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5. マルチヌーの『胡蝶と極楽鳥』岡田節人の「音楽放談」

ある高名な作曲家は、私も列席した座談会で、「20世紀の音楽の特徴は、悲劇的である」と断じた。彼の念頭にバルトークの生涯と音楽があったことは問違いない。私は、わが愛するマルチヌーの音楽に言及して反発しようとしたが、遠慮した。

マルチヌーは、チェコの寒村に生まれ、バルトークと同時代に生き、同じくアメリカヘ亡命。戦後は西ヨーロッパまで帰るが、共産党の権力の下にあった故郷へは訪れることなく世を去る。このような苛酷な生涯にもかかわらず、つねに陽気で、ボヘミア的律動にあふれた音楽を作曲し続けた。

そのマルチヌーが、未だ故国にあった若い時代に作曲した『胡蝶と極楽鳥』と題したピアノ作品がある。題材だけでなくこの作品の作曲の動機は、博物学的見地からもすこぶるおもしろい。蝶や鳥が、音楽の題材として、 まま、登場するのは不思議でない。しかし、これらは当然のことながら生きた鳥であり、蝶である。

マルチヌーの場合は違う。じつはチェコの画家シュワビソスキーを訪れた際に、彼の異国の蝶や鳥のコレクションに魅せられて、印象を作曲したのであった。つまり、生きたのではない、標本の、しかも想像を超えた美しさにみちた、異国、といっても熱帯地方のそれらへの賛歌なのである。

異国の動物—スターは疑いもなく蝶と鳥だろう―標本の収集というのは、ヨーロッパのお金持ちやインテリたちの趣味として19世紀には定着しており、これが伝統的生物学の不可欠な基盤を成していたことはいうまでもない。マルチヌーは、この趣味が、イギリスやフランスだけでなく、ヨーロッパでは奥深い地方のボヘミアまで及んでいたことを語っている。

音楽は、マルチヌー後年の作品のもつ光彩はない。フランスヘ勉強に行く以前の作品であるのに、すでにドビュッシー的印象派の手法を完全に心得ているのはさすがだ。この作品は三つの部分からなるが、第1曲の「花の中の蝶」がとりわけ美しい。異国的情緒はまったくないが、烈しい転調は蝶の翅の輝きの如くであり、おそらくマルチヌーはモルフォチョウを見たのだろうと推測できる。

ついでにマルチヌーには同時代に『ニッポナリ(日本也)』という、じつに美しい歌曲集のあることを紹介しておく。これは小野小町、大津皇子などの和歌(チェコ語訳)につけられた音楽で、ときには低俗化することもある当時のジャポニズムを超えた、すばらしい名曲だ。

[参考]
『胡蝶と極楽鳥』は『マルチヌー・ピアノ作品集』ミル・ライフネル(ピアノ)、
スプラフォンCOCO-7063-5収録

『ニッポナリ』
スプラフォンCOCO-75032