理学としての神経科学

神経科学という学問がめざすゴールには2つあります。一つは、アルツハイマー病やパーキンソン病など神経疾患の治療法を探る、実学としての医学の目標です。もう一つは理学としての目標、即ちわれわれの心や意識を構成している仕組みが何であるかを理解することです。宇宙とは何か、物質とは何かという問いとともに、人類は長い間自らの存在について考えてきました。古代ギリシャやインド、中国などさまざまな時代の哲学者や宗教家は、己を含むこの世界について深い思考を尽くしてきたわけです。しかしながらこれら賢人の時代には、考えること以外にヒトの心という内なる世界と、我々を取り巻く外なる世界の本質を問う手だてはなかったのです。ところが近世になって、素粒子論物理学や天体物理学など自然科学の研究が進み、物質と宇宙に対する新しい理解が生まれました。更にこれまで複雑で深遠というしかなかった心の世界も、学問の対象として神経科学で理解出来るのではないかという時代に入りつつあります。

いま日本では、科学ではなく科学技術という言葉が先行し、役に立つか立たないかという判断基準で学問が評価される傾向にあります。もちろん病気を治すための医学は大事ですが、出口の見える研究と称して拙速な医療への応用が重視されたり、興味本位の脳科学が流行する状況には危惧と違和感を抱きます。かつて進化論や地動説が我々の世界観を大きく変えたように、心の中に生じる様々な葛藤がどのようにして生じるのかを一人ひとりが理解できるようになれば、我々の自分に対する認識も大きく変わってくると思うのです。こうしてヒトがより自由な内面世界に生き、客観的な立場で自分を考えるようになるとすれば、それも科学の人間社会に対する大きな貢献といえるのではないでしょうか。

理学の道の選択

私が子供の頃、家は商いをしていましたが、父は私に商売を継がせようとすることもなく、ギフチョウを卵から育てたり、貝塚に行って土器掘りをしたり、農業試験場でイネの苗をもらってきたりと、いろいろな自然を体験させてくれました。それはそれで楽しかったのですが、一方で文章を書く事も好きで、高校では仲間を集めて同人活動などもしていました。しかし腎臓を悪くして学校を休み、その後も通院する生活が続きました。急性腎盂炎が慢性化して、完治しないかもしれないと言われたときはショックでしたね。そこで、物書きになろうと漠然と考えていたのですが、人間について何かを書こうとすると、まずは自分が多少なりとも人生を生きて、世の中を知らなければ始まらないと思い至りました。文章を書くという夢はしばらく封印して、とりあえず理系の道を歩む事にしたのです。もし自分が健康で命が続けば、40歳あたりで物書きか歴史の研究を始めようと思ったのです。

最初は医学を学ぼうと、京都大学の医学部に願書を出しに行きました。その時、事務室の向かい側の建物が『電子顕微鏡の世界』という岩波新書を書かれた東昇先生(元京都大学ウイルス研究所所長。故人)の研究室だったのです。折角ですから先生にお会いしようと立ち寄ったところ、東先生は非常に大事なことを言って下さいました。先ずご自身が取り組んで来られた電子顕微鏡学はもう終わった事。そしてウイルスや細菌を材料に、生命現象を分子の言葉で記述する新しい学問が始まりつつある事。更に医学部に行くと医者になる為の修業があるから、研究者を目指すのなら理学部に行きなさい、とおっしゃいました。そのような訳で改めて理学部に願書を出す事になったのです。

幼稚園の時。

小学校の校庭で卒業記念写真(後列右端)。

京都大学理学部に入学。吉田寮にて。

自分で考えるトレーニング

1967年の春、理学部には生物物理学教室が新設され、我々の学年がそこの最初の学生になったのです。学部の時には近藤寿人さん(現大阪大学教授)や岡田清孝さん(現基礎生物学研究所所長)らと一緒に、岡田節人先生(現京都大学名誉教授、JT生命誌研究館名誉顧問)と江口吾朗先生(元熊本大学学長)の研究室で御世話になり、大学院は分子遺伝学が専門の小関治男先生(京都大学名誉教授。故人)の研究室で、当時助教授だった志村令郎先生(現自然科学研究機構機構長)の指導を受けることになりました。その頃の私は、毎週届く一流誌の論文を誰よりも先に読んで優越感に浸り、研究の最先端に居るような気になっていたのです。でもあるとき小関先生に「君、何でもちょっとずつよう知ってるね」と言われ、ものすごく傷つきました。それを契機に、自分でアイディアを考えることが重要だと気づきそれに専念する事にしたのです。

こうして新しい実験計画を色々と考えて志村先生のところに持って行くと、先生はよくできた人ですから、「よく思いついたね」とおだててくれます。でも色々調べてみると、そういうアイディアはもう既に論文になっている事が多く、それに気付いてがっかりし、また別のことを考えるという日々が続きました。そのうち次第に、5年後にはこういうテーマで世界の一線の研究が動いているはずだというところまでたどりつくようになったのです。学生時代には、最初からテーマを与えられて研究をするのではなく、自分で考えることを強いる教育が重要だと思います。

私の場合、その頃未だ確立していなかったRNAのプロセシングRNAのプロセシング遺伝子の転写によってつくられる一次産物である前駆体RNAが、酵素による修飾を受けて機能を持つ分子として成熟する過程をさす。前駆体RNA中に存在する不要な配列を除去するスプライシングや、ポリA構造の付加などがある。という現象をテーマに、分子遺伝学的手法でその過程を明らかにする研究に取り組みました。悪戦苦闘の末、複数のtRNAが前駆体RNAから切り出されるプロセスに関わるRNAasePという酵素の大腸菌変異体を分離し、その解析で学位を取りました。この研究はRNAasePのRNAコンポーネントに酵素活性があるという、後にノーベル賞の対象となるリボザイムリボザイム酵素活性を示すRNAの総称。多くは、RNAに対する切断活性をもつ。発見の分子遺伝学的基礎となりました。この研究でイエール大学のAltman博士がノーベル賞を受賞する頃には、私はこの研究から離れていましたが、最初の目の付け所は間違っていなかったと思います。

Science Topics: 季刊 生命誌 2号
シロイヌナズナに見る根の成長の遺伝子コントロール
岡田清孝

Scientist Library:
季刊 生命誌 30号
『ルイセンコの時代があった 生物学のイデオロギーの時代に』
岡田節人

Scientist Library:
季刊 生命誌 11号
『分子生物学のロマンティック時代と私』
小関治男

Scientist Library:
季刊 生命誌 5号
『私のサイエンス・スタイル「直感的創造力」』
志村令郎

京都大学生物物理学教室にて。

免疫学との出会い

1976年に移ったカリフォルニア大学サンディエゴ校では、酵母のtRNAでスプライシングの研究をしていたAbelson博士の研究室に所属しました。その頃はまさに、遺伝子のクローニングやDNAの塩基配列決定法の開発など重要な技術革新が次々起こっていた時期で、高等生物を対象とする分子生物学が現実のものとなりつつあった頃です。これはもうウイルスやバクテリアをやっている時代ではない、高等動物の複雑系に研究分野を変えようと決心しました。

たまたま利根川進先生利根川進分子生物学者。抗体の多様性を生む遺伝的原理の解明により、1987年ノーベル生理医学賞受賞。現理化学研究所脳科学総合研究センター長。がサンディエゴに立ち寄る機会があり、会って話をしてみると、噂に反してとてもチャーミングな人でした。勿論研究も大変魅力的でしたので、すぐにスイスのバーゼル免疫学研究所に移って抗体遺伝子の研究を始める事に決めました。高等動物の免疫系では、体内に侵入する様々な異物を抗原として認識し排除しますが、これまでに出会ったことのない抗原に対しても特異的な抗体を産生する能力が備わっているのです。ところがマウスやヒトの染色体にはせいぜい数百種類しか抗体遺伝子の配列はありません。限られた数の抗原受容体遺伝子を用いて、無限種類の抗原情報をどう処理しているのかが大きな謎でした。

バーゼルに移ってすぐの私に利根川先生は「お前に一番美味しいテーマをとっておいた」と言って、クローニングされたばかりの抗体遺伝子の塩基配列を決定する仕事を与えてくれました。しかしそういう研究は技術があればだれでもできるからと断り、私は抗体遺伝子が再構成する仕組みについて考えることにしました。

やがて、断片化されている抗体遺伝子がリンパ細胞の分化過程でDNAの組換えによって再構成され、その遺伝子断片の組み合わせと組換え部位近傍の塩基配列の修飾によって、多種多様な抗体遺伝子が生まれることが明らかになったのです。ある時、この抗体遺伝子が転座する仕組みを実験的に検証するアイデアを利根川先生に話しはじめると、負けん気の強い先生は私に種明かしをさせず、「その後は俺に考えさせろ」と言うんです。翌朝廊下で会うと、「あれはグレートアイデアだ、それでいこう」と一緒に実験を始めました。何をやっても世界のフロントの研究でしたからすごく楽しい時代でしたね。2年程の間に「Nature」のアーティクルに論文を4本出しました。

カリフォルニア大学サンディエゴ校に留学。クジラウォッチングのヨットの上で研究室の学生と。

スイス・バーゼル免疫学研究所にて。利根川研究室の先輩の平間稔さんと。

神経科学と45歳の駆け出し

1981年に利根川先生はマサチューセッツ工科大学(MIT)へ教授として移り、私はカリフォルニア大学バークレー校に自分の研究室を構えました。英語で150人程の学生を相手に週3回、分子免疫学の講義をするなど色々と大変でしたが、この分野で認められた研究者として順調な生活を送っていたのです。しかし若い頃の「40歳になったら歴史か物書きをする」という気持ちは変わらず、残りの人生をどう生きるかについて考えました。ただ、生活していく必要がありますから、自然科学と決別するのではなく、分子生物学者として別の生き方を考えようと思いました。その頃、高等動物のもう一つの高次システムである神経系に興味を持ち、ヒトの心のしくみの解明に挑戦したくなりました。但し、バークレーにいる限り免疫学から足を洗うのは難しいと思い、終身教授の身分を捨てて日本に移り、具体的には嗅覚の研究を始めることにしたのです。45歳で、全くの駆け出しからの出発です。

免疫系と神経系は、高等動物のもつ2つの高次システムです。免疫を支える抗体に膨大な多様性を生み出す仕組みは、抗体遺伝子の再構成の発見で一応明らかになりました。次に神経系を対象にする場合、分子生物学者の目から見て面白い遺伝子システムは何かを考えました。そこで目を付けたのが、高等動物の嗅覚受容体遺伝子です。免疫系と嗅覚系に共通する課題は、限られた数の受容体遺伝子を用いて、生きものがどうやって外来の異物や匂いという多様な情報を識別しているかを理解することです。

カリフォルニア大学バークレー校で自分の研究室をもつ。

1993年、一時帰国中に立ち寄った新宿御苑。この頃、東京大学に移ることを決心した。

免疫系と嗅覚系のアナロジー

陸上に生活する高等動物が識別できる揮発性の匂い分子は、十万種類以上あるといわれています。従って、これら匂い分子の様々な組み合わせからなる匂い情報は、無限種類あるといっても過言ではありません。これら匂い分子を検出するセンサーにあたるものが、鼻腔の嗅上皮で発現する嗅覚受容体(odorant receptor: OR)です。しかしその遺伝子の数はマウスで約1,000個、ヒトにいたっては380個ほどしかありません。そこで当然この分野の研究者は、嗅神経細胞でもリンパ細胞に見られたようなDNAの組換えがOR遺伝子を多様化しているのではないかと考えたわけです。ところがいくら調べても、嗅神経細胞でOR遺伝子が組換えられているという証拠は出てこないんですよ。

もう一つの興味深い問題は、個々の嗅神経細胞が1,000種類あるOR遺伝子のプールの中からたった1つを選んで発現する仕組みです。一つの嗅神経細胞が複数種類のOR遺伝子を同時に発現してしまうと、どの匂い分子が受容されたかを細胞レベルで区別するのは難しくなります。免疫系のリンパ細胞の場合と同様、嗅神経細胞のアイデンティティはどの受容体を発現するかによって決まるわけですから、私としてはこのOR遺伝子の単一発現の問題を解決せずに次に進むことはできないと思いました。

東京大学に移ってからの最初の大学院生だった芹沢尚さん(元長岡科学技術大学准教授。故人)や後輩の宮道和成さん(現スタンフォード大学研究員)らとこの問題に取り組み、OR分子による負のフィードバック制御という考え方を導入する事により、1神経・1受容体ルールの謎を解き明かしました。これはリンパ細胞における抗体遺伝子発現の対立形質排除(allelic exclusion対立形質排除(allelic exclusion)ヒトの体細胞のように両親から受け継いだ相同染色体の対をもつ細胞では、常染色体上にある対立遺伝子はどちらも等しくタンパク質をつくるのが基本である。しかし抗体遺伝子やT細胞受容体遺伝子では、1つの細胞内では母方か父方のいずれかの対立遺伝子からしかタンパク質がつくられないため、父母の間で遺伝子多型があってもその遺伝子産物に関しては1種類の発現が保証される。この現象を対立形質排除(対立遺伝子排除)とよぶ。にヒントを得たものです。神経科学に転向して10年目に出た成果で、2003年の暮「Science」のアーティクルに掲載されました。
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嗅覚受容体遺伝子の単一発現制御
嗅覚受容体(OR)の遺伝子は様々な染色体上に50ほどのクラスターをなして存在している。それぞれのクラスターの上流にはlocus control region(LCR)と呼ばれる遺伝子座に特異的な制御領域があり、そこに形成される転写活性化複合体が、下流にあるOR遺伝子のプロモーター(P)の一つと結合することにより、そのOR遺伝子を活性化する。ひとたび機能的なOR分子が発現すると、その細胞ではそれ以外のクラスターで別のOR遺伝子が活性化されるのを阻止する必要が有る。そのために、負のフィードバックのシステムがはたらいて、他のLCRやそれに結合するタンパク因子を不活化することにより1神経・1受容体ルールが維持される。

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マウスの嗅覚系
左)鼻腔の嗅上皮にある嗅神経細胞は、大脳前方部にある嗅球に向けてその軸索を伸長する。特定の嗅覚受容体を発現する嗅神経細胞とその軸索を選択的に青く染めてある。
右)嗅球部分の拡大図。同じ種類の嗅覚受容体を発現する嗅神経細胞の軸索は嗅球上で収斂し、糸球と呼ばれる構造体をつくる。

次に解くべき問題

こうしてOR遺伝子の研究に足がかりを得たので、当然学生さん達は、次にはさらにフィードバック制御の詳細を調べるのだと思っていたようです。しかし私は、「その研究は遺伝子発現の問題であって神経科学ではない。詳細に関しては君たちが独立してからゆっくりやればいい」と言ったんです。当時その先にはさらに大きな問題、即ち嗅神経細胞が脳に軸索を伸ばす際、どうやって投射先を知るのかという番地探しの問題があったからです。

1,000種類のOR分子で多様な匂いを識別する方法としては、入力した匂い情報を二次元マップ、即ち匂い地図として画像展開し、そのパターンをもとに脳が情報を判断すると考えられています。具体的には、嗅上皮に約1,000万個ある嗅神経細胞は、脳の嗅球とよばれる場所の特定の位置に軸索を伸ばして、OR分子の種類毎に対応する1,000個の糸球構造をつくります。したがって、嗅上皮でどのOR分子をもつ嗅神経細胞が興奮したかという匂い情報は、嗅球では1,000個ある糸球のうちどれが活性化されたかという位置情報に読み替えられ、それを脳が識別すると考えられています。嗅覚系におけるOR分子と匂い分子の対応は免疫系の抗原抗体反応に比べそれほど厳密ではなく、1種類の匂い分子が複数種類のOR分子と結合することも、また1種類のOR分子が複数種類の匂い分子と結合することも可能です。従って、嗅上皮において検出された匂い情報は、例えて言うと1,000個の豆電球からなる電光掲示板のどことどこが光っているかという、糸球の発火パターンとして嗅球表面に映し出されるのです。

ここで問題となるのは、嗅上皮にある1,000万個の嗅神経細胞から伸びる軸索が、発現するOR分子の種類をもとにどうやって嗅球にある自分の投射先、即ち糸球の位置を探し当てているかです。OR遺伝子の発見者の一人でノーベル賞を受賞したAxel博士(コロンビア大学教授)は、軸索の先端にもOR分子が検出されることを根拠に、OR分子がその投射番地を「嗅ぎ分ける」という説を出しました。一見、説得力があるように見えますが具体的な証拠はなく、私には嗅覚系だけがそんな特殊なやり方で神経回路を構築しているとは信じられませんでした。当時私は研究室のみんなに、「1糸球・1受容体ルールを支える分子機構、即ちOR分子の種類に基づく軸索投射の謎を解くこと以外に興味はない。これが解けなければ先に行けないし、これで負けたら先がない」と宣言しました。常に、解くべき問題が何であるかを明確に示すのがボスの大事な役目です。

匂い情報の受容と匂い地図
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:嗅上皮において個々の嗅神経細胞は、約1,000種類ある嗅覚受容体の遺伝子群のなかから1種類のみを相互排他的に発現する(1神経・1受容体ルール)。また、同じ種類の受容体を発現する嗅神経細胞は、その軸索を互いに収斂させ、嗅球において同一の糸球に投射する(1糸球・1受容体ルール)。匂い分子は先ず、嗅上皮にある嗅神経細胞の発現する嗅覚受容体によって検出される。匂い分子の受容体に対する結合シグナルは、電気パルスとして軸索を介して嗅球にある特定の糸球へと伝達される。こうして匂い情報は、嗅球表面では二次元的位置情報に変換されることになる。
:匂い地図形成の仕組み。匂い分子と嗅覚受容体の対応は厳密な1対1の関係にはなく、グループ対グループの対応であると考えられている。したがって、匂い分子は嗅上皮において、その官能基を介して複数種類の嗅覚受容体と異なる親和性で結合する。その結果嗅球においては、これら受容体に対応する複数の糸球が異なる強さで発火し、その二次元的な糸球の発火パターン、即ち匂い地図が形成される。

東京大学での研究室の一期生となる芹沢尚さんと。バークレーにて。

神経回路形成の新しいロジック

1991年のBuck博士(現フレッドハッチンソンがん研究所教授)らによるOR遺伝子の発見以来、ORの種類によって軸索の収斂・投射がどう制御されるのかは長い間の謎でした。我々はこの問題に対し、軸索が嗅球の前後軸方向に並ぶ仕組み、背腹軸方向に並ぶ仕組み、そして軸索どうしが選別される仕組みの3つに分けて解析を行いました。

当時大学院生だった今井猛さん(現科学技術振興機構さきがけ研究者)は、OR分子の下流で産生されるcAMPcAMP環状ヌクレオチドの1つで、ATPから合成される。ホルモンや神経伝達物質などの作用を受けた細胞内で合成され、これが細胞応答の引き金となることから、細胞外のシグナルに対するセカンドメッセンジャーとよばれることもある。はOR分子の種類毎に固有なシグナルレベルをもち、それが軸索の投射に関わる分子の発現を制御する事で嗅球の前後軸に沿った投射位置を規定している事を見出しました。cAMPのような一般的なシグナル分子が軸索の投射を制御しているというまさに目からウロコの画期的発見で、2006年の一報目に加えてその続報が最近「Science」のアーティクルに掲載されました。一方、嗅球の背腹軸に沿った投射位置の決定については、嗅神経細胞の嗅上皮における位置情報がパラメーターとしてはたらき、これを介して間接的に、OR分子の種類と背腹軸に沿った投射位置が関連付けられていることが判明しました。

また大学院生の竹内春樹さん(現GCOE特任助教)らは、軸索の投射が嗅球の腹側よりも背側で早く始まることに着目し、先に投射する背側の軸索が、遅れて投射してくる腹側の軸索の為に指標分子をターゲットである嗅球に運び込むことを見出しました。これは、「軸索投射のための指標分子はターゲットで予め発現される」というこれまでの常識を覆す、神経マップ形成の新たなストラテジーの発見です。この研究は最近の学会で好評を博し、現在「Cell」に投稿中です。さらに、嗅球における糸球地図の微調整、即ちリファインメントは神経活動依存的に生じる軸索末端の仕分けによって行われ、これにはOR分子の種類に連動してその発現量の決まる接着分子や反発分子が関与している事が判明しました。この研究は先に述べた芹沢尚さんや宮道和成さんらによって2006年の秋「Cell」に発表されました。このように、東京大学の研究室で育った優秀な大学院生たちによって、高等動物の嗅覚系における神経地図形成の分子機構が大筋で理解できるようになりました。
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cAMPが軸索の投射位置を制御する
個々の嗅覚受容体(OR)分子はそれぞれに固有なレベルのcAMPシグナルを産生し、これがcAMP依存性キナーゼ(PKA)を介して転写制御因子CREBをリン酸化し、軸索投射因子(guidance molecules)の発現量を規定する。その結果、発現するOR分子の種類に応じて、嗅神経細胞は嗅球の前後軸に沿った軸索の投射位置を決定する。

嗅覚受容体遺伝子の発見者の一人でノーベル賞受賞者のLinda Buck博士(右から2人目)。研究室の学生達と上野にて。

神経回路から行動の研究へ

こうしてようやく匂いという多様な情報を識別するシステムの一端が見えてきました。次は嗅球に匂い地図として画像変換された匂い情報を脳がどう判断するかという問題を解かねばなりません。実はここでも意外な発見がありました。

匂いに限らず、外界からの感覚情報に対し情動や行動が発動される際には、脳の中枢で本能判断と学習判断の双方がはたらきます。これまで嗅球は嗅上皮で受容された嗅覚情報を匂い地図として映し出す単なるスクリーンと考えられてきました。しかしながら我々のグループの最近の研究によって、先天的な匂い判断と学習に依存した匂い識別の為の二つの神経回路は、嗅上皮の段階で既に独立に情報を入力している事が示されたのです。数年前、当時研究員だった小早川高さん(現大阪バイオサイエンス研究所及び科学技術振興機構さきがけ研究者)らが、遺伝子操作によって糸球地図の背側を欠失したマウスを作ったところ、本能的に忌避するはずのキツネの匂いや腐敗臭に反応しなくなりました。しかし、これらの匂いに痛みを関連づけて学習させると、次回からはちゃんと逃げるようになりますし、砂糖と関連づけて学習させると腐敗臭でも好むようになるのです。この研究結果は2007年に「Nature」のアーティクルとして発表され、ネコを怖がらないネズミの写真と共に、英国のBBCテレビを始めカタールのアルジャジーラに至るまで、各国のメディアで取り上げられました。この実験によって、同じ匂い情報に対しても本能判断の為の神経回路と学習判断の為の回路とが独立に機能している事がわかりました。

ヒトを含む高等動物では、外界から入力する感覚情報を本能回路と学習回路に分けて別々に判断し、それらを脳が統合しています。嗅覚に限らず五感全てにおいて、餌や天敵、生殖等、個体や種の生存・維持に関わる感覚情報は、入力の段階ですでに遺伝的にプログラムされた本能回路によって独立に処理されると我々は推測しています。本能判断とは別に、色付けのなされていない学習判断のための匂い情報が、どのようにして記憶情報をもとにその質感を与えられるのかがこれからの嗅覚研究の課題だと思います。嗅球から僧帽細胞僧帽細胞嗅球における出力細胞。糸球に分布する樹状突起で嗅神経細胞とシナプスをつくり、大脳の嗅皮質に軸索を伸ばす。を介して嗅皮質へと伝達される匂い情報は、嗅皮質で記憶ファイルの検索を行うと考えられます。その結果、この匂い情報が前回どのような状況で入力されてきたかを知ることによって、その情報の質感が判断されます。もし、この学習判断が本能判断と一致しない場合に脳はどうするのか。ここで生じる二つの判断の対立が我々の意識の中に葛藤を生む原因となるわけですが、こうしたせめぎ合いの裁定はどこでどのようになされるのか、それがこれから知りたいところです。このような研究は今後ヒトの情念や意識の理解につながるものと期待されますが、分子生物学が神経回路と行動とのリンクを明らかにしていく中で、どこまで我々の心に迫りうるのか、今後の進展に期待したいと思います。

ネコを怖がらない遺伝子操作マウス
遺伝子操作で嗅球の背側の糸球群を欠損したマウスは、本能判断の為の嗅覚回路が作動せず、天敵の匂いを検出しても本能的恐怖行動を示さない。ちなみにこのマウスは、残った腹側の糸球群を用いて、記憶に基づく学習判断は行える。すなわち、天敵臭をかがせて同時に痛みを与えると、次回からはその匂いをかいだだけで怖がるようになる。

天命を知り耳従う

私は常々学生さんに、研究とはある種の天命で進むものだと言っています。自分はこれを解きたいと考えて問いを立てる。そこまでは人の知恵ですね。しかしそこから出てくる結果については我々の予測と知恵を越えた問題で、だからこそ発見が有るのです。実験科学では、10の実験をやってすべて失敗することなんて当たり前ですが、それは誰が悪いわけでもない。でもうまくいくときは、自分が予想していた10倍も20倍もの結果が出てきます。私はいつも「天が己をして何をなさしめんとしているか」と考える事にしています。仕事がうまくいくかいかないかは、何か大きな意思の力で動かされているんだと考えればすごく楽ですよ。一方、自分の周りにluckinessを嗅ぎ取る力というのもその人の能力だと思います。私がバーゼルに居た頃、利根川先生も「ヒトシ、俺らの周りにまだluckinessがある間にもう一仕事やってしまおう」と言っていましたからね。

東大に移って頭のいい学生さん達を見ていると、与えられた問題を解くのは上手だけれど、自分で問題を作って解くのが極めて苦手ですね。しかも100点満点で95点以上取らないと気が済まないところがある。つまり、いつも他人からの評価を気にする癖がついています。そもそも他人の目なんか気にしていたらサイエンスはできません。他人がほめようがけなそうが、そんなもの自分の研究には何の助けにもならないと悟って欲しいものです。自分にとって一番怖いもの、即ち自分をだめにするのは自分自身であると私はいつも思っています。

物書きの夢ふたたび

免疫学を15年、神経科学を15年やって、今は次に何をするかを考えています。脳のはたらきを研究する時に思うのは、意識、記憶、情念などという言葉に一対一で対応する実体が何であるかがよくわからないということです。昔、学生時代に岡田節人先生が言われた、「生物学において、人間の目に面白く映る現象が重要な原理に一対一で対応しているという保証はない」という言葉は至言ですよ。

匂いの研究でやっと学習や記憶の研究の入り口には来ましたが、そのシステムを理解する為の次の問いの立て方が難しい。これまで行われてきたように、遺伝子を脳研究の単位として、ノックアウトマウスをつくるなどの方法で攻めていっても多分限界があるのだと思います。ここでもうひと工夫して、何を単位にしてシステムとしての脳を攻めるのか、それを見極めた上で鍵となる問いを設定し、それを解いて行きたい。そしてその成果をふまえ、これまでいろいろな時代の哲学者や宗教家が考察したことをもう一度振り返り、人の心の世界を自分なりに考えてみたいですね。高校生の頃に思った物書きになる夢を、このような形で達成できればと密かに願っています。
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穂高・間ノ岳にて。若い時から登山を楽しんでいるが、一昨年の初夏、北穂高から降りる時に足を滑らせ雪渓を400m滑落した。ヘリコプターで病院に運ばれたが奇跡的に切り傷程度ですみ、医師からは「普通無事ではすまない。拾った命を大事にして、まだまだやりたいことが残っているでしょうから、がんばって下さい」と励まされた。

学生時代にお世話になった小関治男先生(後列左)、志村令郎先生(前列左)、岡田節人先生(前列右)と。1989年の夏に琵琶湖畔にて。