ベストを尽くして生きよ
生まれ育った横須賀は、都会ですし、住宅街でしたが、自然は結構残っており、お寺や山がいい遊び場でした。近所の友だちと駆け回って、クワガタやセミを捕りましたよ。それがごく普通の、子どもたちの日常でした。学者の家系に生まれたわけではないのですが、両親は僕に医者や技術者など人の役に立つ人物になって欲しかったのでしょう、私立の小学校に入れてくれたのです。バスで30分かけて通ったんですが、その燃料が木炭ですからね。坂道の途中で必ずエンストして乗客が押して上ったことをよく覚えていますよ。
小学校の先生の薦めもあって、中学・高校はカトリック系の栄光学園に行きました。進学校として有名な学校ですが、中学の頃はまだまだのんきに友だちと釣りばかりして遊んでいました。高校生になってからですね。宗教教育の影響というよりも、人格形成という意味でこの学園にいることがとても大きな意味を持ってきたのです。
教師の多くは外国から来た神父で、自分の家庭を持つかわりに、日本の子どもを教育することを使命と考えている方々です。校長は上智大学の教授も務めたグスタフ・フォスさんという教育者で、朝礼で高いところから「君たちはベストを尽くして生きなければならない」といつも訓示しました。もちろん反発もありましたが、人間はどう生きるべきかを常に問われている雰囲気があったのです。戦前の国家主義への反省から公教育で道徳や価値観をあつかうことが無くなった時代ですから、貴重な体験です。そこで、ドストエフスキーや夏目漱石などの古典を読み漁り、人間という存在を掘り下げて考えるようになりました。その頃は理数系の勉強は単に受験のためという意識でしたから、サイエンスの面白さなんてわかっていません。自分は文系が向いているのではないかと思い、外交官になりたいと考えたこともあります。港町で育ち、外国に対するあこがれがありましたからね。でもそれは一時期の熱で、最終的には人間と相対する職業に魅力を感じ、医者になろうと東京大学の医学部をめざしました。
社会へのまなざし
高校時代に人文学への興味が芽生えたとすれば、大学では社会科学です。日韓条約、日米安保といった政治問題をきっかけに、学生運動が高まっていた時代でした。もともと人間に対する興味があったところへ、社会・政治・経済の激動に直接もまれることになったわけです。社会に眼を向けた多くの若者がそうであったように、僕も当然のようにハイデガーやマルセルなど実存主義実存主義人間の個的実存を中心におく哲学的立場の総称。人間を主体的にとらえ、個人の自由と責任を強調する。第二次大戦後世界的に広まり、多くの若者が影響を受けた。の影響を受け、人間を考える哲学の道に行こうかと真剣に思いましたね。
その頃の僕は、自分が何をやりたいかではなく、自分はどう生きねばならないのかという問題の立て方をしていたのです。ただどういう道に行くにしろ、社会に出る時は、世の中に益するような人生を歩みたいと思っていました。そう考える中で、自分にとって意味のある生き方は、臨床医になって患者さん一人一人と付き合うことだと確信するようになったのです。教養学部を終え、当初の目的通り医学部に進学しました。そこで、ようやくサイエンスに出会うことになるのです。
人間を知るサイエンス
医学部では最初から人を治療する勉強をするのかと思っていましたが、実際にはまず基礎医学を学びます。始めに解剖学、生化学、生理学などでわれわれの体の正常な仕組みを知り、次に病理学や免疫学などの分野で、病気でそれらのはたらきがどのように破綻するかを学ぶのです。それぞれの分野は細分化されていましたが、教育を受けているうちに、だんだん自分の中で具体を踏まえた生命についての統合的な理解が進んできたのです。同時に、人間が生きているということについてはまだわからないことが多く、それを解くために問いを立てて研究することの大切さが見えてきました。それを仕事にする研究者という生き方があることに気づいたのです。こうして私の中で、人間に対する関心がサイエンスと結びつきました。
講義・実習の中で一番好きだったのは組織学でしたね。顕微鏡でいろいろな細胞を見て、人間のからだはなんと美しくできあがっているものかと驚いたことをよく覚えています。特に内耳の構造は印象的でした。感覚器官としてのはたらきを担う有毛細胞とその刺激を伝える神経細胞が整然と緻密に並んでおり、芸術的な美しささえ感じました。細胞や組織の形をもっと見たいと思い、卒業後は解剖学教室に入って研究者になろうと思ったその頃、実は大学が政治運動のまっただ中に進みはじめていました。研修医の待遇問題に端を発する医学部のストライキが全学に波及し、いわゆる東大紛争が起こったのです。講義はなくなり、入学試験も中止され、卒業が1年延期されました。
私は特定の政治思想に与したことはありませんが、人間や社会に関心を持つ者として、学生運動には関わりを持ちました。自分はどう生きるのか、日本や世界をどう考えるのか、時には激しく議論しましたね。ある意味での極限状況にいたわけですが、そういう中でのつきあいから、本当に信頼できる、一生の友人も生まれました。
解剖学に進む
大学が落ち着いて、自分自身のこれからのことを考えました。研究はやりたかったのですが、ただでさえ医学部は教育課程が6年もある上に、卒業が1年延びてしまった。理学部の同級生はもう本格的に研究の道に進んでいるのに自分は研究者になるには出遅れたと、浅はかにも思いこんでしまったのです。そこで、研究は研究でも、臨床医として患者さんを治しながら、病気の解明に貢献できる道に進もうと思いました。人間の体を統合的に考えることができ、未知の部分が多い分野がいいと考え、脳神経系に注目しました。脳外科を選び、手術で患者さんを治すかたわら、研究としては脳腫瘍が発生するしくみを探ろうと思いました。
しかしいざ脳外科の教室に所属すると、大学病院には重症の患者さんが常に運び込まれ、1日かけて手術をした後、意識が戻るまでケアをするため病院にほとんど住み込みで働くのです。それでも土日や休暇を全部研究に費やし、導入されたばかりの電子顕微鏡で腫瘍組織を調べたりしましたが、二足のわらじの生活で掘り下げた研究ができるのかと悩みました。臨床の教室では先輩医師の指導で医者としての訓練を受けるのですが、先輩を見ていると自分の将来がわかっちゃうんですよ。1年目は大学病院で徹底的に鍛えられ、2年目以降は市中の病院でいろいろな経験を積む。5年目くらいにまた大学病院に戻り、今度は自分が新人を教育しながら博士号取得の研究をする。このままでは自分もそのエスカレータに乗ってしまう、自分の人生は自分の手でつかまないといけないと思うようになったんですね。1年目が終わる前に、基礎医学に転向する決心をしました。大学院入試は終わっていましたが、しばらく研究生をやって、大学院に入り直そうと思ったのです。
脳神経系への興味は持ち続けており、組織や細胞の構造を見るのが好きでしたから、神経科学の研究者になろうと考えました。そして、神経の培養細胞の観察で画期的な仕事をされた中井準之助先生の解剖学教室を訪ねたのです。臨床から基礎へ来た理由や、5月に結婚するので当分はアルバイトをしながら研究をさせて欲しいことなどを話すと先生は、「それではまた研究する時間ができないじゃないか、何とかしてやる」と助手に採用してくださいました。あとで聞いたのですが、中井先生ご自身も結核で卒業が遅れるなど若い時に苦労されたことがあり、先代の教授に助手にしてもらって研究を続けられたといういきさつがあったのです。
構造を観る神経科学
中井先生は古き良き時代の放任的な教室運営を貫かれており、私は自由に研究を進めました。まず初心に帰り、学生実習で感動した内耳の美しい感覚細胞が、どのように整然と神経とつながるのかを調べました。ニワトリ胚を使って内耳の発生の過程を電子顕微鏡で詳細に追い、感覚細胞の分化に神経細胞がどのように関わっているかを調べたのです。当時は、感覚細胞は神経細胞とシナプスシナプス神経細胞どうしが結合している構造。前部(主に神経軸索)と後部(主に樹状突起部)とが細胞接着因子などによってつなぎとめられている。で結合していなければ生存できないという説が主流でしたが、発生過程でそれを確かめた人はまだいませんでした。そこで、観察と実験を組み合わせたアイデアで事実を確かめようと考えました。
その頃、生物毒が動物の体を麻痺させるしくみの研究が進んでおり、ヘビ毒の一種であるβバンガロトキシンという物質が、シナプスでの神経伝達物質の放出を阻害しているらしいという報告がありました。これが本当なら、βバンガロトキシンの投与で、筋細胞や感覚細胞は無傷のままシナプスが存在しない状況を作り出すことができるはずです。さっそく鶏卵にβバンガロトキシンを注射して孵卵し、器官形成がどうなるかを観察したところ、みごとに運動神経がなくなり筋細胞も変性していたのです。筋肉の発生は確かに神経に依存していることを確かめたことになります。一方内耳を見ると、聴覚神経は無くなっているのに、聴覚細胞自体は正常なのです。驚きましたね。感覚細胞の分化、生存には神経細胞は関与は少ないという明解な結果で、その論文は『ジャーナルセルバイオロジー(Journal of Cell Biology)』に掲載されました。当時はこの雑誌に載るのが細胞生物学者の目標みたいなところがありましたから、とても嬉しかったですね。
急速凍結法を開発
βバンガロトキシンが神経細胞に作用することがはっきりしたので、次はこの毒がどのように神経伝達物質の放出を阻害するのかを探ろうと考えました。当時はシナプスで神経伝達物質が放出されるしくみがよくわかっていなかったので、毒の作用をうまく利用することでこの問題が解けるのではないかと思ったのです。まずはβバンガロトキシンを投与したときにシナプスの構造がどのように変化するか、電子顕微鏡で見ようとしました。ところがここで難しい問題に直面してしまうのです。通常の細胞の観察法では、グルタールアルデヒドグルタールアルデヒド固定液の一種。ホルマリンよりも強くタンパク質を固定し、細胞構造を保存する。などを用いてタンパク質を化学反応で固定し、細胞が生きていた時の状態を保存しているとしています。しかしこの方法では、細胞を薬品につけてから固定されるまでにどれくらいの時間がかかっているかわかりません。10秒か1分か、いずれにせよ生きている状態が瞬間的に保存されているとは思えません。しかし神経細胞のシナプスでの神経伝達物質の放出は、1000分の1秒のスケールで起きる現象です。このダイナミックな現象を止めて観察するためには、違う方法を考えなければなりません。
いろいろ調べて、化学的な固定ではなく、凍結という物理現象を利用する可能性があることがわかりました。凍結といっても、冷凍庫で凍らせるようなやり方では細胞の中の水分が氷の結晶をつくって膨張し、組織を破壊してしまいます。電子顕微鏡で観察しても構造が保たれているようにするには、秒速1万度という急激な温度低下を試料にあたえ、細胞構造を破壊しない非常に小さな結晶状態(硝子化)で凍結させる必要があるのです。それは誰も成功していませんでした。
試行錯誤した結果、熱伝導度の良い金属ブロックを-196度の液体窒素や-269度の液体ヘリウムで冷却し、それに生物試料を圧着し急速冷凍するアイデアが浮かびました。金属の性質を調べると、純度99,999%の銅が-100度以下で熱伝導率が10倍に高まるとわかりましたが、とても高価な材料で研究予算では買えません。幸い中井先生の紹介で、金属工学の教授から銅の固まりをただでもらうことができ、自分で加工しました。また液体ヘリウムはアメリカから輸入していましたが、これも貴重品で回収が義務づけられていたため、気化したヘリウムガスを回収するための風船まで作ったのです。こんなふうにして急速凍結装置を苦心して作り上げ、最適な凍結条件を数年かけて探しました。ついに、細胞内のさまざまな構造のコンツール(輪郭)がはっきり見える電子顕微鏡像が得られた時はうれしかったですね。細胞が生きていた時の姿をそのまま観る方法を手に入れたのですから。
まっさらな雪原を歩く心地よさ
中井先生が東京大学を退官され、私もこれを機に外に出ようと思いました。苦労して作り上げた急速凍結法の技術を活かし、発展させることができる場所は、同じ方法をアメリカで試みていた米国国立衛生研究所のリース教授とそのポスドクのホイザー博士がいる研究室でした。ちょうど国際電子顕微鏡学会がカナダであったので、帰りにアメリカに寄って自分のデータを見せたら二人とも驚きましたね。自分たちだけの技術だと思っていた急速凍結法を日本人がすでに試みており、しかも非常に優れた結果を出していたからです。独立する計画を立てていたホイザーが、新しい研究室で一緒にやろうと熱心に誘ってくれて、カリフォルニア大学に留学することにしました。
ホイザーは、シナプスでの神経伝達物質の放出がエキソサイトーシスエキソサイトーシス細胞質で作られた物質を細胞外に分泌するしくみの一つ。物質を含んだ膜小胞がまず細胞内で形成され、これが移動して細胞膜と融合する際に中身が細胞外に放出される。と呼ばれるしくみで起きることを証明したいと思っており、その瞬間を捉えるために急速凍結を用いようとしていました。一方私は、急速凍結法のもう一つの大きな利点である細胞内の微細構造の観察に目を向けました。細胞の内部を観察する方法としては、凍結した細胞を物理的に破断し、むき出しになった膜の断面を電子顕微鏡で観察するフリーズフラクチャー法という技術がありましたが、凍結時に水が結晶しないように不凍液を用いており、これが電子顕微鏡での観察の邪魔になることが問題になっていました。
一方急速凍結法では、細胞を破断した後に真空中に置けば、不凍液を用いないので余分な氷が蒸発して細胞の構造がきれいな状態で露出します。これを観察してみたところ、非常に解像度の高い像を得ることができました。ミトコンドリアなどの細胞小器官はもちろん、細胞内のタンパク質の構造まで観えてきたのです。細胞ごとに違う膜の構造や、細胞と細胞の接着面。そして、当時は単に細胞骨格としか呼ばれていなかった細胞内の繊維状の構造に、いくつもの統合する新しい構造があることがわかりました。まさに誰も観たことがない細胞の景色を観ているわけで、まっさらな雪原に自分の足跡を付けていくような非常にエキサイティングな気持ちで観察にのめり込みました。毎日電子顕微鏡の部屋に入り浸って何千枚という写真を撮り続けましたよ。
あなたのシューレを開きなさい
細胞の微細構造についての論文は非常に注目され、ついに当時の神経生物学の中心だったワシントン大学の准教授に抜擢されました。解剖神経生物学科という新しい組織を束ねる人物が、構造を主体にした細胞生物学の研究リーダーに私を据えたのです。研究室を立ち上げつつあった時、今度は東京大学の解剖学教室から教授として迎えるという申し出を受けました。今の恵まれた研究環境に留まるか母校に戻るか非常に迷い、アメリカで10年以上教員を務めている先輩に思い切って相談したのです。彼は即座に、「今はこのままアメリカに居続けても、5年後10年後に必ず日本から招聘される機会があるだろう。そうだとしたら、若く、エネルギーがある今こそ、あなたの理想とするシューレ(学舎)を開くチャンスだと思う」と言ってくれました。その時私は37歳。研究の先端を走りながら優秀な若手を育てる研究室を日本で開くのは今しかないと、帰る決断をしたのです。そして、細胞膜や細胞接着など手を広げていた観察対象を、帰国を機に絞りこむことにしました。私の観察の原点である神経細胞に戻り、その細胞骨格の構造と機能に集中することにしたのです。
感覚や運動の刺激を伝える神経細胞には、樹状突起、細胞体、軸索という他の細胞にはない形態的な特徴があります
神経細胞の形態入力を受け持つ樹状突起と出力用の突起(軸索)、核を持つ細胞体からなる。軸索の末端は、他の神経細胞の樹状突起や骨格筋細胞などと接しており、興奮を伝達する。。刺激を受けとる樹状突起は、神経伝達物質の受容体をシナプスにもち、細胞を興奮させます。興奮は電気信号として軸索を伝わり、先端のシナプスに達すると神経伝達物質が放出され、次の細胞への刺激となるのです。この軸索が長いものでは脊髄からのびて手の先まで1mほどもあり、一つの細胞としてはまさに桁違いのスケールです。しかし神経伝達物質を始めとする軸索の先端で必要なタンパク質が合成される場所は、通常の細胞と同様核のある細胞体です。つまり神経細胞は非常に発達した細胞輸送系をもっているはずであり、そのカギは細胞骨格にあるはずだと考えました。これを解くのを私のシューレのテーマにしたのです。
階層をつなぐ細胞骨格
まず急速凍結法で軸索と樹状突起を観ると、それぞれの細胞骨格を構成するタンパク質は、微小管微小管直径25nmの中空の管状構造をした細胞骨格。チューブリンとよばれるタンパク質の集合体からなる。や中間径フィラメント中間径フィラメント繊維状のタンパク質が集合した細胞骨格。微小管とアクチンフィラメントの中間の太さであることから名付けられた。細胞ごとに異なる中間系フィラメントが存在し、神経細胞のものはニューロフィラメントと呼ばれる。など太さの違う繊維が組み合わさっていることがわかります。このような細胞骨格は普通の細胞にもありますが、私たちは、神経細胞には細胞骨格どうしをつないでいる多種類の繊維状の新しい構造があることに気づきました。これが神経細胞特有のかたちを決めている分子ではないかと予想を立てたのです。この仮説を立証するには観察以外の方法が必要で、細胞をすりつぶして物質をとりだす生化学の出番です。その頃開発されたばかりのモノクローナル抗体モノクローナル抗体抗原抗体反応を利用し、細胞の抽出液から特定の物質を精製する際に用いられる。
特定の抗原に結合する性質を持つ抗体は、生体や細胞に微量に存在する分子の検出・精製や、生体内のどこに特定の分子が存在するかを調べるために用いられ、生命科学研究での利用価値が高い。このような抗体は通常、ウサギなどに抗原となるタンパク質や組織を注射したのち、血清を回収することで得られる。また、マウスやラットに抗原を注射し、単離した免疫細胞をがん細胞と試験管内で融合させると、特定の抗体を産生し増殖し続ける細胞を作ることができる。このような単一細胞種由来の抗体をモノクローナル抗体とよぶ。
を用い細胞骨格に結合する分子を単離すると、MAPやタウMAP(microtubule associated protein)、タウ(tau)微小管とともに細胞内から単離されるタンパク質は微小管結合タンパク質(MAP)と総称され、MAP1A、MAP1B、MAP2、タウなどの種類がある。というタンパク質であることがわかりました。細胞からとり出したこれらのタンパク質と細胞骨格を混ぜると、細胞で観察したものと同じ構造を試験管の中でつくることも確認できました。
分子の正体が生化学的にわかったところで、次は機能を知りたくなります。その有力な方法が遺伝子組換え技術です。幸いなことに日本では、京都大学の沼正作先生沼 正作生化学者・分子生物学者。神経伝達に関わるイオン・チャネルの解明に大きな功績を残した。京都大学在職中の1992年に逝去。を始め真核生物の分子生物学が非常に進んでいました。私たちも最新技術を取り入れ、MAPやタウ遺伝子をクローニングクローニング細胞の持つ膨大なゲノムの中から、特定の遺伝子領域に相当するDNAをとりだすこと。し、神経ではない細胞に導入して細胞の形がどうなるかを調べたのです。予想通り、遺伝子導入した細胞は軸索や樹状突起のような突起を出しました。電子顕微鏡で発見した構造が、細胞骨格を制御し細胞の形を決める役者であることがはっきりしました。
こうしてMAPやタウの生化学的な性質と細胞レベルでの機能とを解明したところで、最後は生きた個体の中での役割を知らなければなりません。ノックアウトマウスノックアウトマウス特定の遺伝子がはたらかないように遺伝子操作されたマウスのこと。遺伝子破壊マウス。と呼ばれる遺伝子破壊技術をいち早く導入し、これらの遺伝子を持たないマウスがどうなってしまうかを調べました。多くの研究者は、神経細胞で重要なはたらきをする遺伝子がなかったら発生自体が起こらないはずだと予想し、無駄な実験をするものだと思っていたようです。しかし意外なことに、MAPを壊してもタウを壊しても、それだけなら比較的元気なマウスが生まれてくるのです。実はマウスのゲノムには数種類のMAP遺伝子があり、機能を失った遺伝子の役割を補うことができるのですね。2つ以上の組み合わせで遺伝子破壊を行なって始めて、軸索が伸びず、樹状突起が形成されないという表現型が現れました。これは個体レベルで解析しないとわからないことです。電子顕微鏡の観察から始めて、分子、細胞、個体と階層をつなぐ実験を自分たちの手で一貫して行ってきました。そのために必要な技術はそれを持っている研究室へ行って学んできます。そして必ず自分たちで実験する。これが私のシューレの特徴です。
キネシンスーパーファミリーの発見
細胞骨格と平行して進めた研究テーマがモータータンパク質です。これも出発点はもちろん電子顕微鏡観察。軸索の構造をじっくり観たところ、微小管どうしをつなぐMAPの他に、微小管と小胞をつなぐ新しい構造を発見したのです。この時私は、これは軸索を通して細胞体からシナプスへと必要な分子を運ぶはたらきをする分子ではないかと直感しました。こういう分子をモータータンパク質と呼びます。
当時、軸索の中でミトコンドリアや小胞などの膜小器官が行ったり来たりしているということは観察されていたのですが、その物質的なしくみは全く不明でした。微小管というレールの上に小胞という積み荷があると考えると、両者をつないでいる運搬役のモータータンパク質があるに違いありません。このモータータンパク質が神経細胞の機能にどう関わっているのか、個体が生きる中でどんな役割をしているのか徹底的に知りたいと思いました。
それまでにわかっているモータータンパク質は、筋肉の収縮を起こすミオシンと、繊毛や鞭毛の動きをつくるダイニンでした。私たちは、細胞骨格の構造を決めるタンパク質に多様性があるように、細胞と小胞をつなぐ構造にもいくつかの種類があることを既に観察していました。また軸索をビデオ撮影すると、小胞の動きにも早いものと遅いものがあり、神経細胞だけでも複数のモータータンパク質がはたらいていると考えられたのです。分子生物学の手法を用い、マウスの脳ではたらいているモータータンパク質を探したところ、まず10種類を見つけることができました。これらは丁度その頃同定されたキネシンと一部共通の構造を持っていることから、キネシンスーパーファミリータンパク質(KIF)と名付けました。現在ではゲノム解析の結果から、マウスやヒトには合計45個のKIF遺伝子があることがわかっています。
私たちが見つけたKIFの中でとてもユニークだったのが、軸索でシナプス小胞の材料を運ぶKIF1Aです。それまでモータータンパク質の特徴は、ATPのエネルギーで力を出すタンパク質を2つ組み合わせて、「2本足」の構造でレールの上を歩くことだとされていました。ところがKIF1Aはこの常識を覆し、1本足で歩くモータータンパク質だったのです。単体ではたらくシンプルなKIF1Aをモデルとし、結晶解析で構造を調べ、ATPを分解する過程でのほとんどの状態の構造変化を解き、また一分子の動きを観察する技術によって微小管の上をモータータンパク質が動くしくみを詳しく知ることができました。
分子と個体をつなぐモータータンパク質
KIF17は樹状突起ではたらき、記憶・学習に関わる神経伝達物質の受容体に特化した小胞の運び屋です。面白いことに、遺伝子組換え技術でKIF17をたくさんつくるようにしたマウスは、少ない経験で学習課題をクリアするなど確かに頭が良くなっていました。またKIF17が受容体をたくさん運ぶようになると、その結果としてKIF17自身の転写や翻訳が上昇するという正のフィードバックがかかることもわかりました。物質を運ぶという細胞の基本のはたらきが、記憶や学習といった脳の高次機能のシステムの一つに見事に組み込まれているのです。神経のはたらきを担う分子というと神経伝達物質やその受容体に目が行きますが、人間の興味でくくったものだけが重要な分子であるわけではなく、細胞のはたらきをまるごと観ないと、生きているしくみをわかったことにはならない。これは強く主張したいことです。
多様なKIFの一つ一つを丁寧にみていったところ、思わぬ展開がありました。KIF3は神経細胞以外にも多くの細胞に発現しており、このはたらきを調べるためにKIF3ノックアウトマウスを作製したのです。KIF3がはたらかなくなったマウスは生まれてくる前に死んでしまい、神経管が閉じないことや心臓をはじめとする循環器系に問題があるなどいくつかの異常があります。しかもこの時、このマウスには体の左右が逆になっている個体が半分いることに気づきました。不思議な表現型です。モータータンパク質と体の左右にどんな関係があるのか、すぐにはわかりません。
脊椎動物の内臓は、心臓が左にあって肝臓が右側にあるなど左右非対称な配置をしています。この非対称性は発生の早い時期に決まっており、何がこの原因なのかを知ることが発生生物学の大きな課題になっていました。その頃ニワトリやマウスで、胚の左右どちらかだけで機能する遺伝子が次々に見つかっていたのですが、それらが原因と言ってよいのか、それとも別の何かがはたらいたことによる結果なのかがわかっていなかったのです。
私たちは、左右の差が現れる前の初期胚のある局所領域で、繊毛が回転しており、その回転により生ずる左向きの細胞外液の流れ(ノード流)が形態形成因子の偏りをつくることを突き止めました。これが体全体に渡る左右非対称な遺伝子発現の引きがねです。そして、KIF3はこの繊毛の部品を運ぶために繊毛内部の微小管を歩いていたのです。KIF3がはたらかないと繊毛が形成されず、左右の決定は偶然に任されるために半分の個体は左右逆になってしまったのです。
モータータンパク質がはたらかなくなるとなぜ左右の構造が乱れるのか最初は全く想像がつきませんでした。現象の記述に終わらず、自由な発想で徹底的に答えを探したことが、細胞レベルの新しい発生システムの発見につながったと思います。ほかにもまだまだ機能のわかっていないKIFはたくさんあります。分子から細胞、更には個体とつなぐどんな新発見があるか、これからの研究が楽しみです。
研究に自信を持つ
生きものの研究で重要なことは、生きている状態を正確に観察することです。分子の機能を追いながら、その分子が生きている細胞ではたらいているのだという視点を失わず、さらに細胞が統合されて個体があるという階層性を意識して研究してきました。複雑系としての生命を細胞のレベルで説明するのが目標です。私たちの場合、急速凍結法で観察した細胞像の中に知りたいもの全てがあると考え、それを解くというゴールを設定しました。その解明に必要であれば、分子生物学、分子遺伝学、構造生物学などどんな分野の技術も身につけました。生命現象の重要な部分が見えてきたと納得するまで実験するには、自分たちで技術を持っていることがカギとなるからです。
高い研究目標を設定し、時間がかかっても質の高い成果を出すことが私のシューレの原則です。論文を書くまで5~6年、あるいはそれ以上かかる場合もあります。海外の研究者に断片的な結果を先に報告されることもまれにありますが、自分たちの方針がぶれることはありません。逆に若い研究者が海外に行く時は、国際的な動向を学び、しかも自分たちがリードしていることを実感して来いと言います。その自信が、良い研究につながると思うからです。次の世代がまだまだ良い仕事をしてくれると期待しています。