バベットの食卓

『バベットの晩餐会』という小説があります。フランス革命後、ノルウェーの寒村に家政婦として住み着いたパリの有名レストランの天才的な女シェフが、不意に入った大金を注ぎ込んで、信仰厚い村人に最高の晩餐を饗する話です。海を渡って買い付けに行き、材料はすべて本物。仕込みをすべて取り仕切り、完璧なテーブルセッティングをし、料理を最高のタイミングで食卓へ運ぶ。村人は初めて見る御馳走にうっとりするものの、これがパリの最高の料理店の味であることを見抜くのは、たまたま客人として迎えられていた若い日をパリで過ごしたスウェーデンの将軍だけだった・・・。

顕微鏡写真は、微少な世界の形態を見るだけだと思われがちですが、本当によい写真にはそこにある物質やその機能についての情報まで含まれています。必要な情報ができるだけたくさん入っていて、しかもきれいな写真。こういう写真を見ると私はバベットの食卓を思い出します。本物を見ることができる喜びです。でもこういう写真は、千載一遇のチャンスを得て、やっと撮れるのです。何年間も標本を見ていても、薄い切片の中で、自然の構造がその意味をもっともよく示してくれるパターンに出会う確率は限りなくゼロに近く、まさに一期一会です。だから学会などでそんな写真に出会うと体が震えるような感動をおぼえますし、その人がその写真を撮った時の喜びが伝わってきて思わず口元が綻びてしまいます。

高校時代。友人たちと

高校時代。長髪は当時、ちょっと反抗的と見られた。

戦後フィリピンから引き揚げてきた沖縄の子供たちの世話をした。

紫外線顕微鏡から電子顕微鏡へ

脳外科医を志して入った医学部で、人体が明瞭な原理に従って整然と構成されており、構造が機能と対応していることを明快に示す石沢政男先生(九州大学解剖学)の講義に感動して、解剖学教室への進学を決めました。石沢先生にはミクロトーム(細胞や組織の切片を作る機器)のナイフの研ぎ方から染色の仕方まで、美しい切片を作るための注意を厳しく教え込まれました。石沢先生は学問的には厳しい先生でしたが、学生時代にはいろいろと武雄伝を残されており、またモリエールの翻訳を岩波書店から出しておられるような方でしたので、私は大変楽しい助手時代を過ごすことができました。幸い研究室には、当時日本に2台しかないツァイスの紫外線顕微鏡があったのです。紫外線を単波長にするために2個の巨大な水晶プリズムを使ったこの顕微鏡は、現在の電子顕微鏡より高価なくらいの大変貴重なものでした。この顕微鏡で、生きた神経細胞を見る細胞レベルの形態学に引き込まれていきました。

その後、私が電子顕微鏡を使って神経細胞学を学び始めた1950年代前半は、ちょうど生物学の分野に電子顕微鏡が本格的に導入され、細胞生物学に新世紀が始まった時でした。細胞を100ナノメートル(1ミリの1万分の1)以下の薄い切片にする超薄切片法が開発され、微細な形態を細胞内そのままの位置関係で観察できるようになったのです。このことで平面状の分解能は光学顕微鏡の200倍近くも上がりました。

1956年に九州大学医学部助教授のまま渡米。ワシントン州立大学解剖学教室のH.スタンレー・ベネット教授のもとで、本格的に電子顕微鏡を覗くことになり、初めて見る微細構造の魅力に時の経つのも忘れました。この教室は、細胞微細構造と物質との関りを調べる、いわば分子解剖学ともいえる研究を始めたところです。アメリカ国内はもちろん、世界中から若い研究者が集まって活気に満ちていました。

翌1957年、MIT(マサチューセッツ工科大学)の学会で、H.ハックスレーの発表を聞いた時の興奮は今でも忘れられません。彼は、超薄切片ミクロトームを用いて横紋筋細胞の15ナノメートルと25ナノメートルという極めて薄い切片作りに成功し、筋繊維の配列が確実に見える電子顕微鏡写真を撮影しました。そして、当時多くの研究者が関心をもっていた筋収縮の機構に、今や有名になった“滑り込み説”(アクチン繊維とミオシン繊維が互いに滑り込むことで筋肉が縮むという説)を提唱したのです。電子顕微鏡の分解能を最大限に活用して撮影した写真は、アクチンとミオシンの繊維の相互配列関係を鮮明に示し、ミオシンの頭の像まではっきり見えており、彼の説には説得力がありました。

この研究は、物質(生化学)と形態(解剖学)と機能(生理学)を分子のレベルで結合するという、新しい研究の道を拓いたすごい迫力のある研究でした。

(4)ミミズの巨大神経に見られる電気シナプスのギャップ結合部。細胞膜が互いに接近しながら癒合することなく、狭い間隔を残しているのがはっきり見える。
(5)ギャップ結合の凍結破断図。膜内粒子(コネクソン)が集合している。
(6) ギャップ結合部を拡大したもの。2枚の膜を貫くコネクソンの断面には、小さな穴が見られる。イオンがこの穴を通ることによって、シグナルが伝わる。6枚のサブユニットが花びらのように見える。

化学シナプス
シナプス前部(PR)には、伝達物質の入った小胞が見られる。小胞は開口部から放出され、シナプス後部(PO)に送られる。

シナプスを見る

神経細胞は、長い突起を伸ばし、互いに連絡して回路網を形成しているのはよく知られています。網目の接点(シナプス)では、一方の神経細胞から他方へシグナルの伝達が行なわれます。50年代初め、生理学的研究からシナプスでは化学物質(たとえばアセチルコリン)によって伝達が起こるという説が唱えられていました。ベネット教授は電子顕微鏡でその構造を観察してシナプス前部に伝達物質を入れる小さい袋があることを発見、その袋の大きさから、中に入るアセチルコリンの量を計算し、生理学的に調べられていたアセチルコリンの量子放出の数値と一致することを示されました。

一方、1930年代からのミミズの巨大神経繊維のシグナル伝達には、神経繊維の継ぎ目を通る、極めて早い情報伝達が知られていました。これは化学物質のやりとりによる「化学シナプス」ではなくて、電気による「電気シナプス」だと考えられていましたが、その構造はまだだれも詳しく見ていませんでした。

そこで、「これを見てやろう」と思い、ミミズの巨大神経から組織切片を作り、電子顕微鏡で神経細胞の継ぎ目を捉えました。写真を見ると、2つの細胞の膜が、とても接近した部分がある。明らかにそこだけ他より近いのです。計測により、間隔の狭い特別な構造をもった継ぎ目であることがわかりました。電気シナプスの構造が見つかったわけで、大変興奮しました。

アメリカから帰国するとすぐ、広島大学教授になりました。研究費の少ない頃ですから、電子顕微鏡がほしい新任の私のために教授会で“たのもし講”をつくって下さって第1回目に当てて下さいました。そのおかげでHS6という450万円もする電子顕微鏡を買うことができました。天然の磁石を使った、安定度の高い、当時としては非常に質の高い顕微鏡でしたので、ありがたいことでした。若い人を大切に育てるという当時の先輩教授の皆さんの心意気に今でも頭が下がる思いがします。この顕微鏡を使ったサカナの側線の研究は、1962年にフィラデルフィアで行なわれた国際電子顕微鏡学会で生物学部門の最優秀発表に選ばれました。このことが、当時、国際電子顕微鏡学会の会長だったキース・ポーター先生(細胞生物学の父といわれる)との個人的なお付き合いのきっかけとなりました。

電気シナプスも、化学シナプスと構造は変わらないという人が多かったけれど、すでにミミズのシナプスを見ていた私は、そんなはずはないと確信していました。HS6を使ってザリガニやシャコなど、電気シナプスがあるといわれる動物の神経の結合部をかたっぱしから見ました。どれにも間隙の狭い継ぎ目の部分が見られました。これは後に、心筋などの細胞間結合の研究から、ギャップ結合(狭い間隔のある細胞間結合)といわれた構造と同じものであり、そこでは細胞膜内の粒子が相手の膜内の粒子と狭い間隔で結合して、細胞間隔を結ぶ橋を作っているのです。後になると、中央に膜を貫く直径2ナノメートルの穴が通っているのも観察できるようになりました。電気シナプスと化学シナプスの構造の違いをはっきりさせ、神経細胞でのギャップ結合を発見したことは、生理学の分野でも大きな反響を呼びました。

こうしてシナプス研究は私の大切な研究のテーマとなったわけです。はじめの頃生理学者は、電気シナプスは下等動物に特有だと言っていましたが、後になって、哺乳類の中枢神経でもギャップ結合が見つかってきました。あの頃、生理実験には今のように、小さい神経細胞を扱えなかったので、ミミズやザリガニさらにはイカなど巨大神経をもつ無脊椎動物を使わなければならず、わざわざ、生きたヤリイカを買いに鳥取の境港に行ったりしたのは今でも懐かしい思い出です。

超高圧電子顕微鏡

このように、できるだけ高い分解能で構造を見る努力を続けておりましたが、一方で高倍率、高分解能へと進む形態学研究に、次第に疑問をもつようになりました。これは逆に、生物学的に重要な情報を見落とすことにならないかと気になり始めたのです。構造的にも、機能的にも重要な生体分子は、だいたい1ナノメートル以上の大きさのものが多く、電子顕微鏡の最高の分解能を必要としません。しかも高分解能、高倍率だと、当然視野は狭くなります。視野の中に含まれる有効な構造情報の量を示す指標を視野分解能(FR)と呼びますが、最高のFRを得るには、観察する構造の大きさに応じて、倍率を適当に選ぶ必要があります。それに、試料内に含まれる情報量は、当然、試料が厚いほど多いわけです。厚い試料を、適当な倍率で撮影できたらいい。その願いを叶えてくれたのが、超高圧電子顕微鏡です。100万ボルトの電圧をかけると、通常の10万ボルトの電子顕微鏡で使うものより50倍も厚い切片(5ミクロン)が観察できました。

神経の研究をするなら中枢神経の微細構造を調べたい。そう思っても複雑な突起をもったニューロンやグリア細胞の立体的な関係は、普通の電子顕微鏡では観察できません。その複雑な構造を捉え、機能との対応づけをするには、厚い切片を用いて、三次元的構造を捉える必要があったのです。そこで、超高圧電子顕微鏡に着目。初めて生物学的に意味のある像を撮ったのは1967年でした。

生物学に超高圧電子顕微鏡を活用していこうという動きが出てきて、同じ年、ハワイで第1回の日米超高圧電子顕微鏡会議が開かれました。そこへ持っていった写真に、オーガナイザーのポーター先生が注目されて、当時私がいた大阪に来られました。そしてその時一緒に撮った写真を持ち帰り、それをデモンストレーションに使って、アメリカの超高圧電子顕微鏡導入に成功されたというエピソードがあります。当時、日本のほうが進んでいるということなどあまりありませんでしたから、ちょっとよい気分でした。

立体写真館―三次元で見る 神経細胞とグリア細胞
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超高圧電子顕微鏡で撮影した白ネズミ脳のグリア細胞(試料の厚さ5ミクロン)。急速ゴルジ法という染色法により、それまでは繊維しか染まらなかったグリア細胞の全体像が撮影可能になり、網目状に樹状突起をはりめぐらせている様子が見られた。下の円形領域は、グリア細胞の核で、染色されていない。
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細胞の間隙を縫って網目状に突起をのばしたグリア細胞が、マスクメロンのよう。
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シート状の突起をのばす、グリア細胞の培養細胞。
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白ネズミ脳の神経細胞樹状突起表面の小突起(急速ゴルジ法による染色。試料膜厚5ミクロン。試料傾斜角度±8°)。濱博士は、このトゲの大きさ、長さ、密度を、一つ一つ定量した。
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試料台を左右に傾けて撮った2枚の写真の、対応点の視覚の差を測定することによって、対応点の基準点からの三次元座標を決めることができる。航空写真から等高線を引くのと同じ理屈である。

三次元で定量する

厚い試料の中で重なり合っている構造情報は、そのままでは取り出すことができません。しかし、立体写真の原理を利用すれば観察できるはずです。切片を水平位置から左右に正確に傾けることのできる試料台を超高圧電子顕微鏡に導入し、右に傾けて1枚、左に傾けて1枚。5ミクロンの厚さの試料を撮影し、2枚の写真を立体眼鏡で観察してみると、思ったとおり、深い空間の中に存在する微細構造が立体的に見えてきました。三次元に広がった細胞微細構造の世界は、二次元の断片像からは想像できない豊かな情報をもっていました。

さらに考えました。2枚の航空写真から地表の等高線が引けるように、2枚の電子顕微鏡を使うと、長さ、表面積、体積などが計算できるはずだと。ただし、三次元の定量化を行なうには、試料台を正確にコントロールしなければなりません。生理学研究所(岡崎国立共同研究機構に3つある研究所の1つ)に赴任して超高圧電子顕微鏡を設置する時に、その実現を図るため、試料台と、画像解析プログラムの開発、精度の考察など、モデル材料を使って慎重に検討しました。
そして、神経細胞の樹状突起のトゲ(スパイン)の定量化を行なったのです。トゲの密度、長さ、大きさを一つ一つ計り、表面積をコンピュータで計算してみると、トゲのおかげで樹状突起の表面積が約2倍になっており、1つの神経細胞に数千から数万のシグナルが入り、処理されているということがわかりました。このような数字は神経回路機能のコンピュータシミュレーションを行なう場合に欠かせない大切な資料となります。

今は、左右に60°ずつ傾けながら連続撮影し、立体構造の指標となるデータがすべて得られる試料台を開発し、コンピュータトモグラフィー(CT)解析法を使ったグリア細胞の三次元定量解析に挑戦しています。

私たち人間は、2つの目をもち、立体視する能力を与えられているのだから、三次元空間の中での構造を確実に捉えたいという思いを強くしながら、今は生理学研究所長という管理職ですが、幸い所長室に研究室がついているので、時間を見つけては超高圧電子顕微鏡に向かうようにしています。まだまだ新しいものを見つける喜びを手放したくありません。

ノースカロライナ大学の客員教授として渡米した時、ワシントン大学時代の恩師のベネット教授夫妻と。

1966年、小胞体の日米コンフェレンスを主催した。説明しているのは、キース・ポーター教授(当時ロックフェラー研究所)。その左が濱博士。

細胞からの広がり

私にはちょっと特別な体験があります。医学生だった頃、福岡市で空襲火傷者の収容と治療、長崎で原爆直後の被災者の救護にあたったのです。さらに戦後は沖縄難民の方々の医療セツルメントで働きました。これらの経験を通して戦争被害の惨状を目にし、肌で感じ、恐らく普通の臨床医が一生の間に経験するよりも多いだろう死を若い時に見てしまったのです。病気を治そうという気持ちで医学の道に進んだのに、健康な人を襲い死にまで至らせるシステムがあるという事実を目の前にして、臨床医への希望がしぼんでしまいました。それが解剖学に進んだ一つの理由です。この体験は、今も私の中に大きな影響を残しています。

50年近くの間、飽きもせずに形態学の仕事を続けられたのは、顕微鏡を通して見る生体の構造がいつも新鮮で美しかったからです。幸い顕微鏡技術が次々と新しくなり、構造と機能の巧妙な仕組みを知る楽しさを味わい続けられました。おかげで、解剖学、細胞生物学、生理学、神経科学、電子顕微鏡学という直接関係のある分野だけでなく、理・工学系さらに文科系の多くの方々からも強い関心をもたれ、たくさんの人と知りあえました。研究者の方々だけでなく、自分の研究室だけでも超高圧電子顕微鏡を除いて13台の電子顕微鏡と次々に友達付き合いをすることができました。顕微鏡様々です。
最近の生物学では、分析技術が進歩し、個々の分子に関する情報はぐんぐん増えています。でもそれだけでは生き物の理解にはつながらない。それらの分子の組織、細胞内での配置や立体構造などを知り、複雑な機能をもつ細胞どうしの関わりや全体のなかでの位置づけを理解することが必要です。しかしながら、生き物を理解するうえで、それにもまして大切なことは生き物の命を大切にし、自然を敬う心をもち続けることだと思います。生き物の仕組みそのものは自然によってつくられ、生き物の命の中で守られており、それを大切にする人にしか見えてこないのですから。

超高圧電子顕微鏡(岡崎国立共同研究機構)。濱博士は、今も、時間があれば顕微鏡に向かう。