中村桂子のちょっと一言
館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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2003.9.15 

【もう一度ていねいに考えなければ】
 
中村桂子館長
 1980年代後半、頭の中がムズムズして今の生命科学はどこか違うと思い始め、「生命誌研究館」という言葉を発見し、ムズムズが収まりました。以来、ゲノムの語ることを読みとろうという生命誌を進めてきました。当時は、ゲノムの大切さを語っても何言っているのと言われたものですが、今や生命科学の世界はゲノムでなければ夜も日も明けないという感じになってきました。ゲノムを知ることはとても大事ですが、最近また、どこか違うという気がしてしかたがありません。ちょっとムズムズしてきました。ゲノムを構成する遺伝子をすべて調べよう、更には、プロテオーム、メタボローム、フィジオロームなどと、細胞の中にあるものを皆“オーム”と名づけてまとめ、「端から調べようプロジェクト」へ向かっての進軍ラッパが鳴っています(ついこんな言葉が出てしまいました。古いですね。いや古いと言っていられれば幸せですが、最近の様子では世界中で平和という言葉が使われにくい状況が生まれています)。今日はゲノムのことなので元へ戻ります。専門外の方も読んで下さっていると思いますので少し言葉を加えると、たとえばプロテオームは細胞内のプロテイン(タンパク質)すべてを調べつくそうという考え方。遺伝子のすべてとしてゲノムを調べたようにというのですが、ゲノムはゲノムとして実際に一まとまりで存在するわけですが、タンパク質はそういうものではない。それをプロテオームと呼ぶのはとても大雑把な気がします。ましてや代謝に関わるものすべてでメタボローム、生理現象すべてをフィジオロームとなったら大雑把すぎます。どこか違うと気になっているのはこの“大雑把さ”です。本来、生命科学は“生命とはなにか”というナイーブな問いから始まっているもので、この問いは愚直に、ていねいに考えるものでしょう。それが、ゲノムプロジェクト以来、生きものの研究でもプロジェクトが幅をきかすことになり、とても大雑把な物言いが通用するようになりました。そこには、生きものをみつめた時に心の奥から沸いてくる問い、ふしぎとか驚きなどから生まれる問いをつきつめて考え、すべてがわかることなどないだろうが、このふしぎの一つでも解けたらすばらしかろうという謙虚さが欠けています。しかもそのような考え方で進める研究は、コスト・パフォーマンスが悪い。解析技術を開発し、高価な機械をたくさん並べてデータをたくさん出しますからある種の成果は出ますし、じっくり考えながら行う研究より華やかに進むでしょう。でも、“生きている”について深く考える時間と共にあるのでない研究は、結局本質を明らかにするものにはなりません。実は、大雑把になっているのは生命科学だけでなく、それとつながる学問や社会での遺伝子という言葉の使い方にもそれが見られます。こんなに生命科学が隆盛な中で何言っているのと言われそうですが、このどこか違うという感じを整理して、ムズムズを収める作業が必要な状況です。15年前に比べると明らかに根気が続かなくなっているのでまとまるのはいつかなあと思いながら少しずつ考えています。

最近、困ったことに頭の中で“六甲おろし”が鳴っています。このところ毎日聞かされて・・・これはあんまり正しくない。自分でダイヤルを合わせているのだから聞いてと言わなければいけません。この文がアップされる9月15日にはもう胴上げがすんでいるのかもしれませんが、目下のところ7連勝という勢い。誰がどうということでなく全体に勢いがあるのが面白いです。こういう時ってあるんですね。

【中村桂子】


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