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Essay

環境への適応論理と形づくりの論理

倉谷 滋

生きものの形づくり(個体発生)は、一つの受精卵が細胞分裂をくり返し、移動し、分化し進んでいく。そしてこの形は進化によって、変わる。なぜ形が変わるのか、そもそも進化とは何だろう―。

生きものごとに形や機能が変わっても、脊椎動物の骨格基本パターンのように、変わらない「ある」パターンがある。これを相同性という。遺伝子にも、祖先から受け継いだ変わらないものがあり、その意味で、相同性という言葉が使われる。しかし、遺伝子と形の間に1対1の関係は存在しない。遺伝子と表現型の間には実に込み入った複雑な関係があるのだ。

1つの遺伝子は他の遺伝子と関わりを持っている。同じ形質には複数の遺伝子が階層的に関わっていて、しかもそれには時間的階層と、空間的な階層とがある(エピスタシス、あるいは遺伝子の上位下位関係という)。また、1つの遺伝子はしばしば複数の形質発現に関わっている(プライオトロピー、あるいは遺伝子の多面的発現という)。形質をどのように捉えるかという問題もあるが、形の相同性からみると、ここですでに形と遺伝子の1対1関係は崩れている。

しかし、本当に深刻な問題はこういったことではない。上のような状況だけなら、遺伝子と形の間には、1対1ではないとはいえ、相変わらず進化する間も不変の写像関係が存在するからだ。問題は、進化的に新しい形のパターンがもたらされるというレベルでの新しい遺伝子ネットワークの振る舞いある。形態学的に相同ではなく、相似なものに過ぎない遠く隔たった形質に、相同遺伝子が働いていたり、相同的パターンと思われている形質が、まったく異なった遺伝子カスケードによって作られていたりするのだ。例えば、昆虫の背腹軸を決める遺伝子群の相同物が、ヒトの血球分化に関わっていたり、脊椎動物のなかで、形態形成に関わる遺伝子の相同性と発現パターンが一致しない例が数多く知られている。つまり、新しい遺伝子ネットワークの振る舞いが問題になる

ヴァン=ヴァーレンの言葉に、「進化とは、環境による遺伝子の制御である」というものがある。ここには、外的環境に対する適応の論理をいかに形づくりの論理の中に組み込んでゆくかという、進化のストラテジーをめぐる問題意識がある。というわけで、さて、珍しいイナゴがいる。イナゴというものはそもそも、オスがメスを呼ぶために後肢を前翅に擦り付けて鳴くものだが、Calliptamus italicusというイナゴは他の種とは異なった体型をしていて、いくら後肢を動かしても前翅に届かず、この方法で声を出すことはできない。その代りにこのイナゴは、顎を動かして良く似た音を出す(日本でも同様のことをおこなうセグロイナゴShirakiacris shirakiiが知られる)。面白いのは、彼らがそうやって鳴いている時、他のイナゴと同様、動かさなくても良いはずの後肢を必死に動かしていることだ。音を出す機能はすっかり失ってしまっても、その同じ「衝動」に対して「肢を震わせる」という方法で応答してしまうのか。どうやらその回路だけは消えずに残っているらしい(ならば、この肢の動きは祖先的形質となり、したがって相同?)。イナゴはどうやって「顎の使用」を「発見」したのだろう。つまり、新しい表現型獲得過程での「知覚システム」の所在が次の問題である。このような進化は、設計図に従って工場で機械が組み立てられるようなものではなく、むしろピッチャーがボールを投げる行為に近い。イナゴが「顎を動かす」ことに行き着いた時、それが正しい解答であることを教えたのはメスの応答であった。あるいは、そのメスの応答に続いて生じた自らの因果連鎖であった。それによって選択されたゲノムは、やはり顎を使う習性をもたらすだろう。しかし、ゲノムが「顎を使わせるべく」何かをプログラムしたためしなどないに違いない。

そもそも1つの遺伝子型は特定の1つの表現型を作るようには出来上がっておらず、むしろ環境からの刺激を含めた、外的、内的シグナルに応答して、ある変異幅を持った表現型のセット(応答規準)と対応しているのである。1つの遺伝子型が1つの表現型に固定されていては、季節に応じて多型を持つ動植物の発生経路などは実現不可能だとすぐわかる。重要なのは、こういった表現型が、それに対応した個体発生経路の多様性を背景にしていることであり、さらには、潜在的に多様な個体発生経路そのものが、淘汰の標的となっていることなのである。これだけの速度でこれだけの進化を起こそうというのなら、「使える対立遺伝子」ではだめで、「使える発生経路のオプション」がなければならない。この考え方は、環境との相性次第で先に表現型を成立させ、安定化淘汰で遺伝子型を固めるというラマルキズム的現象を可能にする。いわばお金が動く前に成立するクレジットカードによる「進化のお買い物」をである。

相同性をもちながら環境を知覚するシステムは、保存されるチャンスと、変化するチャンスの両方を持っている。しかし、変化の方向は常に次の拘束を形成するような、約束されたものでなければならない。生物は今もそれを手探りで求めている。アフォーダンスは最初から環境の中に存在しているのではなく、生物の知覚システムに組み込まれた発生経路と近いのではなかろうか。様々な行動が環境との間に紡ぎ出す、適応という加算個のモジュールに基づく安定点がアフォーダンスを見つけるといった方が実態により近い。進化とは、その安定点を知覚システムが探し出し、逆に安定点がその所在を知覚システム内のゲノムに刻みつけてゆく過程に他ならない。「安定化選択」は進化の大きな構成要素なのだ。ならば、つまるところ相同性とは、遺伝子や形態や生理学的論理や発生機構など、あらゆるレベルを含んだ進化的な形態形成場とでもいうべき多元的空間の中で、常に浮かんでは消える拘束の束といえる。永続的ではないかも知れないが、一旦成立したら最後それ自体が安定化を目指すモジュール、つまりせいぜい今のところ「構造」としか言い様のないもの、が見えている瞬間を表現したものなのだ。それが先験論や構造論の素材になるのも当然である。そして、このモジュールを主体とし、進化の立て役者として扱うことができるようになったとき、はじめて遺伝子は、その本来の「応答系」としての姿をあらわすのである。

進化の香りが漂ってくるのは、このような概念スープの中からではないだろうか―。

倉谷 滋(くらたに・しげる)

1958年大阪府豊中市生まれ。昆虫少年・恐竜少年時代を過ごし、1981年京都大学理学 部を卒業、同大学院修士・博士課程修了。理学博士。琉球大学医学部助手、ジョージ ア医科大学、ベイラ-医科大学でのポスドクを経て、熊本大学医学部助教授。1998 年に岡山大学理学部教授、2002年からは、理化学研究所・神戸CDB、創造的研究推進 プログラム形態進化チームリーダーとして活躍。著書にかたちの進化の設計図(岩波 書店)などがある。

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