左: ミカンに産卵するナミアゲハ 右: パセリに産卵するキアゲハ
アゲハチョウは食草として産卵するべき場所の選び方を生まれながらにして知っています。
植物を見分けるしくみを分子の言葉で理解し、間違えてはならないはずの本能に起きたどの様な変化が植物に対する好みを変えて、進化につながったのか解明します。
研究内容: アゲハチョウと食草の関わり合い
蝶が食草を正確に見分けるしくみ
アゲハチョウの仲間は、それぞれの幼虫が特定の植物のみを餌として利用します。例えば、ナミアゲハはミカン科の植物、キアゲハはセリ科の植物、というように決まっていて、他の植物は餓死してでも食べません(アゲハチョウ科昆虫とその食草)。このような植物のことを食草または寄主植物と言います。幼虫の移動能力は低く自力で広い環境から食草を探し出すのは難しいため、飛ぶことができるメス成虫が正確に植物を識別して、産卵場所を間違えないことが次世代の生存を左右します。それでは、メス成虫はどのようにして数多くの植物の中から幼虫に適した食草を選択しているのかというと、そのヒミツは前脚の先端にある「ふ節」と呼ばれる部分にあります。前脚のふ節には化学感覚子という毛状の突起物があり、人間の舌の様に植物に含まれる化合物を「味」として認識することができるのです。
(蝶の食草をネットワーク図で一覧できる InsectInDB は、当研究室を中心とする研究グループで開発しています)
食草選択という本能のプログラムと謎
アゲハチョウのメス成虫は、産卵の前に植物の葉の表面を前脚二本で交互に叩く「ドラミング」と呼ばれる行動を示しますが、その時に植物に含まれる不揮発性の化合物を感じ取っているのです。つまり、花の蜜を飲む自らは食べる事のない葉の「味見」を前脚で行って、幼虫が食べられる植物であるか確認しているのです。例えば濾紙やブラスチック製の人工葉にアゲハチョウの産卵を促す物質(産卵刺激物質)を塗ってメス成虫に触れさせると、それを幼虫の食草であると勘違いをして卵を産んでしまいます(図1)(実験方法はこちら)。アゲハチョウの成虫は短命で、食草の選び方について練習しながら徐々に上達する時間はないので、どんな味の植物を選ぶべきかは生まれながらにして知っています。このような生得的な行動は「本能」と呼ばれています。
食草を選択する「味見」は、子孫を残すために決して間違えてはならない行動であるため本能としてゲノム上にプログラムされていて、祖先から子孫へ正確に受け継がれていますが、その本能の仕組みが柔軟に変化したことによって食草を変更し、やがて種分化(生物学的な意味での進化)が起きたというパラドックス(矛盾した謎)があります。
アゲハチョウが見せる不思議を分子の言葉で理解する
化学感覚子の中ではおそらく、化合物を認識する受容体と、受容体へ化合物を運搬する結合タンパクを中心とする、「産卵刺激物質受容システム」が働いていると考えられます。このシステムに関与する遺伝子群とその機能を解明することで、やがてアゲハチョウの進化につながる食草の変更を起こした、ゲノム上の最初の一歩となった変化は何だったのかを解明したいと考えています。
ダーウィンとファーブルの時代から続く100年越しの“不思議”に、現代の技術で挑戦する研究です。
図1. 産卵刺激物質を染み込ませた濾紙に卵を産むナミアゲハのメス成虫
研究対象のアゲハチョウ
ナミアゲハ ←クリックで詳細
主な食草: ミカン科 ←クリックで関連ネットワーク
ミカンの葉に含まれる10種類の化合物が、産卵刺激物質として報告されている。10種類の化合物を植物と同様の比率で混合すると生の葉と同様に産卵するが、産卵刺激物質のうち一つだけ触らせても卵を産まない。ブレンド状態が重要なことから、単純に化合物の刺激があれば産卵するのではなく、「味」として感じて幼虫の食草なのかどうか「判断」していると考えられる。それでは、「判断」とはどの様な神経活動なのだろう?研究対象としての興味が尽きない。
生命誌研究館周辺で簡単に採集できるので、研究材料として便利であり、当研究室の主力の研究材料。
人工模造葉に産卵するナミアゲハ
ミヤマカラスアゲハ
主な食草: ミカン科、特にキハダを好む。
キハダに含まれる化合物が、産卵刺激物質の一つとして報告されているが、全容は未解明。
寒冷な場所を好む種なので北国に多い。大阪府内でも主に山中で採集できるが、激レア。
川辺で給水するミヤマカラスアゲハ
クロアゲハ
主な食草: ミカン科
ミカンの葉に含まれる6種類の化合物が、産卵刺激物質として報告されている。
生命誌研究館周辺でも採集できるが、近年では少なくなっていて採集が難しい。
ミカンの実に産卵するクロアゲハ
シロオビアゲハ
主な食草: ミカン科
ミカンの葉に含まれる5種類の化合物が、産卵刺激物質として報告されている。
南国の蝶なので、必要があれば沖縄で採集する。気軽には入手できないが、ナミアゲハとの比較に重要。
実験室で産卵するシロオビアゲハ
ギフチョウ
主な食草: ウマノスズクサ科
アゲハチョウ科の中では祖先的な種であると考えられており、種分化の初期段階を考えるために重要な研究材料だが、採集が禁止されている場所も多く入手は比較的難しい。
クズの花で吸蜜するギフチョウ
ジャコウアゲハ
主な食草: ウマノスズクサ科
ウマノスズクサに含まれるアリストロキア酸とセコイトールが、産卵刺激物質として報告されている。
ギフチョウと同様に祖先的な種であると考えられており、進化を考える上で重要な研究材料。高槻市内では、河川敷でよく見る。
実験室で産卵するジャコウアゲハ
研究室の特徴
分子生物学・昆虫学・生態学・神経生理学・行動学・生命情報科学といった多岐にわたる分野の研究手法を駆使して、「本能」と呼んでなんとなく解った気になっている行動のメカニズムを理解し、複数の生物が関わり合う生命現象の理解に挑戦しています。
これまでに明らかにした事(代表的な研究業績)
1. アゲハチョウの産卵行動に関わる味覚受容体遺伝子の発見と機能の解明
アゲハチョウのメス成虫は、産卵する際に前脚で植物の表面を叩く「ドラミング」と呼ばれる行動をします。前脚の先端部「ふ節」には、植物に含まれる化合物を感じることができる「化学感覚子」が多数あります。化学感覚子では、不揮発性の化合物を感じることが知られています。つまり、メス成虫は(自身は花の蜜を飲むので)植物は食べないにもかかわらず、次世代の幼虫たちのために「味見」をして植物を選んでいるのです。
化学感覚子で働いている味覚受容体(化合物のセンサー)の遺伝子を発見し、培養細胞中で強制的に働かせることによってアゲハチョウの産卵行動を誘導している植物化合物の一つ「シネフリン」を特異的に認識していることを明らかにしました。RNAiという実験方法でこの遺伝子の働きを抑制すると、化合物溶液に対する産卵頻度が低下しました。味覚受容体の機能と役割を、アゲハチョウの行動の変化で観察できたのです。
ダーウィンとファーブルが手紙を交わして議論した「チョウが正確に植物を見分ける」という不思議な現象の仕組みを、100年経った今の研究技術を駆使することで、世界で初めて遺伝子・細胞・神経活動・行動という生物に関わる全てのレベルで解明しました。
Katsuhisa Ozaki, Masasuke Ryuda, Ayumi Yamada, Ai Utoguchi, Hiroshi Ishimoto, Delphine Calas, Frédéric Marion-Poll, Teiichi Tanimura & Hiroshi Yoshikawa (2011)
A gustatory receptor involved in host plant recognition for oviposition of a swallowtail butterfly
Nature Communications doi: 10.1038/ncomms1548
http://www.nature.com/ncomms/journal/v2/n11/full/ncomms1548.html
2. アゲハチョウが食草であると「判断」する時の神経活動
植物の味を感じている前脚ふ節の化学感覚子には、味覚神経が四種類ずつ軸索を伸ばしていると考えられています。それぞれの味覚神経は決まった化合物に応答し、決まった電圧のシグナルを発生します。例えば、ナミアゲハの産卵行動を誘導する化合物(産卵刺激物質)のうち、スタキドリンは高電圧細胞、カイロイノシトールは中電圧細胞と言ったように、刺激に対して応答する神経細胞が決まっています。
そして、高電圧・中電圧・低電圧の三種類の細胞が、同時に活動した場合に産卵行動が誘導されることを明らかにしました。ナミアゲハの場合、産卵刺激物質として十種類の化合物が報告されていますが、それぞれ単独の化合物では産卵行動を誘導することができません。十種類全てを混ぜれば生の葉と同じように産卵しますが、三種類の神経細胞を刺激できる最小限の組み合わせの混合溶液でも産卵することを確認しました。
化合物の「刺激」を植物の「味」という情報に変換して、幼虫の食草かどうか「判断」する仕組みの一部が解ったのです。
Masasuke Ryuda, Delphine Calas-List, Ayumi Yamada, Frédéric Marion-Poll,Hiroshi Yoshikawa, Teiichi Tanimura, and Katsuhisa Ozaki (2013)
Gustatory sensing mechanism coding for multiple oviposition stimulants in the swallowtail butterfly, Papilio xuthus
Journal of Neuroscience 33 (3) 914-924
http://www.jneurosci.org/content/33/3/914.abstract
3. 蝶の食草選択による種分化は、昆虫と植物の共進化ではなかった
かつてアゲハチョウは、植物が防御方法を変化すると追いかけるかのように適応していった、植物と昆虫の共進化のモデルであると考えられていました。
図鑑などに掲載されいる蝶と植物の関係をデータベース化し、関連性を解明するためのネットワーク解析を行った結果、昆虫たちにとっては植物の系統的な類似性よりも、含有する化合物の類似性の方が重要であることが明らかになりました。また、植物の分類群が大きく異なる種類に食草転換する際には、チョウにとって毒性が低い植物を中間的に利用している可能性が示されました。
先人たちが残した大量のデータを用いて解析することで、新しい進化の姿を発見することができました。
この研究の過程で開発したデータベース InsectInDB は、無料で公開していますのでどなたでも自由に利用できます。
Ai Muto-Fujita, Kazuhiro Takemoto, Shigehiko Kanaya, Takeru Nakazato, Toshiaki Tokimatsu, Natsushi Matsumoto, Mayo Kono, Yuko Chubachi, Katsuhisa Ozaki* & Masaaki Kotera* (2017)
Data integration aids understanding of butterfly–host plant networks
Scientific RepoRts | 7:43368 | DOI: 10.1038/srep43368
公開資料
昆虫-植物ネットワーク解析データベース
植物を食べる昆虫と、幼虫の餌になる植物(食草)が、どのような関係でつながっているのか簡単な操作でネットワーク図として解析できます。我々が現在も解析に使用している、本物の研究用ツールを公開しています。庭で見かけたチョウがどんな植物に卵を産むのか、道端で見かけた植物にはどんな昆虫が来るのか、そして生き物同士がどの様につながっているのか調べられます。蝶の食草を一覧ファイルとしてダウンロードすることもできます。昆虫-植物の関連性データベース InsectInDB
昆虫-植物の関連性データベースで解析研究に挑戦 ←使い方を詳しく解説
再現性の高い産卵行動実験
行動実験というのは、昆虫のコンディションの影響が大きいので、結果にばらつきがつきものです。当研究室では、アゲハチョウの産卵行動を高い再現性で行えるように本能の仕組みを利用したプロトコールの工夫しています。母蝶を騙して卵を産ませる実験の舞台裏
トランスクリプトーム解析プロトコール
Macを使って、RNA-seq のデータを解析するための、当ラボで使っているプロトコールを解説付きで公開しています。NGS(次世代型シークエンサー)を使った実験は身近になったものの、大量に産出されるデータをどう扱ったら良いのか悩む人も多いと思います。このマニュアルを使って学んでいただくと、解析環境の構築から、シークエンスデータのQC、de novo アセンブリー、遺伝子アノテーション、発現量比較まで、一連の解析を全てできるようになります。MacでRNA-seqデータ解析
レクチャー&体験「チョウの飼い方を体験しよう」(19.03.06)資料の公開
母蝶が正確に植物の種類を見分けて子孫を残す仕組みと、卵から成虫までの飼育方法の紹介する催しを行いました。催しで使用した資料をPDFファイルとしてダウンロードできるようにしましたので、ぜひご活用ください。幼虫の育て方はもちろん、成虫の育て方や交尾のさせ方も紹介しています。
人工飼料飼育のプロトコール
当研究室で使っているアゲハチョウの幼虫を人工飼料で飼育するためのレシピです。
【ご注意事項】
必ずお読み下さい
業務中は実験等の“中断が難しい作業”を日常的に行っておりますので、
「アゲハ人工飼料飼育プロトコール」やお手元の昆虫の飼育に関する、
電話でのお問い合わせはご遠慮下さい。
最新の論文一覧はこちら
Su, Z.-H., Sasaki, A., Minami, H., Ozaki, K. (2024)
Arthropod phylotranscriptomics with a special focus on the basal phylogeny of the Myriapoda.
Genome Biology and Evolution, evae189.
Ai Muto-Fujita, Kazuhiro Takemoto, Shigehiko Kanaya, Takeru Nakazato, Toshiaki Tokimatsu, Natsushi Matsumoto, Mayo Kono, Yuko Chubachi, Katsuhisa Ozaki & Masaaki Kotera (2017)
Data integration aids understanding of butterfly–host plant networks
Scientific RepoRts | 7:43368 | DOI: 10.1038/srep43368
※ 論文はこちらでご覧になれます。
蝶や蛾の仲間の多くは植食性で、食草の変更が多様化や種分化に最も大きな影響したと考えられています。しかし、食草選択がどのように行われているか、基盤となる仕組みなどは十分に理解されているとは言えません。図鑑や論文には、蝶と食草の関係について多くの情報が蓄積されていますが、それらを全て読み込み記憶し、知識として活用するのは困難です。
そこで我々は、日本の蝶について文献情報をデータ化し、蝶と植物の関係と系統関係を組み合わせ、統計学的に解析を行いました。その結果、基本的に蝶は科という分類単位ごとに決まった科の植物に依存していますが、蝶の一部のグループは、分類群の単位を超えて同じ植物を餌として共有していることが明確に示されました。この現象は偶然そうなったのではなく、独立に獲得した適応的な形質であると考えられます。例えば、シロチョウ科の蝶はアブラナ科の植物に強く依存し、シジミチョウ科の蝶はグループごとに様々な植物に依存していますが、これら蝶の一部のグループがマメ科を食草として共有しています。ちなみにマメ科は、チョウにとっては毒性が低い安全な植物とされていて、飼育している際に食草が手に入らない場合の代替食として利用できます。
これに加えて、蝶が依存している寄主植物に特徴的な化合物を統計学的に解析しました。同定された化合物のいくつかは、ある蝶にとっては誘引物質でありながら別の蝶にとっては忌避物質であることが知られているものでした。
さらに、昆虫が作る化合物(におい成分など)を、食草由来の化合物を基質として合成可能か推定するため、公開データベースに登録されているゲノム配列やトランスクリプトーム配列を利用し、酵素反応に関わる遺伝子を予測しました。その結果、いくつかの化合物について、合成経路に関与すると考えられる遺伝子を同定することが出来ました。
我々の成果は、公開されている様々なデータを統合することにより、特定の生物間相互作用に関与すると考えられる化合物をコンピュータによって検出することが可能になり、さらにゲノムやトランスクリプトームのデータを組み合わせることで、食草選択に関与する分子メカニズムの解明を省力化・高速化できることを示しました。
ここから見えてくる、食性転換に関わる分子メカニズムのストーリーを考えてみましょう。蝶が分類群の大きく異なる植物へ食性転換するときには、偶然の突然変異によっていきなり違う植物に適応できてしまうのではなく、一旦はマメ科のような代謝能力的に安全と考えられる植物を避難場所のように利用し、その後に既存の代謝関連遺伝子群で対応可能な植物へと移っていき、食性が変わった後に、食草認識や解毒に関連する遺伝子群が新たな食草に合わせて最適化されるかのように変化していくのではないかと考えられます。
かつてアゲハチョウとその食草は、植物が防御機構を変化させると、それを追いかけるかのようにチョウが適応していく「シーソーゲーム」のような共進化をしていると考えられていましたが、実際には共進化ではなく、含有する化合物が似ている植物をチョウが気まぐれに渡り歩いていたのだと考えられます。つまり、食草転換をきっかけとする種分化は、チョウの都合で起きるのだと推測されます。
チョウの進化と食草転換
ミカン科を食草とするナミアゲハ(下)とセリ科を食草とするキアゲハ(上)。キアゲハはアゲハチョウの仲間では新しく分化したとされており、食性転換がきっかけになったと考えられている。ミカン科からセリ科のように大きく異なる植物へ移る際には、踏み石のように間に安全な植物を挟んでいる可能性が示唆された。
年度別活動報告一覧はこちら
これまでの奨励研究員(ポスドク)
- ■吉澤靖貴
■龍田勝輔(現: 佐賀大学助教)
■中秀司(現: 鳥取大学准教授)
■中山忠宣(現: 中外製薬)
■小野肇(現: 京都大学助教)