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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【100万人のキャンドルナイト・・・実は私はそうならず】

2003.7.1 

中村桂子館長
 6月22日夏至の夜、20時から22時まで、一斉に電気を消してロウソクの灯で2時間思い思いに過ごそうという<100万人のキャンドルナイト>の企画。テレビ、ラジオ、新聞などでもとりあげられましたから御存知の方も多いと思います。実際に電気を消した方もおありでしょう。私は、呼びかけ人の一人として参加。
 東京タワー、明石大海峡大橋、熊本城、首里城など、それぞれの地域で光の名所となっているところが明かりを消すということが話題になり、しかもそれが省エネルギーだけに結びつけられたのはちょっと残念でした。東京の原発の運転中止で今年の夏は東電圏内は停電があるかもしれないということが話題になっていますし、確かに省エネルギーは大切です。でも私が参加した本当の気持は、「暗さ」の意味を見直してみませんかということでした。
 実は、研究館のある高槻市では、8時になると商店街は静かに暗くなるのが数年前までの体験でした。その街を通って京都から新幹線に乗り、東京駅、新宿駅と乗り継いでいくと、深夜なのにその周囲は昼間と同じ明るさで(昼間も電気をつけているわけで)、若い人たちが昼間と同じように溢れんばかりに歩いている。このギャップをちょっとふしぎな気持で感じてきました。ところが高槻も再開発とかで高層マンションの工事が始まり、8時になるとアーケードの両側にシャッターが降りてひっそりという感じではなくなりました。でも日本の中にはまだたくさんひっそりした町はあるでしょう。東京を出発点とした暮らし方が暗さを追い出している。暗さの見直しでそんな暮らし、少し硬くいうなら現代社会のありようを見直せればよいなと思ったのです。そこでよびかけ人としてのメッセージは「生命のリズムとダイナミズムを生み出したのは光。闇をつくり、そこに小さくゆらぐ灯を置いた時、生命の始まりが思い出され、新しい時間が生み出されるでしょう。本来の生命のリズムとダイナミズムがからみあった時間が。」としました。
 ところで22日は日曜日。私は東京にいました。とにかく家中の電気(門灯もすべて)を消しました。キャンドルナイトの話をした時、娘が「お星様がたくさん見えるかしら」と言っていたのですが、それどころか、明かりを消したつもりの部屋の中も外からの光で明るいのです。家は世田谷のはずれでビルなどまったくないところなのですが。夜景として見える灯りはほとんど街灯ですが(崖の上なので遠くがよく見えます)、それが空に映り窓から入ってくる量で十分明るく、ロウソクをつけても面白くないねということになってしまいました。
 そこで、昔は8時頃には寝たんじゃないかなということでぐっすり。久しぶりにたっぷり休んですっきりと朝を迎えました。こうして私のキャンドルナイトはまったく知的でもロマンティックでもないかなりいい加減なものになってしまいましたが、活動全体としてはどうだったのでしょう。イベントもあったようですし、人工衛星からの映像を撮ったはずですし、省エネルギーも含めて、暮らし方について、それぞれの場所でどんなことが起こり、どんな収穫があったか・・・いろいろな報告が楽しみです。



【中村桂子】


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