RESEARCH
言葉とさえずりをつなぐ脳のむすびつき
小鳥がさえずるとき
脳内では何が起こっている?
小鳥のさえずりとヒトの言葉の習得は、聞くだけではなく、自ら行動して身につける感覚運動学習です。小鳥がさえずるとき、さえずりを学習するときの脳の活動を遺伝子の活動の変化から調べることで、ヒトに通じる学習する脳の働きを理解することを目指した研究です。
1.感覚運動学習と言語とさえずりの発声学習
クラシック音楽が好きで特にベートーベンは、30年近く聴いているが、残念ながら楽器は弾けない。初夏を感じるウインブルドン・テニスが好きで毎年観ているが、ラケットはまともに振れない。楽器の演奏や運動は、見る、聞く、触るなどの感覚からの刺激入力を頼りに自ら行動し、試行錯誤しながら身につけるものであり、これを「感覚運動学習」という。何千回同じ曲を聞いても自ら練習しなければ楽器の演奏はできないし、スポーツは観戦しただけでは上達しない。
「言葉を話す」という行為も、感覚運動学習の一種である「発声学習」によって習得される。大人が話す内容を幼児が聞き、それを真似ようと声に出し、その声を聞いて修正を加えていくことで言葉が話せるようになる。つまり話すには聴覚入力とその記憶、実際の発話運動、その聴覚によるフィードバックの繰り返しが必要であり、話せるようになっても若年期までに重度の難聴になると明瞭な発声ができなくなる。
言語はヒトに特有のものだが、小鳥(鳴禽類ソングバード)(註1)はさえずり(歌)を言語と同じ発声学習で身につける(図1)。ヒトの赤ちゃんがバブバブと声を出し、だんだんはっきりと話せるようになるのと同じく、ソングバードのヒナもサブソングと呼ばれる低く不明瞭な発声から始まり、学習を経て、最終的に成鳥と同じようにさえずるようになる。発声学習は感覚運動学習なので、ヒナが孵化したあとすぐに隔離し、お手本となる歌を聞かせずに育てると正常にさえずることができない。
ソングバードのさえずりは、求愛やテリトリー宣言を意味し、個体ごとに個性がある。自発的な行動なので、実験の都合で無理に鳴かそうとしても思い通りには鳴かない。我々は、ソングバードがさえずる時、脳内で何が起きているのかを脳の遺伝子の発現の詳細な追跡により解明しようとしている。
(図1) キンカチョウのさえずり学習
キンカチョウは孵化後約20日から成鳥の歌を聞き覚え(感覚学習)、約30日ころから自らさえずって歌を練習する(感覚運動学習)。2つの学習期間を経て、成鳥の歌を習得する。
(註1) 鳴禽類
スズメ目スズメ亜目のさえずる鳥の総称。スズメ、ヒバリ、ウグイス、カラスも鳴禽類に属する。英語ではソングバード。
キンカチョウのさえずりとその学習実験
歌を学習する前の幼鳥はサブソング、学習の進んだ若鳥はプラスティックソング、成鳥は音声パターンが安定した結晶化ソングをさえずる。
(音声1) 鋳型ソング:学習のお手本となるさえずり
実験的に学習適応期に、歌を聴かせなかったり(社会隔離)、歌を聞こえなくしたり(聴覚剥奪)すると、正しくさえずることができなくなることから、この時期に学習によってさえずりパターンを獲得することがわかる。
(音声2) 社会隔離:お手本がないので正しくさえずれない
研究室で、さえずり学習を実験するときは、外の声が聞こえないように、クーラーボックスを利用した遮音箱で鳥を飼育する。実験条件ごと鋳型ソング、その提示時期、他個体との社会接触環境を変えることで歌への影響をみる。トリがさえずりはじめると自動的に録音が開始される。さえずり始めから歌が完成するまでのすべての音声ファイルを記録できる。記録した音声は時間(横軸)と周波数(縦軸)と色濃淡(音の強さ)によって、ソナグラムで視覚化され、さらなる行動解析に用いられる。
2.発声学習は収斂進化、そしてそれを支える神経回路
ヒトやソングバードのように発声学習ができる動物種は少ない。現在知られているのは、哺乳類のヒト、鯨イルカ類、コウモリ、アフリカ象と鳥類のオウム/インコ類、ハチドリ類、鳴禽類(ソングバード)という7グループである。異なる動物グループの限られた種だけが持つ能力なので、収斂進化(註2)と考えられる。哺乳類と鳥類が発声学習能をもつということは、どちらにも知覚・認知・学習記憶・行動生成などの様々な段階の高度な情報を処理する神経回路があるということだ。英語の"bird-brain"は隠語で「間抜け」を意味するが、生物学的には鳥は決して「間抜け」ではない。近年の研究によって、鳥類の脳には哺乳類の脳と多くの共通点があることがわかっている。
ヒトの脳には言語を司る言語野領域があるように、ソングバードにも発声学習・生成に機能を特化した神経核群によって構成される神経回路、ソングシステムが存在する(図2)。この回路中の神経核(註3)の一つが欠けても発声学習ができない。ソングシステムは、声を作り出す発声運動の制御に関わる発声運動経路(発声回路)と、発声学習に重要な学習迂回経路(学習回路)の2つから成る。オウム/インコ類、ハチドリ類の脳内のソングシステムの神経回路は、同じような位置で同じ数の神経核が似たように結びついている。しかし、発声学習しないニワトリやハトにはこのような神経回路は存在しない。発声学習が収斂進化でおきたとすると、どのようにして別々な種類のトリで同じような神経回路が発声学習を受けもつことになったのだろう。簡単に解けるような問題でないかもしれないが、行動の進化を知るために挑戦したい問題だ。
(図2)ソングバードのソングシステムの神経回路
発声回路は、NIf、HVC、RA、DMを経て舌下神経につながり、そこから発声器官である鳴管に情報を伝える。学習回路は、HVCからX野、DLM、LMANを迂回しRAに至る。
(註2)収斂進化
祖先となる生物がもっていない形質や機能を、別々な生物がそれぞれ同じように作り出すこと。例えば、鳥とコウモリの羽、魚と鯨の体型などがある。
(註3)神経核
脳などの中枢神経系で、特定の情報の伝達を担う神経の経路(回路)の中継点や分岐点にある神経細胞の集合体(神経細胞群)。
3.声を出しているとき、脳内の物質レベルでおこること
脳は様々な機能に特化した神経回路の集合体である。脳内では動物の行動に伴って、その行動に関わる神経回路で多くの神経細胞が興奮している。「声を出す」とき、ヒトの言語野領域やソングバードのソングシステムでは、神経回路をつくる神経細胞が興奮し、それが細胞内で遺伝子の発現を促す。そこで成鳥がさえずっているときの脳では、どのような遺伝子がどこで発現するのかを調べることにした。実験を始めた頃は、ソングバードに関する遺伝子情報はわずかしかなかったので、材料やツールを整備しながらの実験だった。1万5千種類の遺伝子を一枚のスライドガラスにプリントした自作のDNAアレイをつくって遺伝子を絞り込み、さえずっている脳を取り出して作った切片標本で、メッセンジャーRNAの有無を調べた。その結果、成鳥が声を出すことで新たに発現誘導される遺伝子が33個確定でき、さらに最低でも100個以上の遺伝子が候補となった(図3)。誘導される遺伝子は、他の遺伝子の発現の制御、細胞の構造や移動、情報伝達物質や受容体など様々な役割を持っていた。実際に発現誘導されていたArc遺伝子はAMPA型グルタミン酸受容体のアンカータンパク質の機能をもち、Arcをノックアウトしたマウスでは空間学習等で長期記憶形成に異常を示すことが報告されている。
(図3)成鳥がさえずる時に脳に誘導される遺伝子の例
白くみえるところが、メッセンジャーRNAが発現している場所。黙っているときよりも、さえずっているときにソングシステムで遺伝子が活性化される傾向が見られる。さえずり時の写真内の数字は、さえずり始めてからの時間。
Wada, K. et al. PNAS vol.103(41), 15212-15217 (2006).
発声行動によって発現誘導される遺伝子の多様性と同時に注目したのが、これらの遺伝子の時間経過による発現量の変化である。ソングバードには一日数時間もさえずり続ける種もいるので、その間に遺伝子発現に変化が起きるかどうかを調べることが必要である。キンカチョウ成鳥のデータから、さえずりはじめてからの時間と脳で発現誘導される遺伝子の発現量の間の関係が見えてきた。遺伝子は発現の増減やピークを迎える時間など変化の傾向によって、大きく6タイプに分かれた(図4)。発声行動がどれだけの時間継続するかによって、脳内で活動する遺伝子の構成が連続的に変化する「行動量を反映する脳内分子ダイナミクス」が存在するようだ。手渡された脳をスライスして何個かの遺伝子の発現レベルを見れば、その鳥がどれだけの時間さえずっていたのかを推測できる。行動が脳に分子レベルで痕跡を残しているのである。
(図4)さえずり行動で脳内に誘導される遺伝子の発現量の変化
さえずり行動によって発現誘導される33個の遺伝子のすべてがこの6タイプのいずれかに分類できることがわかった。中でもタイプIVの遺伝子が多く見られた。
Wada, K. et al. PNAS vol.103(41), 15212-15217 (2006).
4.学習適応期中とその後で、発声に対する誘導遺伝子が違う
ヒトの言語もソングバードのさえずりも、学習適応(臨界)期と呼ばれる学習に適した時期に学習する。キンカチョウでは孵化後20から30日前後から100日くらいまでの期間がそれに相当する。学習中の若鳥が自ら声を出して正しい歌を再現しようと試みるときの脳では、成鳥と違う遺伝子制御がおこると考え、学習適応期中の若鳥と学習を終えた成鳥がそれぞれ30分さえずったときを比較した。その結果、学習適応期間中と期間後で脳内の発現誘導パターンが大きく変わる遺伝子が多数存在することを見いだした。声を出しているかいないかだけではなく、学習中かそうでないかによって発現誘導する遺伝子を変えるしくみがあるようだ。このような発現制御は、遺伝子ごとに、決まった領域や神経核で起こる(図5)。神経核RAは、歌パターンを構成する音素の生成に関わる脳部位とされており、学習中の若鳥ではさえずりはじめてからの時間で音素が大きく変わることが知られている。神経核HVCは、歌パターンを構成する音素配列の生成に関わる。プラスティックソングでは音素配列が日々大きく変化しており、HVCが重要な働きをしていると考えられる。これらの領域で発現誘導される遺伝子が実際に歌の形成に関わっているのかどうかさらに研究を進めているところである。
(図5)若鳥と成鳥で発声行動による発現誘導が変わる2つの遺伝子の例
サブソングからプラスティックソング初期にあたる学習適応期中の若鳥が30分さえずったときと、学習を終えた成鳥が同じく30分さえずったときでは、ソングシステムの神経核で発現が大きく変わる遺伝子がある。
5.種を超えた共通の遺伝子発現制御メカニズム
世界には3000種を超えるソングバードがおり、種ごとに特徴的な歌パターンや学習適応期をもっている。ソングシステムはソングバードで共通なので、同じ神経回路を用いながら異なるさえずりの学習ができるということだ。一度、歌パターンを学習すると一生同じ歌を歌いつづけるキンカチョウに対して、カナリアは毎年秋から春にかけて新しい歌を再学習する。最近我々は、カナリアの2年目の学習時期で、キンカチョウの若鳥と同じように発現誘導される遺伝子を確認した。学習適応期に発現する遺伝子は年齢を超え、種を超えて同じように使われているようだ。
どの時期に、脳のどこに、どれだけの遺伝子発現を誘導するかは、その動物がもつゲノムによって制御されていると考えている。その実体はまだわからないが。一方、学習適応期間中の発声行動の量や聴覚フィードバックを操作すると、学習適応期の長さもそのときに誘導される遺伝子のパターンも変化する。つまりおかれた環境で動物自身がどのように振舞うかで、ゲノムの応答も変わるということだ。ゲノム情報が支配する「生まれ」と環境・経験が作用する「育ち」の両方が、発声学習とその期間の制御に関わっているのではないだろうか。動物は種を決めるゲノムを持つが、行動によって発現させる遺伝子の量とタイミングを変えられる余地がある。ゲノムによる拘束と同時に、自由が与えられているように思う。我々が見てきたさえずりに関わる遺伝子のホモログはヒトゲノムにも存在するので、ヒトの脳内でも同じようなことが起きていると予想している。キンカチョウの脳の研究は、自分自身が言葉を学び、話すとき脳内でなにが起きているか知りたいから行っている。話をしているときのヒトの脳を切片にするのは不可能だから。小鳥のさえずりの研究を私たちが「いかに行動し、生きていくのか」を考えることにつなげていきたいと考えている。
謝辞
以上の研究に携わってきてくれた研究室のメンバー全員に、そして留学先で研究を含め大変お世話になったデューク大学Erich Jarvis先生に心より感謝します。
和多和宏(わだ・かずひろ)
2003年東京医科歯科大学大学院修了(医学博士)。米国デューク大学医療センター神経生物部門リサーチアソシエイト、北海道大学大学院先端生命科学研究院准教授を経て、2011年より同大学理学研究院准教授。