昆虫少年、ラジオ少年、これからの生命科学
生物学者の子供時代にはどうも二種類あるんじゃないか。一つは、蝶を観察したりカブトムシを集めたりする昆虫少年。生物の多様性に興味がある人たちです。もう一つは、僕のようなラジオ少年。多様性よりもメカニズムの方が面白いんですよ。僕はそもそも、脳がどうやって働いているのかというメカニズムを解きたかった。ちょうどDNAのことがわかり始めた頃に研究者になったので遺伝子で脳を理解できるのではないかと考え、ショウジョウバエの行動や神経回路のできかたを遺伝学で研究してきました。人間の脳は難しいけど基本はハエでも同じだろうと思って。
昆虫少年とラジオ少年、どちらも生物学には必要なキャラクターだった。普遍性と多様性を見るわけでこれまではこの方法で成功してきました。しかしこれからの生命科学に必要なのは、多様で複雑な生命現象を、どうやったら複雑なまま理解できるのかという方法論を作りあげることです。これは昆虫とラジオから来た生物学者だけが考えていてはダメ。様々な分野の人たちが協力できる体制を作るために、新しい研究機構を提案しました。それが今年誕生した情報・システム研究機構です。ここから、今までの発想とは違う研究を生みだしたいんです。
理科好きの少年
昭和13年に東京で生まれたらしいの。らしいというのは本当のことは分からないんです。小さいときから堀田の家で育ち、戸籍もそうなっていますが、血のつながった親子ではありません。それを初めて知ったきっかけが遺伝学です。小学校の頃から理科が好きで、先生に教えられて読んでいた本に血液型の遺伝のことが書いてあったのです血液型の遺伝ヒトのABO式血液型は、両親からA,B,Oのどの遺伝子を受け継ぐかで決まる。例えば両親がA型の場合、子供の血液型はAかOの通常2通りしかない。さらに詳しく >>。第二次大戦の終戦直後。戦時中肌身離さず持ち歩いた防空ずきんには、怪我をした時の輸血のために血液型が書いてあったことを思いだして、早速クラスメートにアンケート用紙を配って親と自分と兄弟の血液型を書いてもらったんです。するとね、やたらと本に書いてある法則に合わない組み合わせが見つかった。僕もその一人でした。そこでこの本に書いてある法則は間違いだと先生に言ったら、たちまち先生の顔が青くなってアンケートは取り上げられてしまいました。やっぱり本は正しかったのだと悟りました。日中戦争が始まるころの生まれですから、小学校に入ったばかりの時に空襲で友達が何人も死んでいます。僕も火の中を逃げ回って、九死に一生を得たことが二度ありました。そういう時代ですから、実はよその子供だったり、片方の親としか血がつながってなかったりというのが結構あったのです。でも血がすべてではない。そういう苦しい時代を一緒に暮らした人間のつながりこそ本当の関係を作りだすものですよね。
理科は好きでしたが、花や動物の名前を覚えるだけのような学校での生物学は最後まで嫌いでした。僕はこれまでに生物学の講義を受けたことがない、遺伝学の講義も受けたことがない、自分がやってることは人に教わったことがない、やりたいからやってるんだって威張って言うんですけどね。理科の中では実証的な物理や化学が面白いと思っていました。当時一番感銘を受けた本は、『少年技師の電気学』。オームの法則が書いてあったんですオームの法則導線を流れる電流と電圧は比例関係にあるという法則で、電圧(ボルト)=電流(アンペア)×抵抗(オーム)の式が成り立つ。一方電力(ワット)は電圧×電流の関係にあるので、100ワットの電球に100ボルトの家庭用電圧がかかると1アンペアの電流が流れ、その時の抵抗は100オームと予想できる。。電圧と電流の関係を、水道管を流れる水の圧力と流れで説明する図が載っている。僕はそういうのを読むとすぐに、これは本当だろうかと思って確かめたくなる。血液型の時もそうでしたけどね。先生に聞きに行ったら、じゃあ測ってごらんなさいと言ってテスターを貸してくれた。身近にあった、100Wの電球でやってみました。100Wなら100ボルトで1アンペア流れるはずだから100オームあるはずだと計算しておいて測ったら数オームしかない。疑ってみたらやっぱり違うじゃないか、と張りきって先生に報告したんだけどちゃんと説明してくれなかったな。物理学が専門じゃなかったのかもしれません。実は電球のフィラメントは熱によって抵抗が変わるので、テスターで測っても100オームにならないのが正しいんだということは後になって知るんですけどね。もっと小さいときには、スピーカーから声が出るのが不思議で、あの中には絶対人がいると思ってこじ開けたこともあります。すぐに調べたり、分解してみたりする子供でしたね。楽しかったな。
医学部と計算機
小中高と、高等師範学校(東京教育大学、現筑波大学)の付属でエスカレーター式なので好きなことを楽しみながら過ごしていましたが、高校生になれば将来のことを考え始めます。このときなぜか、お医者さんになって人を助けるのもいいなと思ったんですね。でも生物の授業を受けたことが無いし何も知らない。先生に相談すると、医学部にいる先輩に相談に行きなさいとすすめてくれました。その先輩がとても変わった人で、「医学に生物学はいらない。医学に大事なのは物理と化学と計算機。これからは計算機が診断をする時代が来る」と言ったんです。計算機といっても当時は部屋1杯に真空管が並んでいる大型で、しかも年中どこか壊れていてどこまで使い物になるかもわからないような時代だったんですよ。今思うと卓見ですよね。そこで、それならいいやと思って東京大学の理2に入りました。当時は物理・化学・工学系の理1と、医学・農学・生物系の理2に分かれていたのです。
ところが大学での理2の授業はがっかりするものばかり。まず生物の授業には相変わらず興味が持てません。物理の授業は、教授たちが「君たちはどうせ理2だから」と教科書を丸読みするだけです。たった一つ、統計学の講義だけは感動しました。数理統計は、得られたデータで何が言えるかということを客観的に計算する側面と、誤差がいくらならこれくらい信頼できるという主観的な側面とを分けて扱い、そこから総合的な判断をする学問です。これは、僕たちが考えるときのやり方だ、これは脳の理論なんじゃないかと思いました。我々が何かを判断するさい、たとえば2つのものを見てどちらが大きいとか重そうだとかを考えるとき、脳 がどうはたらいているかわかりません。しかし統計学は、脳が無意識に判断しているようなことを引きだしていると、その時直感しました。ここで統計学を学んだことは、後に非常に役に立ちましたし、脳に深く興味を持つきっかけになりました。
医学専門課程に進むには、試験があります。理2の中ではやはり医学部しかない。しかし医学部入試では生物学の問題が出ます。案の定、生物の問題はさっぱり分かりません。生物の体の構造を知らないと解けない問題には、「こういうくだらない問題には解答できない。落第確実、堀田凱樹」と書きなぐって白紙で出しました。後で知ったのですが、出題者は解剖学の中井準之助先生(季刊生命誌4号)だったのです。「こいつは絶対不合格だと思ってたのに合格してた。堀田というのはけしからんやつだ」と、酒を飲むたびに言われました。中井先生は尊敬してます。その後いろいろ教えていただきました。
脳研究は電気生理学から
医学部に入ったら、もう生物を知らないで済ますわけにはいきませんし、やはり医学にとって生物学は大事で、自分の考えは間違っていたことに気づきました。それに当時は、分子遺伝学でタンパク質合成の仕組みが分かったり、脳の研究でも伊藤正男先生(季刊生命誌27号)の小脳回路の形成など興味深い仕事が始まっていた。今までの生物学のイメージとは違ったものが出始めた時期だったのです。だから生物学の勉強はそれほど苦労なくできました。でも、臨床にはなじめなかった。臨床医学に必要なのは病人を治すことであって、論理は必要ない。教科書には一応理屈が書いてあるけど、あれは覚えるためのものでちょっとひねると違う結論が導かれたりする。だから科学的でありたいと思う人はいい医者にはなれないと思いました。僕はやはり科学が好き。免許も取りインターンも経験しましたが、基礎医学の道に進みました。
所属の研究室を決めるうえで考えたのは、自由にやらせてくれるかどうかでした。江橋節郎先生(季刊生命誌12号)の研究室には優秀な人が集まっていて、しかも自由な雰囲気。江橋先生は筋肉がカルシウムイオンによって収縮するという説を唱え、世界の主流をひっくり返そうとして頑張っていらっしゃる時でした。だから研究室にはエネルギーが充ちていた。ただ僕は筋肉には全然興味が無い。「脳に興味があるんです」と言うと、暫くの沈黙の後に「脳の研究者になるんなら、電気生理学が大事ですね」と口を開かれ、「どうせ電気生理学をやるのなら、一番難しい平滑筋で勉強してみたら」と言われました。平滑筋の細胞は小さく、電極を刺して測定するのが非常に難しいので、江橋研でも誰もやっていなかった。うまく誘導された気もしましたが、独自のテーマがあたえられたのはありがたいと思いました。測定法を他の大学まで習いに行き、モルモットの腸管細胞の活動電位を測定して平滑筋におけるカルシウムイオンの役割を明らかにしました。江橋先生に「面白い結果だから、Natureに投稿したら」と言われ、深く考えずに従ったら、結局この仕事でNatureとScienceに論文を載せることができたのです。ありがたいスタートでした。実験は仲間にも手伝ってもらいましたが、江橋先生は「自分の仕事じゃないから」と共著者に加わりませんでした。大学院生の論文に指導教官が共著で入らないとは、今では考えられない話ですが、江橋先生はそういう鷹揚な方だったのです。それとも信用されていなかったのかな?
ショウジョウバエのアイデア
筋肉の電気生理学を進めながらも、脳を研究したいという思いは続いていました。隣の研究室が、小脳の研究で注目を集めている伊藤正男さんで、合同セミナーでお互いの発表を聞いていました。脳は複雑なことをする面白い器官だけど、神経細胞のネットワークが複雑で調べるのが容易ではない。小脳は細胞が奇麗に配置されていることに伊藤さんが目をつけて、小脳の回路構造を解くことに成功したわけです。みごとな研究ですが、脳の細胞の地図を書いただけではやはり脳のはたらきは分からない。はたらきが知りたいと考えていました。
当時は、バクテリアでわかった遺伝子のはたらき方が全生物に適用できるのだから、もう人間を研究する必要はないし、そもそも人間で研究はできない。分子遺伝学は終わったと言われていました。でもバクテリアに脳はないでしょう。脳の地図を書いたり、電気生理的に調べるのではなく、遺伝子を使って脳を研究する方法があるのではないかという発想が浮かびました。遺伝子に変異を起こした時に、脳の中がどう変わるかを見れば、遺伝子が脳をどのように決めているかが分かるはずだ、遺伝学が使えそうな実験動物を自分で探そう、と思いました。一つ一つ調べていくと、マウスやメダカは自然に取れた突然変異体はあるけれど解析が難しい、ニワトリや金魚は安定した掛け合わせができない、など、次々面倒な問題が出てきてお手上げ状態でした。これが僕の発想の限界。医学部にいると背骨のある生きものしか思いつかないのです。
そんな時、ファージの分子遺伝学の大御所だったベンザー博士が、ショウジョウバエの行動を調べて脳の遺伝学を始めるらしいという話がアメリカから伝わってきた。ベンザーに相談されて、それには電気生理のできる人間が必要だと助言した生理学者の研究室に、江橋研の先輩である大塚正徳先生が留学していたので偶然そういう話が聞こえてきたわけです。そこで詳しいことを聞いてみるかと、軽い気持ちでベンザーに手紙を書いたら、それまでの業績である膨大な論文と一緒に、1枚の実験計画書が送られてきました。自分の次の興味は複雑な行動を支配する脳を分子遺伝学で研究することであり、このような実験系を考えたとありました。彼の偉いところは、行動をきちんと測定する方法がなければ、必要な変異体はとれないと理解していたことです。それまでの行動の実験は、測定があいまいでした。ショウジョウバエは光の方向に走るという顕著な行動があるので、光の方向に走らなくなったり逆に向かう変異体を探して変異を起こした遺伝子を突き止めようというアイデアです行動変異の測定法生物の行動には確率的な要素があるため、行動が正常か異常かを判断するためには複数回の観察を行わなければならない。ベンザーらは、ショウジョウバエの集団に繰り返し走光性の実験を行う“カウンターカレント分布法”を考案し、行動の変異体の探索を試みた。さらに詳しく >>。なるほどと思いましたね。大学院が終わったらすぐにアメリカに行くことにしました。研究室のみんなは、せっかくモルモットの平滑筋で面白いことやってるのに、なんでハエなんか研究するのと冷ややかでした。江橋先生だけが、「まあ、いいんじゃないの。ダメでもハエの飼い方習って帰ってくれば」って送りだしてくれました。
突然変異体のモザイク解析
ベンザーの新しい研究室は、モルガン以来のショウジョウバエ研究の中心地、カリフォルニア工科大学にありました。伝統ある場で研究ができると喜んででかけたのですが、実はベンザーの試みはアメリカでも必ずしも理解されているわけではないことがわかりました。行動は多数の遺伝子の複雑な支配を受けているものであり、一つの遺伝子を変えて何かが起こるのは期待できない。起きたとしても人工的な操作の結果で生物学的な意味はない、というわけです。しかし実験を始めてみると、光の方向に行かない変異体がちゃんととれてきました。これらは、眼が見えないのか、眼は見えるけれど頭が悪くて次の行動を起こさないのか、眼も頭も正常だけれど手足が動かないのか、いくつか可能性が考えられます。ここで私の電気生理の出番です。眼の電位を測定すれば、光を感じる受容体が働いていないのか、それともそこから脳に伝わる神経細胞で信号がストップしているのかが分かります。そうやって突然変異体を分類した仕事がアメリカでの最初の論文になりました。
ところがしばらく続けていくうちに、眼が見えない変異体をより分けても、必ずしも眼で働いている遺伝子に異常があるとは言えないのではないかという疑問が出てきました。例えば、ビタミンAの欠乏症はトリ目になります。腸でビタミンを吸収する仕組みに異常がおきたら、眼そのものは正常でも主症状はトリ目と出てしまう。表現型として眼の異常が出ている時、遺伝子としても眼の異常だということを確かめたい。この問題を考えていたとき、ある研究集会でハエのモザイク個体の発表を聞きました
ショウジョウバエのモザイク個体ショウジョウバエの性決定はヒトと異なり、Y染色体の存在ではなくX染色体の数が重要である(XXがメス、Xが1本でオス)。メスの受精卵(XX)が最初に卵割する際、まれに一方の娘細胞でX染色体が1つ脱落することがあり、その娘細胞に由来する組織は全てオスの形質を持つ。このような個体を雌雄モザイクと呼び、最初の卵割が体を左右に分ける平面で起これば体の中心に雌雄の組織を分ける境界ができる(下図)。。ショウジョウバエの受精卵が最初の分裂を起こすときに、一方の娘細胞でX染色体が脱落してしまうという変異体の報告です。脱落した娘細胞の子孫はずっとX染色体が一つのまま発生するので、一つの身体にX染色体が2つの細胞と1つの細胞が混じったモザイクとなります。身体のどこがX1つの細胞になるかは、受精卵の細胞分裂がどういう向きでおこるかという偶然で決まります。ここで、片方のX染色体に野生型の遺伝子を、もう片方のX染色体に変異型遺伝子を持たせると、身体のある部分は変異遺伝子しかもっていない細胞になる個体を作れることに気づきました。つまり、正常な遺伝子を持つ身体に変異遺伝子を持つ眼があるようにできるし、その逆もできる。これはすごいアイデアを思いついたと、出張先のネバダからカリフォルニアまで夜通し車をとばして研究室に戻りました。早速ベンザーに報告すると、確かにその通り、これで解決だとすぐに理解してくれました。ところが他の大学院生達はきょとんとして反応しません。じゃあ、見せてやると、モザイクの手法で身体の半分は翅の曲がった変異体、残りの半分は正常というハエを作ったのです。これで彼らもようやく理解しました。こうしてモザイク解析を行い、眼の遺伝子型の異常と眼の表現型の異常の間の相関を調べ、100%一致する変異体は眼の遺伝子に変異が起きているとしました。
このモザイク解析を使うと、成虫の器官を作る細胞がもともとどのような細胞集団だったかを推測することもできます。成虫の体で2つの点をとって、その間にX染色体が2つある細胞群と1つになった細胞群の境界線が入る確率を考えると、その2つの点が胚発生の時期に離れていればいるほど確率は高くなると考えてよいでしょう。ここで、大学の時に唯一面白いと思った統計数理が生きてきたわけ。たくさんの点を調べてハエの体全体について、胚発生の時の細胞の相対的な位置関係を明らかにしました。この成果を発表した論文は非常にインパクトがあり、その後大勢の研究者がショウジョウバエの発生遺伝学を始めるようになったのです。日本では、帰国後の九州大学での講義を聞いた勝木元也さんが、カイコでハエと同じ発生運命予定図を作りました(季刊生命誌39号)。学問の流れを作るような研究ができたのは研究者として嬉しいし、誇りですね。
神経分化のメカニズムを探る
アメリカに4年。研究は面白く進んでいましたが、ビザの関係で帰国せざるを得ない状況になりました。しかしハエの脳なんて仕事では、もはや医学部に帰る場所はありません。ちょうどその頃、東大理学部の物理教室で生物物理学の講座を新設する動きがあり、思い切って応募したら講師で採用された。江橋先生の推薦も効いたようですが、発生運命予定図の仕事が物理の理論家好みだったみたいです。生物関係の学科からは無視。帰国後も、発生学の研究会で話をしたら、「遺伝子で発生学の研究をするなんてとんでもない」と冷たかったですね。しかし遺伝学と関係ない生物学はないはずで、遺伝学は生命科学の基礎だと考えていましたから、動じませんでしたけど。物理系の学生のほうが、抵抗なく遺伝学から生物学に入り、面白い研究者になりましたよ。
日本で何を研究対象にするかについてはずいぶん悩みました。ハエではベンザーに勝てないだろうと思ったし、新しい系を作ってもみたかったし。物理学教室ではマウスなどは飼いにくいので、最初はキンギョを考えました。眼が上を向いているチョウテンガンを見て、脳の回路はどうなっているんだろうって思ったんです。生まれたときは普通のキンギョと同じところに眼があるのに成長すると眼がずれていく。このとき視神経の配置も一緒にずれていかなければちゃんと泳げなくなるはずでしょう。ところが行動を調べてみると、実はチョウテンガンはほとんど眼が見えていないし、その原因は神経回路の問題というより網膜が発達していないためであることがわかり、残念ながらこのアイデアは没でした。そこで、やはりハエ。飛べない変異体の解析をしたら、この中に筋肉のタンパク質の変異体が全て含まれており、結果的に江橋先生の成果をハエでも確認したことになりました。
日本に戻ってしばらくした頃、遺伝子組換え技術が開発されて研究の様子が変わりましたね。ハエの研究でその重要性が本当にわかったのは、80年代に、とりだした遺伝子を再び個体に入れてその働きを調べる方法が開発されてからです。これで、変異と遺伝子の働きを対応づけられるでしょう。ところが遺伝子操作にはガイドラインがあってちゃんとした施設が必要です。物理教室にそんな場所はありません。苦労して予算を申請し、日本で初めての遺伝子実験施設を東大に作りました。本当は変異体の作製と行動の解析に集中して、遺伝子の仕事は誰かと共同研究しようと思ったのですが、当時多細胞生物の遺伝子操作をする人がほとんどいなかったのです。昔々みたいな話ですけど、20年前。
遺伝子の仕事は進むスピードが速く、行動を見るためにハエが成虫になるのを待っている余裕がありません。そこで、胚の段階で神経回路がどのように作られるかに注目しました。ある時、神経回路が乱れている変異体をとろうとしていた学生が、まず100匹調べようとして始めた実験で8番目に、なんか神経がぐしゃぐしゃになるハエがいると報告してきました。確かに神経がやたら変な方向に走っているし、本来無い場所に神経がある。脳の中には神経細胞とグリア細胞というのがあることがわかっていますが、このハエにはグリア細胞がなかった。グリア細胞神経細胞(ニューロン)とともに、神経系を構成する細胞の一種。どちらも同じ神経幹細胞から分化する。従来グリア細胞は、神経細胞に栄養を渡すなど補助的な役割しか持たないと思われてきた。
<関連情報>
・中村桂子のちょっと一言:
「脳って何?」2004年8月15日神経細胞とグリア細胞は同じ神経幹細胞から分化するのですが、その時に全部が神経細胞になっていたのです。この突然変異の原因遺伝子を glial cells missing (グリア細胞欠損)と名付け、この遺伝子を全ての神経幹細胞で働くように操作すると、今度は全部がグリア細胞になってしまいました。神経細胞とグリア細胞の分化が1つの遺伝子のスイッチで切り替わる、非常に明快な結果で、全くラッキーな発見でした。しかも100調べるつもりの8番目に見つかったのですから研究には運もありますね。もちろん運をつかむのも努力ですけれど。
DNAの次に来るもの―理論生物学への期待
脳を遺伝子からみるという研究は実現できましたが、脳のメカニズムを知りたいというところにはまだたどりつけていません。さあ、そこをどうしたらいいか。今大問題にぶつかっています。今の生命科学研究は、どういう遺伝子がどういうふうに働きますという話だけが増えている。一方脳科学でも、MRIなどの技術も進んでどういう場所にどういう細胞があります、どう興奮しますという記載は進んだけど、脳がわかったわけではない。もう1回、全生物でDNAが同じようにはたらいていますという原理に匹敵するような、強大な統一論がいるのです。
僕は、新しい理論の出現があると思います。数学的な情報処理の考え方をいれて、複雑で膨大なデータを解いていく。これはかつて物理学が来た道で、全てのことが法則で説明できるとなった後、理論が次に何を実験すべきかを誘導しているわけです。同じことが生物学でも起きるでしょう。理論が何かを予言して、それを検証するという形になって更に実験が進む。遺伝子の実験は、1個を対象に研究しているうちは良いのですが、2つの遺伝子の相互作用になったら途端に難しくなる。3個4個になるともう解けない。でもショウジョウバエ研究では既に、数個の遺伝子を操作したものを組み合わせて実験しなければ新しい研究とは言えなくなっています。こういう実験では何か見えた現象から結論を出すけど、その結論が唯一の答えかどうかさえわからないんですよ。その場合、どういう可能性があるのかを全部列挙して、その可能性を一つ一つ潰していく作業が必要です。それは人間の頭では無理だから、コンピューターの助けを借りる。僕は生命科学の将来にそういうイメージを持っています。実際 glial cells missing の仕事をした細谷俊彦君は、今コンピューテーショナル・ニューロサイエンスという研究手法で、脳がどういう情報処理をしているかを調べています。
『情報・システム研究機構』
この世界には複雑な現象が起こっていて、それに対する沢山の知識がたまってはいるけれど、それをどのように使ってどう対処したらいいかはわからない。地球環境だって、人間社会にしたって、同じ状況です。だから、情報に関する科学、複雑な相互作用を含むシステムに関する科学を進める機関が必要になると主張していたら、お前がやれと言い出しっぺが動くはめになりました。
国立大学の法人化と同じ法律で、国立の研究機関が今年改組されました。国立大学は教育が主眼ですから、物理とか化学とか生物とか、今の自然科学のパラダイムを守ったほうがよい。研究者が勝手に空想している、“次の時代の学問”で体系的教育はできない。一方研究機関は、未来のパラダイムを作るところでしょう。そう考えて、国立遺伝学研究所・国立情報学研究所・国立極地研究所・統計数理研究所の4つをまとめて、情報・システム研究機構を発足させました。「情報・システム」というのは仮称で学問の展開によって変えていけばよい。戦後の新制大学ができてから50年で大改革をしましたから、今度は次の50年に耐える哲学がないといけない。遺伝研と極地研は、実験と観測の膨大なデータを蓄積しています。統計数理は、今後の理論構築になくてはならない存在ですし、情報科学でコンピュータが使える情報研が加わる。日本では例のないことですが、これを本当の専門家集団を作り上げる一つのモデルにしたいと思っています。名前に「生命」や「生物」を入れなかったのは、全分野が生命科学と関わりを持つからその必要はないと考えたのです。逆に生命科学の人が「生命」というタコ壺に入るのは大間違い。かつての物理帝国主義が生命帝国主義になっただけでは困ります。
生命科学が他の分野とつながった科学の再編が、近代科学の最後の段階ではないでしょうか。それでも科学は21世紀を超えられるかどうかでしょう。我々の知っている科学は、せいぜい150年程度の歴史です。それがいつまでも続くなんて思うのは全くおかしい。もし今後科学の再統一ができなければ、今世紀中にじり貧になります。やることはあるから続くだろうけど、面白くなくなります。いま、応用応用って騒いでいるけど、理由の無いことではない。他にやることがなくなってきているんです。つまり、もう既に末期症状が始まっている。20世紀は科学の時代だったけど、21世紀はどうなるかわからない。
これからサイエンスを目指す人に必要な才能 は、僕がサイエンスを目指していた時と全然違ってくるでしょう。今までの科学は、ある現象を抽出して抽象化し、特定の見方をすることで明確な答えを出していたのです。その典型は物理学でした。ところが、生物学ではゲノム研究のように、そこにあるものを全部見るという今までに無いことをしようとしています。現状は、あらゆるものが見えました、でも何だか分かりませんという段階です。今後ゲノム研究者の中から新しい才能が出てきて、科学が次の段階に発展する可能性はあるかもしれません。模索の時ですよね。情報・システム研究機構がそのための役に立てばよいと思っています。