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12. 鴎の死に生命自然の霊を聴く―ラウタヴァーラの「至福の島」岡田節人の「音楽放談」

現代フィンランドの作曲家、ラウタヴァーラの、「極北への順歌」と題した「鳥たち(テープ録音による)とオーケストラの協奏曲」の紹介を、『生命誌』に記したのは1993年の秋であった。その後の短い年月に、この曲は広く聴かれるようになった。そして、この作曲家のその後の作品の評価はうなぎ上りに高く、今や、現代ヨーロッパのもっとも注目される作曲家となった。加えて私的にいうと、その間に私は彼と親交をもつこととなり、ますます彼の天才的魅力のとりことなっている。そして、この「極北への頒歌」は来る10月5日の京都での京都市交響楽団(井上道義指揮・フルメンバー出演)の演奏によるJT生命誌研究館・京都市音楽芸術振興財団の共催によるコンサートのプログラムに入れてある。残念ながら日本初演ではないが、関西初演とはなる。

20世紀も終わりが近づいた時代になると、ついこの間までもてはやされていた、いわゆる前衛音楽への関心は薄れ、技法的な新奇さよりも、心と魂にふれる音楽への回帰が求められるようになってきた。ラウタヴァーラは、ペルト(エストニア)、ターヴナー(イギリス)と並ぶ、こうした傾向の代表的作曲家である。彼らの音楽では、広い意味での宗教性、あるいは霊的といえる美感において共通している。しかし、その中でもラウタヴァーラがより普遍的に傑出しているのは、彼が「宗教性」を教会の儀礼でなく、生命ある大自然へ求めていることだ。

この傾向の第一作「極北への頒歌」に続いて95年の作品、短い(約10分)管弦楽のための「至福の島*」において、再び大自然の中の鳥たちへの作曲家の愛情は既成の宗教観を超えた、霊的にして至福にみちた音楽として結実した。バルト海の孤島で夏を過ごしていた作曲者は、前夜(北欧の夜は暮れない)に海辺を行きつ戻りつしていた巨大な鴎が、翌朝死体となって岩礁に横たわっているのを見た。漁師の語る言い伝えによると、齢を重ねた鴎は、死期の近づいたのを感じると、仲間と離れて一羽で海辺をさまよい、ここが墓場となるのだ、という。作曲家はここに生物の死(霊)と大自然のかかわりという音楽の創造への素晴らしいモチーフを発見したのだ。

ラウタヴァーラが生命自然について私たちに訴えるとき、それらは自然の写実の音楽を超えて「心」の音楽となる。彼の大規模な最近作のなかで、第七交響曲は大きな脚光を浴びている大傑作である。来る10月の演奏会で、この前衛を超えたー従っていわゆる難解な音楽ではまったくないーまさに「今日の」作曲家の代表作の一つ「極北の頒歌」を一人でも多くの方々に楽しんでいただきたいと希望しています。

*日本では「喜びの島」という直訳ですでにPRされている。英訳名はlsle of BIiss。Blissを喜びと訳したのでは、曲の肝心の雰囲気は完全に失われる。

[参考]
「至福の島」ほか。
セーゲルスタム指揮、ヘルシンキフィル(Ondine/ODE881)。

このほか、次のCDがある。
「第七交響曲(光の天使)」ほか。
セーゲルスタム指揮、ヘルシンキフィル
(Ondine/ODE869、日本ではキング・インターナショナルKKCC-4215、このライナー・ノーツは吉松隆と岡田節人館長)。

「ラウタヴァーラの個展」。「極北への頒歌」が入っている。
セーゲルスタム指揮、フィンランド放送ほか
(フィンランディアWPCS 5766-7)。