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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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ゲノムは設計図でもレシピでもない

2018年12月17日

11月に「こころを考える」と書き、先回は「人間について考える」としており、何を言っているのと思われそうだと気づき、言い訳です。要は人間のことを考えたいと思っていて、それもゲノムや細胞からだけでなく「こころ」にまで広げたいという気持が強くなっているのが今の状況なのです。という訳でまず人間、そして少しづつ「こころ」もというところでお許し下さい。

実は言いたいのは、人間(生きもの)は機械ではないというあたりまえのことなのです。そうなると手始めとして「ゲノムは設計図ではない」ということをはっきりすることが大事になります。なんだよ、やっぱりゲノムかよと言われそうですが基本は押えておかなければなりません。少なからぬ生物学の解説書にゲノムは「設計図」と書かれているものですから。ここで人間の体をつくりあげる(発生)過程とビルをつくる過程を思い浮べてみます。

後者の場合、設計図が不可欠です。そこには、ビルの完成形が細部にわたり書き込まれ、寸法が示されています。材料についても同じです。高さは1.2mとか幅は30cmとか、この数字そのままに材料が用意され形をつくっていきます。あたりまえのことですが、ビルをつくっていくのは人間であって、ビルそのものではありませんし、設計図がビルの一部になることもありません(こんなことを書くのは人間の体の場合、自分で自分をつくっていくとしか言えないからです)。

次に私たちの体づくりを考えます。その始まりは受精卵という一個の細胞であり受精卵がなければ何事も始まりません。ゼロからつくるビルとは違います。受精卵からどんな形のどんなはたらきをする生きものが生れるか。それはその中にあるゲノムによってきまります。ゲノムのはたらきで体づくりが行なわれるのです。そしてゲノムはでき上った体の中に存在し続けます(設計図と違って)。ゲノム(DNA)は今ではほとんどの方が御存知のようにATGCという4種のヌクレオチドが並んだ分子です。人間の場合ヌクレオチドが32億も並んでいる線状の高分子であり、その並び方はすでに解読されています。32億もの並びを知っているということは大変なことですが、でもその並びのどこにも人間の形を示す図はありません。何センチとか何メートルなどという数字はどこにもありません。ビルの設計図とはまったく違います。

これは、生きものの体づくりは機械や建築物をつくるのとはまったく違うということを示しているわけで、このまったく違うつくり方を知ることこそ生きものを知り、人間を知る基本であるわけです。ゲノムを設計図と言ってしまうと、このまったく違うということを忘れ、生きもの(人間)を機械のように見てしまうことになる危険があります。ですからゲノムを「設計図」と決して言わないということはとても大事なことなのです。

ところで、設計図ではないことはわかったけれどATGCという文字らしきものが並び、それが体の一部となるタンパク質のつくり方を示していることはすでにわかっています(この詳細は後で触れることになると思います)。そこで、ここに何かの指示が書いてあると思うのは当然ですし、事実何かが書かれているに違いありません。そこで私はゲノム(DNA)を劇のシナリオやお料理のレシピのようなものと考えてきました。楽譜でもよいかもしれません。これなら設計図と違ってその時その時の柔軟性が感じられます。牛肉、ジャガイモ、タマネギ、ニンジンをどれだけ使うかが書いてあるレシピでつくったカレーライスはつくる人によって少しづつ違うでしょう。でもカレーライスはカレーライスです。受精卵の中にヒトゲノムがあれば、ヒトになる。カエルならオタマジャクシが生れてきます。その時によって少しづつ大きさが違うなど微妙な違いはありますけれど。設計図は遺伝子決定論(これもまた後で触れます)というすべて遺伝子が決めるという考え方に近くなるのに対し、レシピやシナリオと考えると、その場その場で少しづつ変わるという感じが出て、生きものの実態に近くなるかなと思ってこんな言い方をしてきました。でも改めて考えてみると、カレーライスも演劇も音楽演奏も、人間が外から関わっています。レシピそのものが素材を生み出す指示を出すわけではありませんし、レシピはでき上ったカレーの中には入っていません。こう考えてくると、アナロジーで考えるのは止めなければいけないということに気づきます。生きものはつくるものではなく独特の生れ方をするものということをとことん頭に叩き込み、素直に生きものに眼を向けて考えていくしかないと思えてきました。人間は生きものということ、そして生きものは独特の存在であり何かになぞらえたりはできないということの大切さを改めて思っています。

附:実は11月に出た『「ふつうのおんなの子」のちから』にもゲノムはシナリオと考えられると書いてしまったことを反省しています。アナロジーは止めます。いつも同じことしか考えていないように見えても少しづつ変わります。

今年も終りになりました。相変らずの日々でしたが生きることを大切にする社会を思い続けてきました。来年も同じ日々になりそうです。よいお年をお迎え下さい。来年もよろしくお願いいたします。是非書き込みをと改めてのお願いです。

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