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SYMPOSIUM 生命誌から生命科学の明日を拓く

科学する心で
明日を拓く

京都大学
iPS細胞
研究所所長
山中
伸弥

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JT生命誌
研究館
館長
永田
和宏

×

JT生命誌
研究館
名誉館長
中村
桂子

1. わからないと言える科学

中村

山中先生、どうもありがとうございました。お話から高校生たちもいろいろ考えたと思います。永田先生、お聞きになっていかがでしたか? まずお思いになったことをお聞かせください。

永田

山中先生のお話しは、今日も、前半は新型コロナウイルスについてでした。でも実は、私も山中先生も専門はウイルス学ではありません。研究者間には、自分の専門外のことに口出しするなという不文律がありますが、山中先生はそこにとらわれず、社会に向けてこれからの科学者のあり方を示しておられることに強い印象を受けます。

山中

新型コロナウイルスについては、当初、研究者間でも考え方が分かれ、一般の方にも大きな温度差がありました。そんな状況への危機感があって、確かに専門ではないけれど、科学者として論文を読み情報を解析すると簡単に終息する問題でないことはわかりますから、自分の立場から社会に向けてできることを発信していこうと思いました。

中村

今、お二人が科学と社会とおっしゃいました。お二人とも科学者、私もその端くれです。私は、科学者も普通に暮らしている人間だということがとても大切だと思うのです。ですから、山中先生がお父さまを亡くされた時に、あればと思ったお薬ができるまでに25年掛かったというお話は印象的でした。生きものの世界はどれを見ても時間がかかるものです。山中先生のiPS細胞研究も新型コロナのワクチンも社会の期待は大きい。病気を治したい、早くお薬をと待ち望む気持ちはわかります。でも生きもの相手の研究は急げません。科学者である山中先生が、普通の人として、お父さまへの思いに重ねて、生きものって時間が掛かるもの、生きもの研究ってそういうものだと語られたことを、皆が受け止めてくれる。今日のお話はそういうところがとてもよいと思いました。

山中

科学者は人間ですし、科学は万能ではありません。今、私は、国のアドバイザリー・ボードとして意見を述べる機会などもあって、例えば、AIを用いた新型コロナウイルス感染症に関する予測などについて議論しますが、AIもコンピュータ・シミュレーションですからを限界がありパラメーター1つで結果が大きく変わることもあります。科学が示すのは一つの可能性であって、たとえ世界最速のコンピューターを使っても1年後を正確に予見することはできません。台風の進路予想も外れますし、感染症はそれ以上に予測が難しく、そこが科学の限界です。国のコロナ対策についても、科学者が提示できるのはいろいろな可能性です。科学者の意見を考慮していただきながら、今度は政治や行政が専門家として判断をする。その区別があいまいだと怖くて科学者が発言できなくなります。

永田

わからないということを一番よく知っているのが科学の最前線にいる人間だと思います。科学者が示せるのは、ある条件を前提にどのような事態が生じるかという可能性であり、こうすれば絶対に大丈夫ですとは言えません。
今日の山中先生のお話しでよかったのは、ノーベル賞を受賞したiPS細胞研究も、その始まりは本当に高校生の皆さんのような若い諸君が始めたというお話で、今日、聞いてくれた皆さん一人一人に可能性があるということを感じてもらえたのではないでしょうか。

中村

科学者に聞けば答えがわかる。ボタンを押したら答えが出るように思っていらっしゃる方は多いですが、そうではなくて、科学者とは、どこまでわかっていて、どこからわからないかが言える人ですね。一所懸命、研究すればするほどわからないことが増えて、実は、わからないからこそ研究は面白いということを、若い人たちに伝えることができるのが科学者であり、一番いい先生だと思います。

山中

先ほどのマスクの話もよい例です。マスクをすべきか否か、専門家であってもたった数ヶ月で意見が180度変わったわけで、絶対の真実を科学が示すわけではありません。今日、正しいとされることが、明日、変わるかもしれない。間違いは恥ずかしいことでなく、気づいた時に正せばよいのです。

中村

今、わかっていること、同時にわからないことを、正直に伝えていくのが科学者の役割ですね。

永田

高校までは先人が開拓した、わかっていることを学ぶ教育に意味がある。でも大学教育は、ここから先はわからないということを、皆に知ってもらうことが大事です。だから大学生には、既にわかっていることは自分で調べなさいと言います。

2. 世界中が認める科学者ならではの発想

中村

今日ここで、山中先生、永田先生と一緒に考えたいことがあります。私が若い頃、夢に描いた科学の世界に比べ、今の科学の世界が競争社会になり過ぎていないかと心配なのです。科学者は、普段、専門の研究をして論文を書きますが、新型コロナのように、本当にまだわからない事態に直面し、社会も立ち行かず皆が困っている大きなパンデミックの中での科学者の役割があります。一つは、新型コロナウイルスとはこういうものだという事実を伝えることです。次いでそれへの対処です。今回、ワクチンの開発に世界中の科学者が競争でなく協力して取り組む姿を私は期待するのですが、その辺りをお二人はどのようにお考えですか?

山中

科学者間で論文発表を競い合うのは健全で、研究の原動力にもなると思います。ただ医学研究は純粋な科学の競争だけでなく特許や経済活動に結びつき、新型コロナウイルスのワクチンでは各国が政治的切り札にという思惑もあって複雑ですね。

中村

私は、ちょっと考えが甘く、夢を持ちすぎかもしれません。でも科学者には、もっと純粋に科学の立場から力のある発言をして欲しいと願うのです。ビジネスの利益や国家間の競争が社会にとって本当によい結果に結びつくかは疑問です。例えば、ロシアが開発している新型コロナワクチンの命名が「スプートニク5号」というのは、人工衛星の打ち上げでアメリカと競った国家間の対抗意識が、今も50年前と変わっていないことの表れで残念に思います。本当に皆のために、科学の立場からしっかりしたことを言えないかと思うのです。

永田

新型コロナでは中国も早期から情報公開しており、科学者コミュニティーは積極的に情報共有してきました。ところが情報公開を優先しすぎて、別の問題が起きています。研究成果として査読が十分でない、信用のおけない情報までインターネットに溢れてしまっているのです。通常、研究者が論文を発表するには、何人もの研究者による査読を経て、論文に不備がないか、さまざまな視点から確認を求められ、その指摘に対して追加実験をしてと、何度も応えて、ようやく受け入れられるという過程を踏みますが、今回は、査読も経ない論文がたくさん出回っており大きな問題ですね。

中村

私は、お金や権力と無関係に、純粋なかたちでの科学者のありよう考える時、思い出すのは1970年代の組換えDNA技術の登場です。この技術が開発された時、特にウイルスを利用しましたから、これを危険視する意見が多くの研究者から出ました。この時、後のノーベル賞受賞者のポール・バーグが素晴らしい提案をしました。モラトリアムです。一旦、研究をやめてよく考えようと世界中の研究者に呼びかけ真剣に話し合った。アシロマ会議です。危険なものを物理的に封じる発想は誰でも持ちますが、ブレンナーが生物学者らしく、外へ出たら生きられないバクテリアを遺伝子操作に使えば安全だろうと提案した。生物的に封じるという発想は科学者だからこそ、それを世界中が認めた。このガイドラインに沿って生命科学は発展しました。最近はゲノム編集という技術もありますが研究にとって、社会全体にとって望ましい未来は何か?今、この機会に立ち止まって皆で話し合うのが良いと思います。

山中

アシロマ会議は歴史的な出来事で、2012年にゲノム編集技術クリスパー・キャス9が出た時も、これは受精卵のゲノム編集を可能にする技術ですから皆が危機感を抱き、もう一度、アシロマで集まろうということになりました。そこでゲノム編集技術の利用について大まかな共通認識を固めましたが、40年前と比べて今は情報の広がり方があまりにも速すぎるせいか、必ずしもこれが守られない状況もあり、どうすれば皆で守るべきルールを共有できるか、非常に大切なことだと思います。

永田

今、若い人は最先端に関心が向きますが、そうでなく歴史を学ぶことは大事ですね。例えば、日本でこの前のパンデミックは何か? 一世紀前に流行ったスペイン風邪ですが、答えられない方がほとんどです。その時、マスクも普及しました。ただ当時ウイルスは知られていませんから、新型コロナウイルスが出た今の山中先生のお話のような理解に基づく利用ではありませんでした。百年前と今とでマスクの意味も変わるし、生物学、社会がどう変わったか、歴史という文脈の上で今を捉え直すともっと興味が湧くはずです。

中村

生命誌は、個々の生きものが持つ歴史、38億年という時間の積み重ねです。生きものに向き合う時、その生きものが持つ歴史を見なくてはいけません。同時に人間がこれまで生きものをどのように見てきたかと科学の歴史を知ることも大事ですね。

3. サイエンスの喜びは失敗から

山中

歴史から学ぶものは大きいけれど、教科書で勉強する時それを鵜呑みにはしないで欲しい。例えば2000年頃の教科書にヒトの遺伝子の数は10万個と書いてありましたが、今となっては誤りです。最先端の研究にそういうことが多いのです。

中村

一番、書き換えやすい教科書が科学かもしれません。他の教科書は、あまり書き換えられないけど、科学は、明日、変わるかもしれません。

永田

僕もよく例に出しますが、ヒトの体の細胞は全部で幾つ? 10年前は60兆個と教えていました。

中村

私も長い間60兆と言っていました。

永田

ところが37兆個だという論文が2003年に出た。では60兆という数の根拠は何だったのかと問い直しました。先生が60兆個と教えたら、なんで60兆なの?と聞き返してください。いかに「問い」を見つけるかはサイエンスの面白さを物語る大事なところで、実は失敗からしか「問い」は出てきません。山中先生の名言で、野球選手は3割バッターならプロとして活躍できるが科学者は1割でも上出来だと。失敗を恐れないことが大事です。

中村

生きものはプロセスに意味があるし、それには時間が掛かります。今、皆が性急に結果を求めるけれど、科学も大事なのはプロセスですね。実験で失敗した時、結果だけ見るのでなく、もう一回プロセスを辿ると次が見えてくることがよくあります。永田先生がおっしゃったように、みんな失敗したほうがいいよって、私も思う。よいお仕事をなさった方は失敗から学んでいると思います。私は失敗のし過ぎかもしれませんけれど(笑)。

山中

よい失敗を是非して欲しい。実験で大事なのはコントロールがあるかどうか。思い通りの結果でなかった時、そのプロセスを解析できる記録を残すことが大事です。

永田

学生が実験に失敗した時、その失敗を一緒に面白がって考えることが大事です。予想外の結果をなぜかと皆で討議する。サイエンスの喜びはディスカッションに尽きます。若い頃からディスカッションの喜びを身につけて欲しいですね。

中村

私が大学院生の時にご指導いただいた江上不二夫先生は、実験で失敗したら喜びなさいとおっしゃっていました。君が考えていることよりは自然のほうがよっぽど賢いからだよと。私と同じ研究室の卒業生たちは、皆、この言葉を今でも覚えています。先生がそういう言葉を掛けてくださることがとても大切で、いい先生だったと今でも思い出します。

永田

僕は、科学は日常生活の中で生かさないと意味がないと言っています。今日の山中先生のお話でも、新型コロナウイルスの場合は石鹸で手を洗うことが大事だと言われていて、それがなぜ石鹸でよいかは科学の基礎知識があれば腑に落ちる。新型コロナウイルスの場合は細胞膜と同じ脂質膜で覆われており、脂質膜は油脂ですから石鹸で洗えば膜は破れてウイルスは失活するわけです。こういうちょっとしたことを知っているだけで、石鹸で手を洗うという小さなことが生きてきます。

山中

アメリカへ毎月行っていて感じるのは、日本より一般の方の科学への関心が高いですね。例えば、科学の専門誌が空港の売店などでも売られていますし、タクシーの運転手さんと話していても、僕が科学者だとわかると、研究の話で盛り上がることも多いですから。

4. 皆さん、一緒に考えてください

中村

新型コロナも豪雨も大型台風も、自然は予測不能でわからないことだらけです。科学はこれまで三百年程わかるところだけ一所懸命やってきた。私は、科学と日常の重ね描きと言ってきました。日常は予測不能で難しい問題で、そこを科学は避けてきたのです。パンデミックも豪雨も日常的であると同時に複雑な生きものや地球の問題です。これから科学に興味を持ってくれる人は、今ある科学が世の中を幸せにするかと問うて欲しい。 そして今わからない複雑なことも科学の発想で開拓する新しい考え方をもち新しい知を創ることを若い人たちに期待します。山中先生のお話にその可能性を感じました。

山中

科学技術は大変な勢いで進んでおり、10年前のスーパーコンピューターが今は携帯端末に入っている。でもできないことだらけ。天候の話もそう。サンフランシスコは僕の第二の故郷ですが、新型コロナウイルスは外出禁止令まで出しても感染者が減らず、この1、2週山火事が発生して二重苦です。昨日の現地とのオンライン会議でも空が真っ赤です。山火事は毎年起こる。そうとわかっていてなぜ防げないか? 10年に1度パンデミックはやってくるのになぜ防げないか? 責任を感じますけれど若い方々にも一緒に考えていただきたい課題です。

中村

より総合的な「生きものの知」をつくっていかなくてはいけない。そう思って30年ほど前に生命誌研究館を立ち上げました。これからもここでそういうことを考えていけるといいと願っています。

写真:大西成明

当日の記録動画を京都大学iPS細胞研究所(CiRA)YouTubeチャンネルでご覧になれます。

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2025/1/18(土)

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