今回の音楽放談はスペシャルです。わが生命誌研究館ホールで1995年10月10日に私が行なったミュージックトークを再現することにいたしましょう。音楽はCDによりましたが、京都市交響楽団出身のミキサーが、素晴らしい音に仕上げてくれました。皆さんも会場にいるつもりで、私の話と音楽に耳を傾けてください。さて、昆虫は地球の王者です。現在地球上に生きている生物の種類のうち、半分以上は昆虫なのですから。「昆虫」と「音楽」なんて、およそ縁のないもののように思われているでしょう。なにしろモーツァルトもベートーベンも、昆虫なんて、彼ら天才の創作とはなんの関係もなかったのですから。しかし、よく調べると、音楽の中の昆虫たちは多種済々なのです。その多くは20世紀の作曲家による「むずかしい」といわれる近代音楽に属するものです。といっても、じつに楽しいものです。当日のプログラムにそって、話を進めましょう。このうちのいくつかは、これまでの音楽放談ですでに登場しています。多少の重なりは、どうぞご容赦ください。
1. ワルツ「てんとう虫」
ヨハン・シュトラウスJr.(1825~99、オーストリア)
ワルツ王ヨハン・シュトラウスJr.の大天才にかかると、どんな題材でも喜ばしい音楽に化けます。題材のテントウムシは、7個の黒点をもったナナホシテントウです。おめでたい虫です。「ラッキー・セブン」という言葉は、この虫に由来しているのです。
2. ピアノ曲「花の中の蝶、胡蝶と極楽鳥」
ボフスラフ・マルチヌー(1890~1959、チェコ・アメリカ亡命)
生きている蝶でなく、標本の美しさから創作欲をかきたてられて作曲されたものです。素晴らしく繰り返される転調は、モルフォ蝶の翅の輝きようです(『生命誌』7号)。
3. オーボエとピアノのための「二つの昆虫の小品:バッタ、すずめばち」
ベンジャミン・ブリテン(1913~76、イギリス)
数多くの雄大な曲をつくっていた大作曲家ブリテンの、若かりし時代のお楽しみというべき描写風の小品です。
4. 「交響曲第7番」より
第2楽章:蝶のフォックス・トロットとタンゴ
第3楽章:ふんを盗まれたくそ虫の悲しみ
カレビ・アホ(1949~、フィンランド)
その作曲年代からして、私たちの時代の交響曲といえるでしょう。とても興味ある表題は、ファーブルの昆虫記からとられたと察する方も多いでしょうが、じつはチェコの作家チャペック兄弟による戯曲「昆虫の生活」に由来しています。
5. バレエ・パントマイム「くもの宴会」より
蝶々の踊り、かげろうの登場、かげろうの踊り、かげろうの葬儀
アルベール・ルーセル(1869~1937、フランス)
作曲家の中には、昆虫たちを格別に愛好した人がいないでもありません。次のバルトークもその一人なのですが、ルーセルはとりわけてのめりこんでいたようです。いつも庭で虫やくもの生きざまを観察していました。その愛は、この有名な名曲となって結実しました(『生命誌』10号)。
6. 「蝿の日記から」ミクロコスモス第142曲
「蝿の日記から」—ティボール・シェルム編曲による管弦楽版
ベラ・バルトーク(1881~1945、ハンガリー・アメリ力亡命)
ピアノの練習曲(それも初心者のための)として作曲されたものですが、まことにハエの音楽であります。「ハエは手を擦る……」の状況を活気ある音楽にしています。原曲のピアノ独奏と、管弦楽に編曲されたものとを聴き比べてみましょう。
7. 歌曲「せみ」—詩/ジェラール―
エマヌエル・シャブリエ(1841~94、フランス)
生命誌研究館の発足に先立って行なわれたお披露目の会(1992年11月、東京・青山スパイラルホール)において、声楽家・野々下由香里さんが小坂圭太氏のピアノとともに素晴らしい演奏を行ない、当研究館の門出をことほいでくれた曲です。せみは主に熱帯、亜熱帯にすむ昆虫ですが、ここでは南フランスの「せみ」をとおして夏を讃えています。
8. ワルツ「ほたる」
ヨハン・シュトラウスJr.
ホタルは中部ヨーロッパでは、真夏のヨハネ祭りを象徴し、「ヨハネの甲虫」と呼ばれるおめでたい昆虫です。シュトラウスの数多いワルツの中でも、これは本当に素晴らしい。広くは知られていませんが(『生命誌』4号)。
さて皆さん、音楽が聴こえてきましたか。当日は、100人近いお客さんがきてくれました。ありがたいことですな。次回の音楽放談は、ラヴェルとマダガスカル島の話です。どうぞ、お楽しみに。
登場した虫
Ephemeroptera 力ゲロウ類(かげろう)
Orthoptera 直翅目(ばった)
Hemiptera 同翅目(せみ)
Lepidoptera 鱗翅目(蝶)
Diptera 双翅目(はえ)
Coleoptera 鞘翅目(てんとう虫、くそ虫、ほたる)
Hymenoptera 膜翅目(すずめばち)
なじみの深い昆虫としては、ゴキブリ類、カマキリ類、シロアリ類などがありますが、これらの音楽は見つかりません。トンボ類、ノミ類の音楽はありますが、今回はプログラムに加えてありません。
[参考]
1【マルコ・ポー口8.223225】
ヨハネス・ヴィルドナー指揮
チェッコ・スロバク・ステート・フィルハーモニック管弦楽団(コシツェ)
2【スプラフォンCOCO-7063】
ピアノ独奏:エミール・ライヒネル
3【フィリップスPHCP-5273】
オーボエ:ハインツ・ホリガー
ピアノ:アンドラーシュ・シフ
4【オンディーヌODE765-2】
マックス・ポマー指揮
ライプツィッヒ・ラジオ交響管弦楽団
5【EMIクラシクスCDC 7-54840-2】
アルベール・ルーセル指揮
6【マスターワークス・ボートレートMPK 47676】
ピアノ独奏:ベラ・バルトーク
【マーキュリー432017-2】
アンタル・ドラティ指揮
フィルハーモニア・フンガリカ管弦楽団
7【カルオペVDC-1245】
バリトン独唱:ブルーノ・ラプラント
ピアノ伴奏:ジャニーヌ・ラシャンス
8【マルコ・ポー口8.223221】
ヨハネス・ヴィルドナー指揮
チェッコ・スロバク・ステート・フィルハーモニック管弦楽団(コシツェ)
目次
1. オペラの中の蝶 | 1993年2号 |
2. 北欧の人の心と鳥たち | 1993年3号 |
3. シュトラウスの昆虫 | 1994年4号 |
4. ハイドンの『天地創造』に生命誌を聴く | 1994年6号 |
5. マルチヌーの『胡蝶と極楽鳥』 | 1995年7号 |
6. シベリウス『樹の組曲』 | 1995年9号 |
7. かげろうの哀れ—ルーセルの『クモの宴』 | 1995年10号 |
番外編 音楽のなかの昆虫たち | 1996年11号 |
8. ラヴェル『マダガスカル島民の歌』 | 1996年12号 |
9. 琥珀のしじまの音 | 1996年13号 |
10. ダーウィンの時代精神 ヴォーン・ウィリアムス『海の交響曲』 | 1996年14号 |
拡大版 音楽の架け橋で科学へ | 1997年15号 |
11. ハイドンのシンフォ二一 | 1997年16号 |
12. 鴎の死に生命自然の霊を聴く—ラウタヴァーラの「至福の島」 | 1997年17号 |
13. 女性作曲家の作品を聴く | 1998年18号 |
番外編 音楽に聴く生命誌 | 1998年19号 |
14. 発掘された音楽—ブラウンフェルスのオペラ『鳥たち』 | 1998年20号 |
15. 科学者と音楽家の幸福なデュオ マルチヌー『五つの連作マドリガル』 | 1998年21号 |
16. 春の寿歌—ブリテンの『春の交響曲』 | 1999年23号 |