりの身体が抱えているのだと思います。
中村
なるほど。一人ひとりがそれぞれ違うということもあるけれど、一人の人間で見た時にも、常に変わっていくという多様性がある。
坂井
感覚的に体験する中では、多様性というものは確かにいくらでもあるのです。
中村
それはゲノムをいくら解析したってわからないだろうし、解剖学でもわからない。ここまでわかってきた学問が、だからこそ却って謙虚にならなければいけないところにいるような気がします。
(註16) 足立文太郎 【あだち・ぶんたろう】
1865年静岡生まれ。東京大学医学部卒業後、ストラスブルグ大学に留学、帰国後は京都大学医学部教授、同大医学部長を経て日本学士会員として日本の解剖学の確立に努める。1930年「日本人の動脈系統」の研究で日本学士院賞受賞。
7. 漸近線を意識する
坂井
完璧な解剖というものを想定してみましょう。たとえば一匹のマウスを構成するすべての分子の種類と位置と状態とが記述できれば、それは完璧な解剖です。でもネズミ一匹でもそれは無理なのですね。
中村
今のところ細胞一つだって無理ですよ。細胞の中にあるすべて、しかもそれは動いているわけですね。
坂井
そういう機械論的、物質論的な研究をしている方は、研究の限界をどのあたりに設定するのでしょうか。
知識量は確実に上昇曲線を描いて増えていくのですが、どこかに漸近線があって、それより上には出られないはずなのです。でも上っていく時には漸近線は見えない。解剖学の中にいると、漸近線という限界を感じ取るのです。
中村
分子生物学にはまだそういう感覚がないのです。網羅的にやれば、わかることがたくさんあると、がんばっているのですが、それは違うだろうなと直感的には思いますね。解剖学はある漸近線を感じていると伺って、ちょっとわかるような気がします。
坂井
解剖学にも、漸近線のない上昇志向の時代もありました。ただ漸近線とは、終りを意味するものではなく、ぶち破れるものでもあるので、あまり強く意識しない方が良いかもしれませんが。
中村
いま解剖学が感じている漸近線って何ですか。
坂井
臓器の中にいろいろな細胞があり、一つひとつに特定の名前をつけていきますが、もうほとんど終りという感じです。ただ最後に名無しの細胞群が残ります。たとえば間質にある線維芽細胞は、これが線維芽細胞であると積極的に定義するものではなく、ぜんぶ名前をつけた後に残ったものなのです。このようなところからは新しい細胞が見つかることがあります。同じ線維芽細胞という名前でも、臓器によって性質が違うこともわかってきました。糸球体のメサンギウム細胞は、名前は違っていますが、実は繊維芽細胞の一種なのです。
ある枠組みの中で、ここは動かないなという感覚が出てくる、それを漸近線と感じるのです。それを崩すような研究も増えていますが、それでも大崩するというほどでもなく、ちょっとだけ漸近線の位置がつけ変るというくらいです。
中村
大枠はだいたいわかってしまったということですね。
分子生物学の始めに、DNAがタンパク質をつくる時にメッセンジャーRNAが存在することがわかった。これは非常に大きな発見でした。そこからDNAがメッセンジャーRNAへ転写され、メッセンジャーRNAがタンパク質へ翻訳されるセントラルドグマが見い出されたのです。
これは1950年代の後半から60年の初めの発見ですが、生物の一番大事なところなので、その後も研究が続けられ、そこに関わり合う酵素や調節するタンパク質が山ほど見つかって、最近ではかなり細かいことまでわかってきました。
けれどもセントラルドグマという本質に変わりはない。どんなに細部がわかったからといって、いま大枠は動かないのです。網羅的に調べて、どれほど部分を積み上げても、全体には届かないことがやればやるほど見えてくる。
私たちが、生きものを知りたい。その基本としての細胞を、個体を知りたいと思っているのだとしたら、漸近線を意識する時かもしれません。データを増やしただけでは大枠を乗り越えることはできないかもしれない。
科学は機械論で進んでいますから、究極を知りたい、究めたいとなります。でもそれでは、「全部の要素を知る」ということでしかなくて、「全体を捉える」ことにはつながらないでしょう。「生きている」ということを掴まえるにはどうするかを考える時です。そこで私は「語る」という作業によって、科学的知識の増加とは違った形で生きることが“わかる”のではないかと考えてみたのです。
8. 究めることと語ること
坂井
ゲノムや遺伝子を解析して得られる膨大な情報から、大枠を変える発見があるとすれば、たとえばゲノム上で離れて存在していたもの、まったく無関係と思われていたものが、「あっ、ここと同じじゃないか」と見なされる。そのような新しい文脈をゲノム情報の中に見出すことですね。その文脈は、分子進化かもしれないし、ゲノム自身がどうやって変異していくかという論理かもしれない。
中村
100%の自信があるわけではないのですが、究めるのでなく、語ることによって、新しい文脈を探し出せるかもしれないと思うのです。
坂井
文脈が増えるだけ生物学が豊かになる。
中村
生きものは本質的に機械とは違うものですから、機械論的な方法で究めることに留まらず、文脈を探して語ることによって、少しでも生きものに近づけるのではないか。その方法についても、解剖学は先輩だと思っています。
坂井
解剖の分野で強く感じるのは、問題意識とセンスの大切さです。
中村
文脈を探して語るために必要なのは、まさに問題意識とセンスです。解剖学で具体的には・・・。
坂井
個人芸ですかね。私はずっとそれでやってきましたが、同じことを若い人たちに押しつけたらみんな挫折するでしょう。
中村
それは一般論ではないという意味ですね。でも学問が、センスと問題意識とを持つ人がやるものでなくなったら、その学問は停滞してしまいますね。科学技術や応用にすぐにつながるような研究にお金も人の力も注がれて、それが学問とされていますが、学問の本筋はそうではありませんね。センスと問題意識を生かして自分なりの文脈を見つけて、語りをつくり出していくことこそが面白い学問だと思うのです。今の若い人たちにもこれが学問なんだということをきちんと提示して、伝えていかなければ、ガレノスから続いてきた学問が消えてしまうかもしれない。
坂井
もちろん学問は受け継ぐものという部分もありますが、語るということも含めた創造的な部分は、やはり自分で切り開いていくものだという気がします。
ただ、こういう言い方はしたくないですが、私で、本当に解剖学者らしい解剖学者の最後になってしまったかなという感じがするのです。私が学んだ頃には、昔から受け継がれてきた伝統的な学問、解剖学の精神や考え方、そんなものを大切にする雰囲気が多分にありました。そういう伝統を含めた学問を現代ではどう生かして未来に伝えていくのか。
中村
全体の雰囲気の中から感じ取るものですね。先生や先輩と一緒にいるその場から感じ取っていく何かは、分子生物学でもかつてはありました。坂井先生で最後と言われると心配になります。何とか伝えてください。
坂井先生はとても寛容に、科学技術として役立つならば、それはそれでよいでしょうとおっしゃる。それも必要でしょうがそればかりが学問となると、伝統的な学問を受け継いでいく体験の場が消えてしまう。実は私も若い 頃、まさにそういう雰囲気を楽しんだのです。今も本当になつかしいのですが、それは懐古であってはいけません。そういう場を残すことが大切だと思います。
これからの生物学を考えた時に、解剖学や分類学という長い歴史の中で育ってきた学問、生物の基本を考え続けてきた学問には、本当に私たちが学び取らなければならないことがたくさんあると思っているのですが。
坂井
いや、なかなか。まあ牧歌的な時代じゃないですね。
中村
学問って牧歌的な中でしか育たないように思いますけれど。
9. 物語りとして学び、つくるもの
中村
坂井先生はガレノスやヴェサリウスの本をお持ちになって、それをお読みになり、ご自分のお仕事でも歴史を基本にしていらっしゃいますね。現在の研究社会は、時間がないと言って、歴史に興味を持ってそこから学び取ってくるという余裕がありませんね。
坂井
それなりに興味を持ってくれる若い人もいますけど。 もっと実用的に、どうしたら目の前の課題を要領よくこなせるかという関心の方が多いですね。
中村
でも本当に自分で考えようとしたら、ゼロから考えるより、過去の蓄積をよく勉強した方がよりよく考えられるはずなのに、そういう感覚があまりありません。歴史なんて余計なことみたいな。
坂井
また覚えなくてはいけないのかとなる。
中村
試験勉強の続きみたいにお勉強であり、年号を覚えることなのですね。歴史を物語りとして受け止めることで自分の物語りをつくっていく、そんな感覚がなくなりましたね。
坂井
歴史がそのように語られてこなかった。科学や医学の歴史でも、たとえばハーヴィの血液循環論という大きな業績がある。それは一体、どんなことが言われていた時代の中で、どのような人が、どうやってその考えに至ったのか。その周辺を引っ張ってくるといろいろ考えられるのです。ハーヴィに先行する研究を見れば、今度は、ヴェサリウスがどんな時代の中でどう解決策を持ったか。私が古い解剖学書から実感することは、まさにそうした積み重ねこそが歴史なのだということです。ヴェサリウスの本を読んでここは間違っているとあげつらいをしてもしかたがない。
中村
今でもダーウィンをあげつらう人がいますが、DNAを知っているところでの考えをもとにダーウィンをあげつらってみても始まらない。歴史はあげつらうものではなく、時代の中に置いて、今、どうしたらよいかを考えるために参考にするものですね。 今の日本では、医学・解剖学を歴史的に見ながら研究ができている方はやはり少ないのでしょうか。
坂井
少ないでしょうね。何しろ、学問というものが予めどこかにあって、それはそっくりそのまま与えられるものだと思われている。学問は自分でつくっていくものだという感覚が乏しい。そもそも歴史とは自分たちの先輩がつくってきたものであり、今度は自分たちがつくり出すんだという、その感覚は歴史そのものから引き出されてくるものなのですけれどね。
エピローグ 対話という形で語る
坂井
語る相手がいるから語ることができる。当たり前ですけれど、最近は語る相手も世相の変化というか、余裕がなくなってきている感じがしますね。
中村
語る時に、一番理想的な形はやはり対話ですね。数式で書くと誰に見せる時も同じですけれど、語るということになると相手によって、自分も変わると実感します。科学の基になるデータなどを変えることはありませんが、語る時には、相手によって多分に語り方が変わってくる。しかもその間に自分の中にだんだん新しい発見、新しい物語りができあがってくる。そういうものだと思います。
坂井
語る相手をいかに見つけるかというところからまず出発することですね。
中村
そうです。間違った相手に語っていたら何にも展開しないし、いいお相手に聞いていただくと、どう語っていくかということができあがって、時には新しい発見がある。本当はこんなこと考えていたんだと気づくことがよくあります。
自然哲学、自然誌の始まりの頃は、ほとんどが対話でしたね。今、そういう場がなくなりました。
坂井
この間ゲノムと言語の研究会(註17)に呼んでいただいて、あれだけ語らせていただく場を得られたのは久しぶりでした。
中村
そうですか。分子生物学の始まりの頃は、お金が無い、機械もないからおしゃべりの場が多かった。その中で最高の対話をしていたのが、DNAの二重らせんの発見者の一人、フランシス・クリック(註18)とノーベル賞受賞者のシドニー・ブレンナー(註19)。二人ともイギリス人ですが、この二人の対話はお見事でした。分子生物学の初期のいろいろなアイデアはこの対話から生れています。それが他の人たちにも伝わって、またそれぞれのところで対話が生れていた。
坂井
いい学問にはそういうところがありますね。
中村
そういうものがないと新しいものは生れませんね。分子生物学も大分成熟してきたから、そんなことやっていられない学問になりました。人数も増えたし、研究室も増えたし。だから、研究員もあまり来ない、流行りでもないみたいなところに面白いことがある。今、それは一体どこだろう。
坂井
マージナル・セオリーというのがありますね。辺縁から新しいものが生れる。解剖の歴史を見て、ハーヴィが出てくるのはイギリスですが、その時代にイギリスは辺境なのです。当時の中心は北イタリアのパドヴァ。イギリスはどう見ても中心から離れた島国ですが、そこでパドヴァ大学に留学して戻って来たハーヴィが大きな仕事をした。その後しばらくオックスフォード、ケンブリッジが中心になる。
中村
イタリアで開かれた学会へ出て、DNAのエックス線分析の話を聞いて、絶対それをやろうと思ったのがアメリカからイギリスへ来ていたワトソン(註20)。学問はさまざまな場所のつながりで生れてくる。もちろんそれをつなぐのは人間ですけれど。
坂井
そう考えると今の時代は学生も可哀想で、大学はきついですね。余裕がない。標準化、透明化、検証可能性、それから説明責任。
中村
説明責任ってとても大事そうですが、そればかりしていると新しいことはできませんね。
坂井
手間が増えます。
中村
よくわかってない人に説明しなければいけない。アインシュタインが相対性理論を発見した時にあらかじめ説明ができたとは思えない。もちろん自分の仕事の責任は持たなければいけません。プロとしての責任。でもそれは説明責任ではありませんね。
坂井
医療の質を保つためにも説明責任、学生教育も説明責任。製造物責任法じゃありませんけど(笑)。
中村
ちゃんとラベル貼って出さなきゃいけない。 今日は解剖学という最も古くからある学問の歴史を踏まえ、生きているということを考えていくための研究の方向、表現方法、社会の中での科学など、今考えなければならないことを教えていただきました。今、学問に向かない社会になっているようで、気になっているところはやはりそこかなと感じました。ありがとうございました。
(註17)ゲノムと言語の研究会
「ゲノムと言語」に関係するさまざまな研究分野に関して「語りの科学としての生命科学」という視点から研究の現状と課題について発表と討論を行なう研究会。高木利久教授(東京大学大学院 新領域創成科学研究科)と共に中村桂子館長がコーディネータを務める。
(註18)クリック 【Francis Harry Compton Crick】 (1916-2004)
イギリスの分子生物学者。ロンドン大学卒業後、ケンブリッジ大学で物理学を修める。キャベンディッシュ研究所でらせん状蛋白質構造を研究中、アメリカから留学してきたJ.D.ワトソンと共同してDNAの二重らせんモデルを提唱(1953)。62年ノーベル生理医学賞を授賞。遺伝情報の単位がヌクレオチドのトリプレットであると予言。
(註19)ブレンナー 【Sydney Brenner】 (1927-)
イギリスの分子生物学者。オックスフォード大学で学位取得。ケンブリッジ医学研究機関分子生物学研究所で、F.ジャコブらとメッセンジャーRNAを発見、セントラルドグマの実体解明など。62年にF.H.C.クリックらとMRC分子生物学研究所を設立、多細胞生物の遺伝情報と発生・分化のモデル系として線虫の分子生物学を確立。02年ノーベル生理医学賞を授賞。05年より沖縄科学技術大学院大学学長。
(註20)ワトソン 【James Dewey Watson】 (1928-)
アメリカの分子生物学者。シカゴ大学卒業後、インディアナ大学で学位取得。コペンハーゲン大学留学の後、ケンブリッジ大学に移り、F.H.C.クリックと共同してDNAの二重らせん説を提唱(1953)。62年ノーベル生理医学賞を授賞。ハーバード大学教授を経て、コールド・スプリング・ハーバー研究所所長。主著に“Molecular biology of the gene”第四版。
対談を終えて
中村桂子
ゲノムに「生命」を語って欲しいと思いながら、大量のデータの中で途方に暮れている。そこで、解剖学が数千年という歴史の中で人体を読み解いてきた過程に学びたいと、訪ねた坂井先生から学んだことは多いが、極めつけは実習室での体験だった。人体を物質と捉える時と人間と意識する時とを往き来する感覚は、DNA研究では得にくい、生命研究の基本だろう。
坂井建雄
坂井建雄(さかい・たつお)
1953年大阪府生まれ。東京大学医学部医学科卒、同大学医学部助手、ハイデルベルグ大学研究員、東京大学医学部助教授を経て、現在順天堂大学医学部解剖学教授。篤志解剖全国連合会事務局長。95年に日本解剖学会を代表して特別展「人体の世界」で展示実行委員長を務める。主著に『からだの自然誌』(東京大学出版会)、『人体のしくみ』(日本実業出版社)ほか多数。