生命誌の広場

生命誌は“生命“を基本に置き、最先端の生命科学の知見に基づき、「生きる」について考えています。このホームページを読んで思ったこと、研究館の活動について、みなで語り合う場を設けました。いろいろな方の考えを出し合ってこれからの生命誌につなげていきたいと思います。あなたの考えをお聞かせ下さい。

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みなさんからのご意見

中村桂子のちょっと一言

受け継いでゆくこと

投稿日:2016.10.20 ニックネーム:おかげさま

けいこ先生〜
最近、地元の地質学の先生の講義を受けたばかりで
けいこ先生の記事がタイムリーだったので、筆をとりました。
私の暮らす兵庫県では、阪神淡路大震災が21年前にあり
そのときに、地元の地質学の先生は、酷く酷く甘さに悔やみ、それを教訓に、退職後も地域の地学屋になる!!!と、現在も、フィールドワークを学生たちとされています。

本気だこの先生と思った私は、その先生に地球の生い立ちから、現在に至る地元の地質の生い立ちを、質問し現在、一緒にいろんな見解から紐解くお勉強も楽しんでいます。

「人新世」のはじまり〜は、耳の痛い、私たちの生きてきた移行期でもあるため、申し訳ないと思う気持ちもありますが

行く末の人類完全絶滅は、私は無いと思っていて
それに近い状況が、雪だるま形式に来てしまわないように、今この時代に生きている、気付いた人たちが、それぞれの叡智を持ち寄り、どのような地球生命体を望むのか、縮図で言えば
私はどうするのか、私の周りからどうするのか、ひとりふたりさんにんと・・・微力な叡智を持ち寄り、身近な場所から、立て直し、整えをライフワークにしてゆきたいと、思って人生を楽しみたいと思います。
なぜなら、種としての人類が存在した役割があると、私はおもうからです。
それは、他の生き物に出来ないことができる新参者としての人類が揃って、生態系のバランスは、取れて行くものだと思いたいからです。

けいこ先生の叡智、そして想いを活かし、受け継いでゆける地球生命体であるように!!

つなげてゆきます。



お返事

投稿日:2016.10.20 名前:中村桂子館長

「人新世」という意識をもつことは自分で自分を滅ぼすようなことはすまいという気持ですからおっしゃる気持は共有します。絶滅があるかないかは私たちには決められないこと、恐竜の絶滅は恐竜のせいで起きたのではありませんもの。生きものとしてのつつましさを持って生きていくことを楽しもうと思っています。

中村桂子のちょっと一言

人が生きているかぎりできることがある

投稿日:2016.10.18 ニックネーム:のり

いくつか感想があります。まず、毎日新聞の図に示された時代区分の名称は時代が下るにつれ極端に短くなっていて、人新世にいたっては、ほとんど一瞬にすぎない、こうしたものを同列に扱っていいのか、ということが第一です。
ふたつめは、人新世がもし人類の滅亡の時であるとするなら、滅亡するのは人だけではなく人と生存条件をともにする生き物すべてが滅ぶことになり、人だけが消え去るということはないだろうということです。短期的には、人はほかの生き物よりしぶとく生き続ける可能性が強いのではないでしょうか。
みっつめには、いずれにせよ人は今の形のままでは滅びると決まっているとして、現代文明についての反省がいったいどれほど人の生存の長さに意味ある違いをもたらすのか、私個人の考えではたいして変わらないと思います。ただ、現在に生きる人間がどれほど楽しい人生を味わえるか、ということが大切だと思います。その意味で、生物全体の生存を脅かすようなことを日々積み重ね続けている今のありようが、一人ひとりの生活をみじめなものにするとともに、今生きている生き物のうち、人と同じ条件にあるものの現在と未来を一蓮托生にしているという点で、人以外の生き物に対しても責任があるということを考えなさいということかもしれません。十万年の猶予期間が100年で終わってしまっては悲しいことだと思いました。

お返事

投稿日:2016.10.20 名前:中村桂子館長

おっしゃる通り50年は短かすぎるという意見は当然あるわけですが、このようなことを考えずにはいられない状況であることも確かですので、専門家がこのような問題意識を持つことは大事だと思っています。今後を予測することはできませんが、皆で生き方を考える時にあるのではないでしょうか。正解はありませんが、生命誌は生きものの歴史に学んで生きものとしてどう生きるかを考えていきたいと思っています。正しい、正しくないではなく、考えながら進みたい気持です。

中村桂子のちょっと一言

ちょっと一言を読んで

投稿日:2016.10.05 ニックネーム:J・H

我が家の庭でもドクダミには閉口しています。抜いても抜いても毎年出てきます。ドクダミの繁殖力にお手上げです。

別名「十薬」と言われるほど薬効もあるようですので、乾燥させてお茶にしてみたり、焼酎につけて化粧水らしきものを作ってみたりもしましたが続きませんでした。

コラムを読ませていただいて、ふと思い出したのがオオイヌノフグリとかネジバナ(もじずり)といった清楚でかわいい花々です。
庭にオオイヌノフグリの水色の花を見つけると「あゝ、春になったな」と感じたものですが、そういえば、ここ何年も庭では見ていません。
「雑草というものはありません」と言われた天皇のお言葉、本当ですね。
ドクダミさんには少しご遠慮いただいて、かわいい草花を咲かせたいです。


お返事

投稿日:2016.10.06 名前:中村桂子館長

ドグダミ仲間ですね。我が家にはオオイヌノフグリ、ネジバナは顔を見せてくれます。もう一つ根をしっかり張って繁殖力旺盛の住人を思い出しました。ミズヒキです。これも可愛いのですけれど。

中村桂子のちょっと一言

活かすこと巡るために

投稿日:2016.10.03 ニックネーム:おかげさま

けいこ先生、最近の子どもたちも、田舎では草遊びしていますよ♪。

昔のように、物が無い時代では無い現代ですし、物騒な現代が高じて自然離れもありますが、若いお母さんたちは、だからこそ?、お金を払っても、草遊びをさせてくれるような所へ、子どもたちを連れて行く傾向も見受けられます。

雑草は、雑草で良いと私は思っています。
良し悪しではなく。

私も畑を無農薬でやっているせいか、雑草をどのように扱うかが、日々の仕事で。

雑草も命ですけど、食べれる雑草(野草)は、私の食で頂き
土の状態を知るためにも、その土の上に生えている雑草の種類は、観察の指標ともなり、最終は、土の肥え(土の中の生き物のエサ)として、雑草を漉き込みます。

無駄が無い(笑)
自然の循環、雑草も役目をいっぱい果たしてくれます。

人は、さまざまな万物をどのように活かしたら、生態系がバランスよく循環してゆくのか・・・
そんなことを考え、試し、観察し、検証してゆく、面白さもあると、私は思うんです。

人間の欲で、森を無くしたり、海を埋め立てたり
そんな技術があるなら
森に生きる生き物を、活かしたり、海の生き物を活かす技術に変えて、自然を活かしながら、人間と他の生き物の棲み分けもうまくいくようなアイディアに、国のお金も日本人の技術も、使ってゆけたら、いいな〜とも思います。
個人資産でも、いいですけどね。

お返事

投稿日:2016.10.04 名前:中村桂子館長

メールありがとうございました。
子どもたち草遊びしているんですね。一緒に遊んでみたいです。無農薬の畑で食べものを作っていらっしゃる生活は、大変だけど豊かでしょうね。私も庭のヨモギで草餅をつくるというおままごとの延長を楽しんでいます。

中村桂子のちょっと一言

政治欄の話題にしたい

投稿日:2016.09.08 ニックネーム:みつる

三回目のメールです。私は中日新聞の読者です。先生の記事は必ず切り抜きをしていますが、、ある時気づきました。先生の記事は毎回新聞のカルチャー欄(ページ)に載りますが、これはおかしいと。おかしいというより政治の話題に格上げすべきだと。というより政治の一大テーマとなるべきだと。今、マスコミや政治で不足しているのは先生かせ投げかけてくださるテーマが議論にもなっていないということです。右か左か、ばっかり。何でも反対ばっかり。新しい視点でこの世の幸せを探そうとの発想そのものがない。残念です。脱カルチャー、脱哲学を果たすにはどうすればいいのでしょう。先生、頑張ってください。

お返事

投稿日:2016.09.13 名前:中村桂子館長

生きものとして考えるという視点から見ると、権力・金力などでの動きとは違うものが見えるので、それを書いています。あたりまえを大事にしたいと思っていますので、同じように考えて下さる方がいらっしゃるのはありがたいことです。カルチャー欄ではダメとのことですが、政治家・企業人を含め、国を動かす人がカルチャー欄を読むような社会であって欲しいと願っています。ありがとうございました。

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