ゾウリムシとの出会い
元来、生物学を志す人間には昆虫少年が多いようである。私も旧制盛岡中学(現盛岡一高)を出て、最初に盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)に進んだのは、そこに昆虫の教授が2人いて、旧制高校で一般教養ばかりやらされるより、すぐに虫をやれていいと考えたからであった。
ところが戦時中のことで、虫どころか勤労奉仕で畑ばかり掘らされた。これじゃダメだというわけで、当時、昆虫生態学で有名だった加藤睦奥雄先生のいた、東北大学に入り直したのである。しかしまだ助手であった加藤先生にはつくことができず、そのうち農林省に移ってしまわれた。ことここに至って、私もようやく昆虫をあきらめ、発生学のほうに進んで、ウニやカエルをいじりはじめたのである。
しかし私は、ウニやカエルの卵をパラフィン切片にして顕微鏡で観察し、形態的な変化をスケッチするのが好きになれなかった。たまたま教室では、ウニやカエルなどの材料は産卵期以外は使えないために、ゾウリムシを培養していた。ゾウリムシは単細胞生物であり、非常に単純な生き物に見えて、好ましく思えた。
ゾウリムシを研究材料として選んだのは、大学院特別研究生だった1947年のこと。戦災で物資が不足し、交通手段も奪われたその時代に、手軽に手に入る材料のワラで1年中培養できるという、もう一つの切実な理由もあった。
ゾウリムシは細胞分裂で増えるが、「接合」といって個体間で遺伝子を交換する現象が、当時すでに知られていた。私は、接合は高等な生物の受精現象のモデルになると思った。
見えない性
私たちが「性」と言うとき、そこには雌雄の区別があり、その交配というイメージがある。じつは、外見上はどの個体も同じに見えるゾウリムシにも、そうした接合可能な性別がある事実が、1937年にアメリカのソネボーン(インディアナ大学)によって発見されていた。それも雌雄2つどころか、1941年の段階で、2つの互いに引き合う接合型(これを性とみなす)のペアからなる5つのゾウリムシの性のグループが、アメリカのギルマンによって報告されていた。
仙台周辺で採集した株をもとに接合型を見出そうとして失敗した私は、もっと採集範囲を広げようと、京都、奈良まで足をのばした。当時、旅行するには何日分かの米をリュックにかつぎ、駅に何時間も並んで切符を手に入れなければならなかった。実験室でワラで培養していればすむはずのゾウリムシのために、遠くに出かけるハメになったのである。
そうして採集したゾウリムシをもとに、4つのグループを作る8つの接合型に分けることに成功した。わずかの間にアメリカとほぼ同数の接合型を見つけたことに気をよくしたが、これは甘かった。3年後にギルマンから届いた手紙には「アメリカで11のグループを見つけたので、お前が日本で見つけたものと照合したい。株を送ってほしい」とあった。
当時、米軍占領下の日本ではゾウリムシを送るのは容易ではなく、ギルマンに手紙を書いて、GHQ(連合国軍総司令部)に輸送してもらった。米軍機に乗ったゾウリムシは、無事フロリダのギルマンの研究室に届き、私の4つのグループの中の2つは新発見のものであることがわかった。その後アメリカとヨーロッパでも、新しいグループが見つかり、ゾウリムシには合計16のグループがあることが明らかになった。
真理はどこでウソをつくか
接合型を確定した私は、当初の目的である受精現象の研究を始めた。異なる接合型のゾウリムシをまぜると、見る間にくっつき合って大きな塊ができる。1時間ほどでこの凝集塊はほどけ、2個ずつの接合対がたくさん現れる。これを目にしてすぐに心に浮かんだのは、ドイツのメーブスの、クラミドモナスという鞭毛虫の研究であった。
彼は、凝集の誘導物質とその分子構造を決定したばかりか、その分子の異性体が性別を決めるという画期的”事実”を発表していた。ゾウリムシも異性をひきつける物質を分泌している可能性は、十分にあった。そこで培養濾液や細胞懸濁液の上澄みを使っていろいろ試みたが、どうにもうまくいかなかった。
この問題は、いろいろな研究者が試みたが、ほとんどがネガティブな結果に終わった。最後に私の研究室にいた高橋三保子(現筑波大学助教授)によって、異性の繊毛だけを加えても凝集反応が起きることが明らかにされ、生きた細胞から誘導物質が分泌されている可能性には、終止符が打たれた。
先のメーブスの研究は、仮説に合わせてデータを捏造したものであることが、後に明らかとなった。想像力の豊かな研究者の陥りがちのこの種のワナについて、1990年にメーブスのことを取り上げた本『Where The Truth Lies(真理はどこにあるか)』が見事に描き出している。
英語のLieには「存在する」のほかに「ウソをつく」という意味もある。『Where The Truth Lies』は、「真理はどこでウソをつくか」という意味を巧みにひっかけた標題であった。私たちも肝に銘ずべき教訓であろう。
顕微鏡下の星条旗
山形大学に助教授の職を得た私は、そこで接合型の研究を続けた。一つの疑問は、接合型の違いは凝集反応にのみ必要な要素で、その後の接合対の形成は接合型に無関係に行なわれているのではないか、ということであった。しかしソネボーンは、接合型によって大きさも違うヒメゾウリムシで、接合対はすべて異なる接合型からなる、と報告している。
私はそのとき、卵の胚をいくつかの色素で染めて胚の分化の行方を見きわめる、局所生体染色法を思い浮かべた。一方の性にあたるゾウリムシを中性赤で、もう一方の性をナイル青で染めて、まぜたらどうか。私が正しければ、同じ性同士、つまり同じ色の組み合わせが得られるはずである。果たして赤と青の接合対にまじって、赤と赤、青と青同士の対が見られ、私の考えのほうがただしいことが示された。
ソネボーンは、この実験結果に同意しなかった。10年後、彼の門下のブレイマンが同じ方法で追試して、ようやく納得したソネボーンは、アメリカ国旗になぞらえて「Stars and Stripes Method(星条旗法)」というニックネームをつけてくれた。
ソネボーン研究室へ
私がふたたび東北大学にもどった1953年は、ワトソンとクリックによるDNAの二重らせんモデルが発表された年でもあった。生物学をめぐる世界の状況は、大きく変化しはじめた。大腸菌やファージを材料として、生物学の基本的な問題に明快な解答が次々に与えられるのを見て、初めに単純だと考えて選んだゾウリムシが、絶望的に複雑で不便な材料に思えてきた。
それでもゾウリムシをあきらめなかったのは、使っている材料が採集からすべて自分の手がけたものであり、それを使っているかぎり他の追随を許さない、という自負心からであった。しかしそれも、ソネボーンをはじめとした海外のゾウリムシ仲間から励ましがあってこそである。
1961年になって、ロックフェラー財団の援助を得て、そのソネボーンの研究室に行くことになった。当時そこは世界の遺伝学研究の一つの中心で、人為突然変異でノーベル賞をもらったマラーやトウモロコシの葉緑体の遺伝のローズ、両生類の核移植のブリッグスなど、そうそうたる大家がいた。
私はそこで、日本で着手していた接合後の遺伝子の研究を再開した。異なる接合グループ間の雑種を利用して遺伝的解析を始めたところ、接合後の死亡率が高くて解析ができない。悪戦苦闘するうちに、またたく間に9ヶ月が過ぎた。
たまたま気分転換もかねて参加したシンポジウムで、イリノイ大学のナニイから、彼もテトラヒメナで同じ困難を経験したことを聞いた。その原因は分裂による遺伝子の老化であり、性的成熟に達した直後に交雑させることで解決できるものだった。
ゾウリムシは接合後、約50回細胞分裂しないと次の接合ができない。また接合させないでおくと、六百数十回ほどの分裂で、老化して死んでしまう。このことから「ゾウリムシは接合によって若返る」と言えそうだが、じつは「接合しないと年をとって死ぬ」が正しい。年をとってからだと、若返るどころか接合することで死んでしまうからだ。
日本にもどってからの数年間、研究環境は大学紛争によって大きくかき乱された。私がゾウリムシの接合型という古くさい仕事をやっている間に、世界では分子生物学が真っ盛りとなった。
1970年代に入って、RNAにもたんぱく質に見られる酵素活性があることが、同じ繊毛虫類のテトラヒメナで初めて発見された。それ以後、ゾウリムシが属する繊毛虫類は、分子生物学の世界で脚光を浴びるようになる。そして、1984年にはソネボーンの一番弟子であるJ.プリーアが、通常はストップを表す遺伝暗号がアミノ酸のグルタミンに変わっているという大発見をしたのであった。
性とは何か
生物が無性生殖するものとして生まれたとすると、有性生殖の面倒な手続きは、進化の中で獲得したなんらかの必然性をもつものである。幸いゾウリムシでは「有性」と「生殖」は別の現象として現れ、そのメカニズムに迫るのには都合がいい。
およそ1日3回分裂するゾウリムシにとって、形態的成長と性的成熟は無関係であるといえる。私の研究室にいた三輪五十二(現茨城大学教授)は、未熟期のゾウリムシの細胞質を成熟期のものに注射して、未熟状態にもどすことに成功した。
ゾウリムシには通常の核(大核と呼ぶ)のほかに小核と呼ばれるものがあり、接合のとき減数分裂して交換され、新しい大核となる。いわば多細胞生物における生殖細胞のような役割を果たしている。大核の中では、数十倍に複製されたDNAが、遺伝子をやっと1個か2個含む断片となって漂っていて、細胞分裂で2つに分配されても、決まった量になるまで複製する。
見上一幸(現宮城教育大学助教授)が、ヒメゾウリムシの大核のDNAの4分の3を吸いとってみたところ、DNA量が正常にもどるまで分裂しないでDNA複製だけをやった。ところがこの複製の回数だけ、ヒメゾウリムシの性的成熟を意味するオートガミー(接合させないでおくと自分の中で小核が減数分裂して大核になる)までの細胞分裂の回数が短くなったのである。
このようにゾウリムシにおいて、性的成熟や老化といった現象は、環境や物理的時間とは無関係な、遺伝子自身のシナリオのように見える。先にあげたマラーは、1932年に出した「性のある遺伝学的観点」と題する短い論文の中で、性は組み替えを通じて遺伝子の突然変異のもつ可能性を最大限に発揮させる手段であるとして、その理由を2つ挙げている。
遺伝的多様性を生み出して環境の変化に適応する機会を増大させることと、種にとって永続的に有利な遺伝子の組み合わせを作り出すことである。しかしここで、もう一つの性の意味を考えてみたい。
ゾウリムシに見られるような、形質や遺伝子の相性とは別に接合の相手を制限する能力が、どういう意味を持つかは、そうした性的隔離がなかったらどうなるかを考えてみるとよい。もしそうなら、異なる環境に適応して生物の多様性が現れても、それは可逆的であって、原則的にはいつでも元にもどれる。したがって、性的隔離がないと、同じ場所に多種多様な生物が共存し、生態系をなすこともなかったはずである。
多細胞生物では、さまざまに分化した細胞のゲノムの部分的な発見の中に分散してしまっている、性、老化、進化といった問題の鍵が、ゾウリムシでは一つの細胞の中での完結したゲノムのアクティビティの中に求められる。いまやゾウリムシは、そうした生物学上の重要な課題に関して、貴重なモデルを提供しうるものになったと思う。