夢の化学に憧れて

子どもの頃は毎日、学校が終わると近くのお宮さんに集まって友達と遊びました。故郷の守山(滋賀県)は長男を大事にするという習慣が残っており、長男の僕は甘やかされたと思います。勉強しなさいと言われることはなく、苦労知らずののんびり屋に育ちましたね。

小学校の頃、毎月一冊ずつ家に届く「世界少年少女文学全集」が楽しみでした。収録されていたのは古典的な名作が中心で、『トム・ソーヤの冒険』や『十五少年漂流記』などの物語に夢中になったものです。朝、本が届いたらすぐ読み始め、気が付くと外が真っ暗になっていたこともよくありました。母が中学校の理科の先生をしており、家にあった科学の本や資料もよく読みました。その影響で、中学校の理科室で埃をかぶっていた天体望遠鏡を友人と引っ張り出し、夜の校庭で木星食を観て感激したのを覚えています。

高校入学の直前に結核を患い、1年間休学を余儀なくされました。療養中にたまたま囲碁を教えてもらい、どんどん上達するのが楽しくなって、専門書を読み勝負の後に一局を並べ直せるくらい熱中しました。こうして1年遅れで膳所高校に入学した時は10組でしたが、3年の時は理系クラスの1組になりました。ゲルマン民族の大移動やモンゴル帝国の拡大など、世界史も好きでした。

当時はナイロンやポリエチレンなどの石油製品が燃えない・腐らない革新的な素材として登場し、化学の力で何でも作れるんだと思われていた時代でしたので、進学先には京大工学部の工業化学科を選びました。ところが大学に入った頃には、光化学スモッグや水質汚染など、化学工場が引き起こす公害が大きな社会問題となったのです。その中で生命科学に惹かれるところがあり、工業化学科の中では唯一生物を対象としている工業生化学研究室を選びました。ゆったりとした研究室だという評判で、のんびり屋の自分に合っているのではないかというのがもう一つの理由でした。研究室の中心テーマである微生物発酵は日本の醸造の伝統の上に成立し、アミノ酸発酵などの技術で世界をリードしていましたし、教授の福井三郎先生が講義で「人工的な化学合成は高温・高圧条件で化合物をつくるが、生物は常温・常圧で複雑な化合物をつくる。その力を生かすのが工業生化学だ」と語っておられたのも印象的でした。

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高校時代。母は理科教師で家には理科教材がたくさんあり、科学は身近な興味の一つだった。

研究の楽しさを知る

福井三郎先生のモットーは「よく学び、よく遊べ」。先生は京大の古き良き伝統といえる自由放任主義で、研究室は自由闊達な雰囲気でした。僕は親分肌で面倒見が良い、助手の田中渥夫先生(現・京都大学名誉教授)の研究グループに加えてもらいました。最初はコルベンの洗い方が悪いと先輩に叱られることもありましたが、造り酒屋の息子だという先輩が旨い酒を飲みに連れて行ってくれたり、麻雀好きな先輩が勝負のコツを教えてくれたりするうち、すっかり居心地が良くなりました。この先輩方とは今でも良い遊び仲間です。企業に就職する気は起きず、こんなに楽しいところはないと、ずるずる大学院に進んでしまいました。

卒業論文と修士論文では、石油を食べる酵母である石油資化酵母(以下、石油酵母)を研究しました。石油が豊富だった時代ですから、これを微生物発酵に応用し、飼料や食品産業につなげることが期待されていたのです。与えられた研究テーマは、石油酵母の脂肪酸組成の分析でした。先輩に教わった通りにガスクロマトグラフィーで分析してみると、驚いたことに未知の脂肪酸が次々と検出されたのです。新発見ではないかと思いましたがどうもおかしいと、分析方法を大元の文献で確認すると、触媒を希釈せず原液のまま加えたことが間違いだったとわかりました。正しい濃度にすると、標準資料と合致する偶数の炭素数の脂肪酸と、これらの間に位置する奇数の炭素数の脂肪酸が見出されました。最初の失敗で懲りていたので、さらに各ピークを分取し、還元や酸化をすることで詳しく構造を確認し、修士論文発表会でこの結果を発表しました。すると終わった後に福井先生から「お前の研究を野崎先生が褒めとったぞ」と言われたのです。野崎一先生は合成化学の大御所で、学生の誰もが恐れる厳しい先生でしたから、とても嬉しかったですね。

福井先生の下で自由に育てて頂いたことで、研究室はいつも居心地の良い場所だという思いをもつことができ、さらには失敗を自分の力で乗り越える自立心も身につけられたと思っています。

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福井研究室の皆で登山に行った時。先輩後輩の垣根はなく、毎日が部活のように楽しかった。(本人:左から3番目)

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福井研究室の皆でハイキングに行った時。(後列中央が福井三郎先生。本人:後列右から4番目)

研究の厳しさを知る

博士課程に入ると、「石油酵母の脂肪酸生合成の調節をより深く調べてみたい」と、生意気なことを福井先生に言ったようです。福井先生は、「医学部に脂肪酸の生合成の世界的権威がいるから、そこで勉強してこい」と言われ、東大路通りを挟んで向かい側の医学部へ送り出されることになりました。当時、早石修先生と沼正作先生が教授をされていた京都大学医学部の医化学教室は日本の生化学のメッカであり、沼先生は脂肪酸研究でノーベル賞を受賞したドイツのフェオドール・リネン先生(Feodor Lynen)の門下生で、脂肪酸代謝の研究を自身のライフワークとされていたのです。

沼先生の下で、脂肪酸の合成酵素であるアセチルCoAカルボキシラーゼ(ACC)の精製を行いました。パン酵母からラットまでACCの精製法が確立されていたため、この酵素を石油酵母から精製することは簡単だろうと思いましたが大間違いでしたね。石油酵母のACCは非常に不安定で、みるみるうちに活性が失われてしまうのです。先に進めないまま1年が過ぎ、いよいよ研究をあきらめようと覚悟したころ、光が差しました。ポリエチレングリコールを加えると酵素が安定化し、活性あるACCを精製できることがわかったのです。さらに、石油酵母が、石油や脂肪酸を炭素源として生育する時はACCの酵素量を低く抑え、グルコースを炭素源として生育する時は酵素量を上昇させて脂肪酸の生合成を促進することを示しました。この成果を生化学の国際ジャーナルに投稿し、無事、学位論文ができることになったのです。

沼先生は研究一筋の真面目な先生で、1日に2回も実験室に現れて「どうなってますか」とデータや実験ノートを見ながら各員の進捗状況をチェックされました。論文を作成する時は、2ヶ月にも渡りマンツーマンでデータや引用文献、英文の表現まで微に入り細に入り吟味されるのです。研究室員がヘトヘトになるこの作業は「デスマッチ」と呼ばれていましたね。早石研と沼研の合同で週4回行うランチセミナーは、強者揃いのスタッフと先輩が手ぐすね引いて待ち構えており、少しでも手を抜くと質問攻めで潰されてしまう厳しさでした。「セミナーは道場である」とは早石先生のお言葉です。

福井研と正反対の環境で、何も知らずにやって来た当初は苦労しました。最初から沼研に入っていたら、僕は決して研究者にはなっていなかったでしょう。けれど、生来のんびり屋の僕が働き者になったのは沼先生の叱咤激励抜きには考えられません。この点では先生に大いに感謝しなければなりません。論文が仕上がるまで厳格に指導するなど、研究に正面から厳しく向かい合い、細部まで手を抜かない姿勢を叩き込まれました。今から思えば、これだけ時間をかけて直接教育を受けたことは得難い経験でした。先生の研究に対する姿勢は生涯一貫しており、「本道を歩め」、「もう限界だと思った時からもう一歩も二歩も前進するのが努力だ」と言っておられたことが今でも心に残っています。福井研で教えてもらった研究の楽しさと、沼研で教えてもらった研究の厳しさの両方が、その後の研究人生で大きな糧となりました。

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京都大学医化学教室の沼正作先生(前列右から2番目)とスイスのチャールズ・ワイスマン先生(前列左から2番目)(本人:後列左)

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沼先生の記念シンポジウムで。

遺伝学のパワーを知る

無事に学位論文の成果が得られ、博士課程の3年終了まで時間に余裕ができたと思っていたら、沼先生から脂肪酸活性化酵素(ACS)脂肪酸活性化酵素(ACS:Acyl-CoA Synthetase)脂肪酸にコエンザイムAを結合させ、活性化型脂肪酸(Acyl-CoA)に変換する酵素。脂肪酸ははじめにこの酵素によって活性化されてから代謝される。の変異株変異株突然変異株、突然変異体とも。DNA配列に突然変異を生じた生物を指す。この場合(ACS変異株)は、DNAの突然変異によってACSをつくることができなくなった酵母を指す。突然変異株を研究することにより、その形質と遺伝子とを結びつけることができる。を取り、ACCの抑制に、脂肪酸そのものかコエンザイムA(CoA)と結合した活性化型脂肪酸(Acyl-CoA)のいずれが重要かを調べなさいとの指示がありました。助手の上領達之さん(現・広島大学名誉教授)が東大の応用微生物研究所の出身で、微生物の遺伝学を身につけておられ、すぐに石油酵母のACS変異株を取ってくれました。この変異株の培地に脂肪酸を加えてもACCの酵素量は低下しないという、沼先生の目論見通りの明確な結果が得られたのです。

しかし不思議なことが判明しました。ACS変異株は、大村智先生が発見されたセルレニンという、脂肪酸の生合成を阻害する抗生物質を使って単離されたものです。セルレニンを酵母の培地に入れておくと、酵母は自身で脂肪酸の合成ができなくなるので、外から脂肪酸を添加してやらないと生存できなくなるのですが、外部の脂肪酸を取り込む際はACSを使います。この現象を利用し、セルレニンの存在下で脂肪酸を添加しても生育できない変異株として、ACS変異株が単離されたのです。測定すると確かにACSの活性は無くなっていました。ところがこのACS変異株が、脂肪酸や石油を炭素源として正常に生育できるという不思議なことがわかりました。脂肪酸はCoAと結合し活性化型となってから代謝されていくというのが常識でしたから、予想外の現象でした。

本当にACS活性は無くなっているのか確かめるべく、変異株の粗抽出液をどんどん増やしていくと、大きくなるバックグラウンドに隠れてしまいそうですが、酵素活性が残っているような感触を得ました。実験の合間に実習室で一緒に卓球をしたりして息抜きをしていた、大学院生の保坂公平さん(現・群馬大学名誉教授)とこの謎について話をしていた時、保坂さんが脂質の懸濁液を持っていることを知りました。バックグラウンドが大きくなる粗抽出液を増やす代わりに脂質を入れたらと思いついたのです。ACC研究の時のポリエチレングリコールが念頭にあったことは言うまでもありません。

保坂さんからもらった脂質懸濁液を加えると、予想通り大きなACS活性が現れました。第二のACSがあると考え、これをACSIIと名付けました。修士課程でお手の物だった脂肪酸組成の分析を行ってみると、石油で育った野生株は偶数と奇数の脂肪酸を半々で持っていますが、変異株は偶数の脂肪酸しか持っていないことが明らかになりました。つまり、変異株はACSIIを使って石油や脂肪酸を炭素源として利用できるが、細胞膜の脂質成分の脂肪酸としては利用できないことになります。さらに、ACSIIはマイクロボディと呼ばれる細胞内小器官に局在していることも見つけました。石油酵母が石油を取り込む際、合成と分解の二つの経路を使い分けていることが明らかになったのです。生物は論理的にできているということを強く実感し、想定外の謎を自力で解くことが出来たことは大きな自信になりました。研究者としてやっていけるのではないかという思いが芽生えたのがこの頃です。

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医化学大学院時代の友人と旧交を温める。(左から、西河芳樹さん、本人、保坂公平さん、寺岡弘文さん)

Gene to Phene

当時の日本は学位を取ってもすぐ職に就ける状況ではなく、若い研究者は留学するのが普通でした。生きものの巧妙な営みを解明した遺伝学に強く惹かれており、はじめはエレガントな手法で酵母の細胞周期の温度感受性変異株温度感受性変異株
特定の温度条件下でのみ表現型が現れ、他の温度条件下では野生株と同じ表現型を示す変異株。致死的な突然変異を解析するのに用いられる。
を単離したリーランド・ハートウェル博士(Leland H. Hartwell)の研究室への留学を希望しましたが、「ドイツはええぞ」という沼先生の熱心な勧めで、西ドイツのエックハルト・シュヴァイツァー教授(Eckhart Schweizer)の研究室に留学して遺伝学を学びました。

ドイツではACC変異株の遺伝解析から複合体構造を明らかにする研究に取り組みました。その研究が一段落した頃、隣国スイスの分子生物学研究所のチャールズ・ワイスマン教授(Charles Weissmann)が、クローン化クローン化クローニングともいう。この場合は、遺伝子など特定のDNA配列を単離することを指す。したウサギのグロブリンの遺伝子をマウスの細胞に導入し、遺伝子の発現遺伝子の発現遺伝子が転写・翻訳されてはたらくこと。に成功したという成果をNatureに発表したのです。以前から代謝調節や遺伝子の発現調節に興味があったのですが、遺伝子工学という新しい手法が動き出した当時、このように遺伝子を直接実験の俎上に載せることができるというのは大きな驚きでした。この技術で遺伝子の発現調節を研究したいと、オンボロ車でドイツを飛び出してワイスマン先生のもとを訪ね、留学の許可を取り付けたのです。

念願が叶って分子生物学研究所に着任した日、ワイスマン先生は留守でした。先生はボストンで、夢のがん治療薬と期待されてきた、インターフェロン遺伝子のクローニングクローニング遺伝子など特定のDNA配列を単離することを指す。に成功したと報告する記者会見をしていたのです。インターフェロンは抗ウイルス活性抗ウイルス活性ウイルスの増殖を抑制する性質。をもつということ以外は何もわかっていなかったのですが、ポストドクの長田重一さん(現・大阪大学教授)が、インターフェロンの発現クローニングに成功していました。遺伝子工学の威力を世界に示した成果です。翌日、ワイスマン先生はチューリッヒの研究室に戻るとすぐにメンバーを集め、「The world is waiting for us(世界が我々を待っているぞ)」と宣言しました。言葉通りに世界中から問い合わせの電話が殺到し、世の中にこんなにすごい研究があるものなのかとびっくりしましたね。新米の僕は世界の期待に応えるべくインターフェロンの量産グループに投入され、最初の約束はすっかり忘れられてしまいました。

ラボでは複写式の実験用ノートが支給され、研究室を離れるときには必ずオリジナルの方を残すというルールがありました。実験ノートは研究者にとって大事なものであり、当然実験を行った本人に所属するものだと思っていたので、ちょっとした驚きでしたね。後にインターフェロンの先取権を争う裁判が米国であった時、日付がしっかり入っていた僕の実験ノートが証拠に使われたようで、証言のためと日本からファーストクラスの飛行機に乗せられ、ニューヨークへ宣誓に行くという経験をしました。

cDNAクローニングcDNAクローニング細胞内のメッセンジャーRNA(mRNA:下注参照)の相補的な配列をもつDNAをcDNAという。cDNAの配列を調べることで、細胞内で発現している遺伝子について知ることができ、その中から目的の遺伝子を単離することをcDNAクローニングという。技術の登場により当時の分子生物学は、とにかく生命現象に重要な遺伝子を探し出そうという研究で一色になりました。活性しかわかっていなかったインターフェロン遺伝子の発見はその最高峰の成果です。クローニングを駆使した研究ではこれを超えるものはないと思い、その次をやるべきだという考えが僕の頭をかすめていました。そんな時、ワイスマン先生がある講演のタイトルに使われた「Gene to phene」という言葉が印象に残りました。先生は、phenomenon(現象)の古語であるpheneを使って韻を踏んでいるのだよと説明してくれました。つまり、「遺伝子から機能を探る」という意味合いがあったのです。

留学して1年経ったころ、沼先生から医化学教室に戻るようにとの電話をいただきました。助教授の中西重忠先生(現・京都大学名誉教授)が異動されるのでその後任にということで、チューリッヒでの研究はこれからだと思っていたので大いに悩みましたが、結局日本に戻ることにしました。もちろんワイスマン先生はご立腹でしたね。

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スイスのワイスマン研究室のメンバーと。右から2番目がワイスマン教授、左から2番目が長田重一さん、続いてアラン・ホールさん(Alan Hall)、平英晴さん。(本人:右端)

分野の垣根を超えて

帰国すると沼研でも、中西重忠先生が導入したcDNAクローニングの技術が大学院生に根付き、まさにその勃興期を迎えていました。しかし僕は「遺伝子から機能へ」と、次の段階に進もうという思いがあったので、「クローニングはもういい、クローン化した遺伝子を用いて発現制御など機能を見る方向に進みたい」と主張しました。すると意外にあっさりと沼先生はその方針を了承してくれたのです。先生は、クローニングは大学院生を直接指導してできるという自信を持っておられたことと、この頃はACCの発現調節を解明するというライフワークの前段階として、僕の研究が有効だという考えがあったのだと思います。

転機は、野田昌晴くん(現・基礎生物学研究所教授)らがクローニングしたアセチルコリン受容体のcDNAの発現に取り組んだことです。アセチルコリンは、神経系から筋肉に指令を出す神経伝達物質であり、その受容体は神経系の代表的な受容体として、生理学や生化学で多くの研究が積み重ねられていました。黒崎知博くん(現・大阪大学教授)と動物培養細胞やカエルの卵母細胞など様々な発現系を試しましたがうまく行きません。最後は、cDNAを発現ベクターに入れてmRNAmRNAメッセンジャーRNA。遺伝子が転写されてつくられるRNAで、翻訳によってタンパク質となってはたらく。を作らせる培養細胞系と、mRNAから機能的な受容体を作らせるカエルの卵母細胞系を組み合わせるという、手間暇のかかる方法でやっと、機能的なアセチルコリン受容体を再構成することに成功しました。当時としては最先端でしたから、Natureのarticleとして論文を発表できました。これが本格的に神経系の研究に入るきっかけになったのです。

受容体がはたらいているかどうかは電気生理で検定しなくてはならないのですが、生化学者には異質の実験でしたので、医学部生理学研究室の久野宗教授にお願いしました。前掛けを掛けた久野先生がニコニコしながらリンゲル液を調整され、助手の高橋智幸さん(現・沖縄科学技術大学院大学教授)がオシロスコープを前に測定を担当される様子を思い出します。アセチルコリン受容体はα、β、γ、δという4つの構成要素(サブユニット)からなるので、それぞれのはたらきを一つ一つ調べる実験を始めました。生体内にある受容体はサブユニットがしっかり結合した複合体を形成しているので、従来の生化学では不可能な実験でしたが、我々の実験系では、cDNAから作らせたサブユニットのmRNAを組み合わせるだけですから簡単です。

実験を始めると、アセチルコリン受容体は4つのサブユニット全てを組み合わせなくては、ほとんどの場合正常にはたらかないことがわかりました。これは予想通りだったのですが、γとδを抜いた受容体から、数十回に2~3回だけ非常に小さい応答が検出されました。ベースラインぎりぎりの、わずかな針の振れを見て久野先生は「これは応答です。論文には、『γとδがなくとも受容体は機能する』と記載するべきです」とおっしゃったのです。一方の僕は、「生化学では再現性のない実験は認められない。正しいなら何十回かに1回ではなく、100パーセント正常な機能が検出できるはずである」と主張。若かったこともあり、なかなか譲りませんでしたね。久野先生は「生身の生体を扱う生理学では何時間も何日もデータが取れないことがあり、データが取れ出すと一生懸命に集めるのだ」と、生理学の実験研究について懇切丁寧に説明してくれました。生理学と生化学では、学問の方法論が違うだけでなく、生物や生命の理解の仕方や見方も違うのだということを初めて知りました。生意気な若僧を相手に対応して頂いた久野先生には頭が下がります。

僕が学問分野の垣根にこだわらなくなったのはこの頃からです。やりたいことがあり、そのために必要なら何でもやる。自分で方法を開発することもありますし、既に良い方法があれば世界中の誰からでも取り入れました。異なる分野の専門家との出会いから、新しい発見が生まれるという醍醐味を何度も味わいましたね。こうして様々な方法を取り入れ、専門分野の垣根を取り払い、遺伝子から生命現象に迫るという研究のスタイルが生まれてきました。

cDNAから機能的な受容体を発現する利点は、遺伝子工学により様々な変異をcDNAに導入することで、受容体の機能の構造的基盤を解析できることです。古典的な遺伝学よりはるかに迅速に、しかもデザイン通りに変異を導入して機能を解析できるという、分子遺伝学の威力です。一方、当時の電気生理学は、細胞膜上にあるたくさんの受容体の反応の合計を測ることになり、また、卵母細胞毎に発現する受容体の量がバラつくので平均値を測定値とせざるを得えません。正確にアミノ酸一個のレベルで構造を変えられる分子生物学の精度に対応していないとの不満が生まれてきました。世界に眼を向けると、ドイツのマックス・プランク研究所のアーウイン・ネーハー博士(Erwin Neher)とバート・サックマン博士(Bert Sakmann)が、一個の受容体のはたらきを測定できるパッチクランプという方法を開発していました。当時の日本にそれができる人はいなかったのですがどうしても諦めきれず、思いきって一度だけ学会で顔を合わせたことのあるサックマン博士にたどたどしい英語で直接電話しました。すると驚いたことに、彼は即座にやろうと答えてくれたのです。後で聞いた話では、サックマン博士も筋肉細胞から抽出したmRNAを使って、アセチルコリン受容体をカエルの卵母細胞で再構成しようとしていたのです。けれどmRNAの量が十分でなく苦戦しており、渡りに船だったいうことでした。その頃には、ワイスマン先生が試験管内でcDNAから効率よくmRNAを合成させる手法が米国で開発されたという情報を教えてくれたので、僕らはいち早く純粋な受容体のmRNAを手にすることが出来ていました。

そうと決まればとにかく早く始めようと、教授会で渡航の承認が下りるまでの3週間をもどかしい思いで過ごし、mRNAを持ってフランクフルトに降り立つと、マックス・プランク研究所からリムジンが迎えに来ていました。着いたその日にカエルの卵にmRNAを打ち込んで準備をし、翌朝から実験開始です。こちらは必死だったので何とも思わなかったのですが、その後何度も「マサヨシは着いたその日に実験を始めた」とバートにからかわれましたね。数日間はなかなか良いデータが取れず、サックマン博士は様々な材質のパッチパイペットを取っ替え引っ替えして苦闘していました。ようやくパッチクランプの反応が取れ始めた時はサックマン博士も興奮気味で、オシロスコープの前に僕を呼び寄せ、流れ出る単一チャネルの波形を見せながら、「ここでチャネルが開いて、ここで閉じたんだ」と説明してくれました。踊る画面を見ながら、一分子の活性を直接見ているんだと感激した瞬間でした。3週間の滞在で様々な実験を楽しみ、その後4報のNature論文として発表することになる研究成果の原型を得ることができました。日々発見の連続で興奮が止まらず、夕食も忘れて実験を続けているとメンザ(学生食堂)が閉まってしまい、サックマン家で遅い夕食をご馳走になることもありました。食事は任せろと言って彼が奥さんに電話してくれるままに従っていたのですが、ドイツでは、結婚相手が夕食の時間にいないことは正当な離婚理由として認められるということを後で知りました。そこまでしてもらって、冷や汗ものですね。

サックマン博士との共同研究の成果で彼も僕も特に気に入っているのは、「γ−ε(ガンマ-イプシロン)スイッチ」です。筋肉と運動神経は別々に発生分化し、その後運動神経が筋肉の方に伸びて筋肉を支配するのですが、アセチルコリン受容体は神経が来る前から筋肉で作られています。最初は筋肉の表面に広く分布している受容体が、神経が来るとその接合部(シナプス)に集まってくることが知られていました。二つの状態の受容体は局在だけでなく性質も微妙に異なることが生理学的に知られていましたが、どのようにしてこのような違いが生じるのかは謎として残されていました。アセチルコリン受容体のγサブユニットがεサブユニットに置き換わることで、シナプスに局在する型になることをきれいに証明できたのです。最先端の分子生物学と電気生理学が手を組むことで長年の謎が解けた瞬間でしたね。

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1991年、バート・サックマン教授がノーベル賞を受賞した際、こちらから送ったお祝いの手紙への返事。アセチルコリン受容体のサブユニットスイッチ(γ-εスイッチ)に関する1986年の論文に言及しています。

分子から脳の記憶・学習に挑む

アセチルコリン受容体の研究が順調に流れ、助教授として数年が経つと、次の研究テーマを考えるようになりました。独立したら何をすれば良いのか。京大の医化学は研究環境としては最高でしたが、居心地の良かった福井研からは随分遠い所に来てしまったという思いも強かったのです。3年後くらいに、久野先生を介して新潟大学の脳科学研究所へ教授として移らないかという話があり、決断しました。人生の大部分の時間を費やす研究ですから、教授として自由に研究ができるなら、成功するかどうかの計算は二の次にしてやりたいことやろうと考えました。筋肉の受容体研究の経験を生かし、脳に挑戦したい。それも高次機能とされる記憶・学習に分子から挑もうという思いが強くなりました。

文献を調べていくと自然にNMDA型のグルタミン酸受容体に焦点が合ってきました。グルタミン酸は脳の主要な興奮性神経伝達物質としてはたらき、その受容体によって情報が受け取られます。学習は、経験が脳の神経回路の伝達効率を変えることにより成立するという仮説があり、グルタミン酸受容体のNMDA型が強い入力によりシナプス伝達の効率を変化させる引き金になるという証拠が、生理学や薬理学の研究により積み重ねられていました。そこで、脳のNMDA型グルタミン酸受容体に狙いを定め、マウスを用いてまずこの受容体の遺伝子をクローニングで特定し、最終的には記憶・学習との関わりを調べようと考えたのです。分子から、記憶や学習という脳のもつ高次な機能を解明することは、やり甲斐のある研究だと思えたのです。一から立ち上げようというラボでこれだけ挑戦的な研究をするのは無謀な話でしたが、新潟に赴任した直後、助手の﨑村建司くん(現・新潟大学教授)にこの野心的なプランAを打ち明けると、すぐに一緒にやろうと言ってくれ、プロジェクトが動き出しました。もし駄目だったら、酒も魚もうまい新潟でのんびり暮らすのも人生だと、腹をくくりましたね。

脳研究所の研究室の立ち上げ当初のメンバーは、﨑村くんと脳研生え抜きの技官、医学部や理学部から来てくれた大学院生たちで、僕を含めて脳や学習については素人の集団でした。でも皆、「京都から来た新任教授が、とにかくNMDA受容体というすごく大事な分子を調べようとしているのだ」と、細かいことは分からなくともやる気を出してくれました。伝統ある研究所の職員であるというプライドをもっていた、技官の荒木一明さんや櫛谷悦子さんの正確で信頼できる高い技術力も大きな力になりましたね。

さっそくNMDA受容体遺伝子のクローニングに取り掛かりましたが、同時期、京大の中西重忠さん、ソーク研究所のステファン・ハイネマン博士(Stephan Heinemann)、マックス・プランク研究所のピーター・シーバーグ博士(Peter Seeburg)のグループなど、世界の強力なラボが同じ遺伝子をクローニングしようと取り組んでいました。僕たちも候補となる遺伝子を次々クローニングしましたが、受容体としての活性を示さなかったり、活性を示してもNMDA型以外のグルタミン酸受容体であったりと、なかなかNMDA受容体にたどり着けない焦りが募りました。NMDA受容体が取れるまでと、それ以外の受容体の遺伝子は活性を見出しても力を注がなかったのですが、世界からNatureやScienceにそれらの受容体の論文が出てきて、研究室に緊張が走りました。そしてついにNMDA受容体のサブユニットの一つ(GluN1, GluRζ1)を、中西さんに先に発表されてしまったのです。僕たちもすでに同じサブユニットのcDNAをクローニングして持っていたので、しまったと思いました。しかしNMDA受容体は複数のサブユニットからできているので、中西さんたちが発見した遺伝子一つだけでは、カエルの卵母細胞で非常に小さい活性しか示しません。

本物のNMDA受容体の活性を検出したのは、晩秋の日の午前3時でした。この時は、研究室に残っていた﨑村くんと助手の森寿くん(現・富山大学教授)と一緒にワァッと叫びましたね。GluRζ1にGluRε1を組み合わせることで、NMDA受容体が構築されることを発見した瞬間でした。すぐに確認の実験を行って、確信を持った夜明け前、3人でビールで乾杯して帰途につきました。翌日、全員に結果を報告し、セミナーやスタッフ会議を全て中止して、この成果を1日でも早く論文として世に出すことに集中すると宣言しました。僕が電気生理の実験を担当し、データを取り終えるまでセットに向かいました。そして正月は休もうと急ぎに急いで1週間で何とか論文を書き上げ、﨑村くんが大晦日に郵便局に駆け込んでNatureに送りました。1月にはもう世界中の研究者に噂が広まっていたのには驚きましたね。世界のラボが同じテーマで競争する中で、新参者の僕らがいち早く結果を出せたのは幸運としか言いようがないのですが、教員や技官たちスタッフが必死で頑張ったことに加え、学生たちも競争の激しさを次第に実感するようになり、実力も個性も様々な寄せ集めのメンバーが力を出してくれました。そうして研究室全体で取り組もうという雰囲気が生まれたのが大きかったですね。多くのグルタミン酸受容体のcDNAをクローニングしてようやくNMDA受容体に辿り着けたわけで、あの時の誰一人欠けても、この成果は出せなかったでしょう。

その後解析を続け、NMDA受容体は、サブユニットの組み合わせによって多様なタイプ(GluRε1〜4)があることを次々と発見しました。皆気分が高揚し、お祭りのようでしたね。これらの成果をNatureに続けて3報の論文として発表し、夏は合宿という名目で佐渡の臨海試験所に全員で遊びに行きました。皆で過ごした夏の日の開放感は、一生忘れられません。この後東大に移ることになったため、新潟大学に席があったのは3年半だけだったのですが、人に恵まれて本当に幸福な研究生活でした。

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新潟大学脳研究所の研究室の立ち上げメンバー。スタッフの﨑村建司くん(後列左から2番目)や森寿くん(後列左から4番目)に加え、ベテランの技術職員の櫛谷悦子さん(後列左から3番目)や荒木一明さん(後列右から3番目)も、難しい実験に挑戦してくれた。

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﨑村くん、森くんと共に初めてNMDA型グルタミン酸受容体の活性を検出した装置の隣で。(本人:左端)

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マックス・プランク研究所のシーバーグ教授と。

多様な分子が支える記憶と学習

NMDA受容体の遺伝子の特定に成功し、分子から脳の高次機能を探求する足がかりができました。記憶や学習は個体でしか測定できません。当初はトランスジェニックマウスを使おうと想定していましたが、折しもマウスの遺伝子ノックアウトが可能になり、遺伝子と生理機能や行動との関係をより厳密に追求できる足場が整ったのです。さっそく、この技術を持っていた理研の相澤慎一博士の研究室に轡田達也くんが行ってくれ、見つけたNMDA受容体の各サブユニットを欠損させたマウスをつくり、記憶と学習能力への影響を調べることにしました。マウスの学習能力は行動で評価するしかありませんが、定量的に測定できるのか半信半疑で、自分たちの眼で確かめない限り論文には出来ないと思いました。そこで﨑村くんが文献を頼りに、最初に作成したGluRε1サブユニットの遺伝子を欠損させたマウスの空間学習能力を、モリスの水迷路試験モリスの水迷路試験マウスの空間記憶能力を評価する実験手法。水槽に不透明な液体を満たしてマウスを泳がせ、見えない足場を探させる。同じ試行を繰り返して足場にたどり着くまでの時間から、マウスの空間記憶能力を評価する。で試しました。学習能力が低下している傾向はありそうな結果が得られましたが、どうもばらつきが大きかったのです。平均値で結論を出すわけにはいかないということで一致し、専門家に尋ねて水温や水面の高さ、測定室の環境を粘り強く調節しました。これによって、自信を持って「GluRε1欠損マウスでは学習能力が低下している」と言える定量的なデータが得られ、空間学習を担う海馬のシナプス可塑性(シナプス長期増強長期増強シナプスの信号の伝達効率が長期的に上昇すること。長期記憶が形成される際に誘導される。)も低下しているとのデータと合わせ、Natureに発表しました。

その後、軽い気持ちで文脈依存学習試験でも確認しておこうと大学院生の城山優治くんに声をかけ、恐怖条件付け試験恐怖条件付け試験マウスに電気ショックなど恐怖反応を誘導する刺激と、音、光、場所など、それ自体は恐怖反応を誘導しない刺激を共に与え、両者の関連性を学習する能力を評価する実験手法。をやってもらいました。しばらくして彼が「先生、差がありません」と言ってきた時は驚きましたね。実験が間違っているのではないかと疑い、恐怖条件付け試験の大元の文献を詳しく読んでチェックしましたが差が出ることはなく、焦りました。しかし、実験法を開発した文献では実に丹念に証拠を積み重ねて学習を測定していることに触発され、条件を振ることにしたのです。すると、学習時間を短く設定した時、正常なマウスは学習するのにGluRε1欠損マウスはほとんど学習しないことが見つかりました。つまり、GluRε1を欠損させると、充分時間をかければ学習出来るが、短い時間では正常マウスに比べて学習しにくくなるのです。同時に真鍋俊也教授(東京大学)が、GluRε1欠損マウスでは、海馬のシナプスの可塑性誘導も起こりにくくなっていることを示してくれました。これらの結果は、NMDA受容体がシナプス可塑性と学習の閾値を決める分子であることを示しており、お気に入りの仕事の一つとなりました。数年後には、ヒトの知的障害の因子としてNMDA受容体GluRε1あるいはGluRε2に変異が入っている例があることが報告され、マウスを用いた研究結果はヒトにもつながることが示されました。

一方、GluRε2サブユニット遺伝子をノックアウトすると、マウスの赤ちゃんはお母さんのミルクを飲めずに死んでしまうということがわかりました。詳しく調べると、脳の発達や形態は一見正常なのですが、ヒゲに対応する脳の感覚地図がうまく出来ていないことが分かり、GluRε2が脳の神経回路網の形成に必須の分子だということが示されました。実は分子の構造から見るとNMDA受容体のGluRε1とGluRε2はよく似ており、GluRζ1と組み合わせて再構成した受容体は、チャネル活性も薬理学的性質もほぼ同じなのに、個体のレベルで見るとその機能は大きく異なるのです。片や大人の脳の記憶・学習を司り、片や発達期の神経回路形成を担うというのはどういうことだろうという謎が生まれました。また、GluRε2のヘテロ欠損マウスでは驚愕反応驚愕反応音などの突然与えられた強い刺激に対する、跳躍などの反応。が亢進していたり、GluRε4欠損マウスではヒトで統合失調症様の症状を引き起こすフェンサイクリジン(PCP)の興奮作用が消失したり、海馬CA3特異的にGluRζ1を欠損させるとてんかん様発作が起きやすくなるなど、NMDA受容体の多彩な生理機能が浮かび上がってきました。

NMDA受容体のクローニングの過程で発見し、GluRδと命名した分子があります。構造的には明らかにグルタミン酸受容体の仲間ですが、カエルの卵母細胞で発現させても、うんともすんとも応答がありません。GluRδ2は小脳のプルキニエ細胞プルキニエ細胞プルキンエ細胞とも。小脳に存在し、運動学習に主要な役割を果たす神経細胞。だけに分布するので、面白いかもしれないという曖昧な理由でノックアウトマウスを作成しました。結果は大当たりで、欠損マウスは運動失調を示したのです。小脳のシナプス可塑性と運動学習が障害され、小脳の機能に重要な分子であることが判明しました。同時に、このマウスでは小脳のプルキニエ細胞のシナプスが大きく減少していたり、乱れていたりすることも分かりました。GluRδ2は小脳で、大脳のNMDA受容体GluRε1とGluRε2の機能を併せ持つような役割を担っていると思われたのです。

また、川本進さん(元・千葉大学教授)が見つけた、GluRδ2に結合するデルフィリンという分子を欠損したマウスは全て正常のように見えたのですが、運動学習が向上し、小脳シナプス可塑性も起こり易くなっていることを示しました。竹内倫徳くん(現・オーフス大学チームリーダー)が平野丈夫教授(京都大学)と粘って共働した成果です。また竹内くんは、大人になってからGluRδ2をノックアウトすれば、発達期の神経回路形成への影響が消えて学習への効果だけが見られるのではないかと考え、マウスが成長を完了した後にGluRδ2遺伝子の欠損を誘導しました。渡辺雅彦教授(北海道大学)に電子顕微鏡で解析してもらうと小脳プルキニエ細胞のシナプスがGluRδ2の低下に対応して減少することが明らかになり、GluRδ2は大人の脳でもシナプス結合に必須であることがわかりました。

グルタミン酸受容体は様々なタンパク質と相互作用しています。植村健くん(現・信州大学准教授)は遺伝子組換えで細胞内タンパク質と相互作用するC末端を欠いたGluRδ2を持つマウスを作成し、このマウスはシナプス可塑性や運動学習が障害されるが、シナプス形成は正常であることを見つけました。続いて、シナプス形成を誘導する能力はN末端の細胞外領域にあることを示しました。学習とシナプス形成が同一分子で制御されているというメカニズムが見えてきました。植村くんはシナプス形成を誘導したときにGluRδ2のN末端に結合するタンパク質を網羅的に単離する方法を開発し、GluRδ2がCblnという分泌タンパク質を介し、相手の神経細胞の終末に存在するニューレキシン(neurexin)と結合することにより、シナプス形成を誘導するシナプスオーガナイザーであることを見出しました。これら一連の成果は、発達期のシナプス形成と大人の記憶・学習が分子レベルで密接に関連していることを明らかにしたものと、満足しています。

アセチルコリン受容体のγ−εスイッチの発見以来、シナプス形成にはずっと興味があり、新潟大学時代から遺伝学が使える脊椎動物のモデルであるゼブラフィッシュを使う研究を続けていました。吉田知之くん(現・富山大学准教授)がゼブラフィッシュの胚が透明なことを利用して、シナプス形成を生きたまま観察できる系を開発し、この系でシナプス形成に関わる分子を系統的に探索してIL1RAPL1という分子が浮かび上がってきました。マウスに移して解析を進めると大脳の神経細胞のシナプス形成を誘導する活性を示し、相手の神経細胞の終末にあるPTPδと結合することにより、シナプス形成を司るシナプスオーガナイザーであることが分かりました。IL1RAPL1は、ヒトの知的障害の原因遺伝子の一つとして同定されており、記憶・学習とシナプス形成との密接な関連が分子レベルで明らかになりました。シナプスオーガナイザーやグルタミン酸受容体と、それにその結合分子などのシナプス分子は、知的障害、自閉症、統合失調症など心の病気とされる精神疾患と関連することが次第に明らかになってきていますので、分子で心の扉を開くきっかけになる研究成果だという思いを強くしています。

脳にある一千億個もの神経細胞は互いにシナプスを介して連絡し、一つの神経細胞が形成するシナプスは数千から数万にものぼり、膨大なネットワークをつくっています。個々のシナプスを構成する、受容体などのシナプス分子は質量ともに多様で、様々な違いがあることが次第に明らかになってきています。さらに、発達の臨界期や学習など、経験によってシナプス機能や構造も変化します。この様なシナプスの多様性や変化は、脳の神経回路の構造やバランスに影響を与えます。情報を処理する神経回路の特性は人々の感性、記憶、価値観、判断の元になります。こうして個々の人の脳は世界に二つとない独自な脳になり、個人の尊厳を支えているのです。

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東大時代の忘年会。教授になってからは、学生時代に経験した「よく学び、よく遊べ」と「厳しさ」も念頭に独自の研究室をつくることを心がけた。(左から、本人、城山優治くん、松田尚人くん、吉田知之くん、徳岡宏文くん)

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研究室のメンバーや共同研究者と納涼会(東大一号館の屋上)などでよく飲み、懇親を深めた。

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藤原賞受賞の祝賀会で、共同研究者に囲まれて。(左から、森寿教授、渡辺雅彦教授、本人、﨑村建司教授、寺岡弘文教授)

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コールドスプリングハーバー研究所にて。(左から、林崇くん、渡辺雅彦教授、竹内倫徳くん、阿部学くん、本人、宮崎太輔くん)

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植村健くん(右から2番目)の論文が、Cellに掲載されたことを祝って。(本人:左端)

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文部科学省の特定領域研究「分子脳科学」の領域代表を務めた。領域会議にて。

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紫綬褒章受章の記念祝賀会。

脳から心へ

僕は生化学で研究を始め、途中で分子生物学に出会った世代です。免疫の多様性、がんや発生が、遺伝子や分子から論理的に理解できるということに、アッと驚かされました。まさかその研究が発展し、脳の記憶や学習を分子で語れる日が来るとは想像もしていませんでしたね。脳の高次機能の研究を進めていくうちに、脳の理解は「心とは何か」「人間とは何か」という問いにつながるという感触が強くなってきました。いつの間にか研究としての脳の探求と、人間とは、自分とは何かという問い掛けが溶け合ってきたことは、思わぬ喜びです。

最近わかってきたことですが、ある行動をして上手くいったときは、快情報を伝えるドパミンという神経伝達物質が放出され、脳はその状況で行動を指示した神経ネットワークのグルタミン酸受容体のシナプスを強化します。つまり脳は結果が良かった行為に関する記憶は残し、良くなかった場合は消去するようにできているのです。予想外の出来事が起きたときにもドパミンが放出され、ドパミンが予測を担っていることも明らかになっています。僕は脳研究を始めたころ、記憶と学習こそが脳の一番の高次機能で、喜怒哀楽などの感情はどちらかというと下等なはたらきだと考えていたのですが、実際は情動や評価は記憶を制御しているのです。

僕たちは、頭でどんなに難しいことを考えていてもお腹が減ればそちらに気を取られます。脳は体とつながっており、人の行動や意思決定が脳の理屈だけで決まっているわけではないのはある意味当然といえます。さかのぼると5.4億年前、地球上の酸素分圧が上昇したことが引き金となって、効率よくエネルギーを獲得できるようになった生きものがカンブリア大爆発を迎えたと言われています。静かだった世界が、活発に動き回る動物で騒がしくなりました。捕食動物が出現すると、食う・食われるの関係が生まれ、行動を司る神経系が大幅に発達し、同時に報酬により学習を促進したり、予測するしくみが進化したと思われます。私たちの脳は、その生命の歴史を刻み込んでいるのです。生命の歴史からみればつい最近加わったホモ・サピエンスは、文字という外部記憶を発明することで飛躍的に脳の力を伸ばしてきましたが、現在ITによる第二の外部記憶を持つに至りました。2045年にはSingularity、つまりAIが人を超えると予想されていますが、生きものの脳のロジックはAIのロジックとは異なるはずですので、どのような対話が生まれるのか…。

予想外の出来事が起きたときにもドパミンが放出されます。研究で新しい何かを見つけたときの喜びは、美味しいものを食べたりする喜びを超えるような、格別のものがあります。新しい発見をし、これまでにないコンセプトを創り上げ、新たな世界の見方を獲得していく過程は、科学でも芸術でも哲学でも共通ではないでしょうか。人間の脳に備わった素晴らしい能力だと思います。

分子と脳のはたらきについて、まだまだ知りたいことがたくさんあります。ブレインプロジェクトなど、今の脳科学は神経細胞のネットワークの解析に注目が集まっています。その次はネットワークを作り上げているシナプスのレベルまで解析を深めることが必要になるでしょう。今は複雑で到底分かりそうにない脳の全貌や人の心も、AIなどの新技術もあわせれば、シナプスやシナプスを構成する分子レベルで理解し、俯瞰することが可能になる日が来るだろうと期待しています。想像もつかない未来の展開を楽しみに、これからも脳のはたらきに挑んでいきます。

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東大の研究室で行われた、還暦のお祝い。

お祝いの花束の贈呈。

学生が描いてくれた還暦のお祝いイラスト。アルファベットのMASAYOSHIで「還」の字をかたどっている。

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東大の4教授合同退職記念の会。右から清水孝雄教授、岡山博人教授、谷口維紹教授、本人。

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2016年、学士院賞を受賞した時の祝賀会。