Experiment
魚の利き手
左右対処にみえる魚にも利き手があった。
鱗を食べる奇妙な魚たちがもつ左右性は、何を物語るのか。
長年の生態観察が明らかにします。
アフリカのタンガニイカ湖には、他の魚を背後から襲い、体から鱗(スケール)を剥ぎ取って餌としている特殊な食性の魚(スケールイーター)が7種いる。
今から10年前、タンガニイカ湖での調査の合間に魚市場を見て回っていた時のことだ。顔つきがひどく悪い魚が2匹、目に入った。スケールイーターだ。目つきの悪さは、体を動かさずに目だけをぎょろぎょろ動かして獲物を探すからで、口元は、車のバンパーのように衝突の衝撃を和らげる下顎のせいでちょっと品がない。スケールイーターは種によって歯の形や並び方が違うので、口を開けて調べようとしたら、なんと、ねじれて開いたのだ。もう一匹は反対側にねじれた。これがきっかけで、他のスケールイーターも多かれ少なかれ口がねじれていることを発見し、ミクロレピス(Perissodus microlepis)という種を中心に左右性の研究を始めた。
タンガニイカ湖の風景。ビーチには民家が立ち並ぶ。湖は九州とほぼ同じ大きさだ。
日干しにされた魚たち。こうすると体が曲がる方向から利き手を知ることができる 。
ムプルングの魚市場の様子。上がったばかりの魚は波打ち際で即売される。
襲われる側も、好き勝手に鱗を剥ぎ取られてはたまらないので、スケールイーターの接近を警戒し、察知すれば追い払ったり逃げ出したりする。そのため、襲撃成功率はたったの1~2割で、この事実からも、襲撃は背後からでなければならず、口のねじれは、獲物の体のなるべく広い領域に口を当てるために適応したと考えてよい。
ミクロレピスの左利き個体の比率の年変化。約5年の周期で変動している。黒丸と白丸は連続した岩場の別の地点。数字はサンプル数を示す。
しかし、口がねじれていると、右利き個体は獲物の左側しか襲えないし、左利きは右側しか襲えないはずだ。「利き手」と襲撃の方向の関係を探るために、囮の魚を使って観察したり、スケールイーターの胃袋から鱗を取りだして左右どちら側を食べたかを調べたりしたところ、予想通り襲撃の方向は「利き手」と対応した。
次の疑問は、左右性が遺伝的に決まっているかどうかだった。この魚には両親が子どもを守り育てる習性があるので、サンプルが集めやすく、親子の左右性の関係は調べやすい。調べてみると、左右性は単一の遺伝子座にある対立遺伝子に支配された遺伝形質で、右利き優性のメンデル遺伝子をするらしいとわかった。親の「利き手」が子に伝わるならば、右利きと左利きの比率には自然選択による影響が現れているはずだ。襲われる側が襲撃の多いほうを強く警戒すれば、襲う側としては、警戒の薄いほうを狙う少数派が有利なので、子をたくさん残して多数派に転じていくのだろう。その結果、これまでの少数派が多数派になれば、今度はそれが少数派になっていくので、左右の比率は1:1付近を行き来するはずだ。
(左)Perissodus microlepis (右)Perissodus eccenticus
そこで、それまでに収集してあったミクロレピスの標本を調べ、過去10年間に左右の比率がどう変化したかを調べてみた。幸い、採集場所にいるスケールイーターはミクロレピスだけなので、他のスケールイーターの影響を考えなくてすむ。結果は予想通り、1:1付近で周期的に変動していた。
ここまでは、食べられるほうは襲撃の多い側を学習し、そちら側への警戒を強めると仮定してきたが、もしこちらも警戒や逃走の能力、つまり感覚と運動の能力に遺伝的に決まった「利き手」があったらどうなるだろう。
たくさんの標本の口を開け続けてきたので、魚と見れば、つい口を開けてしまう癖がついた。そのお陰で、スケールイーターに限らず、どの魚にも「利き手」があるという大変な発見をしてしまった。カレイとヒラメは別として、魚は左右対称な動物の典型という常識は正しくないのだ。頭も体もわずかに「利き手」方向に反っていること、目の位置がずれていること、どの種でも右利きと左利きはほぼ1:1でメンデル遺伝子をすることなどがわかってきた。小魚を食べる魚の胃から食べた魚を取り出して調べると、右利きの場合は左利きの小魚を、左利きなら右利きの小魚を圧倒的に多く食べていることが明らかとなった。
スケールイーターの歯の電子顕微鏡写真。鱗を掻き取るのに適した構造をしている。
(左)ミクロレピスが襲いかかった瞬間。
(右)子供を守るミクロレピスの親。稚魚を口の中に入れて守る口内保育の習性がある。危険を察知した雌親が今まさに子供を口に吸い込もうとしている。
どうやら、スケールイーターで見つかった左右性は広く魚類全体に認められるもので、捕食や警戒、逃避などさまざまな行動にも「利き手」があると考えてよさそうである。左右性の解明はまだ始まったばかりだが、今後は、進化の過程で「利き手」が一方的に偏ってしまった場合、発生との関係など、他の研究者の協力も得ながら明らかにしていきたいと思っている。
(ほり・みちお/京都大学大学院理学研究科教授)
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。