中村桂子のちょっと一言
中村桂子のちょっと一言
館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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2010.4.15 

【Atomic Bomb と Biological Timebomb】
 
中村桂子館長
 4月9日の新聞の一面トップは、「米露核軍縮新条約調印」でした。オバマ大統領のプラハでの演説から1年、同じプラハで米露の首脳が握手を交わす姿が見られたのですから、一歩踏み出したという実感があります。メドベージェフロシア大統領の「米露双方が勝利し、全世界の勝利でもある」という言葉が印象に残りました。解説記事にはさまざまな問題点があげられ、実効性への疑問も書かれており、一歩の先の厳しさはわかります。でも、とにかく廃絶へ向けての歩みであることは確かでしょう。
 ここで考えたのが生物のことです。核爆弾、つまりAtomic Bombに対して「Biological Bomb」という言葉を用いたのは、英国の科学ジャーナリストG.R.テイラー、1969年に「The Biological Timebomb」を著しました。渡辺格先生が「人間に未来はあるか」として翻訳された本です。人工臓器、遺伝子工学、脳生理学などに基づいて生命操作、脳操作が行われる時代が来ることを、時限爆弾がいつ爆発するかという形で描いていく著書でした。その中での試験管ベビー、クローン人間などという言葉を見て半分現実的にしかし半分はSF的に語り合ったことを思い出します。それから40年、社会の価値観が大きく変り、望みは何でも叶うようにするのがよいということになってきました。赤ちゃんが欲しいという願いには何としてでも答えるもの・・・日本社会でもこう考えるようになりました。そして、米国では、重病の子どもを救うために “人間をつくる” ことが行われたようなのです。この言葉は微妙で、機械の場合のような “つくる” はできません。受精卵を選別するとか、選別したものを出産まで持っていくとか。でも気持としては明らかに“つくっている”わけです。ある目的のために。
 越えてはいけないところを越えた。この話を聞いてそう思いました。Biological Bomb の場合、とくに生れてくるのが人間である場合、行われた事柄を否定すると、そこで生れてきた人の存在を否定することになりますから、とても悩ましいことになります。つまり、一度それを行ってしまったら否定できないのです。Atomic Bombの場合、難しいとは言っても、それはいけないとして止めることができますが、テイラーの言うBiological Bombは本質的に後戻りできないところがあるわけです。戦争のためではない、むしろ平和だからこそ開発できる技術、医療や保健に役立つ技術として開発していく技術なので、その使用は個人の判断に帰せられます。それゆえに、望みは何でも叶うようにするものという社会では、とんでもないところへ行く危険があります。事実今行きかけています。生物を生物として見ることの大切さをつくづく思い、それは思い通りにならないことを受け入れることなのだけれどと思いながら、悩んでいます。



 【中村桂子】


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