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4. ハイドンの『天地創造』に生命誌を聴く岡田節人の「音楽放談」

音楽の本質は、抽象性にある。たとえ具象的題材による作品であっても、聴く側は作曲家の選んだ、あるいは心に描いた題材とはまったく別のイメージを求めることができる。すぐれた音楽は、このようにして一層多くの人々の心に訴えるものとなる。今回の私の取り上げるのは、天下周知の名曲、ハイドンの『天地創造』である。この「創世記」にもとづく大オラトリオは、生物進化の壮大な音楽として私には訴えている、という話だ。

『天地創造』は渾沌を描写するすごい序曲で始まる。その不安と焦慮にみちた渾沌の音楽は、18世紀に作曲されたものとしては例がない。私は、ここでの音楽に太古の生物の単調な長い海中での暮らしを聴く。

この渾沌の闇の世界から光が出現する。音楽は壮麗なハーモニーをもって爆発し、18世紀の音楽には並ぶものもない、オーケストラの大音響に包まれる。この音楽をハイドンの友人は「作曲家の燃えさかる目から閃光が放たれたよう」と言った。私は、ここでカンブリア紀の生物多様性の爆発的出現を聴く。音楽は、創世主の御業をたたえつつ、創世記の順に、魚、鳥、獣……の出現をことほぎつつ続く。生物進化による生物の多様性の出現はハイドンによってあますことなく喜ばしい音楽となる。とりわけて緑の植物の出現をことほぐ音楽は魅力いっぱいだ。まるで、植物光合成の出現という生物学的事実をハイドンが祝福しているかのようだ。

ハイドンは敬虔なキリスト教の信者であったという。そのオラトリオ『天地創造』は『聖書』の創世記、およびミルトンの『失楽園』などから再構成された神の御業をたたえる宗教的なテキストを用いて作曲された。生き物たちは、神によって、そして神にことほがれて地球上に姿をみせる。つまり、神による生物多様性の創出の讃歌なのであり、生物進化論とはまったく相入れないスピリットで作曲された。にもかかわらず、音楽はこうした違いを克服する。ここで生物進化の、あるいは生命誌の「音楽」を聴いたところで、ハイドンにも聖書の教えにも不敬でなく、また本質的には、なんら矛盾しているものではないと私は信じている。これが音楽だ。

『天地創造』の演奏には、いろいろなスタイルがある。当世好みの、ごく少数の演奏家の録音もあるが、やはりハイドンがもくろんだのは、大スケールの演奏だろう。そのなかでは古い録音だが、クラウス指揮でウィーンで録音された演奏の美しさは比類がない。

オラトリオ『天地創造』のシナリオ 第1部より

序曲(混沌)

バリトン(天使ラファエル)
初めに神は
天と地を創造された。
地は形なく、むなしく、
闇が淵のおもてにあった。

合唱
神の霊が水のおもてを
覆っていた。
神はいわれた。
「光あれ」、
すると光があった。

テノール(天使ウリエル)
神はその光を見て、
「よし」とされた。
神はその光と闇を
分けられた。

[参考]
クレメンス・クラウス指揮、
ウィーン・フィルハーモニー
PREISER RECORDS PR3056/57