Ecology
タンガニーカ湖に
カワスズメの世界を訪ねて
アフリカ東部の湖で,爆発的な進化を遂げたカワスズメたち。
多種多様な魚たちは,いったいどのように暮らしているのだろうか。
彼らの世界に潜り込み,長年観察を続けることで,魚たちが織りなすユニークな協調関係が見えてきた。
午前6時,あたりがにわかに明るくなる。静かに横たわる広大な水面。その対岸の山並みから太陽がまっすぐに昇り,湖畔の1日が始まる。アフリカ大陸を東西に引き裂く大地溝帯にできたタンガニーカ湖は,ロシアのバイカル湖と並ぶ世界最古の湖である。その表面積は琵琶湖のおよそ50倍に達し,湖岸線は南北650kmに及ぶ細長い輪郭を描く。湖北端の街,ウヴィラにあるザイール国立自然科学研究所の支所でお世話になるのはこれで2度目。1987年から88年にかけてまる1年の長丁場だ。
朝の喧噪のなか,青空市場に足を運ぶ。日本人の感覚ではとても淡水魚と思えない多彩な魚たちが店先に並んでいる。なかでも種数の多いのがカワスズメ科魚類(シクリッド)で,著しく多様な形態はさまざまな科に属する海の魚を連想させる。ふと,今世紀初頭の「タンガニーカ論争」が脳裏をかすめる。この湖の多様で特異な生物が明らかになるにつれ,それらが海洋起源ではないかという議論が起きたのだ。今では,湖内で著しく分化している生物群は,みな淡水性の少数の祖先から進化したことがわかっている。カワスズメはその代表格。現在およそ200種が知られ,数種を除きすべてこの湖の固有種である。最近の遺伝子解析によると,これらの固有種はみな,湖の誕生時に存在したわずか数種の祖先へと系譜を辿ることができるという。
①対岸のブルンジの山並みから日が昇り,タンガニーカ湖畔での1日が始まる。
②調査地ペンバ。砂地から岩礁にいたる湖底のグラデーションが透けて見える。
③市場へ向かう女性たち。この地では,女性の方がはるかに働き者だ。
④ザイール国立自然科学研究所・ウヴィラ支所(1988年当時)
四輪駆動車で小1時間かけて調査地へ。機材一式を身にまとって湖に潜ると,砂と岩石からなる静かな水中景観が展開する。カワスズメたちは小型であるうえ,珊瑚礁の魚ほど美麗ではない。しかし,その生息密度は時に10m四方当たり5000個体を超え,慣れてくるとまわりが「魚だらけ」なのに気づく。カワスズメの大部分は限られた空間内に定住しており,摂食から繁殖,さらには特有な行動として知られる育仔など,ほとんどすべての行為を,その中で済ませてしまう。暖かく透明な湖水のおかげで,我々は魚たちの世界の真ん中に分け入り,彼らの生活をあれこれ目の当たりにできるのだ。
日本の調査隊が現地研究者とともに始めたフィールドワークは,およそ10年が経過していた。カワスズメの餌が多様なことは以前から知られていたが,我々の調査地の岩場には50種近くのカワスズメが棲んでいる。とても魚種ごとに餌の種類をきれいに「食い分け」ることは不可能で,複数の魚種が同じ種類の餌に依存せざるを得ない。当然,同じ餌を利用する魚種どうしは競合関係にあり,それがどのようにして緩和されているのかが問題となるところだ。ところが,彼らは必ずしも競合ばかりしているのではないことがわかってきた。群れて探索するなど協同することによって,摂餌の効率や成功度を高めている事例がいくつも出てきたのである。
多様な餌利用と並んで,カワスズメの育仔行動も研究対象として興味深い。アフリカの他の湖で主流となっている口内保育をする種だけでなく,卵や稚魚を親魚が見張って保護する種も多いことがタンガニーカ湖の特徴である。私の主な日課は,カワスズメの親子の「出席簿」をつけることだった。その結果,親魚はきわめて定住性が強いことや,仔を捕食者から守るために種間で共同防衛的な協調関係が見られることもわかってきた(⑧)。異なった種類の個体が近いところで定住・繁殖できる鍵は,このあたりにありそうだ。
このように,タンガニーカ湖に展開する複雑なカワスズメの世界は,摂食・繁殖の両面において,資源利用を細分化する一方で,よく似た他種の存在を積極的に促進するさまざまな協調関係によって成り立っていることが,次第に明らかになってきた。一連の発見は,今般国際的に注目されている生物多様性の維持機構を考察するうえでも,新たな視座を提供することとなった。
⑤砂地の水草の上に,H.ミクロレピス(Haplotaxodon microlepis)の幼魚が群れる。
⑥稚魚を保護するN.トレトケファルス(Neolamprologus tretocephalus)の親。稚魚は,親と同じ縞模様が見られるほど大きくなっている。
⑦世界最大のカワスズメ「クーヘ」(B.ミクロレピス Boulengerochromis microlepis)のペア。稚魚の大群を巧みに誘導しながら守っている。
⑧見張り型カワスズメに見られる共同防衛的な関係(模式図)
小型種2種(N.トアエ Neolamprologus toae とN.ブリカルディNeolamprologus brichardi )が近くで営巣・育仔する場合,近づく捕食者に対して共同防衛的な関係が生じる。さらに大型の種(L.エロンガトゥスLepidiolamprologus elongatus )が,彼らの上で巨大ななわばり空間を防衛するなど,育仔という側面においても,複雑な協調関係が認められる。
(写真①~⑦および原図=中井克樹)
その後,ウヴィラ支所は国立水生生物研究所に格上げされ,スタッフも拡充されてきた。ところがその矢先,ルワンダ,ブルンジと続いた民族紛争が隣国ザイールにも伝播し,研究所は反政府軍の拠点となってしまった。そして昨年,ついにザイールはコンゴ民主共和国に変わった。新しい国家体制のなか,研究所の再建はいつの日か。我々の活動は細長い湖のはるか南端,ザンビア側の研究施設との間で継続され,旧ザイールの研究者も時折そこへ招聘され,研究を続けている。
一方,タンガニーカ湖の南にあるマラウィ湖(ニアサ湖)でも,国際協力事業団(JICA)による新たな研究協力が今年から始まることとなった。マラウィ湖のカワスズメは,種数ではタンガニーカ湖をはるかに上回るが,その大部分は,東アフリカに広く分布する単一の系統に由来し,口内保育を行なう種である。彼らは,タンガニーカ湖とは異なった進化史を独自に歩んで多様化してきた。この湖も,暖かく透明な水をたたえている。潜ってみない手はない。きっと,まったく違った面白いことが見えてくると期待している。
(なかい・かつき/滋賀県立琵琶湖博物館・学芸技師)
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。