故郷の自然と共に

生まれたのは福岡県糸島郡、このキャンパス(九州大学伊都キャンパス)のすぐ近くです。昔このあたりは里山が広がっていて、中学生のころ植物採集に来たことがありますよ。まさか自分の職場がここに移転してくるとは思ってもいませんでした。

幼い頃はおじいちゃん子として育ちました。教師として働きに出ていた両親に代わって、いつも祖父が相手をしてくれたのです。昔気質な人で、先進的な考えの母とはずいぶん衝突があったようですが、私を雷山川の河口まで連れて行き、一緒にボラ釣りやウナギ捕りをしてくれたものです。昆虫採集も大好きな遊びでした。幼稚園の頃にはもう、図鑑を片手に山で採った虫の名前を調べ、昆虫標本を作っていたそうです。

家の前を流れる小川は一番の遊び場でした。学校から帰るとすぐ小川に沿って国道下のトンネルを抜け、一面の田んぼに張り巡らされたクリークに出ていきました。あの頃はこの辺りの田んぼも一年中水を張っていましたから、ナマズやニホンアカガエル、ツチガエルが豊富におり、ミズスマシやタイコウチなどの水生昆虫があちこち泳ぎ回っていたものです。最近ではポンプで田んぼを灌水するようになったので家の前の小川は無くなり、こうした生きものも全くいなくなってしまいました。けれど実は今、伊都キャンパス内で保全に取り組んでいる湿地には、ニホンアカガエルやツチガエル、カスミサンショウウオたちが戻ってきているんですよ。そこへ足を運ぶと、子どもの頃から変わらない生きものへの思いを実感します。

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1歳ごろ、家で飼っていたニワトリと一緒に

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小学校1年生のころ。友達と近所の笹山で。

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小学校1年生のころ、笹山でチョウ採り。このころは、大人になったら九州大学で昆虫の研究をしようと思っていた。

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小学1年生のころ、自作の昆虫標本をもって。このアルバムの欄外には母の字で「幼稚園から昆虫図鑑とニラメッコ。天皇陛下の昆虫展が玉屋で開かれ連れて行くと、半日その場を離れなかった。」とある。

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高学年のころ、家族で福岡市内の香椎花園に行った時。小学校に入ってから植物にも興味を持ち始めた。アルバムの欄外には「豆博士。植物辞典でカタカナもすぐ覚える。」と、母のメモがある。(本人:中央)

生きもの好きの大人びた少年

植物にのめり込むきっかけは、中学1年生のとき「福岡植物友の会」という同好会に入ったことです。生物部の顧問の先生が、植物友の会が主催する採集会に連れて行ってくれたのが最初でした。月一回の例会では大人の会員に混じって、ナツエビネの咲く山道を歩いたり、久留米まで足を伸ばし、サワギキョウやサギソウの群生する湿原を見に行ったりしました。未知の植物との出会いに熱中しました。周りに自生する植物の名前をすぐに一通り覚え、次の年の採集会ではもう、講師席に座って植物の名前を教えていましたね。

けれどヤブマオの仲間だけは、種の間に様々な中間型があってどうしても区別がつきません。わかるまで調べないと気が済まない私は、福岡特産のヤブマオ4種について記載した論文を国立国会図書館から取り寄せたほどです。けれど標本を集めれば集めるほど新しい中間型が見つかるものですから、結局どれがどの種にあたるのかさっぱり分かりません。

ヤブマオ類にはもう一つ不思議なことがありました。いくら探しても、雌花ばかりで雄花を採集できない種があるのです。両親が買ってくれた愛用の『原色日本植物図鑑』で調べてみると、ざっと次のような記述がありました。「ヤブマオ類には有性生殖をするものと無配生殖をするものがあり、両者が交配して雑種を作ることがある」。「無配生殖」とは無性生殖の一種で、雌花だけで種子を作る生殖法です。山で雌花しか見つけられなかった種は、無配生殖で子孫を残していたわけです。ここまでは中学生の私にも理解できましたが、その後に書かれている、「有性生殖をするものと無配生殖をするものが交配して雑種を作る」。これはどう考えてもおかしいでしょう? 本当にそんなことが起こるのだろうかと考え込みました。そして、大学に進んでこの謎を自分で研究しようと決心したのです。

ちょうどその頃、東京大学で安田講堂事件があったのを覚えています。世間では学生運動のようすが盛んに報道されていました。私は「目的も持たずに大学へ行くと、ああなるんだな」と冷ややかで、大学で学ぶことへの決心がゆらぐことはありませんでした。そして4年後には予定通り、京都大学理学部への合格通知を手にしたのです。

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中学生の頃、植物友の会の例会にて。右は、高校時代に生物を教わることになる若宮先生。

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植物友の会の例会の記念写真。
(上:本人最後列左から2番目、下:本人中列右から3番目)

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採集会で福岡県と佐賀県の県境・脊振山系を訪れたときに撮影した風景写真。

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高校の友達と。植物の研究をするために大学を目指すという、中学以来の決心は一度も揺るがなかった。(本人:右から二番目)

性をなくしたヤブマオたち

大学時代はあっという間に過ぎていきました。念願のヤブマオ研究をすぐにでも始めるつもりでしたが、何から手をつけてよいか分からず、途方に暮れてしまったのです。勉強会に出たり論文を読んだりしながら、方向性を模索する日々が続きました。京都大学にはまだ学生運動の残り火がありました。もちろん積極的に加わることはありませんでしたが、色々な社会問題を突きつけられて無関心ではいられず、ニクソン訪中の時は全共闘系の学生デモに顔を出しましたし、小選挙区制の導入が計画された時は民青系の学生デモを見に行ったりもしましたね。どちらの学生ともこだわりなく付き合っていたのです。時には「お前はどっちつかずだ」なんて批判されましたが、どちらか一方に答えがあるとは思えませんでした。対立する人々が共に答えを探し、合意に至るにはどうすればいいのだろう。西か東か、右か左かで揺れる情勢の中で、人間の意思決定という問題を強く意識した最初の出来事でした。

卒業研究は植物分類学研究室で行いました。指導教官の岩槻邦男先生は「やりたいことをやればいい」と全く指導をしない主義で、何をどうすればいいかは最後まで何も教えてくれませんでしたね。自分の力で進むしかありません。糸口を与えてくれたのは、岡部作一博士の論文でした。ヤブマオ類の中でも有性生殖を行う種は「2倍体」、無性生殖を行う種は「3倍体」であると書かれていたのです。2倍体とは2セットの染色体をもつことを指し、私たちヒトも2倍体です。生殖の際は減数分裂によって染色体を1セットずつに分け、雄と雌から1セットずつ子に渡します。これが有性生殖です。ところが3倍体は染色体を3セットもつため減数分裂をうまく行なうことができません。その結果、雌だけで子孫を残す無性生殖という方法が進化したと考えられるのです。染色体数は有性型・無性型を知る手がかりになる。そこで、さまざまな中間型のヤブマオ類でまず染色体数を調べてみることにしました。こうして一歩を踏み出したのが修士2年目の夏、ずいぶん遅い決断でした。

故郷の福岡では海岸の岩場にだけニオウヤブマオが生育していることはよく知っていました。この種は雄花をつけることから有性生殖型であることが確実でしたから、これを研究の軸にしました。夏休みの海水浴客に交じって、登山用のリュックに地下足袋、つるはしという出で立ちで一人、故郷の海に向かいました。ニオウヤブマオの集団に加え、中間型のヤブマオ集団をいくつも巡って個体を株ごと掘り起こして採集し、山ほどの試料を抱えて京都に戻ったのです。

染色体数の観察を進めると、予想通り有性生殖型のニオウヤブマオは全て2倍体、無性生殖をしていると思われる中間型は3倍体でした。安堵と共につまらなさを感じ始めていた矢先、思わぬ発見がありました。無性生殖集団の中に、これまで発見されたことのない4倍体があったのです。慌てて顕微鏡から目を離し、圃場に飛び出して実物を確認しましたが、外見上は他の3倍体無性生殖型の個体と全く同じで驚きました。さらに調査地を広げて標本を増やすと5倍体のものまで見つかりました。単調な染色体観察が一気に興奮に満ちた作業に変わりましたね。一見同じタイプの個体の集団に見えたヤブマオが、染色体レベルで見ると実に多様であることが分かったのです。ささやかな発見でしたが、子供の頃から思い続けてきたヤブマオで新しいテーマが見えてきたのですから、喜びはひとしおでした。

ヤブマオの多様性は、全ての植物を「種」に当てはめるという従来の分類学の考え方では理解できません。私は種という枠組みに囚われず、個体や集団が持つ多様性がどうやって生み出されるのかに主眼を移して行きました。当時の植物分類学研究室では私の考え方はあまり受け入れられませんでしたが、考えを曲げることはしませんでした。新しい発想で研究できるのは若い大学院生の特権です。

保育社の『原色日本植物図鑑』。草本編は約5年かけて3巻が発売された。著者である、京都大学の北村四郎先生のあとがきには「小学校で1巻を、中学校で2巻を、高校で3巻を買った人がいるかもしれない」とあるが、正に私がそうだ。京大に入ってすぐ、北村先生にその話をしたらとても喜んでくれた。

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大学生時代の野外旅行のスナップショット。(本人:右端)

種を越えた多様性を生むサイクル

いよいよ図鑑の記述の真相に迫る時がきました。博士課程に進み、ヤブマオの有性生殖型と無性生殖型の交配について調べることにしたのです。修士課程で私が発見した4倍体や5倍体のヤブマオは、有性生殖型と無性生殖型が交配して生まれたものだろうという予想がありました。例えば、3倍体の無性生殖型のものと2倍体の有性生殖型のものが交配したなら、その子孫は3+1セットの染色体を持つ4倍体になるはずだからです。

こうした交配が実際に起こっているとするなら、その現場はヤブマオ類の有性型と無性型が重なって分布している地域に違いありません。全国のヤブマオ類の分布を徹底的に調査し、浮かび上がってきたのは愛媛県でした。山地性のヤブマオである有性生殖型のクサコアカソ(2倍体)と、無性生殖型のコアカソ(3倍体)の両方がそこに分布していました。京大博物館に保存されている植物標本を調べると、分布がちょうど重なる愛媛県・東赤石山で、クサコアカソとコアカソの中間的な形の交雑種が採集されており、「よしここだ」と思ったのです。

さっそく愛用の登山用リュックをかついで夜行列車に飛び乗り、東赤石山へ向かいました。タクシーで山道を登っていくとあるわあるわ、狙い通りの中間型の大集団が次々と車窓から目に飛び込んできました。心の中で歓声を挙げましたね。中間型の集団からは予想通り4倍体の個体が見つかりましたが、3倍体の個体も含まれていました。中間型は遺伝的に均質な集団ではなかったのです。実はこれも予想通り。私はこの日のために「3倍体-4倍体-3倍体サイクル」という仮説を暖めていました(図1)。まず、3倍体無性型のコアカソが2倍体有性型のクサコアカソと交配すれば4倍体の中間型が生まれます。4倍体は減数分裂ができるはずですから、これが再び2倍体有性型と交配すると3倍体無性型に戻ります。このサイクルが回ることで多様な中間型が生み出されたのではないだろうか。仮説を確かめるために酵素タンパク質の.変異を調べたところ、3倍体の中間型の一部に、4倍体を通り抜けて来たと思われるタンパク質の多型を見出したのです。サイクルが回った証拠を見つけることができ、興奮しました。かつて悩まされたヤブマオ類の様々な中間型の出現は、これで説明がついたわけです。

では実際に、無性型が有性型とどうやって交配するのだろうか。この中学生以来の疑問については実はここ数年、タンポポを使うことでやっと答えを出せたのです。大学院生の満行知花さんと明らかにしたことですが、私が予想していたメカニズムとは正反対で驚きました。実は3倍体無性型のセイヨウタンポポは、稀に減数分裂をして染色体を1セットと2セットに分け、正常に機能する花粉を作ることができるのです。つまり、種子生産の点では無性生殖ですが、花粉を有性的に作ることもできるのです。こうして外来種のセイヨウタンポポは2倍体有性型の在来種ニホンタンポポと交配し、今も新たな雑種の形成が進んでいることが分かりました。在来種と交配し巧みにその遺伝子を取り込む雑種タンポポは、植物の性の柔軟さが成せる業なのです。

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(図1)3倍体-4倍体-3倍体サイクルモデルの模式図。

なぜ性はあるのか

大学院時代に話を戻します。博士課程の1年目、私の研究の方向に大きな影響を及ぼす大事件がありました。メイナード=スミスの名著『性の進化』との出会いです。たまたま買い求めたこの本は、性の問題に関する全く新しい見方を教えてくれました。それまで私は生物が性を持つことに何の疑問も抱いておらず、むしろ性をなくしたヤブマオたちは、進化の袋小路に入り込んだ異常な生きものだと思っていたのです。そしてこういった特殊な例を研究する意義について、少し不安を抱いていました。『性の進化』はそんな私の不安を吹き飛ばしてくれたのです。

メイナード=スミスの問題提起はシンプルでした。まず、無性生殖の生きものは、全ての個体が単独で子孫を残すことができます。それに対して、有性生殖の生きものが子孫を残すには雄と雌が1個体ずつ必要なので、無性生殖より遅い速度でしか増えられません。無性生殖と比べて競争上明らかに不利であるにも関わらず、なぜ多くの生きものが有性生殖を行うのかは根本的な謎だというのです。ページを繰るたびに目から鱗が落ちるのがわかり、夢中で論理展開を追いましたね。私の無性生殖の研究を通して、未だ解かれていない性の意味に迫れるのではないかという希望が生まれました。

有性生殖が有利になるのは一体どんな条件なのか。ヤブマオの次に新しい研究材料としたのは、秋の七草の一つであるフジバカマによく似た、ヒヨドリバナという植物です。ヒヨドリバナはほとんどが無性生殖をする倍数体倍数体染色体を3セット以上持つ個体の総称だとされていたのですが、神戸大学の遺伝学者・渡邊邦秋さんが六甲山で2倍体有性生殖型のヒヨドリバナを発見されたことを知ったことがきっかけでした。2倍体ヒヨドリバナは丈が小さいという特徴を聞き、私の記憶の中にある故郷の可愛らしいヒヨドリバナにそっくりだと思い当たったのです。「それなら私の故郷にもありますよ」と渡邊さんを福岡に案内し、有性生殖・無性生殖の問題に共同で取り組むことになりました。

2倍体ヒヨドリバナの分布を調査するうち、あることに気付きました。2倍体のヒヨドリバナの多くは岩場や急傾斜地など、条件の悪いところに見られるのです。ひょっとすると有性生殖型のヒヨドリバナは、無性生殖型が生えられないような場所に生えることができるのではないかというアイデアが浮かびました。この仮説を実証するためにはさまざまな有性・無性型のヒヨドリバナを比較しなくてはなりません。多くのヒヨドリバナ類が生息するアメリカまで飛んで分子系統樹を描いたり、有性生殖型と無性生殖型を同一の環境で育てて比較する実験を行ったりしました。しかし条件の悪いところに有性生殖が強いという仮説の証明にはならず、悩むばかりでした。

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そんな時、稀代の生物学者ウイリアム・ハミルトン博士ウイリアム・ドナルド・ハミルトン(1936〜2000)イギリスの進化生物学者・理論生物学者。動物の利他的行動を血縁選択で説明するなど、それまでの生物学では説明出来なかった動物の行動や性質を説明する新たな理論を生み出した。1993年京都賞受賞。のある仮説に出会いました。「有性生殖は病原体に抵抗する上で有利である」という奇想天外なものでした。まさかと思いながらも故郷に戻ってヒヨドリバナを見たところ、ウイルスに感染して葉が黄色くなっているではありませんか。しかも感染しているのは無性生殖型の個体ばかりです。長年植物を見て来て、野外の植物が病気にかかることは少ないと思い込んでいたのが盲点でした。遺伝子を解析してウイルスの型を調べてみると、無性型には有性型より多様な遺伝型のウイルスが感染していることが分かりました。これを説明するのは、常に進化する病原体と宿主の関係性です。ある宿主に感染する病原体が進化すれば、宿主はそれに対する抵抗性を進化させる、するとそれを克服するよう病原体がまた進化する。この仮説は、『不思議の国のアリス』の赤の女王の言葉「同じ場所にいるためには、力の限り走らねばならぬ」にちなんで「赤の女王仮説」と呼ばれています。私の目の前にある現象はまさにこの仮説を体現していました。迅速に進化するウイルスに対抗するには、多様な遺伝子の組み合わせを生み出す有性生殖が有利であることを示していたのです。有性生殖の意義を野外の植物で初めて実証した研究として、海外からも高く評価されました。

屋久島の植物たち

京都大学に在学中に、東大理学部の植物学科の助手にならないかという有り難い誘いをいただきました。赴任して初めて担当することになった野外実習では、真っ先に屋久島を実習地の候補に挙げました。中学生のころ「日本シダの会」の会報を読んで屋久島を知って以来、思い焦がれていたのです。念願かなって、海上にそびえ立つ標高1936メートルの宮之浦岳や、鬱蒼とした屋久杉の原生林に足を踏み入れた時のことは忘れられません。瞬く間に私は屋久島の個性豊かな植物たちに魅せられてしまいました。この島にどれくらいの固有植物があるのかは未だに分かっていないと知り、貴重な植物を保全するために大規模な固有種の調査を行ないました。共同研究者として加わってもらった岩槻先生からは「最近の矢原くんの研究は、何がメインテーマかよく分からん」とからかわれましたね。行き当たりばったりで一貫性がないと思われたのでしょう。けれど屋久島の植物たちの生き様は、植物の性の研究を深めるきっかけを与えてくれたのです。

特に私の興味を引いたのは、渓流の岩上に顔を覗かせていたホソバハグマという植物でした。名前の通り細長い葉をもち、小さな白い花を咲かせます。少し歩いた森の中では、亀の甲のような形の葉をもつ植物に出会いました。葉の形からキッコウハグマと呼ばれ、ホソバハグマに近縁な植物です。面白いことにホソバハグマとキッコウハグマは、渓流沿いと森の中という異なる場所を棲み分けていました。ただ両者はしばしば交配して、正常な雑種を作ることがあるといいます。ヤブマオやヒヨドリバナの雑種形成を見てきた私の眼には、ホソバハグマとキッコウハグマが交配し、互いに同化してしまわないことが不思議に映ったのです。

謎の手がかりは自家受粉という現象から得られました。キッコウハグマは「閉鎖花」という、一見つぼみのような閉じた花をつくり、その中で自家受粉を行ないます。つまり自身のめしべと花粉を受精させて種子を作るのです。閉鎖花を開くと、花粉はたったの数十粒程度しか入っていません。花びらや花粉のコストを切り詰めた、自家受粉に特化した形です。こんなに小さな花ですら、自然選択によって洗練された形をもつことには驚きました。両者が入り混じってしまわないのは、キッコウハグマが閉鎖花をつけるために、ホソバハグマとの遺伝的な交流が少なくなるからなのでしょう。自家受粉が、渓流沿いと森の中それぞれに適した種の維持に役立っているようなのです。屋久島での出会い以来、植物特有の性のしくみである自家受粉に惹き付けられるようになりました。

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種生物学会で司会を担当したとき。(本人:壇上)

自家受粉は昆虫との関わりで進化する

無性生殖に次ぐ植物の性の謎として、自家受粉が私の研究テーマの大きな地位を占めていきました。自家受粉には「近交弱勢」という現象があります。これは近親交配で生まれた子に有害遺伝子の影響が現れやすいのと同じ理屈で、自家受粉でできた種子は多くの場合、有害遺伝子の効果によって死亡率が高くなるのです。一見不利な自家受粉がどのような背景のもと進化したのかは未解決の謎でした。

さまざまな植物で、自家受粉がどれくらい行われているのかを知るために、初めて本格的な野外の観察研究に乗り出すことにしました。1年間かけて、秩父の雑木林で袋掛け実験を行なったのです。花がつぼみのうちに花粉を通さない袋をかけ、シーズンの終わりにどれくらい種子が実るかを観察しました。袋の中で実った種子は自家受粉で作られた種子ですから、そこからどれだけ自家受粉を行うかを判断したのです。雑木林を歩いてつぼみを見つけては袋を掛けて回り、1年で55種類もの植物の花を観察しました。結果が出てみると、自家受粉率は種によってバラバラで、半数くらいの割合で自家受粉を行う種もあればほとんど自家受粉をしない種、その反対の種もありました。同じ雑木林の植物の間にもここまで多様な繁殖戦略があるのかと驚きました。この違いを説明するために、初めて数理モデルに挑戦することにしました。多様な世界をシンプルな論理で説明しようと思ったのです。

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自家受粉の進化について最初に数理モデルを提示したランディとシェムスキは、植物はその近交弱勢の強さに応じて自家受粉のみか他家受粉のみの種に二極化すると予想していました。これでは、多様な自家受粉率を持つ雑木林の植物たちは説明できません。彼らのモデルに不足している未知の要因は何なのか、一つ一つ検討していきました。雑木林の実験を通してまず不思議に思ったのは、樹木の花は袋を掛けてもほとんど自家受粉しないということでした。しかしこの疑問は数理生物学者・巌佐庸さんによってすぐに解かれたのです。学会で出会った巌佐さんは居酒屋で何時間も私の話に付き合ってくれ、「樹木は翌年に資源を取っておけるのだから、袋を掛けられた花が自家受粉するわけないじゃないですか」と思いもよらぬ指摘をしてくれました。なるほど、長寿命で翌年以降にチャンスがある樹木は、その年に無理に種子を作らなくてよいわけです。言われてみれば、生涯1回しか繁殖しないウバユリや一年草のツリフネソウは樹木と反対に、袋を掛けてもよく種子を作っていました。植物はそれぞれの生活史に合わせて、自家受粉する・しないという柔軟な選択をしていたのです。

巌佐さんの指摘のように繁殖を資源の問題としてとらえると、昆虫を惹きつけるための花や蜜に使う資源も、自家受粉率に関わってくるはずだと気づきました。自家受粉の進化は、より質の良い種子を作れる他家受粉のコストと切り離せないわけです。花や蜜のコスト、そしてそのコストに応じた他家受粉の成功率を従来のモデルに組み込むことも試みました。こうしてさまざまな要因を検証して新しい数理モデルを作っていくうちに、私はランディとシェムスキに始まる自家受粉の進化論争に身を投じていました。「Evolution」に発表したものの、大御所の先生から手痛い指摘を受け、理論的生命を絶たれてしまった数理モデルもありましたね。巌佐さんと議論しながら検証を重ね、結局花の自家受粉率は、自家受粉の際の近交弱勢の大きさと、他家受粉のためのコストとの兼ね合いで決まっているという結論に達しました。これで、雑木林に様々な自家受粉率の植物が存在するという謎に説明がつきました。自家受粉という植物の性の問題は、昆虫との関わりを抜きにしては説明できなかったのです。

キツリフネはなぜ閉鎖花をつけるか

モデルで得た結論を改めて野外の植物で検証してみようと注目したのが、ツリフネソウ属の一種・キツリフネでした。キツリフネは通常の花(開放花)と自家受粉専門の閉鎖花を両方つけるという珍しい特徴を持ちます。閉鎖花由来の種子は、近交弱勢のおかげで開放花由来の種子の10分の1程度しか生存できません。日光の高原で数年にわたり、大学院生の増田理子さんと一緒に花の時期やハチの訪れを観察しました。

キツリフネの花粉を運んでいたのはトラマルハナバチというマルハナバチの一種でした。賢く勤勉なマルハナバチは、気まぐれにフラフラ飛び回るハナアブとは違い、近くの花を順番にまわるという効率の良いやり方で蜜を集めていたのです。これでは、せっかく花びらや蜜にコストを払って開放花をたくさんつくっても、同じ個体の花粉を受け取って自家受粉してしまう可能性が高くなるわけです。コストを切り詰めた閉鎖花を組み合わせてつけた方が得策だということが理解できました。予測通り、昆虫をひきつけるためのコストと近交弱勢の兼ね合いが、全く異なる2種類の花を同時につけるという戦略をとらせていたのです。モデルから得た予測を野外の研究で実証することができ、感慨深かったですね。

生きものに満ちた世界を残したい

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私が植物を見て歩いた50年は、日本が高度経済成長を遂げた時代です。急速に進む宅地化や工場開発の裏で、親しんできた植物が次々と消えるのを目の当たりにしました。かつて故郷で見たナツエビネや、久留米の湿地でみたサギソウの群落はもうありません。何とかしなくてはいけないという思いから日本の絶滅危惧植物の調査を始めました。調査を始めた当時は、自然保護といえばトキやイリオモテヤマネコくらいしか注目されていませんでしたから、身近な生きものにも絶滅の危機が迫っていることを調査によって示そうと思ったのです。フジバカマを始めとする、日本の野生植物の6種に1種が絶滅の危機にさらされていること、そしてこれらの生息地が身近な自然の中にこそ集中していることを明らかにしてきました。

2010年の名古屋でのCOP10(生物多様性条約第10 回締約国会議)開催後は、調査域をアジア全土に広げました。COP10を受けて2011年から始まった環境省の5年間のプロジェクト「アジア規模での生物多様性観測・評価・予測に関する総合的研究」で、プロジェクトリーダーとして日本の生態学者約100人の世話役を務めたのです。アジア全域の生物多様性の現状を調べ、日本が保護予算を出す場合どの地域を優先すべきか等を決めるための研究です。アジアの熱帯林の現状を知る良い機会と思い、なるべく現地に足を運ぶことにしました。カンボジアに始まり、タイ、ベトナム、インドネシア、マレーシアとめぼしいところは全て赴き、生物多様性を調べ、森林利用の実情を取材して回りました。徹底的な現場主義なんです。

アジアの実情は、はっきり言って悲惨です。例えばインドネシアのスマトラ島は低地の森林の9割が消失しています。福岡市と同じくらいの面積が植林地になっている事業地では、残された保護林はたったの40ヘクタール程度。このキャンパスよりも小さいのです。実は原生林を伐採して作られた植林地の主な作物は紙やパームオイルであり、その多くが日本に流通しています。日本の消費が、海外の生態系の犠牲の上に成り立っている現状はご存知なかったでしょう? この事実を消費者にいかに気付いてもらうかもこれからの課題です。

もう一つ問題なのが、アジアの植物分類の研究が大幅に遅れていることです。残された僅かな保護林にどんな種があるか、評価が進んでいません。そこでDNA解析を用いて種の同定を始めました。5年間で約2万5000点の樹木のDNAサンプルを集め、ゲノム中のITS領域の配列を調べ、形態的特徴と総合して種を同定しています。手始めに東南アジアで一番種数が多いクスノキ科の樹木を調べてみると、驚いたことに約4割が新種でした。少なくともあと400種は新種があり、これまで記載されている種と合わせると1,000種を超える見込みです。そういった新種は多くの場合、辛うじて残った保護林のなかにぽつんと見つかるのです。原生林の破壊と共に消えた新種も数多くあるに違いありません。未知の生きものが人知れず世界から消えていくという現状が、否応なしに見えてきているのです。

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英彦山の鬼杉の前で。

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インドネシア・スマトラ島での調査風景。樹上より。

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スマトラ島の植物を手に。

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現地のスタッフと採集作業。

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調査中にカメを発見。

森の「引っ越し」

2000年前後、九州大学の一部が私の郷里、糸島に移転するという計画が持ち上がりました。新しいキャンパスは「環境との共生」を謳っているにも関わらず、実際の計画は深さ30メートルもの谷を全面的に埋め立てるというものでした。思わず当時の杉岡総長と矢田副学長に、「いくら何でもおかしくありませんか」と申し上げると「それを言われると痛いですね」と、谷の埋め立てを全て中止してくれたのです。これを機に伊都キャンパスの生物多様性保全事業に関わるようになりました。矢田先生たちとうまく波長が合い、里山の一部を「生物多様性保全ゾーン」として残すことになったのです。

キャンパスの造成に当たっては、「森林面積を減らさない」、「そこにあった種を一種も絶滅させない」という目標を立て、切り崩し予定の里山から土壌ごと樹木を切り出し、谷の周囲へ移植しました。絶滅危惧種もそうでない種も含め、一種も滅ぼさないという試みは画期的なもので、「Science」誌に取り上げられたほどです。15年経った今、ブロック状に切り出して移植した樹木はすっかり谷になじみ、見学者に移植した森林だと言うと驚かれるくらいです。日当たりの良い道沿いでは土に含まれていたネムノキやカラスザンショウ、タラノキの種子が次々と芽を出し、湿地にはこの地域では見られなくなっていたコウキヤガラが土壌中の種子から再生し新しい景観を作っています。何より嬉しいのは、市民ボランティアの方たちが竹林を伐採してどんぐりの苗を植えたり、「カスミサンショウウオを守る会」の方たちが子供たちを呼んで両生類の観察会を開いたりと、多くの人が関わり、大切に思ってくれる場所になったことです。これからも見守っていくつもりです。

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決断の科学をつくる

最近力を入れているのは「決断科学(Decision Science)」、人間社会における意思決定の研究です。2015年「持続可能な社会のための決断科学センター」を作り、人々の意思決定や合意形成の仕組みについてレビュー研究をしています。こう言うと話がずいぶん飛躍しているようですが、決断科学は私の人生を通して見出した新たなテーマなのです。

はじまりは2013年、かつて一緒にキャンパス移転に取り組んだ有川総長に、「博士課程教育リーディングプログラム」のコーディネータをやってほしいと頼まれたのです。グローバルリーダーを養成する大学院をつくるプログラムです。やるからには自分が面白いと思ったことを究めたい。すぐに、「人はどんなときに対立し、どんなときに協力するのだろう」という問いが思い浮かびました。これは私自身がさまざまな保全の現場で、集団の意思決定の重要性を痛感してきたことにあります。このキャンパスの移転にしても、一歩間違えば造成反対か賛成かの二極対立になっていたでしょう。科学が様々なことを明らかにしても、それを問題解決に結びつけられるか否かは人々の選択にかかっている。学生運動の時代や保全の現場での奔走を振り返りながら構想を練るうち、出張先から帰る電車の中で「決断科学」という言葉が降ってきたのです。

決断科学を始めたもう一つの理由は、私の進化学者としての純粋な興味にあります。植物の性の研究を始めた当初から、進化生態学の先駆者たちの動物の理論を取り入れてきましたし、植物の性を昆虫や病原体と植物の関わりから説明する過程では、様々な生きものの進化を理解することが不可欠でした。その中で、進化学に残された大きな謎は、私たち自身だと気付いたのです。ヒトがなぜこれほど協力的で、集団のために働くように進化したのかは、ハミルトン博士が作り上げた働きアリや働きバチの理論働きアリや働きバチの理論生涯子どもを産まずに女王を助ける、働きバチや働きアリの利他的な行動を説明した理論。ミツバチやアリの社会は繁殖分業によって成り立っており、女王バチ・女王アリは繁殖を専門に行い、ワーカーはそれを助ける。女王とワーカーが強い血縁関係にある場合は、ワーカーは女王を助けることによって、実は自分自身が持つ遺伝子を子孫に伝えることができ、条件次第では、その効果は自身が子どもを産むよりも大きいとした。では説明できません。

プログラムが始まって2年、人の意思決定について自分なりに学んできました。一つ分かったことは、人の直観と理性の関係を重視すべきだということ。道徳心理学者のジョナサン・ハイトは、人の意思決定を「象と象使い」の喩えでうまく表現しています。私たちの直観は祖先の動物から引き継いだ意思決定システムです。長い進化の過程で様々な自然界のリスクを経験し、いざというとき瞬時に判断を下せるよう洗練されている。一方の理性は、この巨大で強力な直観に対してあまりにもちっぽけな存在であり、その関係性は「象」と「象使い」だと言うのです。「象」である直観は、普段は「象使い」である理性の言う事を聞いているかもしれませんが、ひとたび動き出せばもう理性の手には負えません。

さらに行動経済学者のダニエル・カーネマンによると、人の直観的要素は物事を組み合わせてストーリーを作りたがる癖があるといいます。例えば「牛乳」「下痢」という二つの言葉を聞いただけで、多くの人は「牛乳を飲んで下痢をした」というストーリーを連想してしまうでしょう。厄介なことに道徳的判断、すなわち善悪の判断は直観で行なうのです。そして理性は、直観で決めた結論に合う証拠だけを引き合いに出してストーリーを作ってしまう。これが、「保守派対リベラル派」など、対立する意見がかみ合わない最大の理由です。合理主義で乗り越えられない問題であることは明白ですから、私はまず象使いではなく象に語りかけるべきだと考えています。例えば、対立する人々が一緒になってボランティア活動をしてみるなど。共同作業を通して「実は結構いい人じゃないか」といった信頼関係ができれば象は冷静になり、初めて相手の主張に耳を傾けられるのです。

一見中立に見える科学にも、価値観や感情、道徳観など直観と結びついた要素が入り込んでいます。今「フューチャー・アース(Future Earth)」という、地球の持続性を考える統一した学問をつくろうという世界的な取り組みが始まっています。ここで中心的な課題となる地球温暖化や生物多様性保護などは、多くの利害関係者が関わってくる問題です。本当にこうした問題の解決に結びつけるための学問を行うには、多くのステークホルダーの間でいかに研究計画をデザインするかが重要になってくるはずです。決断科学ではまず、こうした多くのステークホルダーが関わる研究を計画する際の、意思決定ガイドラインをつくろうとしているところです。

自然科学者として私はかなり変わった存在かもしれません。植物の性の研究から始まって次第に生物の保全事業に関わるようになり、いつの間にかオールラウンダーになってしまったのですが、生きものが好きで自然を残したいという思いは幼いころから変わりません。それは私自身の「象」としての強い価値観であり、人生を決める原動力だったということに改めて気づかされます。生態学は微生物から人まで、幅広い生物の進化や社会理論を扱いますから、色々な学問をつなぐ核になれる可能性を秘めた分野だと思っています。これからは未来の地球につながる学問を作ることに務めていきます。

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