TALK
カオスで探る生きものらしさ
1. 内側の時間
中村
実は私、津田さんにはこれまでも色々教えていただいて、大事なことを考えていらっしゃることはわかるのですが、白状すると本当にわかったと思ったことがないのです。季刊生命誌の対談は研究館と同時に始めましたので、そろそろ20年。新しい展開が必要なので、思い切ってわからないで話し合おうと。そんなの今日が初めてです。
津田
最初から脅しをかけて(笑)。
中村
津田さんのお仕事を面白そうだと思っている人は多いですが、本当にわかっている人はとても限られていると思うんです。ですから、私にわかるように話して下さったら津田さんにとっても革命だと思いますよ。
津田
僕もわかっていないかもしれませんから。良い機会ですね。
中村
分子生物学は生きものを物質として分析し、生命現象を支えるメカニズムを明らかにしてきました。しかし、外から機械のように眺めるのではなく、中に入って生きものを時間を紡ぐものとして見ていこうと思い、「生命誌(biohistory)」を始めたわけです。 日常時計を眺めて流れる時間の中にいますし、クロニカルな時間があります。生きものを見ていると反復やリズムという時間に特徴があります。 津田さんのテーマとしての時間についてまずやさしく話して下さい。
津田
初めから自覚していたわけではありませんが、確かに僕が一番興味をもっているのは時間という問題だと思います。方程式には時間だけを入れる常微分方程式と、時間と空間を入れる偏微分方程式がありますが、なぜか僕は空間に対する興味がほとんどなくて、時間だけの方程式をずっと研究してきました。
ニュートンの運動方程式が常微分方程式です。常微分でも偏微分でも時間を入れていますが、これは対象の中の時間ではなく、外の時間を使って中の状態を記述するわけで、物理の典型的なやり方です。
たとえば石の落下を記述するのに、石に付随した時間を考えることは非常に難しい。そこで、石の外に時間軸を用意します。これは数学では実数で、この直線に現象を対応付けることが微分方程式の記述になります。ここまでは高校の物理学で習うことでわかりますよね。ところが、実はこのような系も極めて不規則で予測困難な挙動、つまりカオスを考えなければなりません。こうなると、外の時間は前後の意味を持たなくなるんです。
中村
自然に向き合うと、決定論では語りきれない、カオスという切り口が必要になることはよくわかります。でも、カオスとなると真っ直ぐにこうなって、こうなってとはいきませんね。
津田
単にぐちゃぐちゃしているものは確率論で扱えばよいのですが、カオスの場合は確率論的な現象を幾何学的に表現することができるんです。しかも、それによって、現象の中に入っていた代数的な構造が現れてくるのです。これを見ていくという新しい学問なのです。
時間の前後関係が意味を持たないということは因果関係はないということです。秩序だった時間の順序はなく、状態変化をくり返すうちに、最初は何だったのかが次第にわかっていくのです。つまり、無限の先まで行くと初期条件がきまるわけです。この意味では時間の前後が逆転していると言ってもよいかもしれません。
中村
終わりからわかってくるという考え方。因果で考えることに慣れきっている頭を切り換えなければなりませんね。
津田
方程式は初期条件を決めてから解いていきますが、実際の初期条件はわからないわけです。
中村
確かに。生きものがそうだと思います。受精卵という出発点はあり、それが持っているゲノムはわかっているのですが、最終的にどこに行き着くかは決まっているわけではありません。逆にたどれば最初がわかってくるわけです。また、生きものの時間も外から記述するものではなく、内部に持っています。
2. 数学の2つの意味
津田
カオスをひと言で言うのは難しいですが、一つの特徴は、今申し上げた時間の構造ですけれど、もう一つ、情報の計算をすることで見えてくる特徴がある。ここで扱う情報は遺伝情報とか気象情報とか言われるものとは違って味も素っ気もない情報で、ここから数学的構造がはっきりとわかるのです。僕は物理学を勉強したし、自然現象を見ていますが、実は数学に非常にこだわっているのです。数学にはいろいろな意味がありますが、ここでは二つだけ言いたい。それがとても大事だと思うからです。一つが意識と意識以外の現象をつなぐ役割です。数は数学者が発見したのですが、同時に作りだしているものでもあります。数には人間の意識が集約されているのです。
直観主義集合論を作った数学者のブラウワー(註1)が、意識と記憶が相互作用したところに数が生まれると述べているのを知って、実践してみたら、確かに自然数が作れるんですよ。
中村
数を作れるということ、実例で教えてください。
津田
たとえば1、2、3という数をつくることを考えます。ある人がエベレストに登ったとします。その人はエベレストに登った最初の人であり、その人しか登っていないとすると、最初にエベレストに登った人の集合を考えて、そこに象徴的に1という数が生まれます。ところで、もともと誰もエベレストに登っていないということは、誰もいないという空集合があるわけです。そこに1という数字が入ると、もとの空集合ではなくなる。空集合を認識するためには、1を外に出さなければいけない。1が入ることが意識に相当します。そして1が外に出た後も、1という数字を覚えている。
中村
それが記憶なのですね。
津田
ええ。1が出ると0という数が表象される。次の人が登ると、前の集合に1を入れてエベレストに登った人は2人になりますね。そうするともとの集合はもはやエベレストに最初に登った人の集合ではなくなってしまう。そこでその集合に意味を持たせるためには1の集合を認識しないといけない。1の集合を認識するためには、2人目を抜かなければいけません。ここでは1を意識して2を記憶しないといけない。それから2人目を意識してエベレストに登った2人の集合を作ると、2という数字が出てきます。このようにして1から始めて0と2が出て、3が出て、4が出て・・・というように、意識と記憶をうまく組み合わせて数を作っていくことができるのです。ここから考えても、脳で起きている物理的現象と、意識の上で起きている高次の現象をつなぐ鍵は数だと思うのです。だから、脳を知り、意識を知るには数学が不可欠だと思っているのです。カオスにこだわるのも、これが数を生み出す装置だからです。
中村
今までそんな風に考えたことはありませんでしたが、お話を聞くと数学のもつ力が感じられる気がします。私たちの意識と記憶が数を作っていると考えると同時に・・・。
津田
数がこの意識世界を作っていると考えています。カオスが作っていると言いかえても良い。誰もが認めている理論ではありませんが。
中村
その辺から難しくなるんです(笑)。意識が数を作り、数が意識世界を作る。お話を聞くとなるほどと思えてくるのですが、自然、生きものを見ているわけで、自分でそのようなイメージができるかというと、とても難しいですね。このあたりで津田さんと距離ができてしまいます。
津田
数学に対するリアリティの持ち方の違いですね。僕は数学にリアリティがある。
中村
そこが学問の難しさですね。物理学者はクオークにリアリティがあり、私たち生物学者はDNAにリアリティがある。リアリティを共有せずに、学問の内容を理解するのは不可能だと思うのです。 津田さんの話を聞いて、私には数のリアリティがないことをつくづく感じました。でもそこまで言われると数のリアリティを持ちたいという気にもなるわけで。
津田
ぜひ持ってください。さっき二つと言ったもう一つの数学の意味は言語です。人間の自然言語には必ず悪魔が巣喰います。名詞は名付けることで正体不明なものの正体を明らかにする、言うなれば悪魔祓いができます。ところが、動詞はどんどん動いていくのでわけのわからないものがたくさんくっついてきてしまう。僕は動詞が生命にとってもっとも重要だと考えますが、動きを数学で表現することで、ほぼ完璧に意味がきまるんです。言うなれば悪魔が取れるわけです。ここで数学の意味が出てきます。
中村
最初におっしゃった微分方程式は時間が入っているので動きを扱っているように見えますが、それはダメだとおっしゃったでしょう。
津田
あれは動きを完全に取り去ってしまって、夢も希望もありません。
中村
最外の時間軸では動きが消えてしまうわけですね。そうではない時間を扱う。そこで数学が登場するのだけれど、数学の意義の一つは意識と記憶をつなぐこと、二つめが悪魔祓い。悪魔というのはなんでしょう。
津田
ここで言う悪魔とは曖昧さです。僕たちは意味を固定しようと陳述するわけですが、実は気がつかないうちにその中に固定できないものがたくさん入りこんでしまうので、話がややこしくなるわけです。自然言語で説明する部分が多くなるほど曖昧さが出てきます。式に書いてしまえば余計なものは入れない。
中村
E=mc2と書かれれば曖昧さはありませんね。
津田
ええ。誤解のしようがない。これを言葉で説明すると誤解する人はたくさんいます。数学は生命を語るときにも一定の役割を担うでしょう。
中村
物理現象をイメージしながら伺ってきたのでなるほどと思っていたのですが、いざ生きものの話になると…。生きものを表現するには、悪魔だらけのところと、スカッとしたところの間ぐらいが重要だと思えるのですよ。私が生命科学から生命誌に移ったとき、生命は語らなければ記述できないという感覚があって、「誌」という言葉を使いました。
津田
それ、すごくよくわかるんです。ものすごくいい悪魔祓いをしたと思う。生命誌は歴史の「史」でなく「誌」という字を用いることで、一個体の時間の中に生命の全歴史が織り込まれていることを適確に表現した。そのことを語るために皆が多くの言葉を費やしていたけれど、ひと言で表現したわけで、画期的なことだと思います。
中村
ありがとうございます。
津田
そのように概念化できるということが学問の面白いところですね。概念化によって新たに考えることができて、そこから新しい研究が出てくる。それがなければちまちましたつまらない話ばかりになってしまう。今までと違う段階の言葉をきちんとつくるのは非常に大きな作業だと思います。
中村
私の思いを適確に言っていただいて本当にありがとうございます。なかなかわかっていただけないんです。生命誌の具体的な活動として、歴史を積み重ねて今ここにあるゲノムから色々引き出して、発生や進化を研究することがあるわけですが、そこまでが私の能力の限界です。複雑系の方のお話を聞いて、自分なりのものを組み立てていくことはできますが、先ほど言われたようなリアリティをもって自分で解いていくのは難しいんです。本質的なところはずっとモヤモヤしていて。ですから、津田さんがそれを解いて下さることを期待しているんです。
津田
数学はそのモヤモヤをメタフォリカルに表現する力があると思います。すごい宿題ですがぜひ解きたいですね。
註1:ブラウワー【Luitzen Egbertus Jan Brouwer】
(1881-1966) オランダの数学者。直観主義集合論を構築。
3. 学問に生命観を
津田
僕自身は生きものの研究をしていないので、子供のころ昆虫採集が好きだったという程度の感覚しかありませんが、自分の中にはある種の生命観があります。大学院では物理や数学をやりながら、意識的に生命観を求めていて、そこに一番フィットしたのがカオスだったんですよ。
中村
私は物理学は教養学部で止まっていますが、そこで聞いた朝永振一郎先生の講義は素晴らしかった。しかし、基本的な考え方はまだ西洋の機械論的世界観でした。
津田
僕が勉強した時の物理や数学にも生命の感覚は全くありませんでしたよ。
中村
その中で生命観を求めようとしたのは、何かきっかけがあったのですか。
津田
なぜか明確にはわかっていないんです。物理をやろうと思ったのは高校の頃ですが、その頃は生命なんて考えもしませんでした。ただ物理という学問が面白かった。もしかしたら生物学は生命観が強すぎるので研究対象にできなったのかもしれません。生物と物理の関係を真剣に考えたのは、大学院の時に三菱化成生命研究所が出版した生命に関するシリーズを読んだことがきっかけです。もし高校生の時に中村先生が出されたこの本に出会っていたら生物学に進んでいたかもしれません。
中村
そういう影響を与えていたなんて驚きです。今度は私の方が教えていただく番というわけですね。当時、量子力学ではシュレーディンガーやハイゼンベルグが生命とはなにか、意識とはなにかを問い、朝永先生や湯川秀樹先生も生物学にとても興味をもっていらして、生物学の勉強会に参加なさっていたんです。私たち自身が生きものですから、どんな学問も突き詰めていくと生命観につながると思うので、先生方の関心は理解できます。でも、その頃の若い人で生命に関心をもつのは珍しかったのではありませんか。
津田
京都の物理はわりと自由な雰囲気があって、5時を過ぎると先生たちは皆帰ってしまい、残った大学院生が夜中まで勉強して、疲れたら集まってワイワイ議論するんです。当時の物理学教室ではオーバードクターが100人、大学院生が100人。先輩連中には僕らよりはるかに頭脳明晰で業績も出しているのに就職できない人がいて、そもそも理学部に入った時点で就職は諦めていましたが、これはいよいよ決定的にダメだと思い、逆に気楽でした。
中村
やりたいことをやろうという気持になったのかしら。
津田
ええ。それで食えなくて死ぬなら仕方ないと。是が非でも立派な研究者になろうとは思っていませんでしたが、自分に正直にやらないと納得できないので、自分が求めているものは何かを一生懸命に考えました。生命観をもたずに小手先で論文を書いたところで長続きしないし、そんなところからは本物の物理は出てこないだろうと思っていましたね。
先輩の池田研介さん(註2)はご自身の生命観を持っている人で、日本の物理はもうだめだ、オリジナリティがないのはなぜだと2人で夜な夜な議論しました。結局、自分の感覚に合わないことをやっているからだろうという結論になったのです。 1978年、24歳の頃で、自分たちが物理をつくるんだという気概でした。
生物学の本も随分読み、自分の生命観に合うものを模索しましたが、勉強としては楽しくても、いざ研究しようとすると何をやってもぴたっとこないんです。そろそろ修士論文のテーマを決めなさいと先生に言われて、思い切って進化をやりたいと切り出したけれど、具体的なことはあまり考えていなかったんです。物理学のテーマとして「内部で起きている現象を規定している境界条件が内部の状態によって変化するとしたら、内部の状態はどう変化するのか」を考えたいと相談すると、「それは世界で4人くらい研究しているけれど、まったく成果が出ていない」、つまり難し過ぎて修論でやるテーマではないとおっしゃる。
中村
すぐに世界で4人やっているとおっしゃるのはすごいですね。
津田
富田和久先生(註3)という方で、日本の統計力学を代表する1人です。実は僕は学部では大阪大学の金森順次郎先生(註4)に学んだんです。金森先生の統計力学の講義は非常に生命観のある講義で、黒板に式1つ書くにしても、ぼそぼそっと喋られて、ポコンと出てくる感じ。それがとても自然な感じなのです。統計力学は下手に講義すると全く面白くない学問ですが、金森先生の講義を聴いて、物理学にも生命の躍動感があるのだなと思いました。
中村
金森先生は確かに明確な価値観を持った方だと私も感じます。でも、あまりそういうことを声高におっしゃる方ではありませんよね。
津田
口ではおっしゃらないけど、金森先生の物理は生きているんです。生きたものとして物理を展開できる人は珍しい。
そこで必死に勉強して、統計力学をやりたいと金森先生に相談したら、「うちではやっていません」と。磁性体の専門家だったんですよ。僕はそれには興味がなくて、これからは非平衡現象の研究だと考えているんですと相談すると、推薦できる教授は4、5人とおっしゃって教えて下さったんです。その日のうちに阪大の図書館で片っ端から論文を読み、一番感覚のあった京大の富田先生のところに行こうときめたのです。金森先生に言ったら、それはいい選択だと。
中村
「感覚が合う」とか「ぽこっと出る」とか物理学者の方はあまり言わないような言葉が出てくるところが津田さんのお仕事と関係ありそう。
津田
そうですね。僕は物理からはちょっと離れて数学に行ったり、生物や脳に興味をもって研究するようになったのは、自然の流れだったのかもしれません。
中村
なるほど。物理、数学、カオス、脳と並べるととても難しくてと思っていたのですが、その流れはとてもよくわかります。私はもっとやさしいところでですけれど、気持としては同じような流れを感じてきましたから。統計力学から非平衡へ移られたのも、きまりきったものでなく、ダイナミックなものへの関心からということ。
津田
ええ、まさにダイナミックに動いているものに興味がありました。
中村
実際に物理は非平衡の方向に進み、今やカオスまでつながったわけで、津田さんの勘がよかったということもありますが、時代も合っていましたね。
津田
そうですね。当時の日本からは統計力学で世界をリードした人が何人も出ました。東大の久保亮五先生や京大の富田先生、九大の森肇先生、川崎恭治先生、それから京大と阪大の両方へ行っておられた松原武生先生。こういう方たちが統計力学を平衡から非平衡へもっていこうと模索されていたんです。
京大に「物性研究」という日本語の雑誌がありまして、今名前を挙げた先生たちが誌面で徹底的にディスカッションして、その結果を英語の論文で出していた。日本から論文が出る時にはやるべきことはすべて終わっているということで、外国は追随できなかった。
中村
かっこいいですね。
津田
それは僕が京大に入る10年から20年ほど前、久保先生が線形応答理論や遥動散逸定理を出されていた頃の話です。時代は平衡から非平衡に移ろうとしていて、みな生物への関心があったのかもしれません。非平衡は平衡よりも難しくてより生命的で、従来の平衡熱力学のように解が一意に決まるわけではない。
中村
物理学の影響を受けて誕生した分子生物学も、初期には物理学出身の人が多く活躍しました。それ以前の集めて比べることが基本の生物学では、物理学のアプローチはできなかったわけで、学問は異なる分野が呼応しながら時代をつくっていくところがありますね。私の先生の渡辺格先生はまさに物理化学でしたし、湯川先生と同世代の水島三一郎先生も生きものがお好きで、化学科の教授だった当時「蛋白化学」という本を書いてらっしゃる。非常に先を見ていた人たちです。
津田
中村先生の生命に関する本を読んでいた頃、岡田節人先生が京大の生物物理にいらした。真っ赤なスポーツカー乗り回しておられたのを覚えています。
中村
当時の発生学は卵を観察することが基本という雰囲気がまだありましたが、岡田先生は分子生物学を取り入れる必要性をはっきりとおっしゃいました。分子生物学は生物の聖域を汚すものと生物学者からは総スカンだったのですよ。
津田
分子に還元することで生命が失われる印象があったのでしょう。しかし、一旦分子のレベルまで行って振り返ると、違うものが見えてきたわけですよね。
中村
この50年、分子を見てきたことの意味は大きいのですが、それを踏まえて今度は時間を入れて考える時ですね。しかもその時間は、カオスのような状態を考えなければと思っています。そこで津田さんにとなるわけです。
註2:池田研介【いけだ・けんすけ】
(1949-) 立命館大学教授。専門は非線形物理学。
註3:富田和久【とみた・かずひさ】
(1920-1991) 京都大学名誉教授。物性理論から非平衡開放系で様々な理論を確立。後年はカオスが提起する科学的認識の問題に取り組む。
註4:金森順次郎【かなもり・じゅんじろう】
大阪大学名誉教授。元大阪大学総長。専門は磁性学。著書に『磁性』、『教養の物理』など。
4. 生命現象を数学で表現する
津田
数学者のトム(註5)がカタストロフィーセオリーを出してそれが日本語に翻訳されたのはちょうど僕が大学生になった頃です。彼は自然界一般を対象にカタストロフィー、つまりある種の相転移が起きるような状況を説明した。そして、ある特別なカタストロフィーのもとになる構造が生物学的に表現されているのが形態形成だと考えたわけですね。僕も割と近い考えで、生命現象はそれ自体の数学的構造に裏打ちされていると考えています。トムは形態形成に関する数学的メタファーを提唱しましたが、僕たちは数学を使った生命に関するメタファーを提供しています。
ちょっと思い出したのですが、カタストロフィーセオリーと同じ頃に、イバートとサセックスの『発生』(註6)を読んでいました。数学はわかるけど生物はわからないなあと思いながら、面白くて。
中村
お二人共岡田先生を通じてお知り合いになり、本当にたくさんのことを教えていただいたことを思い出します。私は生物学の方はよくわかる。相補的ですね。
津田
わかるには実物を見なければと思い、医学部の学生の臨海実習に参加させてもらって、一晩かけてウニの発生を観察しました。面白かったのは、ぐるぐる回転を始めるんです。これは重力の方向に対して右回りか、左回りか、そんなところにばかり興味があったんで。ところが医学部の連中に聞くと「あれ、回ってた?」って。興味がなくて見てないんですよ。見えてないというか。
中村
自分の見ているところしか見えないんですよね。発生の回転軸は今生物学の大きなテーマになっています。
津田
色々見たことをもとに、もう1回イバートとサセックスを読んだら、やっぱりわからなかった(笑)。ただ、実際に見ることで感覚が変わるという経験になりました。そんな過程を経て、結局数学を用いて生命を表現するのが自分の仕事とわかってきました。一つの図を見ていただきたい。ヒントは、エッシャーのメタモルフォーゼという絵です。
中村
その絵、私の部屋にかけてあります。蜂が魚へと徐々に変化していく。エッシャー大好きなんです。
津田
部分が少しずつ変化していくと、あるところで全体のパターンががらっと変わっていく。これを時間だと見れば、進化のように見えるし、進化的な変化を空間に固定化したと言える。同じことが数学でできるのです。
中村
それは面白そう。
津田
ここではカンさん(Hunseok Kang)という韓国人のポスドクとやった仕事を紹介しましょう。左の図は2次方程式の分岐図です(写真)。X軸が状態、Y軸がパラメータ。点々は動きを表しています。パラメータを変えていくと、たとえばここでは横軸の値が4つある、つまり4つの値が交互に移り変わる4周期の状態を表しています。さらにパラメータを変えると状態が分岐していく。これはまさにカタストロフィーが起きているわけです。
右隣の図はほとんど同じ構造をしていますが、状態変化の構造を空間化し、時間を入れています。縦軸と横軸が状態変数で、初期値を置いてヨーイドンと始めるとウワーッとだんだん上に行って、分岐して、カオスになり、周期解を経て固定点を取り、最後は止まります。発生のメタファーとしては、色々な状態を経てある状態に落ち着いていくという初期値が決まることを表していて、進化のメタファーとしては、初期値が選ばれることで構造変化が時間的に起きていくことを表しているのでしょう。
中村
なるほど。落ち着く初期値があるということですね。しかも発生のメタファーにも進化のメタファーにもなるというのは興味深いです。カオスで考えることの意味がわかってきました。
津田
さきほど、館の入り口で生命誌絵巻を見て思ったのですが、式を一つ二つ付け加えるだけで進化の時間を引き延ばすことも、変化を早く落ち着かせることもできる。
中村
そういう発想、今までしたことありませんでした。生きものを所与のものとして考えてしまうから。そうすると、実際の発生や進化で起きている出来事が、数式のどういうプロセスと対応するかも見ていけるのですか。
津田
パラメータを実験と合わせていけば、そうしたこともできると思いますし、それをもとに生物学者とディスカッションできるとすごくいいですね。もともと進化を再現しようとしたわけではなく、ミラーニューロンの数学モデルをつくろうと式を立ててシミュレーションしたら、右側の図になったのです。一本の軌道の中にカオスもすべての周期も含んでいる、つまり、無限に相転移する構造を含んでいるわけで、メタファーとしてはエッシャーのメタモルフォーゼに近いですね。
中村
なるほど。ただ、私たちはどうしてもこの図が表す具体は何だろうと思ってしまうのです。
津田
当然次の段階ではそれが必要です。これは本当に抽象的なレベルでのモデルですが、脳科学者は式を見てもこれがミラーニューロンのシステムとは信用せず、「ニューロンがどこにあるのですか」と言われる(笑)。ニューロンはXに隠れているから単純には見えないのですが。
今僕らは数学でニューロンを作ろうとしています。この計画の一部、研究室の渡部大志君が完成させました。関数をたくさん並べておいて、結合させて情報(この情報は何らかの意味付けが与えられた情報ではなく、単に数値の羅列にすぎませんが)を入れる。情報が伝わればその関数はOK、伝わらなければパラメーターを変えて関数形を変えるという進化アルゴリズムを実行すると、最終的に選ばれる関数がきまってくる。いわゆる興奮性を表す力学系の基底になるような関数形が選択されるのです。ここでは解は大きくエクスカーションしてから固定点に戻りますが、これはニューロンの発火現象と同じ構造です。
中村
ニューロンの数学モデルというわけですね。
津田
そうです。つまり、外から入ってきた情報を最大限に保って伝達するような条件のもとで生物学的な制約条件がはたらくと、ニューロンの興奮性システムができるという仮説がたてられます。ただし、関数の結合が強すぎると定値関数が選ばれてしまう。入力がそのまま伝わるだけになる。極端な場合は0関数で、どんな情報が入っても0になる。逆に関数の結合が弱いと周期解が出てきて、振動する解をもつ関数になってきます。興奮性システムが出てくるのはちょうど中間くらいで、これは何か意味がありそうだなと思っています。
現実とあまり関係のないところで議論しているほうが無責任で楽しいわけですが、記憶のモデルとして少し現実的な数学モデルも山口裕君、黒田茂君と作っています。実はこのモデルでは脳の海馬のCA3という場所ではカオスのシグナルが現れて、CA1という別の場所にカントール集合の形でその時間経過全てが書き込まれることがわかっています。カントール集合は無限の点からなる入れ子構造で、1つ1つの点が入力されたシグナルに対応しています。より実物に近い神経のモデルでネットワークを組むと同じ結果が出て、これを面白いと思った玉川大の塚田稔先生と福島康弘さんがラットのスライスを使って実験をしたら、予測と同じ結果が出ました。
中村
脳の海馬ではカントール集合なるものが働いていると言えるわけですか。
津田
そう信じています。実際に動物を記憶課題に直面させる実験はしていないので、ぜひやりたいのですが、もしその時にシグナルが出てきたら人間でもそうかもしれない。
中村
なるほど。モデルと現実とがだいぶつながってきているのですね。ニューロンを対象にしているのは、それが一番考えやすい素材だからですか。
津田
というか、僕は生物をやろうと思ったとき、最初に脳に興味持っちゃったんですね。これは初期条件なのでやむを得ないところがある(笑)。カオスをやっていたことで、こうした訳の分からないものをどう理解したらいいのか、あるいは認識できないものがあるのではないかとか、認識論に興味がありました。計算不可能なものがあるという証明はできる。そうしたことを考えているうちに、だんだん考えている主体のほうに興味が出てきてしまって。
中村
それで脳につながった。ほかの生命現象でも同じようなことが起きていると考えられますよね。
津田
具体的にやってきたのは脳の問題ですが、そうだと思っています。ところで、これは言っていいかどうかわからないんですけど、いわゆる脳神経科学者とディスカッションすると個人的印象としておもしろくないんです。
中村
ある種の研究者はということかしら。
津田
いや、全部(笑)。(彦坂興秀先生は別でしたけど、すぐアメリカに戻られた。残念でした。それと心理の影響を受けた人の話は割と面白いですね。)話をしても生命観がないんですよ。いわゆる生物学の人と話をするとやっぱり生命観がある。この違いは何なのかなと思う。脳神経の人たちは生命を相手にしていないのではないかという気がしますね。
中村
津田さんの話す脳科学者が限られているのではないかしら。たとえば先日、御子柴克彦さん(註7)とお話をしたのですが、脳を臓器の一つとして見ていらして、とても面白いんです。膀胱に興味を持つか、脳に興味を持つか。御子柴さんにとっては脳が最も興味の持てる臓器であった。脳を非常に特別の系として見ている人の話はあまり面白くないですね。生命観がないという感じわかります。
津田
最初から切り離して考えているから。
中村
体の一部として考えてほしいですね。
津田
御子柴先生のような方とお話するようにしてモデルを磨いていきます。
註5:ルネ・トム【René F. Thom】
(1923-2002) フランスの数学者。フィールズ賞受賞。1960年代にトポロジー(位相数学)を科学全体に適用する試みとしてカタストロフィー理論を提唱。
註6:『発生-そのメカニズム』
J.D.イバート、I.M.サセックス著。岡田瑛・岡田節人訳。1972年岩波書店。
註7:御子柴克彦
理化学研究所脳科学総合センターチームリーダー。東京大学名誉教授。 生命誌ジャーナル65号サイエンティスト・ライブラリー参照。
5. 折りたたまれた時間
中村
これまでの流れはわかりましたが、その中で今最も面白くなりそうなところは何ですか。
津田
やはり時間の問題が一番大きいですね。最近はカオスでも遍歴という新しいテーマが出てきて(註8)、何なのかまだよくわからないところがあって、数学的にも完全に決着がついてないんです。
脳の問題では、においの情報処理のときにこの遍歴と非常に似た現象が出ています。動物がある匂いを認知したと思われる時、嗅球の集合電位を調べると、バナナだったらこう、おがくずだったらこうというように、知っている匂いに対応する振動が出ます。
ところが、未知のにおいを嗅がせると、脳波があっちへ行ったりこっちへ行ったり、既知の匂いをトレースしながら探し回り、どこにも対応しないとわかると新たに学習する。遍歴するというのは、未学習なものを探している状態で、知らざるを知る、ということに関係しています。
中村
わからないということがわかるということは重要なことですね。においの処理との対応で新しい展開になりそうですか。
津田
においというものが受容体だけで知覚されるなら1対1の対応で済みますが、ある程度n対nの対応になっていますから、受容体の次に脳に行って、もう少し認知に近いレベルで処理しているのだと思います。遍歴の場合は時間がうまく折りたたまれているのではないかな。
中村
時間が折りたたまれているというのはどういう意味ですか。
津田
遍歴というのは脳があちこち探っている状態ですから、どこにどれだけとどまっているかが予想できません。とどまっている時間の分布を計算するとべき分布になっているんです。つまり時間のスケールがなくて、どんな時間も含まれている。単一のカオスの場合は未来に行くと初期値がわかるわけで、逆転はしていてもある種の時間のスケールがありますが、遍歴にはそれがないんです。こういう言い方がいいのかどうかわかりませんが、あちこちで時間軸が折れ曲がり、そこに内的な時間があるのではないかな。
中村
なるほど。確かに生きものを見ていると、そういう時間があるだろうなと思います。時間のスケールがないというのは、イメージするのは難しいようで、一方生きものはそうじゃないかと直感的には思います。
津田
どういう時に内的時間があるとお感じになるのですか。
中村
あらゆるところで思います。たとえば発生は外から見ると節目にはある種のパターンがありますが、内側には別の時間が流れているような気がします。その過程がまったくのでたらめだったら、パターンは見いだせないでしょうが、きまりきった同じことをしているとも思えない。
たとえば模様を生み出すチューリング波は厳密なカスケードがあるわけではなく、ある程度までは細胞集団が一緒に移動して、ある場所で折れ曲がったりしながら形作りをしていくわけでしょ。
今の生物学では統計的に見てパターン化されていることしか答にならないからそこだけを見ていますが、津田さんのお話を聞いていると、見えないところも生きものにとって重要だと思いました。それなのに枠があってでたらめにならないというところも面白い。
津田
何も条件がなければランダムなままでパターンは出てこないでしょうが、制約をかけることで多様な秩序構造が現れるわけですね。
中村
それが生きものらしさですね。バクテリアもネズミも人間も、それぞれのゲノム情報を読み解いて生きている。バクテリアはバクテリアのゲノムをもつという意味で完成された存在です。昔は進化というと、完成されたものを目指すイメージがあり、進化の途中を示す生きものがいないことが疑問視されていましたが、完成した生きものがつながって歴史が続いてきたということが面白いですね。
津田
進化では既にあるものを壊すのではなく付け足すのですか。
中村
そうですね。たとえばカンブリアの大爆発は脊椎動物のゲノムがそれ以前に重複していて多様化の可能性が増えたから起きたわけです。個体として生きていけないほど大きく構造を壊してしまうと生まれてきません。少しずつ違う機能を加えたり、暮らし方を変えたりしながら続いてきたわけです。DNAの並びも量も違うけど、生きものは進化の過程も含めてすべて完成品です。ラジオだったら次世代の機種は改良されて古い型は捨てらますが。
津田
次がよりよいわけではないのですね。
中村
ええ。悪いところがない訳ではありませんが、「生きものとしてだめです」という場合は生まれないわけで、存在しているということは完成してますということです。それをくり返して新しいものを生み出しているのが生きものの面白さだと思うのです。
津田
充足しているという感じですか。とりあえず満たされている。
中村
まさにそうです。充足というのは良い言い方です。人間はこれだけゲノムがあるから素晴らしい完成品かといえば、決してそうではありません。それで人間がだめかというと、人間は人間で完成品。
津田
そうか、僕は人間って不完成品だと思っていたんだけど、人間は人間で完成していると考えたほうがいいんですね。
中村
非完成品と思うのはご自分の中に理想像を作るからでしょう。神様みたいなものと比べたら欠けているところがあると思っても、生きものとして見たときには完成品ですよ。
津田
脳科学者が脳は進化の最高傑作だという言い方をするので、それに反論をしたくて、表現はまずかったけど、発達した脳を持っているということはむしろ出来損ないだと思っていました。
中村
生きものは38億年続いてきたわけだから、常に進化の可能性を持っているわけで、人間にもその可能性があります。可能性があるというのは裏返せば出来損ないだから、津田さんのおっしゃる意味はわかりますが、私が言っているのは、ちゃんと存在しているという意味での完成品です。
津田
僕は進化において、情報がどこでどういう形で固定化されるかに興味があります。生命誌の考え方なら、一個体の中には生命が延々と続いてきた時間が流れていて、それは遺伝子に空間化されて固定されていて、遺伝子の発現に伴って時間のダイナミクスがワーっと出てくるのではないか。そのしくみがわかれば、生きものの中に時間がどう折りたたまれているかがわかると思うのです。
植物のタネがまさにそうですね。ほとんど平衡に近い状態で長時間固定化されて、ある条件を与えられると、それまでの時間がウワーッと解き放たれて成長を始める。そのしくみがわかればこの時間の原理を発展できるでしょう。金子邦彦さんの(註9)ところではすでにいくつかの試みがあります。
中村
私はそれを知りたいのです。ゲノムに誌されたことから発生のメカニズムを読み解くことはできますが、もう1つ本質を探さなければいけない。生物学は生物の具体的な現象を解明することはできても、時間と空間をつなげて折りたたまれたものを読み解いていくダイナミズムそのものを探ることは難しい。
だから、津田さんや金子邦彦さんのモデルからのアプローチに期待しているのです。分子生物学はセントラルドグマを基本にしてきたので、あたかもDNAが生命を動かしているかのようなイメージが持たれていますが、そんなことはまったくない。これは折りたたまれているだけなんですよ。
生命とは何かという問いも私の場合は金子さんのように一般論でなく、当面は地球上の生命体でいいのですが、それは一体どういうシステムなのかは津田さんや金子さんのやり方で探し出してほしい。そうして初めて、生命誌が成り立つんじゃないかなあと思って期待してます(笑)。
津田
ありがとうございます。
註8:『カオス的脳観 ―脳の新しいモデルをめざして』
津田一郎著。サイエンス社。サイエンス叢書24。
註9:金子邦彦【かねこ・くにひこ】
(1956- ) 東京大学教授。専門は、生命基礎論(複雑系)、カオス、非平衡現象論。生命誌ジャーナル40号参照。
6. カオスで編集する
津田
ところで、今年のテーマは「編む」ですね。生命誌は編集と関係があるのですか。
中村
「編む」にはもちろん編集という意味も持たせていますし、生命誌そのものに編集するという行為はあると思います。
津田
カオスはそういうところがあると思います。「カオスが編集している」というのはあまりにも擬人的な言い方ですが。情報を計算していて面白いのは、カオスの運動を0と1のビットで展開できるように情報を定義することができるのです。そうすると、1ビット目、2ビット目・・・というふうに、そこにどれだけ情報が入っているか計算できる。普通のカオスだと、情報は時間とともに減っていって、いずれ消えてしまう。これは近かった軌道がどんどん無関係になって、どこにいったかわからない状態を表しています。ところが、ある種のカオスは情報が減衰する前に伝わっていく。ネットワークの中に情報をポンと入れると、内部はカオスなのでどこに行ったのかはわからないけれど、ダイナミックに動きながらずっと残るのです。
中村
わからないけれども、そこにはいるわけですね。
津田
ええ。任意の場所でモニターしていると、一見ぐちゃぐちゃなカオスの中から情報が完全に復元できることがあります。面白いのは、物理系で典型的に出てくるカオスをつないでもそうはならなくて、生物の細胞に近いものを数学で表現して出てくるカオスをつなぐと、情報が生き残る。象徴的ですね。実際は分子のふるまいによるわけですが、カオス的な状態変化さえ起こせば確実に情報を消さずに残す機能がある。
中村
私の脳はすぐ消してしまうから物理的なのかもしれない(笑)。でもそれはおもしろいですね。
津田
そういうタイプのカオスには編集機能のようなものがあって、きちんと情報処理をしているという感じがしますね。
中村
なるほどね。それが生き物っぽいわけですね。
津田
生き物っぽいと僕は思っています。
中村
今日のお話を伺うと、少しずつ新しい流れが始まっているという感じはありますが、生物学もそれだけのものを受けとめて問題を解くようにしないといけませんね。
津田
僕は前にも言ったように生物学にはリアリティがないので、変な質問ですがDNAはここにポンとあるものですか。
中村
難しいですね。細胞内のある場所に存在することをポンとあるというならそうです。
津田
DNAを情報と考えていいなら、空間的に固定化されたところにポンと置けるというのはコンピューター情報に近い感じがします。そこにどんな情報があるかはわかるのですか。
中村
外から入ってきた情報に応じて必要な物質がそれを取りにいく時にわかります。その時、ゲノムの中のどこへ取りにいくかを知っていることが重要です。ある意味でDNAは情報貯蔵庫であって取りに来られるのを待っているわけです。
津田
分離できないとすると、これは1つのシステムと考えないといけない。個々のシグナルに情報があるのではなく、全体の化学反応が情報ということですね。
中村
まさにそうです。最近ゲノムをアーカイブと考えているのですが、それはそういう意味です。ある情報があった時に、勝手にそれが出てくるのではなく、こちらから取りにいくことで、システム全体が動いている。
津田
情報の内容はその時の状況によって変わるのですか。
中村
ええ。分子生物学の始まりは、大腸菌でのラクトース分解酵素を作る遺伝子を働かせるシステムの発見にあるわけで、まさに状況で変わるわけです。
津田
物質の状態変化は非常にケイオティックですから、化学反応によってゲノムの編集作業が行われているとすると、簡単にカオスが出ますよ。それ以外でも、たとえば受容体は作用している時もしていない時もあり、現象としては確率的に見えるはずで、式に書くとカオス解があるはずです。
中村
なるほど。酵素とDNAの一対一の整った関係を思い描いてきた生物学を細胞そのものを見る眼に変えるとカオスが見えてくるのですね。細胞をめぐる物事は1か0ではなく、全体として起きている。それがカオスというわけですね。
津田
そうだと思います。カオスでなく熱ゆらぎで動いているケースもあるとは思いますが、積極的にカオスを出して熱ゆらぎをつくっている可能性もありますよね。
中村
それはとてもよくイメージできます。少し津田さんのことがわかってきたという実感。
津田
化学反応の中ではカオスが常に発生していますから、大まかに見ていけば、鍵と鍵穴という感じでパチッと符号すると思います。相互作用のネットワークに情報を伝える機能があれば、カオスを使ってある場所で入ってきた情報が別の場所にも伝わっている。
中村
なるほど。そのようにイメージすればよいのですね。
津田
カオスが働いているということに意味があるなら、そこの素過程がわかるので、新しいものがつくれたり、新しいものができる仕組みがわかるかもしれません。進化の原動力となるような変化もある程度予測できるかもしれませんね。
中村
最初に私にわかるようになったら、理解者がぐんと増えると言いましたが、このような形で、生物学との協同ができていくようになる可能性まで見えてきました。ありがとうございました。これから更に教えていただくこと増えそうです。
学問に生命観を
中村桂子
さまざまな研究会で話し合う機会は何度もあり、生命現象の基本を美しく解き明かす試みをしているなあと感じてきました。ただ、数学がわからないので、接点が探れずにいるのですが。今回初めて、大学院時代に学問の根底には生命観が必要であると教えられ、以来それを考え続けてきたと伺い、惹かれる理由の一つはそこにあったのだとわかりました。日本の物理学者の中にこのような考え方が伝えられてきたというのは感激です。数学が難しいことに変りはありませんが、生命観に辿りつくまでしつこく尋ね続けていきたいと思います。
津田一郎
生命誌研究館に入ると外界に流れる時間が一瞬にして止まったように感じた。生命の全歴史はゲノムに十重二十重と書き込まれ固定化されているが、その意味を読み解くには強力な概念構築と記述力のある道具が必要だ。前者は「生命誌」、後者はカオスの数学じゃないか。中村先生を知ったのは大学院生になりたてのころで、三菱化成生命研究所が出版した生物と諸科学の相互作用に関するシリーズを読んだときだ。中村先生の考えは、非線系・非平衡統計力学の現象論を目指していた人間にとって物理学に生命性を吹き込むヒントにあふれていた。今回はまた、生命誌研究館の場の力だろうか、中村先生が語る生命誌はまさに存在そのものとしてたち現れ、新しく生み出された時間を共有するという至福の時を過ごすことができた。
津田一郎(つだ・いちろう)
1953年岡山県生まれ。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。現在、北海道大学電子科学研究所教授。「科学する精神」と「近代を超えること」を実践するために、最適の場として脳の解明を選んだ数学者。著書に『カオス的脳観』『ダイナミックな脳−カオス的解釈』ほか。