里山少年

国民学校5年生の時、東京から岡山県の伊部(いんべ)に疎開したことが、僕が「里山少年」になったきっかけです。戦争がひどくなってきた頃で、学校に行っても農作業をする時間が多かったですね。田んぼのあぜ道の草刈りをさせられて。干した草は戦地の馬のエサに供出されたのです。小学生でも重要な働き手ですから、農繁期になると、鍬や鎌を持ち、学校から農家に派遣されました。最初は鎌の使い方がわからず、自分の足をひっかいて先生に怒鳴られました。その翌年は早起きして自分の鎌を一所懸命研いで、切れ味の良い刃で同級生を追い抜かし、よい調子に刈り進んでいたのですが、やはり基本がなっていなかったのですね。うっかり自分の小指を骨にとどくまで切ってしまいました。この時の傷は今も残っており、これを見るたびに、仕事に対する心構えを思い返しました。

疎開先でお世話になった伯父さんが田畑を持っていたので、そちらのお手伝いもよくしましたが、やはり食べ物には不自由しました。地元の友だちがドジョウを取って食べようと誘ってくれて、みんなはざるを使って上手に取るのですが、僕は全然だめでしたね。どうも僕はドジなところがあって、魚も虫も取るのがヘタでした。動くものが相手だと勝てない。それに比べたら、植物は近づいていっても逃げない。草刈りをしていると、いろいろな草花が目に飛び込んでくるわけです。

東京にいた時に自然に興味がなかったわけではありませんが、算術なんかもわりと好きでした。数学者になった4つ上の兄(柴岡泰光・青山学院大名誉教授)の影響です。ずっと東京にいたら自分も数学を目指したかもしれませんが、多分ものにならなかったと思いますね。岡山での自然体験が僕の人生を大きく変えました。昆虫少年ではありませんでしたが、植物好きの里山少年になっていったのです。

母に抱かれてピクニック。満1歳のとき、東京・大倉山の梅林
で家族全員の記念写真。

兄とのツーショット。(左:本人)

レンコンは答えてくれない

国民学校の最後の年に戦争が終わりました。世の中ががらっと変わりましたが、僕らにとっての一大事は、戦争中は誰も話題にしなかった「中学受験」が重要課題となったことです。兄と同じ中学をめざし、自分では緊張していたのに、家族は僕も難なく入れると思い込んでいたのか、試験の前日もジャガイモ畑の肥やしやりをさせられたことを今でも覚えています。

無事に入学できた閑谷(しずたに)中学という山の中の学校は、自然に囲まれた良い環境で、そんな雰囲気にぴったりの生物の先生がいました。植物のことをよく知っていて、野外授業では「この大きいのはカラスノエンドウ、この小さいのはスズメノエンドウ。カラスとスズメの間くらいの大きさのエンドウは、あいだをとってカスマグサ。植物の名前なんていいかげんだね」と一度聞いたら忘れない語り口で名前を教えてくれました。宿題で野山に生えている植物のさく葉標本(押し葉標本)をつくって、有り合わせの紙に貼って提出したら、一つ一つ名前が付いて返ってきました。全ての植物には名前があるんだと実感しましたね。草を見て、名前を気にするようになったのはこの先生のおかげです。

試験問題もユニークで、僕の前の学年では「アカマツはなぜ赤いか。クロマツはなぜ黒いか」という問題だったそうです。みんな必死で考えて、クロマツは海岸に生えていて潮風に曝されているからだろうとか書いたんだけどバツ。正解は、「アカマツは赤いからアカマツ、クロマツは黒いからクロマツ」。こんな試験、生徒は納得できませんが、ひょっとしたら先生は、生きものには答えのない問題があるということを伝えたかったのかもしれないと、今になって思います。

あるとき授業で「何か質問はないか」と言われたので、「レンコンはどうして穴が開いているのですか」と聞いてみました。先生の答えは、「君はめがねをかけているけれど、君が近眼だからか遠視だからか、それとも伊達でかけているのか。理由は君に聞かないとわからない。レンコンになぜ穴があるのかは、レンコンに聞かなければわからないわけだけど、でもレンコンは聞いても答えてくれないからわからない」というものでした。その時ははぐらかされたと思って不満でしたが、今僕が同じ質問をされたらどうでしょう。「長い長い進化の過程でそうなった」と答えるのは間違いではありませんが、やっぱり本当のところはレンコンに聞いてみないとわからない。適当な答えでごまかすのではなく、ときには「わからない」とはっきり言うことも大事な事だと思います。

キミ見てみんか

中学2年で東京に戻り、地元杉並区の豊多摩中学に転校しました。ちょうど学制改革の時期で、旧制中学がそのまま新制の高等学校になり、受験も無く高校進学できたのでその後の4年間はのんびり過ごせました。また時間割の中にクラブ活動が組み込まれるようになり、植物採集が好きだったので生物部に入りました。このとき一緒に入った平塚保之君(現カナダ国立森林研究所名誉研究員)はシダ植物に興味を持っていて、よく一緒にとりにいくうちに僕もシダが好きになりました。シダの葉はもともと平べったいから標本にするのが楽なんです。

生物部の顧問は川崎庸三先生という方で、いつも気難しい顔をされていましたが、面倒見のよい方でした。部室がなかったので先生に相談すると、「盛んに活動していることをみんなに見せなさい」と言われて、職員室の隅に机を置いて下さいました。そこで、シダの胞子をシャーレに蒔いて前葉体を見せたり、近くの草花をフラスコに挿して先生に教えてもらった名前を書いた名札を付けたりと盛んにアピールしたのです。その甲斐あって、1年後には部室をもらえました。

教室でのクラブ活動では、『牧野植物図鑑』の漢名索引だけで実際の植物を思い浮かべるゲームがはやりました。ある時、「向日葵」からたどりついた「ひまわり」の項にある「然レドモ太陽二向ヒテ廻ルコト無シ」という一文が議論になりました。僕は、「つぼみの時までは少し日に向くが、花は南向きに咲く」という以前本で読んだ知識を披露しましたが、本当にヒマワリが廻るか廻らないかは誰もわかりませんでした。そこで、教卓でいつものように難しい顔をして座っている川崎先生に、「先生、ヒマワリって本当に廻るのでしょうか」と怖々質問しました。すると先生の表情が明るくなり、「僕は廻ると思っているんだが、どうだキミひとつ見てみんか」と、予想もしない答えが返ってきたのです。

それまでは、本で読んだ知識と自分で見たことは全く違う次元のことだと思い込んでいました。しかし、本を読んだり、人に尋ねることだけが知識を得る方法ではないと諭して下さったのです。そう気づくと、世界中の全てが先生や友達になったような気がしてきて、「自分で見たら、本に書いてないようなこともわかるんだ」と嬉しくなってきました。

自宅の近所でシダを採集中。

高校の卒業記念写真。前列中央が川崎先生で、その右隣は本人。

ヒマワリは答えてくれる

まず、近所の家に植えられていたヒマワリの観察から始めました。茎の先端は、つぼみを付けた後でも東から西に廻っていました。そして花が咲ききるともう動かず、東か西をむいて止まり、南を向いて咲く花はないことを知りました。それまで読んだ本は、「見てない」人が書いたに違いありません。

次の年から、自宅の庭でヒマワリを育てて観察記録を付けました。平日は学校から帰って寝るまでだけですが、土曜は学校から帰ってから日曜日の昼まで夜中も1時間ごとにヒマワリの曲がり具合を測ったのです。

記録を付けると、いろいろなことがわかり、さらに疑問がわいてきました。若いヒマワリが太陽の動きを追って廻ることはもちろん再確認できましたが、驚いたことに日のない夜中でも複雑な運動を続けており、朝は日の出前に東を向いていたのです。屈光性と屈地性屈光性と屈地性植物器官は刺激に対して一定方向に屈曲する性質を持つ。光や重力の方向に向かって曲がるか、反対方向に曲がる現象をさす。についてはなんとなく知っていたので、日の当たらない夜間の運動は屈地性によるものとしか考えられないと思いました。しかし、夕方西を向いた茎が屈地性によって真上を向くというところまでは説明できますが、そこを通り越して東を向くのはなぜかが説明できません。しかも、観察していると、東を向いた後また真上に戻り、また東を向くという運動を繰り返すのです。

運動に必要なのはヒマワリのどの部分かを調べるために、出たばかりの小さい葉を含む茎の先端部を切り取ったり、逆に生長した大きい葉だけを切り取ったり、いろいろ試してみました。すると、大きい葉がないと単純に屈光性のみを示し、夜間の複雑な運動がなくなったのです。さらに観察を重ねると、若いヒマワリは晴れた日は良く動いて天気が悪いとあまり動かないのに、1ヶ月後には同じヒマワリが雨の日も曇りの日も変わらずよく動くようになることもわかってきました。これらのことから、ヒマワリは毎日毎日運動をしているとそれが「クセ」になるのではないかと考えました。植物にも「クセ」があるなんて面白いじゃありませんか。そこで、ヒマワリを植木鉢で育て、大きくなったところで東西の向きを逆に置き直して観察したんです。思った通り数日間は実際の太陽の動きに逆らって今までと同じ方向、つまり西から東へ廻りました。クセが直るのに時間がかかったのです。

中学生の時は、レンコンに穴が開いている理由を、レンコンに聞く方法を知らなかったので、レンコンのことはわからずそのままになってしまったのです。しかしヒマワリには動くクセがつくのかという疑問を持った時は、植木鉢を使う実験を考えつくことができ、ヒマワリに上手に聞けたわけです。そして、ヒマワリは僕の問いにちゃんと答えてくれたのです。植物と話をしながら答えを教えてもらえるという僕の研究スタイルは、ここから始まったのです。

自宅(都営住宅)の庭にヒマワリを植えた高校時代

ヒマワリの曲がり具合を測った手作りの分度器と当時のスケッチ。長方形の紙に糸を貼って重りを垂らし、ヒマワリの傾きに紙を合わせた時の糸の位置を記録して後から角度を計算する。

1日のヒマワリの運動記録。
折れ線グラフの上の山は西への傾きを示し、下の山は東への傾きを示す。グラフ中央の縦軸が夜の12時で、夜間もヒマワリが動いていることが読み取れる。

八巻先生との出会い

大学は植物を研究できるところならどこでもいいと思っていたのですが、都立の各高校が東京大学への進学実績を争っていたこともあり、見込みのありそうな生徒は発破をかけられました。理学部数学科の学生だった兄が応援してくれたこともあり、生物系の理科2類を受験し、合格しました。

東大の教養部には、八巻(やまき)敏雄先生という植物の生長について研究している若い方がいると川崎先生から聞いていました。上級生向けに開講されている生物実験セミナーというのがあり、光合成、バクテリアの培養、ペーパークロマトグラフィーなどテーマごとに分かれてグループ実験をするのですが、八巻先生はそのセミナーの担当だったのです。見習い学生としてセミナーに参加したいと思い、入学後さっそく先生を訪ねました。ちなみにこのとき一緒にセミナーに行った中に、松原謙一君(大阪大学名誉教授)と吉川寛君(大阪大学名誉教授)がいます。吉川君は昆虫少年、松原君はお父さんが植物学者。彼は本格的な山岳用具を持っていました。東京近くの山なら地元の僕が案内するよと言って一緒に奥秩父なんかによく出かけました。

八巻先生を訪ね、高校時代のヒマワリ観察を一通り話すと、セミナーのグループではなく研究室を使ったらよいと言ってくださいました。実は、ヒマワリを暗室で育てたらどうなるだろうと実験したくて仕方がなかったので、とても嬉しかったですね。「クセは面白い現象だが、まずなぜヒマワリが光の方を向くのかを明らかにしないとクセの仕組みはわからない。それに、生長したヒマワリでは実験の数をこなせない」という先生の助言に従い、まずクセの付いていない若いヒマワリの芽生えを使って屈光性運動の研究に取りかかりました。

大学院に進学する時、八巻先生はアメリカに留学されましたが、手紙で指導を受けながら研究を進めました。実験結果を報告して返事が来るまで2週間。何回もやりとりしているうちに、返事が来る前に先生のコメントを予想し、次の実験計画を立てられるようになりました。一人の先生にこんなにお世話になったのは後にも先にもないことで、今でもとても感謝しています。

八巻先生(後列右から2人目)のご家族と扇山に登った。(前列左端:本人)

Scientist Library:
生命誌26号
『 私の偶然と必然 分子生物学の時代に生まれ合わせて』
松原謙一

生物に興味を抱いた少年が、DNAに出会い、生命に共通の問題を解き明かせると…

Scientist Library:
生命誌46号
『DNAのふえ方から見えた生きものの姿』
吉川寛

無類のチョウ好き。イモムシを育てるのが好きで、生きものを見つめてきた少年が…

松原謙一君(右)と奥秩父に雪山登山。

高校時代のヒマワリ研究をまとめたレポート。タイトルの『日向葵』はうっかりミス。

大学院の時。南アルプスで(右:本人)

ヒマワリを裏切る

博士課程に進学するすこし前に八巻先生が帰国されましたので、博士課程は八巻先生のおられる教養部で過ごしました。修士課程の研究で、葉に光が当たると生長ホルモンが葉から茎に送られること、光を強くしていくと一度上昇した生長促進活性が低下することを見つけました。残念ながら、成長促進物質であるオーキシンオーキシン植物の成長を促すインドール酢酸と同じ生理活性を持つ物質の総称。の葉から茎への輸送が光によって促進されるという発表は、ドイツの研究者に先を越されてしまったんです。

そこで、光が強すぎる時に生長促進活性が低下する仕組みにテーマに絞りました。これはまだ誰も理由がわからない現象だったからです。ヒマワリの葉を柄の付け根で切り取り、切り口に小さな寒天を付けたものを大量に用意しました。強い光に当てると葉から送られた物質が寒天にたまるので、これが茎の伸長にどのような影響を与えるかを調べたのです。その結果、葉から送られた物質には、既知の生長ホルモンであるインドール酢酸と、未知の伸長阻害物質があることがわかりました。

光の強さと茎の成長促進の変化に、未知の阻害物質が関わっているということがわかりましたが、このあとどうするか。博士過程も残すところ後1年という時、生物教室の全体セミナーで発表したら、「阻害物質を取るしかないでしょう」と先生方に言われました。できればヒマワリを眺める研究の延長で学位を取りたかったのですが、考えが甘かったようです。

物質を取るためには大量の材料が必要です。教養部の裏庭にヒマワリの種を蒔いたのですが、ネズミにほじくり返されて苦労しました。ようやく畑らしくなってきたのは60年安保が一番激しくなった時で、午後からは毎日デモに出かていたものですから、手間をかけることができず貧相な育ち具合。途方に暮れたのですが、ヒマワリと同じヘリアンサス属のキクイモがキャンパスに大量に自生していることを知り、調べてみるとヒマワリとよく似た阻害物質を持っているらしいとわかりました。そこで、午前中にキクイモの葉を集め、午後に含まれている物質の抽出・濃縮という作業を繰り返しました。

こうしてフラスコの中で結晶化した物質が、インドール酢酸の活性を阻害することを確かめ、その後製薬会社に協力してもらって構造を決め、新規の物質であることが確かめられた時はほっとしましたね。ヒマワリやキクイモの属名にちなんでその新規物質はヘリアンジンと名付けました。新物質も発見でき、無事に学位を取得できましたが、高校の時からやりたかった研究からはそれてしまい、なんだかヒマワリを裏切ってしまったような気分でもありました。

厳しいセミナーで鍛えて下さった生物教室の先生方。(後列左から2人目:本人)

茎から根へ

学位論文発表会で僕の研究に興味を持ってくれた理学部付属小石川植物園の園長先生の計らいで、博士修了後すぐに植物園の助手に採用されました。植物園のためになる研究をして下さいと言われましたが、ヒマワリは園の役には立ちそうにありません。しばらくは植物園が協力していた教育映画のお手伝いで、ヒマワリの運動の撮影に手を貸したりしていましたが、自分の仕事をどうすればいいのかわからない日々が続きました。

あるとき、八巻先生ところで知り合った研究生から、「マツバボタンから根の発生を促進する物質を取ろうとしているが、なかなかうまくいかない」と相談を受けました。ヘリアンジンをとった自信があったので気軽に協力したのですが、これが実は自分の研究の展開につながったのです。

発根促進物質をとったら、その活性を検定する方法を確立しなければなりません。そこで、本来の根以外の器官から発根させてその数を数えるのがよいと考え、材料としてアズキに着目しました。アズキの芽生えから4センチメートルほどの茎を切り出して切り口を水につけておくと、通常は数本しか根を生やしませんが、単離した発根促進物質やオーキシンを加えると同一平面上に最大で12本の根が生えます。なぜ12本かというと、アズキの茎には維管束が大小合わせて12本あり、根が形成されるのは維管束と維管束の間に限られるからです。ヒマワリを見ていた時は、茎の伸びるという量的な変化しか気にしていませんでしたが、発根の仕事を通して組織の形態を観察することも重要だと気づきました。

根の研究を手伝っているうちに、キクイモから取った茎の伸長阻害物質ヘリアンジンが、根の形成に対しては促進的にはたらくことを見つけました。逆に、マツバボタンから取った新発見の発根促進物質であるポルチュラールは茎の伸長には阻害的でした。以前から、茎の伸長を促進する植物ホルモンとして有名なジベレリンが根の形成を妨げることは知られていたので、茎と根の生長に関わる物質のはたらきはちょうど正反対と言うことになります。これを学会で発表したらなぜそうなるのかと質問がきましたが、「茎の伸長と根の形成は相容れない」という苦し紛れの答えしかありません。本当の答えを知るには、ジベレリンやオーキシンといった植物ホルモンがどうやって茎を伸ばすのかという基本の問題に戻らなければならないのです。

植物園に勤めていた頃。最初の給料一ヶ月分をはたいて作らせた登山靴を履いて。

アズキの芽生え。本葉の下にある茎を実験に用いた。

植物園の助手時代、家族をつれてアメリカに留学したとき。

肥満防止ホルモン

ここで基本に戻り、まず植物を見ることから始めました。アズキの芽生えから切り出した茎を、ジベレリンやオーキシンを含む水に浮かべて様子を見ました。ジベレリンは単独では茎を伸長させませんが、オーキシンとジベレリンの混合液はオーキシン単独よりも伸長を増大させます。注意深く時間を追って観察すると、オーキシンだけの場合と、オーキシンとジベレリンの混合液の場合は、長さ以外にも違う点があることに気づきました。オーキシンだけの場合はある程度の長さで伸びが頭打ちになり、かわりに茎が太くなりました。一方オーキシンにジベレリンが加わると、同じ太さのまま茎が伸び続けるようになったのです。

重さを量ってみるとはっきりしました。同じ長さの茎でも、オーキシンだけをはたらかせたものは重い、つまり太っていました。オーキシンは茎を伸ばすだけでなく太らせるのに対し、ジベレリンは太るのを抑えることで茎の伸長を促進していたのです。ジベレリンはオーキシンとともに茎を伸ばす物質と考えられていましたが、そうではなく、実は茎の肥満防止ホルモンだったのです。これまでにもオーキシンとジベレリンの作用が何か違うと考えた人はいましたが、詳細に切り分けた研究はこれが初めてでした。

ジベレリンが伸長促進物質と考えられていた時には、植物細胞を伸長させるからには細胞壁の合成が促進されるのだろうなどと予想されていましたが、証拠は見つかりませんでした。ジベレリンの本当の作用が細胞の肥満抑制だとすればその仕組みは何かと考え、いろいろな論文を調べました。細胞壁をつくる物質で一番強度が高いセルロース繊維の並び方が細胞の伸びる方向を決めていること、細胞膜のすぐ近くにある微小管微小管細胞内に存在する微小な中空の管。チューブリンというタンパク質が円筒状に積み重なってできたもの。の方向が、セルロース繊維の方向と同じであること、微小管を破壊するコルヒチンという薬剤で処理した植物細胞では、細胞壁のセルロース繊維の方向が乱れることなどがわかりました。

セルロースが長軸と直角方向に並び、細胞を横方向に締め付けていれば、茎は長軸方向に伸びるしかありません。植物が本来持っている性質をじっくり見ることで、ジベレリンは微小管を並び替えており、その結果セルロースの方向が決まる。そしてその結果茎が縦に伸びるのだという仮説を立てることができました。あとは、どうやって植物に聞くかです。

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ジベレリンとオーキシンのはたらきの違い。オーキシン(IAA)のみで処理した場合と、ジベレリン(GA)も加えた場合とでは、茎の太さが異なっている。

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茎の重さの時間経過。オーキシンのみの場合、茎の伸びは時間と共に頭打ちになるのに対し(○実線)、重さは増加しつづける(○破線)。つまり茎は太っていることになる。

植物ホルモンと細胞骨格をつなぐ

僕の仮説が正しければ、コルヒチン処理はジベレリンの作用を無効にするはずです。オーキシンとジベレリンの混合液にコルヒチンを加えると、確かにオーキシン単独の時のようにアズキの茎が太りました。セルロース合成を阻害しても同じことがおこるはずですが、当時セルロース合成を特異的に阻害する薬剤は知られていませんでした。

そこであきらめかけたのですが、もしそんな薬剤が存在するならば、それは茎を太らせて背丈を小さくする効果を持つ「除草剤」として報告されているのではないかと思い至ったのです。除草剤の勉強をしてそのようなはたらきのある薬剤を探し出し、住友化学に勤める知り合いに頼んで、探し出した薬剤を送ってもらいました。候補として送ってもらったものの中にジクロロベンゾニトリルがありました。それがまさに目的のもので、オーキシンには影響を与えずジベレリンの伸長促進効果だけを阻害しました。この薬品は現在でもセルロース合成阻害剤として世界中で使われています。

こうして、植物に聞いて答えをもらって、ホルモンと微小管をつなぐ仮説の外堀がだんだん埋まってきました。でもジベレリンが本当に微小管を細胞長軸と直角に並べるのか、実際に見ないと納得できません。それには、電子顕微鏡を使う必要があります。当時は性能があまり良くなく、しかも技術的にも難しそうだったのでちょっと尻込みしていましたが、高校の時に言われた「キミ見てみんか」という言葉を思い出し、四十の手習いで始めることにしました。

その頃植物園から理学部の植物教室に移り、身分は助手のままでしたが自分の研究に集中できる時間が増えました。慣れない手つきで電子顕微鏡をいじっていると、どこからか院生さん達が現れてきて、ああしたらいい、こうしたらいいと教えてくれました。その中の一人黒岩常祥君(現立教大学教授、東京大学名誉教授)は、教え方も絵も上手で、詳しく絵で説明くれてありがたかったですね。電子顕微鏡使いの人達は、仲間を増やそうと思っているのかみんなやさしくて助かりました。

こうして、ジベレリン処理した茎の細胞では予想通り、微小管が細胞長軸と直角に並んでことを確かめることができました。この成果は、最初は細胞骨格の研究者に注目されました。植物ホルモンの研究者に受け入れられたのは、アズキ以外の植物でも追試されるようになってからです。微小管が全ての植物にあるのかさえ疑わしいとされていた時代でしたから、植物ホルモンと細胞骨格は全く予想外の組み合わせだったのです。

国際会議での一コマ。話しかけている相手は、植物ホルモンの一つであるサイトカイニンを単離したアメリカのミラー博士。

Scientist Library:
生命誌38号
『 心で観る-しぶとくねばり強く』
黒岩常祥

学生時代にウニの卵割を観察したスケッチに、分裂中の割球間のくびれ部分から…

東京都立大学の研究室で。

タマネギはなぜ太る

茎にジベレリンを与える実験では、ジベレリンが微小管を並べてセルロースの方向を決め、茎が細長くなることが確かめられました。自然界でも、環境の変化によって形の変わる植物があります。身近な例では、タマネギは長日条件長日条件植物は連続した暗期の長さに応じて異なった生理反応を見せる。長日条件とは、一定時間以下の暗期に置かれた場合をさす。ではおなじみの丸っこい形になりますが、短日条件では太ネギのように細長く伸びます。ということは、細長く育てたタマネギには微小管があって、太い時にはなくなっているはずです。これを調べれば、今までの研究を違った角度から見直すことができると考えました。

タマネギの研究は東京都立大に移ってから始めましたが、都立大の庭でタマネギが育った頃に今度は大阪大に移ることになりました。最初はタマネギを毎週運ぼうかと考えましたが、「大阪はタマネギの本場ですよ」と教えられ、大阪南部の泉州のタマネギ畑で細長い頃から膨らんでくるまでを取らせてもらいました。電子顕微鏡で細胞を見ると、短日条件では確かに微小管が長軸と直角に並んでおり、長日条件ではばらばらになって太ることが確認できました。さらに、タマネギは根でジベレリンを合成しており、これが葉の方に送られて細胞の肥大を抑制していることを突き止めました。

春に伸びたタマネギは、夜の長さが短くなると茎の根元がふくらみはじめる。

廻る微小管

微小管を見る手段が電子顕微鏡しか無かった頃は、1回に観察できる数は多くありませんでした。しかし微小管タンパク質と結合する抗体を蛍光物質で標識する手法が開発され、光学顕微鏡下で以前とは比べものにならないくらい多くの試料を観察できるようになりました。そこで、たくさんの細胞の微小管の向きを統計的に調べると、そもそも何も処理していないアズキの茎の微小管は、細胞の長軸と同じ方向、長軸に直角の横方向、その中間の斜め向きの3つの方向のものが同じ割合で並んでいることがわかりました。また、ジベレリンを加えると直角の割合が増えることもわかりました。

ここまでは良かったのですが、オーキシンを加えると微小管が横になるという報告をドイツの研究者が出して、しかもそちらを支持する研究者が多くなってきたのです。僕達の実験ではオーキシンは向きを変えませんので、なんとか決着をつけなければならなくなりました。そこで僕達の実験とドイツの人達の実験とを比較しました。僕達が切り出した茎をすぐにオーキシンに浮かべているのに、彼等はまず水に浮かべそのあとでオーキシンに浮かべていたことがわかりました。そこで彼等の方法で実験を行いました。切り出した直後にばらばらの方向だった微小管が、水に長時間浮かべていると縦方向を向くようになり、これにオーキシンを加えると、微小管は横になるのです。

どうしてこうなるのか悩みました。考えられるのは、微小管の方向は縦向きから横向きへ、横向きから縦向きへと常に変化しており、オーキシンは縦から横への方向転換に必要ではないかということです。水に浸けた茎はオーキシンが欠乏し、縦から横への変換が起こらず縦方向の微小管がたまります。ここで加えられたオーキシンが作用すると、一斉に横へ変換されるのではないだろうかということです。これが本当なら、ずっと見続ければ横になった微小管がもう一度縦に戻るのが観察されるはずです。

切り出した茎を元気な状態に保つのに苦労しましたが、時間経過を観察することに成功し、縦から横、横から縦へ、そしてまた横へと微小管が「回転」する様子をとらえることができました。これが僕の研究生活の最後の仕事です。最後もやっぱり植物を見て答えをもらいました。ヒマワリが廻ることから始めた研究生活が、最後は微小管が廻るのを見るところへ来たわけです。

大阪大学に移ったばかり1982 年。研究室のメンバーで遠足に。

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アズキの茎細胞の微小管を蛍光顕微鏡で観察したもの。細長い細胞の中に白く見えるのが微小管。切り出した直後はいろいろな向きに並んでいる微小管(A) が、水に浸けると縦に並び(B)、オーキシン処理すると縦から横へ、横から縦へ、再び縦へと方向を変化させる(C – E)。

大阪大学で9キロを走る学内レースに参加。学生さんには、「酒を飲むか、山に行くか、走るか」のどれかで学問以外のつきあいもして欲しいとお願いしてきた。

疑問を持ち続けること

この前、ある学術誌に若い人へのメッセージを書いてくれと頼まれたので、「解きたい疑問ありますか」という題にしました。最近は、なんだかたまたま拾った遺伝子にしがみついている人が多いように思います。面白い現象に関わっているものならまだいいのですが、データが出て研究費を稼げそうだということでしがみついているように見えます。そうではなく、常に新しい疑問を持ち続けることが大事なのではないでしょうか。データに養ってもらうために研究するのでは、本末転倒です。

植物学も変わりました。今は、モデル植物のシロイヌナズナしか見ていない研究者も多いのではないでしょうか。これでは、新しい疑問を持つのが難しいですね。塚谷裕一さん(東京大学教授)が『変わる植物学 広がる植物学』を書かれて、シロイヌナズナしか知らないことの誤りを沢山指摘してくれたのでホッとしました。塚谷さんのような方が、もっと出てきて欲しいですね。

僕はずっと、植物を見て、わからないことが出てきたら植物に聞いてみて。うまく答えを引き出したら、また次の質問が出てくるということを繰り返してきました。見て、聞いて、答えをもらって、もう一生分楽しんじゃった気分です。なんだか他の人に申し訳ない気がしますね。ただし、最初の疑問だったヒマワリの「動くクセ」については、まだ答えをもらえていないことが山ほどあります。シロイヌナズナのように小さい草では、クセが付く前に死んでしまってわからないのではないでしょうか。ヒマワリは育てる場所も時間もかかりますが、身近な植物の大きな謎を、いつか若い人達が解いてくれることを期待しています。

テレビ番組でヒマワリの話をした時のスナップ。現在は植物生理学会の「サイエンスアドバイザー」を勤めており、学会のホームページに寄せられた質問に回答する役をしている。
http://www.jspp.org/

TALK 対話を通じて:
生命誌48号
『 違和感としてわかる豊かな形作り』
塚谷裕一×中村桂子