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天然知能

投稿日:2019.02.11 ニックネーム:花置人

毎日新聞(2月10日朝刊)で「天然知能」(郡司ペギオ幸夫著)の書評を拝読しました。
養老孟司氏は著者のことを「天才であることは間違いないのだけれども、何の天才なのかが一向にわからない。」と評していますが、正にその通りで、「天然知能」という発想は天才的かもしれないが一向にわかりません。
たまたま最近辻邦夫の「西行花伝」を再読していて感じるところがありました。
流麗な文で知られる作者としては珍しく、この書では「森羅万象」という言葉がかなりの頻度で使われています。
たとえば怜悧・冷酷と言われる源頼朝について作者は西行に次のように語らせています。(十九の帖 P481)
頼朝(鎌倉殿)が鴫の飛び立つ姿を見てはらはらと涙を落したという幻影を見たときの西行の言葉です。
「たとえ鎌倉殿が平家を打ち倒し、後白河法皇から統治権(ちから)をうばってゆくあいだに忘れはてていたとしても、心が生命であるかぎりは、必ず戻ってくる場所がある。それが真(まこと)の理法(ことわり)であり、この森羅万象(いきとしいけるもの)のもつ愛(かな)しさ、あわれなのだ。鎌倉殿が鴫(しぎ)の飛び立つのを見て涙を落したとき、鎌倉殿もこの真(まこと)の理法(ことわり)に戻っていたのである。」
辻邦夫が語るところの「森羅万象のもつ愛しさ、あわれ」を感じることができるのは天然知能だけと理解するといかがでしょうか。
自然科学的思考至上主義に多少の疑念を感じている私も「天然知能」についてもう少し考えをめぐらしてみたいと思っております。

お返事

投稿日:2019.02.12 名前:中村桂子館長

「天然知能」は私にとっては「生きもの感覚」です。通常なら「自然知能」と考えたくなりますが、そこを「天然」とするとゆるさが出てよいなと思っています。自然知能=自然科学的思考とすることにはちょっと抵抗がありますけれど、「ゆるさ」を評価しています。

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