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TALK

生きものが暮らす空間が生まれる

伊東豊雄建築家
中村桂子JT生命誌研究館館長

 

1.巣としての建築

中村

生命誌は年間のテーマを動詞で決めています。最初が「愛づる」で、「語る」「観る」「関わる」と考えて、今年が「生る」、つまり「生まれる」です。「生る」はまさに生きものの基本であり、あらゆる生きものに共通する性質です。ところが現代を象徴する都市は「生る」というより「つくる」。都市にあふれているのはつくられた四角い箱ばかりです。その中で伊東さんがおつくりになる建物には、生きものを思わせる独特の雰囲気があります。人間の生きものとしての部分と、建築を支えてきた人工的な部分との折り合いを付けようとしている気がして。そこに“動詞的なもの”を感じたものですから、ぜひお話をしてみたかったのです。

名詞で「生命」と言い、「尊重」と続けても、具体的に何をするのかわからず、思考は停止したまま言葉だけが一人歩きしてしまいます。でも、動詞で「生きている」時に何をしているかを考えれば、動物ならものを食べたり呼吸をしたり、植物なら光合成をしたりと特徴が見えてきます。一つひとつの「生きている」状態を見ていけば、新しい問いも生まれてきます。良い答えが出るかどうかは別として、動詞で考えるととにかく頭が回り始めます。

伊東

「動詞で考える」というのは、僕がいつも建築で考えていることと重なりますね。日常のひとつひとつの振る舞いに注目して、そこを動詞で考えていったら面白いはずですし、動詞で考えないと建築の新しい面白さは出てこないと思うのです。

僕が学生だった頃は、建築は機能だと教えられました。そこで、住宅ならベッドルーム、リビング、ダイニング等、個々の機能に対応した空間の組み合わせという作業に終始することになったのですが、それではつまらない。「寝る」という動詞を持ち込めば、いろいろな寝方があるし、「食べる」と言えば、さまざまな食事の方法が思い浮かぶ。そこであらゆる空間が生まれる可能性が広がります。そもそも人間の振る舞いは単純ではなくて、寝ながら食べたりしますものね。

中村

蜂も鳥も巣をつくりますが、いかにもそこにすっぽり入っている。人間も自分の住むところを作るわけですが、現代の高層建築は、生きものが暮らす場所としての建物であり街であるかと考えると・・・。

伊東

建築を生きものの巣と考えれば、そこには機能性だけでなく、居心地のよさという感覚的な要素も現れてくる。けれど建築の歴史はそれを否定して、人間は巣ではなく建築をつくった、これこそが文明の証しなのだと延々と誇示してきたんですよ。この考え方が建築をひたすら悪くしてきたように思います。

中村

蜂の巣の内部は人工の造作よりもきれいだし、機能的でもありますよね。蜂はずっと同じことをやっているという意味で、進歩はないかもしれないけれど、巣には本来美しさと機能性がありますね。巣を作る営みを建築の対極に置いてしまうと、失うものもあるのでは。

伊東

進歩という観念から、巣より優れたものをつくろうと考えてしまうのが人間ですね。例えば100m、200m、300mの高さにだって住めると考え、次々と世界中に高層ビルを建て、世界中の都市を均質化してしまった。しかしそこには蜂の巣にある快適さや美しさ、それに自然との関係もありません。

中村

現代人は進歩という言葉に追い立てられて、日々焦っているけれど、どこへ行こうとしているのかが見えていませんね。

伊東

近代建築の技術の発達は、これまでにない高さや透明さを実現しましたが、21世紀に人々はそれが最終の目的ではなかったことに気づくのではないでしょうか。我々はようやく巣のように複雑な建築を作れる段階に達したところです。

中村

技術的にですか?

伊東

はい。非常に単純な話で、建築はほとんど直角で構成されていますが、自然界の中には直角のものなんてありませんよね。

中村

そうなんです。そこが面白い。

伊東

建築を直角ではないネットワーク状のストラクチュアで構成したり、三次元の曲面を取り入れるには複雑な構造解析が必要ですが、今までその技術がなかった。ギリシャ時代以来、純粋な幾何学は美しいとされてきましたが、実は、人間は単純な幾何学しか作れなかったとも言えるわけです。ところが近年コンピュータが高度に発達し、複雑な曲面による形状も容易に解析できるようになってきた。100年前のガウディ※註1は有機的な形態の建築をつくるために10年もの時間を費やして実験を繰り返しましたが、今ならコンピュータを使って一週間で同じ形をシミュレーションできます。

中村

そうでした、ガウディは生きものを意識して曲面を使ってますね。でもいくらなんでも時間がかかりすぎて特別の存在。コンピュータという最新の道具があって初めて自然の構造が読み解けるようになったのですね。

伊東

もう1つ重要なのは、運動している物体のように不安定な状態の構造が解析できるようになったことです。これまで静止した安定状態の構造の解析ばかりしていて、運動体のルールから構造を考えることは不可能でした。動きを規定するアルゴリズムを用いて建築の構成を考えていくのはとても面白い。例えば円でなくらせんのように動的な構造を設計すると、どこまでも空間が連続して、生きもののように建築が成長していくことも可能です。そうした構造は非常に不安定ですが、不安定だからこそ、変化していけます。最近ようやくそのような生命体に近づいた新しい建築を考えられるようになりましたが、自然界に比べたら、まだまだ人間のつくってるものはお粗末です。

中村

まさに動詞で考えるということですね。

(註1) ガウディ【Antoni Gaudí i Cornet】

(1852-1926)
スペイン、カタルニアの建築家。モデルニズムの旗手。独自の考えに基づく幻想的で有機的な形態の建築を残す。代表作〈サグラダ・ファミリア聖堂〉は現在も建設が続く。



2.植物のかたち動物のかたち

中村

建築家の目でご覧になって、自然の中に何気なく見られる形で、「これはすごいな」と思うものは具体的に何ですか?

伊東

単純でもすごいのは、一本の樹木が枝分かれしていく構造です。二股に分かれるルールの繰り返しだけで、あれだけ複雑な構造ができ上がる。建築でも、自然界のように、一つのルールを基に周囲との関係で相対的に形を作り上げていけたら面白いなと思います。

中村

そう言えば、樹木のような建築をおつくりになっていますね。

伊東

〈TOD'S表参道ビル〉※註2は、木々が折り重なるパターンから生まれるネットワークを想定して設計しました(写真1)。表層の木々は表参道のケヤキのイメージであると同時に、建物を支える構造体でもあります。斜めの線で構成されているので、直角の柱や梁よりも力の流れは良くて、構造体にかかる負荷も軽い。樹木の形を建築に応用したくても、これまでそのような複雑な構造を解析するには膨大な時間がかかってしまいました。設計の申請をする際も、ここが柱で、ここが梁で、ここが筋交いで、というように全体を慣習的な建築の要素に置き換えてないと許可がおりなかったのです。でも最近は〈TOD'S表参道ビル〉のような複雑な形状でも、建物全体から力の流れがシミュレーションできるようになり、必要な箇所に少し修正を施すだけで樹木というデザイン性を変えることなく建築物として成立するようになりました。

中村

本物の木と同じように力が流れている建物を建てられるのですか。

伊東

それに近いことができるようになりつつありますね。アルゴリズムのルールを使えば、直角の制約をうけずに、植物のようにもっと自由な力の流れを表現できるようになりつつある。その可能性に今とても興味があります。

中村

面白い。建築がより自由な形に変化する可能性を持ち始めたんですね。今季のテーマは「かたちが生まれる」なのですが、最近形づくりへの遺伝子の関わり方が植物と動物で違うような気がして、そこを考えたくなっているのです。DNAにおいて、生きものは皆38億年前に生まれた、たった一つの生命を受け継ぐ仲間。現代生物学はすべての生物はDNAを含む細胞でできており、しかもDNAのはたらき方はどの生物でも基本的には同じということを示したわけですが、形づくりに関しては植物と動物の違いがはっきりしてきたように思うのです。

伊東

なるほど。そのお考えに至るにはどんな過程を経たのですか。

中村

DNAはすべての生きものに共通ですから、その仕組みを踏まえて取り扱えば、ヒトの遺伝子をバクテリアではたらかせることもできます。組換えDNA技術です。この方法を利用してネズミに成長ホルモンの遺伝子を入れると二倍くらいの大きさにはなりますが、象の大きさはおろか、ネコほどにもなりません。ところが植物は、先ほどおっしゃった二つに枝分かれする単純な形づくりの原理だけで小さな盆栽も生まれるし、三千年の時間をかけて屋久杉のような巨木に成長することもできる。基本的にはDNAがはたらいて形がつくられていくわけですが、大きさの限界がどこで決まるかが、植物と動物とでは本質的に違うように思えるのです。
伊東さんが注目している形が樹木だとおっしゃるのが興味深かったのは、大きさの自由度が建築と結びつくような気がしたものですから。

伊東

動物の場合は個体を維持するためにあまり大きさを変えないように、何らかの作用が働いているのでしょうか。

中村

背の高い人も低い人もいるけれど、ある範囲内におさまっていますね。動物の場合、大きさも含めてのプログラムがあるように思います。植物は、いつも先端に生長点があってのびていく。樹木のような建築は、1mでも100mでもあり得るわけです。動物は、より複雑な形があり得るけれど、大きさの変化に制限があります。

伊東

同じ理屈で、理論的には1kmの超高層ビルが建設できるわけですが、それは構造的に成立するだけであって、人間にとって快適な建築であるかどうかの視点が必要ですね。

中村

重要ですね。形や大きさについて考えた時、建築は植物的な存在としてある可能性を持っているけれど、私たち動物が住む巣の延長としての建築を作るとして何を目指すかということですね。

伊東

自然を構成するシステムに近づいて設計しようとした時、一番難しいのは層を積み重ねていくことです。例えば樹木のパターンは、せいぜい数階建ての低層の建物なら応用できますが、何十階という高層の建物を建てるには、やはり直角のルールを適用しなければならない。それで、僕は高層建築にはあまり興味がないです。

中村

なるほど。伊東さんの建築に対するお考えは、とても生きもの的ですね。しかも植物と動物の両方に目を向けていらっしゃる。その結果、節度ある大きさの中でダイナミックな形作りをするという方法が見えてきたのが面白いですね。

(註2) 〈TOD'S表参道ビル〉

2004年11月竣工。東京・表参道に面して建つ商業ビル。300mm厚のコンクリートと象嵌のようにはめ込んだ窓枠のないガラスで構成され、内部に柱はない。
( Nacasa & Partners Inc. )



3.地面の近くで生きる

伊東

20世紀、人間はより高い所に集合して住もうとしてきました。その背景には急激な人口増加があります。

中村

人類は66億人に達し、その半数が都市人口だということですね。

伊東

一極集中した都市の過密化に対する暫定的な解決策として、近代建築は垂直方向に高さを求めざるを得なかった。人間も生きものらしく暮らしたいのなら、やはり地面に近く、緑があるほうがいいと思うのですが、他の動物と違って透明なガラスの壁に覆われた、高い所に住みたがるのが人間の不思議なところで、よく言えば好奇心がある(笑)。

中村

20世紀は摩天楼に憧れましたが、21世紀は環境問題を見据えて、もう1回、ヒトという生きものとしての人間の暮らし方を考えないといけませんね。緑に囲まれた地面の近くで暮らすという原点を意識しながら新しい方向を模索する時だと思うのです。

伊東

ところが、多くの人は逆の考え方で、小さな面積に高層ビルを建てれば、残りの土地に緑が増やせるだろうという目論みが幅を利かせている。実際は建築が高層化すればするほど資本の論理が働くから都市の密度が上がるだけで、緑は増えないんですけれどね。

中村

先般、岩手県の遠野へ行って、広々とした田園の中に屋敷林に囲まれたお宅が点々とあって、その景観はとても美しい。これを原点にすると、計画的に80~100万人位の都市を各県につくって、その周囲に小さな都市、更に小さな農村をつくれば、文化施設も充実し、緑に囲まれた広々とした空間もあるという暮らしができるはずです。先ほど建築設計でコンピュータが重要な役割を果たすとおっしゃいましたが、コンピュータがつなぐ広域のネットワークが、都市と地方を結ぶ手段として、これからの暮らしを支える可能性を持っているわけですから。地方へ広がる都市計画は、そろそろ実現できるのではないかと、素人なりに思うのです。

日本列島を眺めたら、東京に集まらないで日本中に広がれば、地面に近くて、緑があって、広い場所で生活ができる。けれど、今の都市計画を担っている方は、なぜかまだ都市への集中化を狙ってらっしゃいますね。どうして転換が起きないのか。建物を建てる立場からのお考えとして、どうすれば分散型の社会を築くことが出来るのか、その具体的な目標を持つことは可能だと思いますか。

伊東

東京の高層ビルをすべて低層の建物にすることは可能です。

中村

それで今の東京の面積におさまるのですか?

伊東

ええ。実は東京ではなくシンガポールをモデルにそのようなプロジェクトを考えたことがあるのです。それは、これから建てる予定の超高層ビルを数本、縦方向に作らず、横に倒せば、超高層を建てた場合より多くの緑が生み出せるプランです。

中村

そうなったら素敵ですね。でもなかなかそういう方向へ行きませんね。

伊東

都市計画としては考えられるのですが、経済の問題がその先を阻んでいます。人間は高いところに住みたい欲求があり、高い建物ほど売れるという売買の論理がありますから。

中村

私は地面に足がついている方が好きですけれど。

伊東

地上100mの所なんて災害が起きることを考えれば僕は怖くて住みたくありません。

中村

現実は高層ビルの上の方に大勢の子どもたちが住んでいると思うと、怖いですね。東京に大きな災害が起こらないことを願っていますが。

一方で、この頃は地下深く葉率建築も増えましたね。私は東京の国分寺崖線という、水脈のある土地に暮らしているのですが、最近あちこちにマンションが建ち始め、庭の湧き水が怪しくなっています。地図で見ると東京の緑のベルトの一つなのですが、水の流れが絶えてしまったら、このベルトも切れてしまう。生きものは水がないと生きられないのに、建築があまり地下へ地下へと進むと、水の問題が不安です。

伊東

水脈が断ち切られてしまうかもしれませんね。

中村

まさに地に足のついた暮らしが、自然の一部としての人間の生き方だと思うのです。高層化がだめなら、地下に入ればいい、というのは根本的な解決になっていません。

伊東

エコロジーやサステナビリティーを掲げながら、外部の環境と断絶した人工的な空間を作り、その中で個人が消費するエネルギーを減らそうとしているのは矛盾ですね。

中村

建築のご専門の方が地面を基本にした都市を構想してくださるとありがたい。伊東さんの建築には共通して、「自然と一体」という主張が見えます。建築という具体はつくった人が何を考えているかが自ずと見えてくるのが面白いですね。

4.内と外をつなげる

伊東

僕が今、環境問題に対してできることは非常に限られていますが、やはり大勢の人が集う場に自然と一体化した建築をつくれたら、それが一番面白いと思ってます。どうしても必要な時のために、空調設備のある部屋を少しだけ用意して、残りは空調のない自然のままの空間にしておきたい。

中村

私は家にいても風を入れたくてすぐに窓を開けるのです。空調機は一応つけてありますが、ほとんど使ったことがありません。だから電車に乗っていても窓を開けたいとよく思うのですが、この頃の電車は窓を閉め切って空調を効かせていて。

伊東

本来、選択の幅を出すべきですね。車両ごとに冷房を選ぶ人、窓を開けることを選ぶ人、それぞれいるのですから。個人住宅であれば依頼主が望む住み方を実現できますが、公共建築は万人向けで熱環境の効率の良さが優先されるので、かつての木造住宅のように自然と調和した建築を作ることは難しい。

中村

法的な制約があるのですか。

伊東

法律はありませんが、空調のない建物をつくろうものなら、市民の方々から、何故不快で性能の悪い建物を作るのだと非難されます。なかなか解決の難しい問題ですが、建築は、環境と一体的なものなのだという思想を、もっと考えなくてはいけませんね。

中村

生物は多様性を基本にします。人間も生きものとして生きるとしたら、選択の幅を持ち、多様に生きる方が本当の豊かさだと思うのですが。最近おつくりになった〈ぐりんぐりん〉※註3は、奇をてらわずに、とても自然で面白いものだなと思いました。その場に自ずと生まれてきたような印象を受けたのですが。

伊東

「純粋な幾何学的建築が一番美しい」という、コルビュジエ※註4の価値観を遵守したのが20世紀の建築です。けれど、僕は純粋幾何学で作る建築が本当に美しいものか疑問に思った。らせんの運動で構造を作ったら、もっと美しくてもっと面白い建築ができるのではないかと考えたのです。〈ぐりんぐりん〉は、らせんの構造です。そのために無理な力がかかるところもあって、実は建築仲間にはあまり美しくないと言われています(笑)。でも、単に屋根の上に緑地があるというだけでなく、全体として自然の形態に近づいた気がします。

中村

とてもユニークな形ですけれど、使い勝手はどうなのでしょう。

伊東

〈ぐりんぐりん〉は内部もほとんど温室なので、性能上の問題はありません。本当は内と外を分けたくなかったのですが、亜熱帯の人工空間を作るためにはどうしても内外の境界が必要です。また、屋内と屋外がゆるやかに反転した構造にして、誰でも屋根の上に登れるようにしたのですが、今度は安全管理の理由から美しくない手すりを設置せざるを得ず、本当に自然に近い丘を作るのはなかなか難しい。今、また別の方向から自然に近い建築、例えば洞窟のような建築を幾つかつくろうとしているのです。この4月に開館した〈多摩美術大学新図書館〉※註5がそのひとつです。

中村

あ、キレイ。すべてアーチでできていますね。

伊東

実は最初、全てを地下に埋めようと考えていました。アリの巣のように地下に向かって洞窟を掘り、屋上を緑の庭園にした、平屋建ての図書館を作ろうとしたのです。結果的に建築が地上に浮上し、その構造を決めていく過程で建築としての形を合理的に整えていくと、連続するアーチが浮かび上がってきた。最初から意図した形ではありませんが、現れたのはローマ時代から続く建築の古典的な形態だったのです。

中村

初めのイメージでは、ポコッとおわん型の空間ですね。洞窟をひっくり返したらアーチが生まれた。面白いです。アーチは真四角の現代建築の前に使われていた形ですよね。

伊東

人間は昔、洞窟に住んでいたわけでしょう。外に出て住み処をつくろうと思った時、洞窟の内部を真似てドームをつくり、それを支えるアーチを開発した。洞窟には内側の空間しかないけれど、建築には外側がある。洞窟から内部と外部を含んだ構造をどう成立させていくかが建築の原点なのです。

中村

洞窟を地上へ出して、なおかつ人が暮らすに足りる強度を持った形を作る技術が必要ですね。

伊東

この場合、一旦アーチと決めてからは、重苦しくない軽い現代的なアーチをいかに作れるか、非常に難しい問題をエンジニアに要求しました。解決策として1枚の鉄板を中に入れることで、十分な強度を保つ非常に薄いコンクリートのアーチができたのです。鉄板の両側にコンクリートを打てば、中に鉄が入っていることは誰もわかりません。地下に免震構造を組み入れてさらに鉄筋量を減らすことができ、より軽快な形が実現できました。建築は、現場の職人さんの力に支えられているところが本当に大きいです。

中村

なるほど。現代の技術を活かして洞窟からアーチへの歴史をもう1回実現されたのですね。このアーチ、本当にキレイですね。

伊東

ありがとうございます。アーチの大きさは大小さまざまですが、すべて曲線の組合せでつくられて、それは建物の外観や内観を構成すると同時に、建物にかかる力を受け止める構造体です。書架や机も柱の間を通り抜けるように曲線でデザインしてもらいました(写真1)。

(写真1)

〈多摩美術大学新図書館〉開架・閲覧エリア
提供:石黒写真研究所

 

中村

構造としての強さと有機的な美しさが一体になってシンプルな形になっているのですね。角を曲がるのも直角より曲線を描いた方が曲がりやすそうですし、曲面というものは生きものにあっているのかしら。気持ちも落ち着きますね。

伊東

柔らかくて、エレガントな雰囲気になりますね。

中村

今まで作れなかった形が、新しい技術を駆使してようやくできるようになったら「何だ、洞窟じゃないか」って気付くのが面白いですね。

(註3) 〈ぐりんぐりん〉

正式名称は「アイランドシティ中央公園中核施設〈ぐりんぐりん〉」。2005年4月竣工。温室を主な機能とする福岡の公園中核施設。ねじれた形状の自由曲面からなるRCシェル構造。屋上は緑化され、散策が出来る。

(註4) ル・コルビュジエ【Le Corbusier】

(1887-1965)
フランスの建築家、画家。ピューリズムを提唱し、柱梁構造による単純な箱を基本とする建築を展開する。「住宅は住むための機械である」という言葉は近代建築の合言葉となった。

(註5) 〈多摩美術大学新図書館〉

多摩美術大学八王子キャンパスに2007年2月竣工。連続する51本のアーチが歪んだグリッドを形成し、半円形に縁取られた空間が生まれる。
提供:石黒写真研究所



5.生成する格子

伊東

実はちょうど今、洞窟のようなオペラハウスを台湾の台中市で作っていて、これは中を覗くと至るところが曲面だらけ(図1)。

(図1) 〈台中メトロポリタンオペラハウス〉完成予想図

中村

ひやあー。これがオペラハウスですか。とっても素敵な舞台。

伊東

この建物は、基本的には全てエマージング・グリッド(生成する格子)というモデルでできています(図2)。まず、2枚の格子状に分割された平面を考え、それぞれ市松状に円を描きます。円が交互になるように上下の平面をずらし、膜で結ぶと立体的な曲面が生まれる。段を重ね、円を増やせば、縦にも横にも連続する空間がくり返し広がっていくのです。曲面壁の間に部分的に水平な床を入れると、目的に応じて800席の中劇場や2000席の大劇場が生まれますし、建物を囲む公園も含めて設計すれば、エマージング・グリッド内に遊歩道や緑地、川の流れをのせて、環境と一体になった建築がつくれます。

(図2) エマージング・グリッドの生成過程

台中メトロポリタンハウス・コンペティション応募案
『伊東豊雄 建築|新しいリアル』より改変

中村

曲面の壁が、まるで細胞の二重膜のようですね。細胞は膜を通して内と外のやり取りができます。建築は、残念ながらコンクリートと鉄でできているから、内と外のやり取りは特定の場所に窓や扉をつくらなければならず、全体でのやりとりではなくなりますね。

伊東

「内と外」は建築の最大の問題です。そもそも何故こんな形を考え始めたかと言えば、初めは生きもののような建築をつくりたいと考えていたのです。例えば人間の胃袋は、体内の器官でありながらも、食道で外とつながっていますね。そんな建物があったらととても面白いと考えて、台中のオペラハウスの形に至りました。

中村

確かに、伊東さんのお作りになった建物の中にいると、生きものの体の中にいるような感じがありますね。

伊東

それからこの建築を考えるにあたっては、音楽が演奏される場として広場のイメージがありました。路地の先には広場があって、そこには音楽を楽しむ人々が自由に集って演奏会を行う。別の道を辿れば、また他の広場の演奏会に行くこともできる。街の中で聴くコンサートには雑音や騒音も混じっているけど、それも楽しいと思えるような、開いたコンサートホールをつくりたいと思ったのです。最終的には壁を設けたり床を置いたり、ある程度空間を分断しないと建築として成立しませんが、それでも、最初から建築の内と外は切れたものだと考えるか、本当は内も外も同じものだと考えるかによって、建築の在り方はかなり違うと思います。

中村

日本の伝統的な家屋にも、縁側や土間のように、外のような内のような空間がたくさんありましたね。

伊東

今は人工的な空間と自然がすべて切れてしまっている。昔の木造住宅にあった外と連続した開かれた仕組みを、現代の大規模施設で実現できたらとても面白いことになるはずです。

中村

私は建築にも生きものっぽさを求めていますが、現代人は暮らしの中でその感覚を失っていますでしょう。私たちが生きものの気持ちで建築を使いこなさないと、建築から生きものっぽさがなくなって、建物もそこに暮らす人も生き生きしなくなってしまうと思うのです。でも現代人は開かれた状態を嫌って、機械のように制御できる文明を好むようになっている。確かに生きものは面倒なものですけれど、人間が生きものだということを忘れては本当の意味での“生きる”ことができないように思うのです。

伊東

建築と人間と両方で生きものらしくしていかないと。今の建築の構造体の素材は鉄かコンクリートに限定されますが、それでも使い方を工夫すれば有機的な空間だって作れます。

中村

これまでにお作りになった建物の評判はどうですか。

伊東

ユニークだとは言われますが、いいですよ(笑)。

中村

やはり誰だって曲面のほうが、柔らかさを感じて、気持ちが和らぎますものね。これは高くはならないのですか?

伊東

まだ日本には予算にかかわらず、こういう新しい工夫に挑戦したいと思う職人さんが結構いてくれるお陰で。

中村

それはすばらしい。いいですね。ただ、今「高く」って伺ったのは物理的な高さなんですけれど。

伊東

あ、高さも(笑)、そう高くはなりませんね。エマージング・グリッドから生まれる3次元曲面の空間は直方体よりも自由な設計が可能ですから、高さでなく、どこまでも広がっていけるという特徴を生かしたい。都市の大半を占めている空間は居住か仕事のためのものですから、このモデルを使って、洞窟のような集合住宅を作ってみたいと思っています。人間には、地上からせめて50m位までの高さにいてほしいです。

中村

今、建設中の〈上海ヒルズ〉は400mを越えたそうですね。そういうところで世界一を競争しなくてもいいのにと思いますが。曲面の連続は逆に高さを増さないことによって新しい可能性を広げるわけですね。伊東さんの建物の評判が高くなって、皆で面白がって曲がりくねった建物を競い合って建てるようになれば、値段も低くおさえられるはずですね。

伊東

日本の建築の面白いところは、建物のデザインと構造解析が一体になって、すぐれた建築設計を世界に先駆けて実現しているところです。もちろん、いかに施工を工夫するかも大切です。曲面でコンクリートを打ちたいという前代未聞の提案をすると、型枠を作る専門の大工さんや、配筋を組む配筋職人さんたちが熱心にやってくれる。面白がって自分たちで3次元のコンピュータグラフィックスを描く。そこから現場で配筋、鉄筋を巻き付ける作業まで行ってくれるんです。

実際、スチールメッシュで型枠を作り、配筋を組みながら、内側に空洞を作るためのスタイロフォーム※註6の柱を入れて、コンクリートを流し込む、という現場の工程は、各々の職人さんたちの力にお任せする部分がとても大きいです。

中村

そういう職人さんは若い人ですか?

伊東

ええ。彼らも、これはオレが作ってやる、という意気込みを持っていて、日本ではそうした人がまだたくさんいることに気付きました。

中村

それはすばらしいですね。

伊東

嬉しいですね。今はそれぞれの職種の人が断片的に各々の仕事の段階で、CGを描いていますが、それが全部連続すると、もう設計と施工の区別がつかなくなって、ひとつの大きなプロジェクトにつながるかもしれない。

中村

日本にはそうした潜在的な可能性があるのですね。もの作りは昔からお得意でしたし、伝統が今、現場で活かされている。

伊東

ただ、そこには制度的な問題はあって、設計と施工は分かれなくてはならないことです。

中村

え、そんなことがあるんですか?

伊東

特定の業者に有利な入札になってはいけない、特に公共建築は談合禁止、と。技術の問題でなく、日本では行政の制度が面白いことを阻んでますね。

中村

海外に活躍の場を求めて出ていかれる理由の一つはそんなところにもあるんですか。談合というと悪いイメージがありますが、新しいことをやろうと思ったら、技術の人と話し合うことは不可欠ですものね。それが上手くできない規則は残念ですね。

伊東

1年半位前の、台中市のオペラハウスではコンペティションの時、提示された予算内ではできないと言ったのに、それでも選んでくれて、既に1.5倍に予算の増額を認めてくれた。その気持ちに応えるためにも早く作り上げたい。現在、9割方は実現できる見通しが立ってきました。今、一番苦労しているけれど、一番充実している仕事なんです。

(註6) スタイロフォーム

押出法ポリスチレンフォーム。無数の気泡でできた発泡帯。断熱材、保温材として用いられる。



6.一周遅れの先頭

中村

伊東さんは大学を卒業されて、最初に菊竹清訓※註7さんの事務所にお入りになっていますね。70年代に菊竹さんがメタボリズム※註8を論じられたり、その後沖縄の海洋博に取り組んでらっしゃった頃、生物学について色々と質問をいただいたり、建物や都市について教えていただいたりと、お話をする機会が多かったのですが、菊竹さんの事務所を選ばれたのは、何かお感じになることがあったのでしょうか。

伊東

実はメタボリズムの思想に惹かれて入所したのですが、菊竹さんは極端に言うと思想なんてどうでもいいといった感じで、直感的に建築をつくられていた。設計の仕方が天才的というか、動物が獲物を狙うようなところがあって、僕はそこに非常に惹かれました。

中村

言葉でおっしゃるのは難しいかもしれないけど、具体的にどのようなところですか。

伊東

非常にダイレクトで、身体全体で考えてる。視覚で捉えて意識で考えるより、本能的にこれはいいか悪いかの判断を下しながら、設計を考える人でした。打ち合わせをしていると、突然とんでもないアイディアを出すけど、それが非常に的を射ていて。数学者で20代で最先端のアイディアを出す人がいますが、それに近い。あんなに早熟な建築家はいなかったと思います。

中村

数学者は机の上で仕事をしていればいいけれど、建築家は現場でものを作らなければいけませんから、それでは少し生きにくいですよね。

伊東

周りは大変でしたよ。「またゼロから変えちゃうんですか」って。締め切り直前で計画が覆るようなことは日常的でした。でも、それで僕は建築は面白いと思うようになりました。

中村

具体的なものに限らず、ずいぶん影響をお受けになりました?

伊東

ええ。ものの考え方として、「ああ、これが建築なんだ」って。事務所の中で一緒に仕事をしていると外から見たのとは違うところが見えてくる。

中村

そんな方だったのですね(笑)。私もそういう天才的な部分を受け止めればよかった。菊竹さんの感じが、伊東さんの今のお仕事とどこかつながっている気がして、ご関係をお聞きしてみたかったのです。菊竹さんがお作りになった建物で、そうした個性が色濃く出ている作品といえばどれかしら。

伊東

僕が大学生の頃につくられた出雲大社の〈庁の舎(ちょうのや)〉は稲掛けをモチーフにした初期の傑作です。それから米子の〈ホテル東光園〉。どちらも60年代半ば、事務所が大変だった時代に作られた作品で、一番印象深いですね。70年代になると建築も大分穏やかになるのですが、初期の作品には、いろいろ問題が起こりました。

中村

有名な建築家がおつくりになった物って、よく雨が漏ったという話がありますね(笑)。

伊東

施工技術もかつてとは格段に進歩しましたから、今はそうした問題は滅多に起こりません。

中村

他の方に学ばれる時代を経て、ご自身のものをどんどん生み出していらっしゃる今は楽しいでしょう。曲面の建築を生み出すエマージング・グリッドというモデルは、シンプルなルールを展開させて、さまざまなものを生むところが面白いですね。今年のテーマが「生る」ですが、まさにエマージングは「創成する」、生まれるということです。建築という人工の極と思っていたところに、エマージングという言葉が登場したことがわくわくします。自由さがあり、住む人が独自性を生かして使える集合住宅がつくれたら素敵ですね。

伊東

誰もが使えるルールを作りたいし、そういうことをしなければいけないですね。高くて透明で誰も真似できないような建築を作って「どうだ、すごいだろう」と自慢しても建築の価値は下がるだけ。20世紀を象徴する建築が直角の立体格子だとすれば、これからはすべてが曲面でできた格子状の面を自由に展開させながら、新しい形、住まい、暮らし方を生み出していくことが重要なのではないかと思うのです。

中村

「20世紀は四角い所に住んでいたんだよな」って言われたりして。

伊東

そういう時代がきたら面白いですね。

中村

テキストが入ります。テキストが入ります。テキストが入ります。テキストが入ります。テキストが入ります。先ほど多摩美術大学の図書館のお話で出た洞窟には、「巣」の感じがありますね。巣は曲線ですから。

伊東

動物の巣と同じ、曲線の繰り返しから出て直角の空間に住むことによって、人間が失ったものはとても多いはずですね。もう1回、その意味を考えなくてはいけない。

中村

複雑な曲面が作れるようになった今、自然との関わりも新しい眼で見られますね。

東北に向かう新幹線に乗ると、高層ビルだらけの都市風景が、広々とした田園景色に変わっていきます。昔の風景がそのまま残されているのではなく、今生きている人たちの暮らしと風土がぴったり合っている風景なんです。これを眺めていると、20世紀から21世紀に向かって走っているような気がするんです。山形や岩手の方にそう申し上げると、「一周遅れの一番ですよね」とおっしゃいます。一周遅れと私が言ったら失礼にあたりますが、御本人がおっしゃっているので、本質がわかっているなあと思いました。21世紀の先取りは地方にあると思うのです。

伊東

この間、藤森照信※註9さんと話をしていて、現代人がモダニズムの建築から脱出する時は、一度未来志向に行ってからプリミティブに戻る行き方と、初めからプリミティブなところへ戻っていく行き方があるという話題が出たんです。彼は後者。

中村

藤森さんは縄文そのものを具体化しようとしていらっしゃいますね。

伊東

まさにそう。でもお互いどこかできっと出会うことがあるだろう、と話していたんです。そうなれば面白い。

中村

未来を目指して進んで行ったら、コンピュータの中で洞窟を作れる可能性に気付いて、もう一度洞窟の感覚を持つ現代の建築を作ろうとされている方法は一般性がありますね。

伊東

それで、人間の生命力を取り戻せるかもしれないと思うのです。

(註7) 菊竹清訓【きくたけきよのり】

1928年生まれ。建築家。1953年に菊竹清訓建築設計事務所開設。1975年の沖縄海洋博では海上都市〈アクアポリス〉の空間プロデューサーをつとめる。主な建築に〈東京都江戸東京博物館〉〈九州国立博物館〉など。

(註8) メタボリズム

1960年代に展開された国内初の建築・都市デザイン運動。菊竹清訓、黒川紀章らによって結成される。建築や都市を循環・代謝する有機体とみなし、生長や変化に対応する都市空間や建築プロジェクトが次々に提案された。
 

(註9) 藤森照信【ふじもりてるのぶ】

1946年長野県生まれ。東京大学生産技術研究所教授。建築探偵団、路上観察学会など多彩に活躍。主な建築作品に〈タンポポ・ハウス〉、〈高過庵〉、著書に『人類と建築の歴史』ほか。生命誌トーク47号「自然と歴史を観る喜び」参照。



7.21世紀は自然の内側で暮らす

中村

歴史を振り返ると20世紀には今までと全く違うことが二つありました。一つは宇宙から地球を見たこと、もう一つは、メディアの拡大によって地球上のすべての人の暮らしが情報としてはわかるようになったこと。日本で暮らしていて、アジアやアフリカで生活を営む人の情報が、インターネットの中に流れています。外のことを何も知らずに自分の生まれた村の中だけで生きていた頃と、同じ生き方はできません。熱帯雨林の出来事を人ごとと捉えてしまったら、環境問題に取り組むことはできません。ここからは我田引水ですが、私たちが暮らす地球は、38億年の長い時間をかけて、生きものたちが作ってきた地球なのですから、生きものを基本に考えないと、地球の限られた空間の中で上手に生きることはできないだろうと思うのです。これまでお話してきたことは昔に戻れという意味ではないのですよね。

伊東

今、僕らが置かれている状況を地球全体の中で考えれば、自ずとやるべき事は見えてきますね。

中村

街づくりも暮らし方も、全体を見ながら挑戦できる時代が21世紀のはずです。しかし聞こえてくる情報は、四角い建物をどんどん高く建てるとか、気に入らない相手がいたら戦争をして爆弾を落とすとか、まだまだ20世紀型ですね。人類は戦争のない時代がなかったくらい戦争を繰り返してきましたが、今は地球のどこかに爆弾を落とせば自分の暮らす所にも悪い影響が起こるのはわかっているのだから、もう止めるべきだと思うのです。地球上のすべてはつながっているのですから。私はよく、もう戦争などしている暇がないのが今なのだと言うのですけれど。

伊東

本当にそうです。

中村

伊東さんの建築は、そういう時代の建築のイメージを具体的に与えてくれます。建築は人工物ですが、それぞれの土地に自ずと生まれてきたような風景が必要でしょう。生命誌の「生る」はそれを求めているのですが、そのイメージと重なります。

伊東

ありがとうございます。中村さんが常々言っておられる、人間は自然の部分である、というお考えは、建築にとってもまったく同じです。建築も自然の部分だと考えると、途端に建築は変わるはずです。

中村

自然の一部として、でもつくられる方の個性や思いを生かして、建物をつくることはできるはず。周囲と違うものをつくるのは、実は新しいことではありませんね。

伊東

人間が自然の内側にいると思うことが大切で、外側に立っていると思うとすべてが違ってしまいます。

中村

境界線の向こうに自然があって、その資源を使って何かするのではなく、自然の中で何かが起こったらそれは自分に関わることと捉え、どうすればうまくやっていけるかを考える感覚を皆が持たなくては。

伊東

建築を考える時、まさしくそのことだけ考えればいいと思っています。本当に自分がその自然の中にいて、その一部であることを実感できるかどうかです。

中村

まさに自然の一部のような〈ぐりんぐりん〉をおつくりになったのに、柵を作れと言う方は自然と人間を別のものと見る姿勢から離れられないのかもしれませんね。ところで、伊東さんの建築は、他の建築家の方からどう思われていらっしゃるのでしょう。

伊東

何か変なことやってると思われています(笑)。日本よりもアジアやヨーロッパの国で理解されることが多いですね。台中のオペラハウスを日本で建てようとしたら、とんでもないと言われてしまうでしょう。

中村

以前、ASEAN諸国でのODA成果を見る仕事で、タイの小学校を訪れた時、ODAが作ったガラス張りの体育館は出入り口が閉ざされて空調が入っているのですがそれがまるで動かない。これは大変だと思いながら、校舎を見学に行ったら、廊下が外に向かって全部開いていて、窓もまったくありません。そこでは子供が楽しそうに遊んでいて、ああ、これがこの風土に合った建物なのだとわかりました。室内と屋外がつながっている。そういう感覚は、アジアの人同士の中で私たちが共通して持っているものなのだと思いました。

伊東

建築をやっていると、この頃は水没していく島の上にだけ僕らがやることが残されていて、どんどん水位が上がってきている気がします。ヨーロッパには公共の仕事が成り立つ土壌がありましたが、アメリカナイズされていくに従い経済が優先されて、公共の意識が失われて行くのではないか危惧しています。

中村

でも、経済だって皆が楽しく暮らせるためにあるものですよね。この頃は声高に皆さん経済とおっしゃいますが、それで楽しくなっているようには思えませんし、日本ももう少し以前の方が楽しかった気がします。「生きる」を基本にして、そこから考えていきたいと思っているのですけれど、なかなか・・・

伊東

本当は皆、気が付いているのじゃないかな。

中村

幸せということを考えたい。私は、多摩美術大学の洞窟のような図書館でゆったり本を読めたら幸せだろうなと思うのです。

伊東

大学の先生もそう仰ってくださいます。ただ建物が竣工すると、初めて良かったと気付いてくださいますね(笑)。

中村

台中のオペラハウスも完成が楽しみですね。図面を見ているだけなので、この曲面をどう歩いたらいいのかなあ、などと考えてしまいますけれど。

伊東

床面を決めるのは、水面をどこに設定するかを考えるのと同じです。水かさを少し増やすと水平部分が多くなり、少し下げると曲面が多くなります。どの辺りでおさめるか、そこを考えるだけでも面白くて。

中村

試行錯誤されて、一番落ち着くところをお探しになるんですね。

伊東

まずは地形を作って、そこをならしていくような作業です。巣を作るのと同じように自然のなかに少し手を加えた場所をつくる作業をくり返しているのです。

中村

巣づくり。とても生きもの風ですね。でき上がったら行ってみたいな。

伊東

是非見にいらして下さい。

 

写真:大西成明

 

対談を終えて

伊東豊雄

中村さんとは8年前、小渕首相のもとで発足した「21世紀日本の構想」懇談会で初めてお会いした。当時から中村さんの持論である「人間は自然の部分である」という思想に、いたく共感していた。その後一昨年、昨年の2回にわたってメキシコシティ、金沢で開催された日墨文化サミットで再びお会いする機会を得て、益々共感は深まった。

従って今回の対談はその確認という意味合いが強かった。中村さんは自然の中の生命を持つものを対象として研究をされ、私は建築という人工的なものを扱っているが、人間と自然とのあるべき関係という点で想いはひとつである。それは人間を含む生命あるものが、すべて自然と共生する姿を理想とした東洋的な思考と言ってよいだろう。建築も都市も自然の部分だと考えない限り、いくらエコロジーとかサステイナビリティと言っても事態は少しも変わらない。庭の植物を育てる楽しみを語る中村さんの表情に、その思想の真髄を見た気がした。

伊東豊雄(いとう とよお)

1941年ソウル生まれ。東京大学工学部建築学科卒業。1971年にアトリエ開設。近年は独自のアルゴリズムを用いた有機的な建築を展開する。主な建築作品に〈せんだいメディアテーク〉〈サーペンタイン・ギャラリー〉、著書に『風の変様体』などがある。


 

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