季刊「生命誌」81〜83号の内容を1冊の本にまとめました。
はじめに
「生命」と名詞で言い切ると、とても抽象的になり具体が見えて来ないことに気づき、動詞で考えるようになって一二年。生きものを特徴づけると同時に、私たちのその時の状況を表現する言葉を選んで毎年のテーマにしてきました。今年は「うつる」です。いつものように辞書を引くと、移・遷・映・写などの文字があります。そこにあるたくさんの意味を読みとり今の気持でまとめるなら、「本質は変わらないまま、次の次元・段階に入る」ということでしょうか。
昨年は二〇周年記念号として、それまでをまとめ、次の扉をひらいたので、次は「うつる」です。
ここには三つの思いがこめられています。一つは、生きもの研究のありようです。ゲノム研究が進み、生きることの全体が見えてくるかと思ったのですが、なかなかそうは行きません。すぐに役立つ答を出そうとするためにゲノム・データを統計的に扱って疾病のかかりやすさを見るというような大型プロジェクトが多いのです。脳細胞は、なぜ心臓細胞でなく脳細胞なのかというような本質的問いへと移れる時なのにと思います。
二番目は社会です。東日本大震災とその中での原発事故という体験を生かし、人間が生きものであることを基盤に宮沢賢治の言う「ほんとうの賢さ」、「ほんとうの幸せ」を求める社会に移ると思っていたのですが、とんでもないことでした。軍事力での空威張りを選ぶ方へ移りそうです。違う方向への舵切りが必要です。
そして三番目は生命誌研究館です。研究・表現を通してのこれまでの活動と共に次の方向を探っています。どの活動も、まさに新しい考え方、新しい方法・技術を探るところに来ているのです。幸い、二〇年間のまとめの活動をしたことによって館員の一人一人が、次へのステップを踏み出す時になっているという意識を持ち、考え始めています。
実は、当初から非常勤顧問として毎年一回研究館を必ず訪れ、研究の話に耳を傾け、展示をていねいに見て下さっている髙村薫さんが、「生命誌研究館を訪ねるたびに、これと似た空間は世界のどこを探してもないと感じる。生命科学が『生命誌』へと進化して身近ないのちと一気につながったように、研究館ではその最先端の研究と、私たちの驚きや感動がつながり、ともに38億年の時間に連なっている実感へと誘われる。」と言って下さいました。
小さな組織ですが、「世界のどこにもない空間」を創り続けなければなりません。そのためには、止まっていてはダメです。まずは研究館を次へと進め、その力で研究全体、更には社会をも新しい段階へとうつしていきたい。それを求めて活動を続けます。
中村桂子
付録について
世界で活躍するアーティスト沢則行さんはじめ、さまざまな方と一緒に創った『生命誌版セロ弾きのゴーシュ』。東京での生命誌研究館20年周年の催しに始まり、地元の高槻市、長野県の飯田市、札幌市、そして人形王国・チェコ共和国での上演。そのエッセンスを豆本としてまとめました。
掲載記事
年間テーマをWEBで読むことができます。