1. カイメンから多細胞動物のもつ起源的なしくみの手がかりを学ぶ
図1:幼若なカワカイメン
中心にある芽球の中から遊走した幹細胞によって、小さな個体が形成される。
図2:進化的に古い動物を中心とした系統樹
「こんな面白い動物がいるのだけれど、研究してみないか」と言われて実体顕微鏡で見た幼若なカワカイメンは、黄色い球を中心に半透明な体が広がり、キラキラ光る骨片と、繊細な煙突のような突起をもつ美しい生きものだった
(図1)。その美しさに魅かれ、またこれなら細胞レベルで個体形成を解析できそうだと思い現在の研究をスタートした。カイメン(海綿)は、カワカイメンを含むほとんどの種が属する「ふつうカイメン」、石灰を骨格に用いる「石灰カイメン」、体の一部の細胞がつながって多核の大きな細胞となっている「ガラスカイメン」の3つに分けられる。カワカイメンのように淡水に棲む種も多い。カイメンは現存する多細胞動物の中で進化的に最も古い動物門とされており
(図2)、進化発生学的に非常に重要な生きものである。ただカイメンが他の多細胞動物と枝分かれしてから約6億年以上もの時間が経っているので、現在のカイメンは起源的な多細胞動物と同一ではない。とはいえ、起源的な多細胞動物が持っていた特徴やしくみの一部を今も保持している可能性は高い。多細胞生物ならではのさまざまなしくみの起源を、カイメンに探ることができるのである。
まず私たちの実験系を説明しよう。多くのカイメンは有性生殖系に加えて無性生殖系を持っているが、私たちは芽球と呼ばれるクローンのタネから図1のような小さな個体を形成する無性生殖系を使っている。芽球は、環境の悪化などでカイメン本体が死滅した場合に備えて作られ、中には数千個の幹細胞が休止または休眠した状態で入っている。カワカイメンの芽球はハッチ
(註1)率が高いため古くから発生の研究に用いられてきた。観察を中心とする古典的な研究から、「ふつうカイメン」が幹細胞や襟細胞、骨片形成細胞など10種類以上の細胞
(図3)を持っていることが知られていたが、細胞の形態だけで全細胞種を識別するのは不可能である。考えてみて欲しい。同じ細胞種であっても、体内を移動している時と、ある位置に留まっている時では形が違うだろうし、異なる細胞種であっても似た形態をもつことだってあるはずだ。そこで私たちは遺伝子発現の解析により細胞種の識別を可能にすることから始めた。
図3:カワカイメンの個体の断面図
カワカイメンの体内空間には骨片を作る骨片形成細胞や免疫細胞などがあり、体内を移動するアーキオサイト(幹細胞)が、これら必要な細胞に分化する。水管の側面には袋状の襟細胞室が並ぶ。襟細胞室は、1本の鞭毛と筒状の微絨毛(襟)をもつ襟細胞からなる消化器官で、鞭毛で水管に水流を生じさせて栄養物を取り込む。
註1:ハッチ
卵などが孵化すること。この場合は個体形成が始まること。
2. アーキオサイトと襟細胞からなるカワカイメンの幹細胞システム
カワカイメンの芽球から個体ができる場合、殻の中の幹細胞から全種類の細胞が分化し、かつその間、幹細胞は枯渇しないよう自己複製も行っているので、幹細胞の調節機構の解析にはうってつけである。しかしこれまでの観察中心の研究では、幹細胞そのものも、幹細胞の分化過程も捉えきれていなかった。そこで私たちは、細胞一つ一つの遺伝子発現が検出できる高解像度のin situ hybridization法(註2)を確立し、細胞種ごとに特異的に発現する遺伝子を同定し、それを目印として襟細胞、骨片形成細胞を含む6種類以上の分化細胞を遺伝子発現で識別できるようにするなど、研究に必要な手法やツールを一つ一つ積み上げきた。分化途中の幹細胞は、幹細胞と分化細胞それぞれの目印となる遺伝子を、どちらも発現している細胞として捉えられる。
ここで着目したのはPiwi遺伝子という、さまざまな動物の生殖幹細胞や幹細胞で発現し、幹細胞の性質の維持に重要なはたらきをしている遺伝子で、カイメンにもPiwi遺伝子があることをまず明らかにした。そしてPiwi遺伝子を発現している細胞が自己複製能力を持ち、かつ直接複数の細胞種に分化するという幹細胞の性質を持っていることを証明した。この細胞はアーキオサイトと呼ばれ、形態観察からカイメンの幹細胞とされているものであった。こうしてカイメンの幹細胞を初めて分子生物学的に捉えると同時に、Piwiタンパク質によって幹細胞の性質を維持するしくみが、6億年前にカイメンが他の多細胞動物から枝分かれする以前に確立していたことを示唆することができた。
図4:ふつうカイメンの幹細胞システムのモデル
アーキオサイトと襟細胞という2種類の細胞による幹細胞システム。多くの種ではアーキオサイトから卵、襟細胞から精子が生み出される。
さらに興味深いことが見つかった。通常、アーキオサイトが分化する過程で
Piwi遺伝子は発現しなくなるのだが、襟細胞へ分化したときだけは
Piwi遺伝子が発現し続け、成熟した襟細胞でも発現が続いていたのだ。実はカイメンには生殖幹細胞がなく、有性生殖の際にはアーキオサイトと襟細胞が減数分裂して配偶子を生み出すことが知られている。つまり、襟細胞は少なくとも有性生殖時期は全能性を持っていることになる。さらに他のカイメン研究で、アーキオサイトが多数必要になる特別な状況(芽球の形成時や体の再生時)では、襟細胞が脱上皮化してアーキオサイトになるということも観察されている。これらの知見と私たちの研究を考え合わせると、襟細胞は特定の機能を担う分化細胞でありながら、常に幹細胞の性質を維持している特別の細胞だと考えられる。そこで私たちは、「ふつうカイメン」の幹細胞システムは、常に幹細胞としてはたらいているアーキオサイトと、通常は食細胞として機能していながら、時には幹細胞に変化できる幹細胞の控えのような役割も果たす襟細胞からなる、というモデルを提唱している
(図4)。
註2:in situ hybridization法
組織や細胞において特定のDNAやmRNAの分布や量を検出する方法。
3. 襟細胞から起源的な幹細胞のヒントを得られる?
図5:カイメンの襟細胞室と立襟鞭毛虫
襟細胞室(上:電顕写真)を構成する襟細胞は鞭毛と襟をもち、この特徴が立襟鞭毛虫(下:光顕写真)と共通している。
カイメンの襟細胞は、単細胞動物である立襟鞭毛虫に形態が似ている
(図5)。立襟鞭毛虫には集合体を形成する種もあり、現存する単細胞動物の中で最も多細胞動物に近い。起源的な多細胞動物は立襟鞭毛虫に似た同じ細胞の集合体で、そこからさまざまな細胞が役割分担して個体をつくる多細胞動物が進化したと考えられている。ここから私たちは幹細胞の進化のシナリオを図6のように考えてみた。立襟鞭毛虫のような細胞の集合体である起源的な多細胞動物
(図6:ステップ1)の細胞の中で、自己複製(分裂)能力が一部の細胞に限られるようになった時、自己複製できる細胞を「幹細胞」、できない細胞を「非幹細胞」と呼ぶことができる
(図6:ステップ2)。動物の体が複雑になり、自己複製の可能な細胞が複数の細胞種を生み出せるようになれば、それは「多能性幹細胞」と呼べるだろう
(図6:ステップ3)。動物の体がより大きくなって体の内部にも細胞をもつようになると、上皮に存在する幹細胞がすべての細胞に分化して体を作ることが難しくなるに違いない。そこで体内を移動できる幹細胞が発達したのではないか
(図6:ステップ4)。このシナリオの上にたてば、上皮に存在する起源的な幹細胞をカイメンの襟細胞と、体内を移動できる後から進化した幹細胞をアーキオサイトと結びつけて考えられるのではないだろうか。私たちはすでに、蛍光ビーズをカワカイメンの襟細胞に取り込ませて細胞ソーター
(註3)にかけ、襟細胞のみを単離する方法を開発している。将来、襟細胞とアーキオサイトで発現遺伝子の網羅的な解析を行い、立襟鞭毛虫のゲノムと比較することで幹細胞の起源と進化を考察したいと計画中である。
図6:初期の多細胞動物と、それを支える幹細胞がたどったと思われる進化のステップ
©2009, Oxford University Press
註3:細胞ソーター
蛍光標識した特定の細胞だけを取り出す装置。