魚との出会い

北海道の小樽で生まれましてね。父は銀行員でしたからサイエンスに進んだのは父親の影響ではないですね。祖父が、どういう教育を受けたのか知らないけれど、非常に生きものが好きでしたので、子供の頃から生きものに囲まれていたという記憶があります。家の庭に桜や梅やいちょうやいろいろな木を植えて、ツツジやボタンや花を育てていましたし、イヌやネコ、ニワトリやカナリアなどの小鳥、カメも飼っていました。裏庭のちょうど真ん中に小さな池があって、フナや金魚が入っていたんですが、冬になると雪の下になって凍ってしまいます。だから毎年秋になると捕まえて冬の間は家の中で飼って、また暖かくなったら戻してやっていたんです。雪が融けて春になると、梅が咲き、桜が咲く。桜は花の開花とほぼ同時に葉も開いてしまうエゾヤマザクラです。少し遅れてスズランの白い可憐な花も咲く。北海道はね、四季が非常にはっきりしているでしょ。僕は生物が好きだったから、自然に季節の移り変わりを意識していたんだと思います。例えば、フナは6月の中頃に卵を産んでいました。研究者として魚の生殖の研究一筋できましたが、それを支える柱の一つが産卵です。つまり子供の頃、フナがなぜ決まって6月に卵を産むのか不思議だなと感じていたことが、結局は一生のテーマにつながったのです。

子供の頃から魚釣りが好きでした。小樽だから魚がいくらでもいて、岸壁で釣りができるんです。夏から秋にかけてはイワシとサバがたくさん釣れましたね。当時の小樽運河にはアカハラという魚がいてこれはもう入れ食いなんです。食べはしないんですけど、イワシやサバが釣れないときはこれで釣りの気分を味わっていました。小学校6年から中学卒業までは、アユ釣りに夢中でした。小樽の近くを流れる朝里川という短い川に北海道では珍しくアユがいました。アユは友釣りですから、最初のアユは自分で捕らなくてはだめなのでいろいろ工夫をしましてね。ゴムでハリをパシっと飛ばしてアユに突き刺す銃を作ったんです。アユとの知恵比べですから、魚の行動を考えて銃の長さや速さなどを調節しました。これが魚のことをよく知るきっかけになりましたね。

銀行員の父と。さまざまな生きもののいた庭。

小学6年生の頃。小樽市立緑小学校の廊下で。

海へ川へと釣りに夢中だった中学・高校時代。写真は高校生の時のもの。(本人:後列右端)。

全国をめぐり水産学

魚が好きだったということもあり、北海道大学の水産学部に進学しました。当時の北海道では、ゴールデンウィークに北洋船団が函館からでかけるなど、漁業が盛んでした。それでも漁業はなかなか生活が厳しいですから、何か新しい養殖技術を開発して漁業の安定化に貢献できないかと考えていました。大学は1年半が札幌、2年半が函館で、この4年間は各地での実習体験をしました。例えば、金魚で有名な大和郡山の養魚場に夏休みの2ヶ月、2年間行き、朝4時や5時に起きて、金魚の卸を手伝いました。東京のJR市ヶ谷駅のホームから見える釣り堀でも2ヶ月ほどはたらきました。小さな掘っ立て小屋に寝泊まりしてね。そこの社長がアイディアマンで中国から草魚という淡水魚を輸入して育てようというのです。サケよりも大きくなる魚ですが、草を食べ、あまりエサも与えずにすむので霞ヶ浦や函館で飼育しようというのです。函館空港近くの野原にあるため池に放してみました。結局うまくいきませんでしたが、一生懸命やりましたよ。

僕が学生の頃はちょうど養殖、栽培漁業が始まったころでした。それまでは捕る漁業が中心で、育てるといっても捕ってきた魚を生け簀に入れて大きくするくらいでした。栽培漁業では卵から育てます。四国の屋島にある栽培漁業センターがクルマエビの養殖を始めたので、実習に行きました。毎日エサのワムシを培養して小さなクルマエビに食べさせ、大きくなったら放すんです。まだ研究段階で事業化の前でした。いろいろなところで経験を積むことで、水産業に貢献するための基礎を築こうと一生懸命だったんです。

クラブ活動はバドミントン部にも入りましたが、主には水生生物クラブとやはり水産関係です。真冬に忍路にある北大の臨海実験所に行って、ホソメコンブ(学名のラミナリア・レリジオッサはまだよく覚えています)の生態調査をしました。それでゆくゆくは海藻学を研究しようと考えていました。ところがその水生生物クラブで顧問の山本喜一郎先生に出会ったのです。北大理学部の動物学科を出られて水産学部の淡水増殖学講座の教授となり、ウナギの卵を最初に採って「ネーチャー」に発表した方です。面白い先生だと思い4年生のとき、山本先生につくことに決めました。植物を研究しようと思っていたのに、魚の生殖に変わり、結果的には今も魚の生殖ですからね。僕にとっては決定的な出会いでした。

やまと錦魚園(大和郡山市)で金魚と錦鯉の養殖、卸売の実習。嶋田さんの家族と(本人:右端)

函館で草魚を育てるクラブ活動。雪でも一生懸命やった。(本人:左)

師との出会い

山本先生はこわい先生でしたよ。卒業研究では、金魚に1年中卵を産ませることを考えてごらんと言われました。子供の頃のフナを思い出して水温を考えてみようと思いました。フナは毎年6月に水温が上がって来る頃に卵を産みますからね。

研究を始めたのがちょうど6月。金魚は明け方に卵を産むというので、水槽室で徹夜していました。それまで金魚が卵を産むところを見たことがなかったから、是非見てやろうと頑張ったのです。白々と夜が明け、9時頃に山本先生が来られて、「長濱君、卵はどうだね」と聞かれたので、「いや、まだ産んでません」と答えました。徹夜して見続けたけれど産んでない。すると先生が「君これが卵だよ」と言われるんですよ。改めて見るとたくさん卵が見えてきたんです。1ミリくらいで透明なので漠然と見ていては気づきません。最初に自分の眼で見つけるのは難しい。その時言われたのが観察の大切さです。君は24時間ここにいて一番大事なことができなかった。生物学は観察が一番大切なんだよと、それはもうさんざん言われました。でもおかげで卒研はとてもよい評価を受けました。タイトルは「金魚の周年産卵法」です。金魚の卵はお腹(卵巣)の中で卵黄を蓄積して大きくなりますが、水温が14度になるまでは産卵は起きません。大きくなってはいても、外に出られないのです。そこで水温を20度に上げることによって、決まって2日後に産卵します。この方法でいつでも卵を産めるようにしたのです。4年生の研究成果としては上出来で、学会で発表し論文も書きました。

大学院では、14度以下では卵は大きくなるのになぜ外に出ないのかをテーマにしました。魚が卵を産むメカニズムを知ろうということです。生物学の研究では、興味がある生命現象を選び、その何を調べたいかを考え、実験をやりますね。今は分子生物学が盛んですが、それはゼロの時代です。山本先生の武器は電子顕微鏡。観察の大切さがここにつながります。ただ4年間顕微鏡観察を続けましたが、どうも直接見ている実感がなく、じれったさを感じていました。卵を産む前の脳下垂体を電子顕微鏡でみると分泌顆粒(ホルモンを含む)が貯まっている。14度から20度に水温を上げるとそこから分泌顆粒がなくなることは観察できます(写真8)。そこでホルモンが放出されて血液から卵巣にホルモンが行って卵を刺激するのだろうと考えました。でもホルモンは電子顕微鏡では見えません。隔靴掻痒の感があって、なんとか実験的に解析する方法がないかと考えていました。そんな時、たまたま名古屋での電子顕微鏡の新技術講習会の帰りに東大の海洋研究所に寄ったのです。そこでまた出会いが待っていました。その後基礎生物学研究所の設立に尽力なさった金谷晴夫先生が、まさに僕が求めていた研究をされていたんです。棘皮動物のイトマキヒトデで卵の成熟を調べ、卵を成熟させる物質が1-メチルアデニンであることを見つけておられました。実はお話を伺うまでその研究を知らなかったのですが、とても感激して1年ほど先生のところで武者修行させていただくことになりました。金谷先生に勧めていただいたクロード・ベルナールの「実験医学序説」は、研究を進める上での心構えの多くを学んだ座右の書です。研究もお酒も楽しまれる先生の下で楽しく過ごしているうちに、今度はカリフォルニア大学バークレー校のハワード・バーン先生に出会います。日本が好きでよく海洋研に来られていたのです。それがきっかけとなり、1972年の正月からバーン先生の元で博士研究員として研究することになりました。プロラクチンの分泌と生理作用について生理学や生化学を使って研究しました。研究の世界を知る上でも、内分泌学のトレーニングとしてもとても良い経験でした。ビザの関係でアメリカには3年しか滞在できなかったので、3年後バーン先生の紹介でカナダのバンクーバーのブリティッシュコロンビア大学に移りました。そこでは動物学教室のビル・ホアー先生の研究室でサケ科魚類の生殖腺の細胞とホルモンの調節作用の研究をしました。6年間の海外留学でホルモンの研究手法をしっかりと身につけた頃、金谷先生に誘われて創設されたばかりの基礎生物学研究所に入ったのです。

3人の師。左から、山本先生(故人)、金谷先生(故人)、バーン先生(故人)。

水槽室で卒業研究。金魚の産卵に取り組んだ。(本人:右)

金魚の脳下垂体の生殖腺刺激ホルモン産生細胞の電子顕微鏡写真。
(左)14度の細胞では分泌顆粒が細胞内に詰まっている。(黒い斑点)
(右)20度に移して2日後には分泌顆粒が減っている。

バーン研究室の博士研究員とボデガ・ベイの海岸で。(本人:右から2人目)

留学後、初めてアフリカケニアでの国際学会で発表した(左)。自然国立公園内では人間が檻の中(右)。

カナダ・バンクーバー留学時代。ウィスラー山でのヘリコプタースキー。小樽天狗山で鍛えたスキー技術は国際的にも十分通用した。

生殖の研究に向かう

金谷先生は無脊椎動物のヒトデを使って卵成熟の制御機構の研究を進めておられたので、僕は脊椎動物でやってみたいと思いました。無脊椎動物と脊椎動物を比較することで、生殖という現象を統一的に理解したいと思ったのです。残念なことに、金谷先生は所長在任中に膵臓がんで亡くなられてしまい、ヒトデの仕事も研究室の残されたメンバーで引き継ぐことになったのですけれど。

脊椎動物の生殖なら対象は魚です。例えば、人間の卵が卵巣から出てくるしくみを研究するのはすごく難しいですよね。1ヶ月に1つしか排卵しませんし、卵のみかけ(卵胞)は1.5センチ位ありますが本当の卵は100-200ミクロンほどで周囲を何層もの体細胞が取り囲んでいるのです。卵成熟の研究には不向きです。でもサケ科魚の卵の場合3ミリほどの大きさがあり試験管で培養できます。周囲を体細胞が取り巻いているところは同じなので、ほ乳類では難しい現象を魚で知ることができます。卵成熟過程を見るには、魚がふさわしいのです。カナダでの経験が大いに役立ちました。

基生研のある岡崎ではサケ科の魚がなかなか見つからなかったのですが、岐阜県の水産試験場でアマゴを飼っていると聞いて協力をお願いしました。アマゴは10月15日頃卵を産みます。お腹の中にある卵はそのままでは受精できず、ホルモンの刺激で成熟します。脳下垂体からの生殖腺刺激ホルモンが、血液を通して卵巣に移動するのですが、これが直接卵を成熟させるのではなく、卵の周囲の細胞にはたらき、そこで生じる物質が卵を成熟させることがわかってきました。筋子を想像してもらうと筋の部分が周りの細胞なのですが、これをピンセットで取り除くと脳下垂体のホルモンを与えても卵が成熟しないことを確認したのです。そこで卵の周りにある体細胞が作っている物質を調べる必要があります。技官の足立伸次君(現北海道大学教授)らと産卵期のアマゴを水産試験場から基生研まで運び、何万という卵を採りました。それらの卵にサケの生殖腺刺激ホルモンを与えて培養し、卵成熟誘起物質を作らせます。それをクロマトグラフィーなどで精製し、裸の卵にふりかけて効果を調べていくのです。そこでこれだという物質を質量分析で調べたところ、17α、20β-ジヒドロキシ-4-プレグネン-3-オン(DHP)というヒトの黄体ホルモン(プロゲステロン)によく似たステロイドホルモンであることがわかりました。それが1985年、卵成熟誘起ホルモンの発見です。アマゴで調べたところ一生(2年間)のうち卵成熟前後のわずか2~3日だけDHPの血中濃度が上がることがわかりました。このホルモンは脊椎動物で最初の発見でしたが、今でも魚以外ではこれに相当するホルモンは見つかっていません。魚の場合、この物質でサケ科だけでなく、メダカや金魚、マダイやウナギなど、ほぼすべての魚の卵を成熟させられるのです。DHPは水産でも有用魚の卵を成熟させるのに使用されましたが、今ウナギの人為成熟にも使われています。卵が大きくなってお腹が膨れたウナギにDHPを打つと次の日に卵を産むんです。近い将来にウナギの完全養殖が事業化できるようになると思いますが、それにはこのホルモンが貢献しているのです。

創設期の基礎生物学研究所・生殖研究部門のメンバー。左から、岸本助手(現東京工業大学教授)、白井助手(元岡山大学)、一人おいて金谷教授(故人)、本人。

バーン先生と魚の卵成熟研究メンバー。ブッポウソウが棲息する鳳来寺へ。バーン先生は1978年から2005年までほぼ毎年基生研を訪問。(本人:右から2人目)

[上] メダカのin vitroの卵成熟(右2つ)と排卵(左2つ)。
[下] DHPで成熟させた後に受精させたウナギ卵。受精後27時間。(水産総合研究センター・増養殖研究所・田中秀樹氏提供)。

試験管の精子形成

ウナギの精巣を見たことってありますか。三浦猛君(現愛媛大学教授)とある日レストランでウナギを食べていて、身体に比べて生殖腺が異常に小さいことに気づきました。二人でこれは面白い、調べたいと思いました。それをウナギの養殖をしている人に話したら、養殖ウナギは全部メスだと言うんです。そんなはずはないと言いましたが、その人は代々ウナギの養殖をやってきて、親がそう言っているから親を信じるって。それで、もしオスだったら実験につかうウナギは無償で提供しますって言うの。面白い人でしょ。そこで「メスのウナギを30匹ください。調べますから」といって勝負しました。結果は全部オスで、僕たちの勝ちだったんです。ただ原因はまだわかっていません。ウナギは台湾やフィリピンの沖合で産まれ、川に遡上するために日本の沿岸にきたのを捕まえて、養魚場で育てます。その時、温度なのかストレスなのかとにかく環境の影響で、女性ホルモンでなく男性ホルモンが出て、オスになってしまうようですね。勝負に勝ったら研究につかうウナギは無償で提供しますと言われたわけですが、そういう訳にもいきませんよね。でも、おかげで三浦君と一緒に面白い研究ができました。日本の養殖ウナギの精巣には精原細胞しかありません。普通魚でもカエルでも産まれてからの日数にしたがって精巣が成熟してくるのですが、ウナギはなぜか出発点で止まって1年経っても成熟しないのです。生殖線が小さいままで、ホルモンも全く出ていません。そこでヒトの絨毛性生殖腺刺激ホルモンを打ってみたらたった1ヶ月で精子ができた。次に、このホルモンでの刺激後に精巣の体細胞で作られる新たなホルモンを探しました。そして11-ケトテストステロンというステロイドホルモンを見つけたのです。これらのホルモンで精子ができる過程を調べようと、ウナギの精巣の無血清器官培養系を確立しました(写真15)。糸状の精巣を採ってきて試験管に入れ、ホルモンをかけるとちゃんと精子ができました。世界で初めて試験管の中での精子形成に成功と新聞でも大きく報じられました。1992年のことです。それを詳細に調べ、精子形成のカスケードを脊椎動物ではじめて明らかにすることができました。生殖腺刺激ホルモンで刺激すると、ラディッヒ細胞から11-ケトテストステロンが出る一方、このホルモンがセルトリ細胞にはたらいてアクチビンBが生成され、その影響で精原細胞が増殖し、減数分裂へ移行します。養殖ウナギというよい実験系に出会ったのが成功のカギでした。

無血清器官培養系でのウナギの精子形成過程の電子顕微鏡写真。精原細胞(左端)を精子形成誘起ホルモンの11-ケトテストステロンで処理すると3週間で精子(右端)となる。

ロンドンのチバ財団シンポジウム「生殖細胞系列」の懇親会で。左から本人、アン・マクラーレン先生(故人)。

国立岡崎共同研究機構内対抗ソフトボール大会で優勝。助手の田中実君(現基生研准教授、後列右から二番目)と小林亨君(現静岡県立大学教授、前列右端)。

創設期のメンバー鈴木義昭先生の退官記念パーティー。鈴木先生ご夫妻(右の二人)と江橋先生ご夫妻を挟んで本人。

性の決定因子を求めて

こうして卵巣や精巣で配偶子が作られる過程、つまり配偶子形成のメカニズムを解き明かすことができましたので、次は性の決定と分化の研究に入りました。配偶子を作る前に必ず、その個体がオスになるかメスになるかという選択があって、オスには精巣、メスには卵巣がでるのです。以前から挑戦したいと思っていたテーマなのですが、性分化がおきるのは発生の初期で、大量の試料を必要とする生化学実験には向きません。1980年の後半になり、分子生物学の技術が進み、少量の試料で遺伝子を調べられるようになり、やっと環境が整ったんです。

卵成熟と精子形成のホルモンを決めた1980年代の半ば頃、ハワイで、性についてのワークショップが開かれ、講師として招かれました。僕がアメリカにいた頃の同僚がハワイの海洋研究所の教授になって、魚の性転換の研究を始めていて、彼が主催したのです。ワイキキから2時間くらいの小さな島でしたが、周りが全部珊瑚礁で、そこにベラの仲間など性転換する魚がたくさんいます。それを使って性転換のサマーコースをするというのです。興味津々で参加しました。目の前で性変化するんですよ。本当に不思議で、面白いなと思いましたね。船外機付の小さなボートを自分達で操縦して珊瑚礁の縁まで出かけ、やや深みにいるベラを釣るんです。イカをエサにするといくらでも釣れる。それを研究所にもってきて実験です。水槽にメスを複数匹いれて、1ヶ月放っておくと一番大きいのがオスになります。こういう現象は昔から知られていたのですが、メカニズムは全くわかっていません。僕らはホルモンの研究をやってきていますから調べられるはずだと思い、どう取りかかろうかと本当にわくわくしました。これが本格的に性の研究を始めるきっかけになりました。

性の研究はヒトで大変進みました。珍しいですよ、生物学の研究でヒトが先行するのは。遺伝病があるのでヒトでの研究ができたのです。ヒトにはXとかYという性染色体があり、XXなら女性、XYなら男性ですね。Xはいくつあっても男性にならないけれど、Yがひとつあれば男性になるので、オスを決める遺伝子はYにあることがわかります。Y染色体は小さいので、比較的調べやすく、その先端の辺りに性決定遺伝子があることがわかり、1985年ころから90年にかけて候補となる遺伝子の論文がいくつか「ネーチャー」に出ました。その中には間違った遺伝子もあり、結局1990年にイギリスのチームが本命のSRYを決めました。脊椎動物の性決定遺伝子が初めて、それもヒトでわかったんです。メダカはメスがXX、オスがXYとほ乳類と同じで、Yがオスの性染色体ですから、メダカの性決定遺伝子を探すことにしました。発生に関わる遺伝子はショウジョウバエや線虫で見つかったものが脊椎動物でも保存されていることが多いですよね。ですからヒトもメダカも同じだろうと考えたのです。さっそくSRYを発見した人たちに手紙を書きました。メールなどない時代ですから。形態形成に関わるホルモンは保存されているはずだから、類似の物質を魚で探したいのでプローブにするためのSRY遺伝子を送って下さいと頼んだのです。ありがたいことにすぐ送ってくれたので、さっそく探し始めました。クローニング技術には自信があったので、すぐに見つかるかと思っていたのですが、これが全然引っかかりません。他にもさまざまな生物で探し始めた人達がいるのですが見つからないのです。ほ乳類では、マウス、ブタ、ウマと次々見つかるのですが、ほ乳類以外は、鳥でもは虫類でも両生類でも見つからない。なんとか見つけたいとみんな10年くらい頑張ったのですが、結局見つかりませんでした。

そのころ新潟大学の酒泉研究室の大学院生の松田勝君(現宇都宮大学准教授)が学位論文でメダカの性染色体の遺伝子地図を作り、性決定遺伝子の存在する領域をY染色体の特定な領域に絞り込んでいました。そこで共同研究で性決定遺伝子を探そうと松田君が僕のところのポスドクに来ました。今なら次世代シークエンサーを使ってゲノムを読めばよいわけですが、まだゲノムを読むのは不可能な時代です。それで塩基配列を決めてくれる会社とあれこれ交渉し、信頼がおけて、しかも値段が安いということで日立と契約しました。そうなると毎日大量のデータが届きます。それを読み、どこにどんな遺伝子があるかを探すのです。実は僕たちはわりと最初の頃にもしかしたらこの遺伝子ではないかという遺伝子に気づいていました。結局全部探してから、これと決定することになるのですが、そこは経験からの勘がはたらいたんですね。ちょうどそのころDMRT1という性決定遺伝子がショウジョウバエで見つかりました。Dはショウジョウバエのオスらしさを作るのに関係のある遺伝子だと言われるDouble sexという遺伝子のDです。Mは線虫の生殖腺の分化に関わるMAB3という遺伝子のMで、この2つの遺伝子の共通の配列をDMドメインといいます。実は、僕たちがメダカから見つけた遺伝子もその配列を持っていたので、これかもしれないと直感的に思ったのです。配列から予測した遺伝子は27個あったのですが、その中で性分化期に発現している遺伝子は3つでした。そこにDMドメインをもつ遺伝子が残っており、この遺伝子だけがY染色体特異的に存在することがわかりました。これがメダカのオスの性決定遺伝子であることは間違いありません。Y染色体上にありDMドメインを持つ遺伝子という意味でDMY遺伝子と名付けました。脊椎動物の性決定遺伝子としては2番目の発見です。次にDMYの発現を調べたところ精巣の分化中に発現すること、精巣の体細胞であるセルトリ細胞に特異的に発現していることがわかりました。この遺伝子を受精卵に導入してトランスジェニックメダカを作るとXXの個体がオス化します。一方、DMY遺伝子を壊すとXYの個体がメス化します。実は性決定遺伝子の発見は、ドイツの研究者と先陣争いをしていました。研究者同士ですから仲の良いライバルです。僕らはDMYをポジショナルクローニングで決めて、先に「ネーチャー」に発表しましたが、彼らは配列相同性で見つけたDMRT1Yと名付けた遺伝子を「PNAS(米国ナショナルアカデミーの機関誌)」に発表しました。同一の遺伝子です。これで魚の性決定遺伝子、少なくともメダカはDMYと決まりました。ところが、インドやジャワなど他のメダカにはDMYがないんです。中国のハイナンメダカには見つかりました。結局DMYは中国と日本のメダカが種分化する直前にDMRT1から生じたと考えられる結果になりました。不思議ですよね。DMYはほ乳類のSRYとは全く似ていないし、他の魚にも見つからない。性決定は重要な現象なのに、種によって非常に変わっているのです。進化や環境に適応する過程で性決定遺伝子も変化しているということがわかってきました。

ココナッツ島ハワイ大学海洋研究所のサマーコース。[上] ベラ釣のボート。[左下] オスを釣り上げたところ。[右下] サドルバック・ラースのオス(上)とメス(下)。

[上] メダカの性決定遺伝子DMYの染色体上の位置。[中] XYオス(体色が黄色っぽい)。[下] DMYの過剰発現により性転換したXXオス(体色は白っぽいが、尻鰭が大きくオス型)。

ドイツのヴュルツブルクのレストランでマンフレッド・シャートル先生と。

生殖生物学研究部門の仲間達。研究を一緒に行った多くの素晴らしい仲間達に心から感謝する。(本人:前列中央)

生殖の統一的理解へ

ヒトデでは、金谷先生が卵成熟ホルモンが1-メチルアデニンであることを決定されましたが、生殖巣刺激ホルモンは金谷先生のご健在のころから始めていたにも関わらず見つかっていなかったのです。人間なら脳下垂体の生殖腺刺激ホルモン産生細胞から出て血流に乗って生殖腺へ行く黄体形成ホルモン(LH)にあたります。脳下垂体があるのは脊椎動物だけで、無脊椎動物にはありません。ヒトデの脳下垂体に相当するところは、ヒトデを裏返したところ、放射神経の奥で、そこにホルモンが詰まっています。このホルモンを単離するために頑張ったのが、三田雅敏君(現東京学芸大学教授)と吉國通庸君(現九州大学教授)です。彼らは日本各地から集めたヒトデから放射神経をピンセットで集め、何万匹分も冷凍庫で凍らせて貯めました。そこから5000匹分ずつ取り出して、すりつぶし、精製分画して、各分画の活性を試しました。それで30年かかりましたから、年1万匹として30万匹のヒトデを使ってようやく単離できたんですよ。一生懸命やってホルモンを取ったら、脊椎動物のリラキシンというペプチドホルモンにそっくりでした。今まで無脊椎動物ではだれもみつけていなかったので、とても驚きました。リラキシンは、ヒトの分娩で子供が骨盤を通って出てくるときに産道を広げることに関わるホルモンです。それがヒトデで見つかるのですから面白いですよね。卵巣に未成熟な卵を持っているヒトデにこのホルモンを打つと20分で精子を受け入れる成熟卵を排卵します。精巣でも同じように精子を作ります。この発見に元基生研所長の毛利秀雄先生がとても喜んでくれました。ヒトの分娩と配偶子の成熟に同じホルモンが関わっているというところ、それぞれの生物の機能を果たしながらどう進化しているのかどうか、興味が尽きません。ホルモンですから受容体もあるので、その共進化からも追うことができるのではないかと考えています。

ホルモンはすごいです。本当に微量で効果がありますから。でもそれは生体内にごくわずかしか存在しないということなので、研究するのは難しいのです。卵成熟のホルモン機構がわかったのは、脊椎動物では魚だけであり、無脊椎動物では金谷先生から続けてきたヒトデだけです。脊椎動物では脳下垂体から出るLH、無脊椎動物のヒトデでは放射神経から出るリラキシン様の神経ペプチド。それが卵を囲んでいる細胞に働いて、魚ではDHPというステロイドホルモン、ヒトデでは1-メチルアデニンという核酸を作る。それが濾胞細胞から出ると卵の表面の受容体に作用して、次は卵成熟促進因子というCdc2キナーゼとサイクリンの複合体がはたらきます。魚類では、山下正兼君(現北海道大学教授)達がコイからこの物質を精製しました。ここは全ての生きもので共通なのです。増井禎夫先生が最初に見つけてMaturation-Promoting Factor(MPF・卵成熟促進因子)という名前をつけたのですが、今ではM phase Promoting Factor(MPF・M期促進因子)といわれます。体細胞分裂でも同じようにはたらくことがわかって、広い名前になったのですね。それがノーベル賞を受賞しました。このMPFについては植物と動物も同じなんですよ。僕達も花のユリの花粉母細胞の抽出物を魚の卵に打っても卵成熟が起こることを確認しています。ここは共通性が広い。これも不思議ですよね。

研究材料の魚やヒトデは基生研地下の水生動物室で飼っていました。30年ほど前に金谷先生や生理研の山岸先生などと一緒に作った、外国からの訪問者も驚く、立派な施設です。現在は、地震対策で改築され、ナショナル・バイオリソースのためのメダカを飼育する水槽がたくさん並んでいます。僕達の研究室もこの飼育室のすぐ隣にありましたので、トイレの帰りなどにも魚の様子をチェックすることができました。でも、岡田節人先生が所長のころ、よく言われました。「長濱さん、暗い地下にこもっていないで地上に出てきなさいよ」と。基生研を退職する前の2年間は見晴らしのよい4階に移り、窓からの素晴らしい岡崎キャンパスの四季を満喫することができました。

[上] MPFの発見者の増井先生と本人。カナダトロント大学の先生の研究室で。[下] MPFをカエル卵から最初に精製したローカ先生と本人。愛知県渥美半島の最先端の伊良湖岬灯台で。

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[上] ヒトデの放射神経
[中] ヒトデの生殖巣刺激ホルモンの化学構造。
[下] 試験管でリラキシン様神経ペプチドで処理すると30分以内に卵成熟と排卵が誘導される。左、未成熟卵。右、成熟卵。

2001年の京都の国際発生生物学会。岡田節人先生と瑛夫人を囲んで。(本人:後列の右から3人目)

メダカを飼育するための水槽でいっぱいの基生研地下の水棲動物室。

探求心はつきない

昨年愛媛大学に移り、これから南予水産研究センターに研究室を作ります。今僕が一番興味を持っているのは、性転換(性の可塑性)です。金魚、メダカ、サケ、ウナギなど普通の魚は、人間と同じで一度決まった性は一生変わりません。これが脊椎動物の常識です。でも必ずしもそうではなさそうなんです。性転換する魚のことを調べていくうちにわかってきました。ハワイ産のベラは、メスがオスになるときに、女性ホルモンのエストロゲンがグンと下がる。きっかけは視覚です。自分が仲間のメスの中で一番大きいとわかると女性ホルモンが下がり、卵巣から精巣への性転換をひきおこします。2週間くらいで生殖腺の卵細胞が退縮し、精原細胞の増殖、精子形成がおきるのです。面白いことに女性ホルモンは男性ホルモンから作られます。この転換に関わる酵素がアロマテースというステロイド代謝酵素です。メスからオスへの性転換では、まずこのアロマテース遺伝子の発現が抑えられてエストロゲンが減ることが引き金になっているのです。この酵素の阻害剤を与えても性転換がおこります。

オキナワベニハゼという、同じ個体がオスになったりメスになったりするめずらしい魚がいます。この魚は精巣と卵巣を両方持っていて、メスのときには卵巣が発達、オスのときには精巣が発達します。大きなメスと小さなメスを一緒にいれておくと、5日で大きい方が性転換してオスになるのですが、そこにさらに大きなオスをいれてやると10日でメスにもどるのです。性行動もかわります。これは生殖腺のアロマテースではなく、脳のアロマテースが原因のようです。生殖腺では生殖腺刺激ホルモンの受容体が急激に変わっていました。つまり同じ性転換でもいろいろなしくみがあるのです。脳と生殖線の性的可塑性が、性転換する魚を通じてみえてきたんです。これもまた面白い。

では、性転換しないと考えられている魚はどうかと思って、お腹がポーンと膨れて毎日卵を産んでいるメダカのメスにアロマテース阻害剤を与えてみました。すると50日ほどで精子ができたんです。つまり一度成熟したメスでもエストロゲンを下げるとオスになるということですよね。これは卵巣を保つためには常にエストロゲンが存在しなくてはならないことを意味しています。ティラピアのメスでも同じことが起こります。アロマテース阻害剤を与えてから3ヶ月から5ヶ月の間に卵巣組織が精巣組織になる。魚の性は可塑性があり、大人になってもメスからオスへと変化できるのです。他の動物ではどうかと考えると面白いですよね。魚は最初に生まれた脊椎動物ですから、両生類、は虫類、鳥類、ほ乳類とみんな見ていきたい。実は、日本書紀に676 年4月4日に雌鳥が雄鳥になったという記録があるんです。欧州でもバーセルで雄鳥が卵を産んだという事件があります。「人々はそれを悪魔の仕業とし、人類に害をなすものがその卵から生まれると信じて、厳かな裁判の元にニワトリと卵を火あぶりの刑に処した」という話です(『雌雄性とその転換』花岡謹一郎)。すでに決まっていた性が変わりうるということが、自然でも進化の過程の後の方で生じた生きものでも起こっているのじゃあないか。ヒトに応用するなら性差医学に貢献できるのではないかと思っています。性の可塑性の問題は、今後の性研究の中心的テーマとなることは疑いがありません。このことを2009年の脊椎動物の性決定の国際シンポジウムのオープニングレクチャーで強調したら、大きな反響がありました。マウスでもすでに研究がはじまっています。

僕は恩師に恵まれています。学部と大学院で山本先生、その後基生研までが金谷先生、それからアメリカの留学先のバーン先生。残念ながらみんな亡くなってしまいましたが、研究者としての僕があるのはこれらの先生方のおかげです。とくに生物研究における観察の大切さ、これを教わりました。先生方への感謝の気持ちから、自分の経験を後進に伝えたいという思いが強く、数年前から日本学生科学賞の審査委員長をやっています。毎年1万人を超える学生、中学校や高校の生徒が参加します。生物学はもちろん、広く理科の面白さ、自然の不思議さを若い人たちに伝えていきたいですね。
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戦略的創造研究推進事業発展型(ソルスト、研究代表者・長濱)の琉球大学熱帯生物圏研究センター・瀬底研究施設での班会議。長年にわたって性の可塑性の共同研究を行ってきた中村將先生(前列右端)。(本人:前列右から二人目)

オキナワベニハゼの性転換。[上] 性転換実験。[下左] オスのステージ、卵巣(赤印)が小さい。[下右] メスのステージ、精巣(緑印)が小さい。

後進を育てたいと日本学生科学賞の審査委員長をしている。

[上] 愛媛大学・南予水産研究センター(愛南町)がある宇和海。[中] 本年度末までに研究施設に改築される旧小学校。さんご礁に性転換魚が生息する宇和海は性の可塑性の研究に絶好。[下] センターの実験室で本人。オフィスは松山の愛媛大学城北キャンパス。