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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【なぜ日本ではこれができないのでしょう】

2010.4.30 

中村桂子館長
 4月19日に「日本に科学技術政策はあるのか」というパネルディスカッションに参加しました。東京財団の主催でしたから、出席者や内容はそちらのホームページをごらんになると出ていると思います。スーパーコンピュータ問題以来、科学技術予算が話題になりましたが、重要なのはお金の額ではなく何のために何をするのかであり、そのためにどれだけのお金が必要かという話でなければおかしいわけです。
 多くの人がそのことに気づき、さまざまな提言がなされています。学術会議が出した「日本の基礎科学の発展とその長期展望」はその一つであり、そこに書かれていることは私もその通りと思う素晴らしいものです。でもここで思うのです。日本はこのような基本構想づくりは得意だけれど、問題は具体ではないかと。
 今回のディスカッションへの参加に際して私が考えたことは唯一つ、「研究の現状を踏まえて今何をするかを考え、実行することが重要でありそれが政策である」ということでした。美辞麗句ではありません。
 そこで実例として取り上げたのは「ゲノム医学」です。ヒトゲノム計画の始まりは病気(とくにがん)の原因究明とそこからの予防、治療法開発を求めてのことでしたから。
 2003年にヒトゲノム解析ができました。さてそこで何をするか。日本では、2000年頃からそれが議論されており(早く始めないとアメリカに負けるという焦りの中で)、ミレニアム・プロジェクトとしての計画が立てられました。これも詳細は省きますが、「2004年度を目標に痴呆、がん、糖尿病、高血圧などの遺伝子を解析し、オーダーメイド医療を実現。画期的新薬の開発に着手する」とあります。
 ところで米国は、がんを重視し、「CANCER GENOME ANATOMY PROJECT」と「THE CANCER GENOME ATLAS」を進めています。前者は医療に直結、後者はがんの遺伝学を統合的に進めるプロジェクトです。ここでは後者を見ていきます。この計画の発表は2007年です。まず、「がんを知ることは大事だが、ゲノムを通してがんと闘う戦略は本当に現実的か」という問いを立てて専門家の間で議論を進めます。「山のようにデータがあるだけでは意味がない。分子レベルの包括的な知識が治療に役立つのでなければ価値がない」という立場での議論の結果、2006年に「今後3年間で脳腫瘍、肺がん、卵巣がんの三つでゲノム変化の地図を作る」という計画を始めることにしたのです。ここでもまだこれは予備的研究だと言っています。そこで、この計画を伝えるホームページを開いてみたところ、その日に出された研究成果が掲載されていました。次いでに「ANATOMY PROJECT」のホームページも開いてみたところ、こちらもその日の状況が見えました。そしてそこに「卵巣がんの遺伝子を同定した。しかし、これで生じる徴候ははっきりせず、ここからこの病気を予測するのは難しい。更なる研究が必要」とあります。納得します。
 一方、日本が2000年に大急ぎで始めたプロジェクトについては、ホームページを開いても一般論しかなく、対象となる疾病が47ずらずらと並んでいるのです。この差です。日本では、よく考えずに抽象的な話(専門家でなくとも考えられるレベル)で大きなプロジェクトを始め、その途中経過の報告や評価もなしに、「夢の技術」が語られています。しかも、いつも焦っています。ヒトゲノム解析を次につなげるにはタンパク研究が必要とされ、しかもそれは「とにかく3000個のタンパク質をNMRで解析する」という生物学としては考えられないプロジェクトとなりました。いつもそのときに使われる言葉はアメリカに負ける(最近は中国に負ける)です。そこで話題になるのはお金だけです。なんとも情けない話です。
 もうこれは止めにしませんか。ヒトゲノム解析はダルベッコの内からの要求で始まりました。そこには深い思考、悩みと同時に強い意志と情熱があります。彼が「ゲノムからがんへ — なぜ今なのか」というコメントを出したのが2007年です。慌てていません。一筋縄ではいかない相手に向き合いじっくり考える姿勢です。「2004年にオーダーメイド医療を実現」というあまりにも軽い日本の計画と比べて考えこんでしまいます。本当の科学、科学技術を進めるためにやるべきことを考えなければならないと思うのです。



 【中村桂子】


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