夢は飛行機の設計技師
あまり憶えていないんだけど、3、4歳の頃から虫好きだったらしいですね。住んでいたのは、守山町という所。今でこそ名古屋の住宅街ですが当時は全くの田舎で、魚やカブトムシを取ったり飼ったりして喜んでいました。大人からは「虫博士」って呼ばれていたようです。
小学校の途中で名古屋大学の近くに引っ越し、街中に移ったのですが、ここでも生きもの好きに磨きがかかります。それまで鳥には関心がなかったのに庭に大きな鳥小屋を作るまでになったのです。セキセイインコやジュウシマツを飼っている同級生に影響されてね。また百貨店をぶらっとしていて熱帯魚売り場に目がとまり、魚も面白いなと飼い始めました。最初に関心をもったのは、ジャックデンプシーというシクリッド(カワスズメ)です。こんなふうに何かのきっかけで生きものが気になるのは、今も変わりません。東京出張の余白時間にたまたま入った銀座の百貨店でラン展があり、すごいなと思ってつい1鉢買ってしまい、ランの収集も始まりました。
その他、ヘビを玄関で飼っていて家庭訪問した先生に驚かれたり、解剖した動物のホルマリン標本を作って理科の先生に「理科室に寄付してくれ」と言われたりと話題には事欠きません。マウスを育てていて飼いネズミはがんになりやすいことに気づいたんですよ。僕の研究第一号かな。とにかく生きものへの興味は広く、色々なものがごちゃまぜになっています。ただ小学校の時の文集には、将来について「飛行機の設計技師になりたい」って書いてるんですよ。友達と小牧の飛行場によく飛行機を見に行ったのですが、当時は米軍基地から民用に移っていく過程だったので戦闘機からジェット旅客機まで見られたのが面白くて。生きものと飛行機には共通点があったのかな。
中学後半から高校にかけて、野生の鳥にも興味を持ち始めました。高校に野鳥好きの先生がおられたのがさらに拍車をかけました。大学時代はカメラを持って木曽川河口の干拓地などに行き、珍しい渡り鳥をたくさん撮りました。野鳥の会の季刊誌に掲載されたり、写真展でも展示されたのが自慢です。
就職できずに大学院
大学を受験するとき、かなり迷いました。父親は石油化学関係の商事会社を経営していたので、やはり会社を継いで欲しいという期待を感じます。経済に関心はないので、工学なら社会に出ても使えるだろうと理工学部も受けましたが、結局地元の名古屋大学の理学部に入りました。教養部を終えた後の学科選択でも、親の会社のことを考えて化学科という道も考えたのですが、やはり好きな生物学を選んだ。生物学科出身の高校の先生に相談したら、「生物学は趣味のままにしといた方がよい」と言われたんですけどね。
生物学科の同期は4人。先生の数の方が圧倒的に多いわけで、今の大学教育では考えられない恵まれた環境でした。実験器具を自由に使えたので、発酵させたブドウを蒸留器にかけて「ブランデー」を作ろうとしたり、発生実験の材料で余った卵を孵してニワトリまで育てたりもしました。面倒見のよい大学院生達がしょっちゅう出入りしてくれ、実習室は僕らの「お城」。充実した毎日でした。
その頃の名大生物学科は発生生物学に力を入れていて、メダカの性分化を研究した山本時男先生、シュペーマンの弟子でレンズ再生を研究していた佐藤忠雄先生、カイコの脱皮ホルモンの存在を示した福田宗一先生、花形成を分子生物学的に解明しようとしていた太田行人先生など、そうそうたるメンバーでした。さらに、学科は違いましたが大沢文夫先生(名古屋大学・大阪大学名誉教授)による生物物理学、鈴木旺先生の生化学、岡崎令治先生岡崎令治岡崎フラグメントの発見者。名古屋大学在職中の1973年、白血病で死去。
[関連情報]
Scientist Library: 生命誌32号
『岡崎フラグメントと私』
岡崎恒子による最先端の分子生物学の講義もありました。大沢先生の話は、生物の先生とは感覚がまったく違い、非常にためになりました。岡崎先生の話は学部生向けのレベルをはるかに超えていて、質問していたのは大学院生だけでしたね。途中で聴講を諦めました。鈴木先生の生化学の方の成績は、優だったんですが。これらの講義から、分子生物学が上り坂の分野なのだということはよく伝わってきました。
いよいよ卒業の年になって、就職しようと思ったのですが生物学科への求人はほとんど無く、2、3社受けてみたけど全部落ちてしまいました。それで仕方なく、大学院に進学したというのが実情です。ある助教授の先生から、大学院は、救済事業ではないとからかわれました。
美しい水晶体
自分の根っこにあるのは生きものを見ることだったので、観ることを楽しみながら何か発見していきたい。動物学講座の助手の江口吾朗さん(元熊本大学学長)が、イモリの眼の水晶体(レンズ)は、取り除いても数ヶ月後には再生しているという現象を研究していましたイモリのレンズ再生イモリのレンズ再生については、生命誌8号『生き物が語る「生き物」の物語』を参照。。顕微鏡による観察を駆使する研究です。当時の発生研究は生化学や分子生物学の影響を受け始めながらも、まだ、そのような分野を取りこめないでいました。中途半端な生化学的発生学よりは、しくみがまったく未解明な眼の再生現象の方が、研究対象として面白いと感じ、そのグループに入りました。江口さんは、生物物理学の朝倉昌(現名古屋大学名誉教授)先生との共同研究で、細菌のべん毛を電子顕微鏡で見て、分子がどのように組み合わさってべん毛が作られるかという研究もしていました。古くからの発生学と、新しい分子生物学的な仕事の両方をやっているのがカッコよかったです。
江口さんのもとで始めたのが、ニワトリ胚の水晶体の研究です。イモリは古くから研究されているから少し違うものでと思ったのかな。はっきりした理由はもう覚えていません。
水晶体は水晶体細胞が集まってできていますが、前側は細胞が薄く並んだ上皮組織、網膜に接する後ろ側は、細長い細胞がブロックのように積み重なった「繊維」という違いがあります。発生中のレンズの前後を逆転させて上皮側が網膜に接するようにすると、上皮だった細胞が繊維化するという現象が知られていました。つまり、網膜が水晶体細胞の個性を変化させる性質を持っていると考えられます。きっと網膜から何か物質が出ているに違いない、それを自分が見つけるんだと、勝手に自分で研究テーマを決めたような気がします。江口さんが、当時、どう思っておられたか? 学生というものは、先生の気持ちなんて思い到らないものですね。自分が先生の立場になると、やっとそのへんがわかります。
発生生物学の本流は、受精卵という一つの細胞が分裂して生じるたくさんの細胞のそれぞれが、どのように個性を獲得していくのかという細胞分化の研究です。水晶体は幸い、水晶体細胞という均一な集団なので、細胞分化の理想的なモデルにすることができます。たとえば肝臓などを材料すると、いろいろな細胞が混じっていて、何を見ているのかわからなくなります。自分は非常に美しいシステムで研究しているんだと自信満々でしたね。ただ学生の身分で勝手に決めた実験なので、そう思うようにいくわけがなく、たとえば、胚から取り出した細胞をうまく培養することができず苦労しました。
よい知的環境とよい培養液
博士課程の1年のとき、江口さんが京都大学の岡田節人先生(現JT生命誌研究館名誉顧問)の研究室に助教授として転任し、僕もついていくことになりました。ラッキーと思いました。岡田研究室の細胞培養技術は当時としては最先端だったからです。名古屋大学に大学院の籍を置いたまま京都に移り、水晶体細胞分化の研究を続けさせてもらいました。ただ、ここで僕の研究が新しい時代に入ったのです。
岡田先生は動物学教室から新設の生物物理学教室に移られたところでした。新しいラボメンバーを前に岡田先生は、「情報」と「構造」の2グループに分けて研究を行うと施政方針演説をされました。この時の、先生の感覚の斬新さに圧倒されました。新しい発生研究の出発です。情報の研究とは、軟骨細胞などの細胞分化を調べ、最終的には遺伝子のはたらきにつなげようというもの。僕が名大から持ち込んだ研究は情報の方です。新設の生物物理教室は他の教授も全員が40歳前後で、全体の雰囲気が新鮮でみんな活発。よい知的環境に恵まれて本当に嬉しかったですね。
ところが培養の道具立ては改善されたのに、水晶体の研究はなかなかうまくいきません。実験方法は、取り出した水晶体上皮を培養して、それに、網膜細胞を培養した液を加えて、網膜から分泌される仮想上の繊維化誘導因子を探そうというものです。しかし、いくら網膜の成分を加えても繊維に変化しないのです。
たまたまその頃、岡田先生も熱帯魚と昆虫がお好きだとわかりました。京都・大原の奧にある古知谷にはカエデがたくさんあって、珍しいカミキリムシが集まっているから取りに行こうと誘われました。それまでカエデの花がカミキリムシを集めるなんてことは知らなかったので面白くなり、だんだん熱中して頭の中は研究よりもカミキリムシのことでいっぱいになってしまった。気が付くと研究室のみんなが平日まで採集に出かけるようになってしまっていて。
その頃の発生生物学は、生化学の技術を使い始めてはいましたが、発生現象を分子の言葉に置き換えるのはまだまだでした。例えばこれまでは細胞の「形が変わった」と言っていたのが、「細胞の中に酵素Aが存在したのが、酵素Bになった」という言い方に変わっただけ。言葉を置き換えただけではダメで、仕組みを明らかにしなければなりません。しかし当時はまだ遺伝子そのものを扱う研究はできなかった。何をやったら何がわかるかということが、わからなかったのです。だから考えなくてはならない。一方、今のように時間に追われるのではなく、みんなのんびりと研究をする余裕がありましたね。というか、それしかできなかったのですが。
本流から脇道へ
水晶体細胞を培養し続けているうちに、あることに気づきました。培養するとき、まず胚から取りだした水晶体細胞をトリプシンという酵素でバラバラにして培養皿に蒔きます。細胞どうしの接着が切れて一つ一つ丸くなった細胞が底に沈むと皿にくっついて広がった形になるのですが、条件によってそのくっつき方が異なりました。網膜培養液の成分を加えた時の方が、細胞が培養皿に接着するのが遅れるのです。何か面白いことがありそうだと思いました。細胞が培養皿に接着する現象は、培養条件を変えるという「操作」ができます。これなら、モデルを考えて、それを検証するという解析的な実験が可能です。なにも起きない水晶体細胞の分化をただ観察するだけの研究にそろそろ飽き飽きしていました。
そこで、この接着の問題につっこんでやろうと思ったのです。網膜培養液にはいろいろなタンパク質が含まれています。その中の特定のタンパク質が接着に関わっているかどうか、まずモデルとしてアルブミンという血中のありふれた成分で試してみたら、やはり接着は遅れました。タンパク質は一般的に、細胞の接着を遅らせる作用があることを発見したのです。これを岡田先生に説明したら、「それはおもろいな」と言ってもらえました。ただ、水晶体の研究はどうするのと聞かれて、それはもうやめますと、ほぼ宣言に近い発言をしました。水晶体の分化研究は、岡田先生ご自身および、後にラボに加わった安田国雄さん(現奈良先端大学長)や近藤寿人さん(現大阪大学教授)らが進め、水晶体細胞ではたらくクリスタリン遺伝子の構造を突き止めるなど、岡田研の中心テーマになりました。この水晶体分化研究は、網膜細胞の水晶体細胞への「分化転換」という研究に結びついています。今流行の研究が、30年前に、すでに岡田研のテーマになっていたのです。
細胞分化に比べると、細胞の接着なんて、発生学ではマイナーと言ってよいテーマです。いわば自分から足を踏み外したわけですが、きっと新しいことが見つかるに違いないと思っていたし、精神的にはほっとしましたね。自分で培養皿の細胞を見ていて気づいた接着現象ですが、もともと岡田先生は、腎臓をばらばらにした後の細胞の再集合・選別という先駆的な研究をされていました。生物物理学教室時代になっても大学院生の高橋さんが細胞集合実験をやっており、問題意識が継続していました。先生の経験と興味があったが故に、方向転換を応援してくれたのだと思います。僕が細胞接着現象に興味を持てたのも、岡田研にそのような研究史があったからでしょう。若い時の環境というものは大切ですね。
カルシウムイオンで変わる細胞の接着
培養液にタンパク質があると接着を阻害することを見つけた後、カルシウムイオンやマグネシウムイオンの影響を調べました。これらの2価陽イオンが接着に関わっていることはそれまでにも知られていたのですが、少していねいに調べたところ、マグネシウムイオンは細胞と培養皿が接着する時に必要、カルシウムイオンは細胞どうしの接着に必要、と分けることができました。そこで、細胞どうしの接着と、培養皿のような細胞でないものとの接着は異なる現象であり、それぞれ異なるタンパク質がはたらいているのだろうと予想を立てました。
しかしその予想を実証する方法がありません。細胞にはたくさんのタンパク質があり、どれが接着に関わっているかを調べる手段がないのです。ここで研究は頭打ちかと思っていた頃、岡田先生が外国にでも行ってみるかと助言して下さいました。先生が留学していらしたカーネギー研究所で、リポソームという人工膜と細胞膜との相互作用を調べているDick Paganoさんの研究室があったので、接着研究をする上で何かのヒントになるかもしれないと思い、そこに行きました。
その研究室ではV79という名前の付いたハムスター由来の細胞株を使っていたのですが、まずはその細胞の基本的性質を調べておこうと、接着の様子をみたら、それまでに見たことのない奇妙な現象に出会いました。培養細胞をトリプシンでバラバラにし、その後、旋回培養旋回培養回転板の上にフラスコを置いて、旋回させながら行う培養法。浮遊細胞は中心部に集まって細胞塊を作る。すると、細胞は再び集合します。京都の研究室では、これが常に起きていました。ところが同じことをしても、V79細胞は再集合しない。そこでトリプシンを溶かした液がくさいと睨んで、組成を調べてみると、マグネシウムやカルシウムといった2価イオンの作用を打ち消すEDTAという薬品が入っていました。結局、トリプシン液にカルシウムイオンがあるかないかが、決定的な違いを生み出すことに気付きました。細胞をトリプシン液で処理した時、カルシウムがあれば接着性が温存され、ないと消滅するのです。
さらに詳しく見ると、細胞どうしの接着にはカルシウム依存性と非依存性の両方の仕組みがあり、カルシウム依存性の方がより強固な接着を担っているとわかりました。そしてカルシウム依存性の接着能力を持っている細胞と失った細胞を比較すると、細胞表面に存在する、あるタンパク質の有無がその接着に関わっていることが予測できたのです。いよいよタンパク質に取り組む時が来ました。
京都に帰ってそのタンパク質の正体をつきとめることに集中しました。当時、未知のタンパク質を探す方法として使われていたのが、そのタンパクの活性を阻害する抗体をスクリーニングする方法でした。この方法は後に、モノクローナル抗体スクリーニング法へと進化しますモノクローナル抗体特定の抗原に結合する性質を持つ抗体は、生体や細胞に微量に存在する分子の検出・精製や、生体内のどこに特定の分子が存在するかを調べるために用いられ、生命科学研究での利用価値が高い。このような抗体は通常、ウサギなどに抗原となるタンパク質や組織を注射したのち、血清を回収することで得られる。また、マウスやラットに抗原を注射し、単離した免疫細胞をがん細胞と試験管内で融合させると、特定の抗体を産生し増殖し続ける細胞を作ることができる。このような単一細胞種由来の抗体をモノクローナル抗体とよぶ。。V79細胞が持っている接着タンパク質に反応する抗体がとれれば、その抗体はカルシウム依存性の細胞接着を阻害する作用を持つはずです。そして、その抗体を道具として、接着タンパク質が同定できるはずです。ところがいろいろ試したのですが、そのような抗体はまったくとれませんでした。
動物の体を作るカドヘリン
悩んでいる時、ある論文を思い出しました。F9というマウス由来の細胞に対して抗体を作り、マウスの分割中の受精卵に反応させると、細胞どうしの結合がゆるくなるという報告です。この現象にはきっと我々が目指しているタンパク質と同じものが関わっているに違いないと直感し、細胞をF9に切り替えて抗体を作ったら、今度は、その接着を阻害する抗体が簡単にとれました。この抗体により、カルシウム依存性の細胞接着を担う膜タンパク質を突き止め、やがて、その遺伝子にたどり着くことができたのです。
こうして細胞接着の仕組みのモデルが描けました。細胞どうしの接着を担うタンパク質はカルシウムイオンで活性化し、カルシウ非存在下では不活性で、同時に、タンパク質分解酵素(トリプシンなど)に弱い。この大事な接着分子に名前を早く付けろと岡田先生に急かされて、この分子の研究に携わった野呂知加子さん(現日本大学助教授)達と相談して、カルシウム(calcium)と接着(adhere)の2つの単語を合わせたカドヘリン(cadherin) に決めました。
カドヘリンは、今では100種類以上見つかっています。ほとんどの細胞が何種類かのカドヘリンを細胞膜に持っていて、その組み合わせは細胞ごとに異なっています。抗体を取る時にV74ではうまくいかずF9でうまくいったのは、おそらくF9がもつカドヘリンの方が抗原として認識されやすいタイプだったからでしょう。
多様なカドヘリンタンパク質が細胞どうしをつなげる時、同じ種類のカドヘリンどうしが特異的に結合します。つまり同じカドヘリンを持つ細胞どうしが接着し、違うカドヘリンを持つ細胞とは接着しないのです。実は、1950年代、ホルトフレーターや他の人々が、組織をバラバラにしても同じタイプの細胞どうしが集まって再構築が起きることを発見し「細胞選別」と名付けていました。カドヘリンは細胞選別がおきるための一つの要素としてはたらいているらしいです。発生過程では、細胞が集まったり離れたりということが繰り返されますが、細胞が作るカドヘリンのタイプを変えていくことで、これが可能になっていると考えています。
カドヘリンを見つけたのはまず脊椎動物からでしたが、大学院生だった小田広樹君(現JT生命誌研究館)が、助手の上村匡さん(現京都大学教授)と共に、ショウジョウバエでもカドヘリンを見つけ、これは無脊椎動物にも共通する接着分子であることがわかりました。同じタイプのカドヘリンを比べると、脊椎動物よりも無脊椎の方が大きいのが不思議です詳しくは、以下の記事を参照。
http://www.brh.co.jp/seimeishi/
journal/47/research_11map.html。最近、小田君がいろいろな生物のカドヘリンを調べているので、進化と関連して面白いことがわかるだろうと期待しています。
細胞接着を精密科学にした功績
今ではカドヘリンに関わる研究をする研究者は大勢います。細胞分化の研究が発生研究の本流であることは今も変わりませんが、分化した細胞がどのように体を作っていくかということも発生学にとっては等しく大事であり、これは細胞接着抜きには語れません。私は足を踏み外したのですが、実はその重要性を密かに意識しながら研究してきました。
自分の初期の仕事の中で一番大事だったのは、細胞接着という捉えにくい現象を精密科学として進めることができたことだと自負しています。これは、「カドヘリンの発見」と比べると地味なので、あまり喋りませんが、細胞と培養皿の接着と細胞どうしの接着は違う、細胞どうしの接着にはカルシウムイオンが関わるものと関わらないものがあるという具合に分析しながら研究を進めた。接着に関わる個別の現象をこつこつと丁寧に見ていった。細胞接着に取り組んだ先駆者はたくさんいますが、そういう精密さはなかったようです。分子を発見できたのは積み重ねの結果です。この過程を他の人に見ていただくのは難しいですが、研究の成功の本質はここにあると思います。
脳とがんとカドヘリン
私の残りの時間、これだけは明らかにしたいというテーマの一つは脳形成との関わりです。脳は1000億個以上の神経細胞からなる複雑な回路を持っていますが、全体は複雑に見えても、一つ一つの細胞を見れば軸索を伸ばして他の細胞とシナプス結合を作っているのであり、やはり接着の問題なのです。実際、シナプスの形成にもカドヘリンが関わっており、脳の特異的な部位ごとに異なるカドヘリンが働いていることがわかりました。
もう一つのテーマは、がんとの関わりです。がん細胞の多くは、カドヘリンの活性を失っています。そのようながん細胞は元の組織から離れ、他の組織に転移・浸潤し悪性腫瘍となってしまいます。カドヘリン自体が細胞から無くなってしまう例もありますが、ほとんどはカドヘリンタンパク質を持っているのにそれがうまくはたらかなくなっているようです。どうしてそうなるかが明らかになれば、ひょっとするとがんの転移を防ぐ方法が見つかるかもしれません。
好きなことこそ研究の原動
僕自身は大学院生の時から自分のやりたいことをやってきましたが、当時は学問が成熟しておらず、研究の方法論自体が混沌としていたんですね。だから、一人一人が模索していた。今は逆に情報が溢れ過ぎていて、研究室の運営もシステム化し、指導者は効率よくデータを集めるために研究をコントロールする必要が出てきた。僕も自分が指導する立場になって、研究室におけるテーマの方針などというものを意識せざるを得ないのですが、それでもやはり本当に面白い研究は、大学院生や研究員が自由にやった中から意外な結果として出てきますね。最初は僕が頭で考えた仮説をもとに、こんなことをやったらどうだろうと提案するわけですが、多くは当たらない。だから僕が提案するテーマはきっかけにすぎず、残りはそれぞれが考えてやる。僕の提案と全然違う実験やって、こういう結果が出ましたと僕のところに来ると、最初は当惑することもあるけれど、よく聞いているとこっちも面白くなってくる。こうして研究が進むわけです。生命現象というもの、人間の頭だけで解決できるほどに簡単ではありません。
優れた研究者であるためには、まだ何がわかっていないか、何を研究すれば開拓者になれるか、などを的確に感じ取ることが必要です。そのためには、自分の好きなことをやるのが一番ですね。好きなことこそ、熱中し、その先の深みがよく見とおせますから。