酵素に恋して

私の人生は、普通の研究者とはかなり違っています。子どもの頃から科学を目指していたわけではなく、研究のトレーニングを正式に積んだわけでもありません。成り行きでこの道に入ったようなものです。しかし一度ここに入り込んだあとは、酵素に恋をしてしまった。私の出会った酵素たちはみんな魅力的で、特にDNAを複製する酵素とは40年もつきあってきました。この研究ではノーベル賞ももらったし、DNA複製には多くの研究者が興味を持っています。ところが、ここ10年ほどは、ポリリン酸キナーゼという無名の酵素に恋してるんです。どうしてそんなものを研究しているのだと不思議に思う人もいますし、事実DNAの酵素ほど認知されてません。けれど、これはとても大事な酵素であると信じているし、それを証明できるつもりです。

私の大事な友人の一人フランシス・クリックフランシス・クリックDNAの二重らせん構造の解明により、ワトソン、ウィルキンスらとともに1963年ノーベル賞医学生理学賞受賞。2004年7月死去。は、「肝心なのは、絵が描かれているその場所に、あなたもいることだ」という画家ジョン・ミントンの言葉を好んで引用していました。つまり、何かが起こっている時、新しいことが動き始めているその場所に、自分が関わっていることが重要だということです。私はかつてDNA複製の絵を描き、今はポリリン酸合成の絵を描いています。よい絵を描くには、直観も必要だし、工夫を続けることも大事です。私には的確な決断をしてきたという自信があるけれど、それは研究を支えてくれる人々に恵まれた結果でもある。今年私は86歳、研究の道に入ってから60年。今も研究を続けられているのはとても幸運です。日本に滞在中も研究室から新しいデータに関するメールが届いて、興奮できるんだから。

酵素との出会い

両親は、1900年に東欧からニューヨークに移住してきました。科学とは縁のない、とても貧しい家庭でしたが、子供たちには高い教育を受けさせる努力をするのがユダヤ人の伝統です。おかげで、私は大学に進むことができた。そこで科学に興味を持ち、医学部に行けばさらに勉強を続けられることを知って、奨学金とアルバイトのお金で、狭き門をなんとか合格しました。最初は内科医になろうと思い、インターン修了後配属されたのは海軍船医でしたが、医学生時代に研究した黄疸についての論文が国立衛生研究所(NIH―NIHNational Institute of Healthの略称。現在では20の研究所(institutes)からなる世界最大の医学・生物学研究機関(National Institutes of Health)であるが、当時は1つの研究所(institute)のみだった。)の所長の目にとまり、すぐに陸地(栄養学研究室)に戻されました。当時は、生命にとって不可欠なビタミンが相次いで発見されており、私もラットに合成飼料を与えて健康状態の変化を調べ、新しいビタミンの発見を目指しました。しかし既にビタミン探しの興奮の時代は過ぎ去っていることがわかってきたので、次のテーマを探しました。そんなとき、オットー・ワールブルグ、オットー・マイヤーホフといった生化学者たちが書いた、酵素、補酵素(ビタミン)、ATPに関する論文を読んで衝撃を受けたのです。酵素こそが生命力の源であり、ビタミンの働く場所であり、生きものを化学的に理解する手段だと気づいたのです。私は、酵素ハンターになるぞと決心をしました。

まず取り組んだのは、呼吸の際にATPが合成される仕組みです。体を動かすエネルギー生産の場ですから、体内での反応の基本だと考えたのです。最初はポリリン酸という無機リン酸の重合体が、ATP合成の源ではないかと疑いましたが、残念ながらこれは何の関わりもないことが判明しました。そのかわり、呼吸系の主な補酵素であるNAD、FADを合成する酵素を発見し、酵素学者としてのスタートを切ることができました。その後、DNAやRNAの部品であるヌクレオチドがどのように合成されるかに興味を持ち、ついにはDNAを複製する酵素にたどり着きました。酵素に注目していたらDNAという当時の研究の中心物質に行き会うことになったのです。そして、この功績が認められ、RNA合成酵素を発見したセベロ・オチョアとともに1959年のノーベル賞医学生理学賞に選ばれましたノーベル賞を共同受賞受「リボ核酸およびデオキシリボ核酸の生合成の仕組みを明らかにした功績による」 ノーベル財団のHPを参照 http://nobelprize.org/medicine/laureates/1959/index.html

ワシントン大医学部時代。P. バーグ(1980年ノーベル賞化学賞受賞。後列右から7人目)、早石修(京都大名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所理事長。前列左から2人目)らが参加した。後列右から3人目:本人。季刊生命誌28号より。提供;早石修氏

1962年、スタンフォード大の研究室メンバー。DNA複製の生化学的研究をリードした。後列中央には故岡崎令治(名古屋大元教授)、岡崎恒子(名古屋大名誉教授)夫妻の姿がある。2列目左から3人目:本人。季刊生命誌32号より。提供;岡崎恒子氏

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精製したDNAポリメラーゼを用い、感染能力のあるウイルスDNAを試験管内で複製することに初めて成功した。この実験は「試験の中で生命を創造した」と世界中の新聞やテレビで大きく取り上げられ、ジョンソン大統領も祝福のスピーチを送った
(Goulian M., et al.: Proc Natl Acad Sci USA. 1967 Dec 15;58(6) より)

分子の化石がよみがえる

DNA複製酵素は、もちろん私の中で大きな位置を占めています。しかしだんだん、この研究を続けていくのは難しいとも感じるようになりました。この酵素にこだわれば細かい働きを調べなければならない。構造生物学です。例えば、結晶解析などの方法を用いて複製装置の構造を実際に調べること。実は、子どもの頃クリスマスプレゼントは「研究室での1週間がいい」、と言っていた長男のロジャー研究者一家のコーンバーグ家長男Roger Kornberg博士はスタンフォード大学医学部構造生物学科教授。なお次男Tom Kornberg博士はカリフォルニア大学生化学・生物物理学部教授で、現在は発生生物学を研究している。がめでたく科学者になりその研究をやってるんだが、私にはできないな。個体や細胞に目を向けようか、遺伝や発生といった生物学の問題に向かおうかとも考えました。これらには確かに酵素が関わっているから。でもやはり酵素そのものが研究したかった。それに酵素から離れると、今まで自分が行ってきたペースで仕事ができるとも思えませんでした。理屈ではなく、私はやはり酵素から離れたくないのです。そこで十数年前、ポリリン酸の研究を再開しました。

ポリリン酸は、無機リン酸がATPのような高エネルギーリン酸結合により何十も何百もつながった高分子ですポリリン酸の構造no44_interview_06。だから、酵素研究を始めたときに、ATP合成の源かもしれないと思ったけれどうまくいかなかった。またここに戻ったのです。ポリリン酸は火山流や深海の熱水口で無生物的に作られていますが、細胞内でも大量に合成されており、真核細胞では乾重量の2割に達する場合もあります。ポリリン酸の存在は昔から知られていましたが、その機能は全く不明で、生物学の教科書では無視され続けてきました。そのため、「分子の化石」と呼ばれたことすらあります。ポリリン酸を作る酵素は何か、ポリリン酸を使って酵素は何をしているのかを明らかにしたい。つまり、この化石を酵素学でよみがえらせようというのを、新たな目標にしたのです。

ポリリン酸に最初に出会って以来、いつもどこかで気になっていたんだと思う。実は1955年に、大腸菌抽出液の中からポリリン酸を合成する酵素活性を見つけてはいたのです。でも精製はできなかった。それに成功したのは1990年のことです。研究室の若い研究者にこのテーマを出したら、見事に成功。時代が変わり、技術が進んでいたのはありがたかったね。こうなればしめたもの、40年前にはなかった遺伝子工学の技術を利用して、この酵素の遺伝子を取り、生物学的な機能を調べることができました。バクテリアでポリリン酸を合成するのはポリリン酸キナーゼ(PPK)と呼ばれる酵素です。PPK遺伝子を壊すと、ポリリン酸の細胞内濃度が低下し、その結果個体の生存に関わる様々な影響が出ました。例えば、飢餓状態に適応できなくなったり、抗生物質などの薬剤に対する抵抗力がなくなる。細菌が物理的、化学的なストレスにさらされるとポリリン酸の細胞内濃度が上昇し、これがストレスに対応する反応を引き起こす引き金になっているのです。

真核単細胞だけれど、飢餓状態などになると集合体を作ることでよく知られている細胞性粘菌(Dictyostelium discoideum)は2つのPPKを持っており、1つは真核生物に特有の酵素、1つはバクテリア型でした。他の真核生物にはバクテリア型のPPKは存在しないので、粘菌を中間型と見ることもできるけれど、原核生物の遺伝子が水平伝達したのだろうと思っています。もうひとつの真核生物型は液胞に存在する別のタイプの酵素で、これを精製して正体を突き止めたら、驚きも驚き。最初は信じられない気分でしたよ。筋収縮に関わるアクチンとよく似た繊維状の分子だったのです。アクチンは、その働きから見ても当然のことだけれど、球状の分子がつながって長い繊維になっています。電子顕微鏡で見た粘菌のPPKはアクチンと同じように繊維状になっている。しかも、酵素の繊維化とポリリン酸合成との間には密接な関係があり、球状分子がつながって繊維状になりながらポリリン酸を合成しているようなのです。つまり、細胞の中では酵素であるPPKと基質であるポリリン酸が同時に伸びていくという現象が起こっているらしい。こんなおかしな酵素は今まで見たことも聞いたこともありません。さっそくサイエンス誌に論文を投稿しましたが、酵素反応のメカニズムをまだ突き止めていないという理由で掲載を拒否されました。論文をチェックしたのが筋アクチンの専門家で、この現象を信じてもらえなかったのだろうな。私だって自分で実験していなければ信じなかったよ。科学の世界は新しいことが認められるのが難しい。論文は幸い米国科学アカデミー紀要の方に採用されましたが。

今ではポリリン酸についての研究成果がかなり蓄積し、自信を持ってセミナーで発表できます。タイトルはもちろん、「分子化石がよみがえる」。もっと簡潔に「化石がよみがえる」でもいいかなと思ったのだけれど、この題だと私が自分の思い出話をするのかと誤解されかねないからね。化石のような研究者がまだ生きてるぞってことかなとね(笑)。

DNA複製酵素が働く様子。左方向の複製前のDNA鎖がDNAヘリカーゼ(左)によってほどかれ、1本鎖になったDNAを2つのDNAポリメラーゼ(右;手前と奥)が元の2本鎖にする。最初に見つけられたDNAポリメラーゼは実際にはDNA修復に働く酵素であることが後に判明し、正真正銘の複製酵素は息子のトム・コーンバーグが発見した(JT生命誌研究館:『What’s DNA』より )
【関連情報】
映像『DNAって何? Part 1-3』

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今もっともエキサイティングな研究、ポリリン酸。細胞性粘菌のポリリン酸キナーゼ DdPPK2 の電子顕微鏡写真(A-C)。ニワトリの繊維型筋アクチン(D)と非常によく似ている。
(M. R. Gomez-Garcia & A. Kornberg: Proc Natl Acad Sci USA. 2004 Nov 9;101(45) より。Copyright 2004 National Academy of Sciences, U.S.A.)

種の起源と生存とポリリン酸

バクテリアの研究から始まって、植物や動物の細胞でもポリリン酸の働きが明らかになってくると、この分子が、地球上に生きものが登場し生存してきた長い長い過程に深く関わってきたことを予想させます。地球に大量に存在するポリリン酸は、負の電荷を持っているので様々な巨大分子が集合する足場となり、化学進化を促進したかもしれないと想像できる。細胞内では、マグネシウムイオンやカルシウムイオンをつなぎとめ、またATPに代わるリン酸の供給源となるなど、代謝やシグナル伝達に関わっています。外界からのストレスによってポリリン酸濃度が上昇し、様々な防御反応が起こることが分かっていますが、生物が、X線や酸化物や飢餓や乾燥といったストレスに抵抗できなかったら、種が存続することはあり得ない。ポリリン酸はこういったストレス応答のほとんどに関わっているのです。また、極限状況に置かれた生物はしばしば胞子を作ることでその場を生き抜きますが、胞子中にはATPが蓄えられていません。細菌や菌類の胞子中には大量のポリリン酸が存在しており、これがエネルギー源となっています。さらに、ポリリン酸を作ったり壊したりしながら伸び縮みする真核生物のPPKは、細胞の食作用や分裂など、細胞が生きるための基本現象とつながっているようです。こんな大事なものがなおざりにされてきたんだよ。

最近、サバティカルサバティカルsabbatical=研究休暇。主に欧米の大学・研究所で取り入れられている有給休暇制度で、一定期間勤務した研究者に半年から1年程度、ほぼ全ての義務から解放される休暇が与えられる。他の研究室を訪れ、異分野や新技術を学ぶ機会とする研究者も多い。で私の研究室を訪れたマイク・ブラウンマイク・ブラウンMichael R W Brown (英国バース大学薬学部教授)。と共著で「種の起源と生存に関わるポリリン酸」というエッセイを書きました。まだポリリン酸のすべてが分かっているわけではないけれど、理にかなった想像だと思っています。酵素とつきあって60年。やっとここで一つの物語を語れるようになった。これは科学を考える時の難しい問題だと思います50年前、DNA合成の話をした時のことを思い出すね。化学者達が、「鳥の帰巣本能はどうなっているんだ、クモが巣を張るのは…」と質問してきたんだ。もちろんそれはDNAと関わっているに違いないけれど「今は説明できません」というしかなかった。今のような科学が始まってたった100年ぐらい。しかし生きもののシステムは何十億年もかけて進化してきた。私たちもバクテリアも、同じようにDNA、RNAやタンパク質を何十億年にもわたって作ってきたのだし、ポリリン酸も同様です。そういう基本物質の働きを着実に研究していくことで少しずつ生きものが見えてくる。これが研究の面白さです。

1998年来日の際、奈良先端科学技術大学院大学にて。かつての弟子らが駆けつけた。後列右から、関水和久(東京大教授)、真木壽治(奈良先端大教授)、秋山昌広(奈良先端大助教授)。前列中央:本人、左隣:岡崎恒子(名古屋大名誉教授)、右隣:吉川寛(JT生命誌研究館顧問)。

役に立つ研究?

そうは言ってもポリリン酸は注目を集めているわけではありません。流行ではない。若い研究者たちが夢中になるのは、ゲノミクスとか、プロテオミクスとか、“なんとかミクス”のほうでしょうし、これらには大きな資金が投入されています。私が研究資金を得られているのは過去の名声のおかげで、若い研究者ならポリリン酸のような研究は無理だったでしょうね。もちろん米国の納税者の中には、「なんで60年もの間、アーサー・コーンバーグとやらの楽しみのために税金を使わなきゃならないんだい。今はもう年寄りなんだろ?」という疑問があることも承知しています。私はこう答えたい。「私は、DNAがどのように合成されるかを知りたくていくつかの酵素を発見しました。これらの酵素は現在、ガンや自己免疫疾患の治療薬を開発する際の標的となっています。すなわちこれらの薬は、私たちが発見した酵素を、壊したり働かなくさせたりするように設計されているのです。しかし私は自分の研究が、病気の治療に役立つとは全く予想していませんでした。」役立つなどと言うことを考えていたら、私のような基本の基本の研究はできない。でも結局それがいつかは役立つこともあるわけです。ポリリン酸の研究も、応用を目指して始めたわけではありません。しかしこれが細菌のストレス応答に関わることが分かった今、例えば抗生物質耐性を持つ病原菌による感染症に対して、ポリリン酸キナーゼを標的とする治療薬の開発を考えることができる。長い目で、基礎研究を支援することが大事です。

X線、MRI,レーザー、ポリオワクチン、ペニシリン、組み換えDNAといった医学上の重要な進歩は、ほぼ例外なく、役立つだろうとか病気の予防になるとかの期待とはまったく別に、生物学、化学、物理学という学問の基本を進めていく中で出てきたものです。いつも何度でも言うことにしていること、それは、私たちは誰もそれほど賢くはないということです。米国のNIHも癌研究所や、もちろん日本の研究所も、ロードマップを描けるようなアタマは誰も持っていない。だって誰も、自分がどこに向かっているか分からないのだから。行きたい場所はあるけれど、そこに至る道は分からないのが研究です。問題は、今生命科学で活躍している研究者自身が、このことに気づいていないということです。

研究を育てるには

科学の進歩には長い時間がかかります。NIHが議会に「これだけの予算が欲しい」と陳情に行くと、議会は「この研究は糖尿病に役立つ、これは動脈硬化、これはアルツハイマー病、これは役立たない… 」と返事をしてくるでしょう。しかし、何か問題に対処する場合、薬の開発でもワクチンの作成でも、その問題に直接挑むのがよいのではないということを我々は学んできました。時にはそれも必要ですが、基本的な情報や、深い知識が重要なのです。例えば幹細胞研究について、それがパーキンソン病やアルツハイマー病の治療に役立つかどうか、私には分からない。しかし幹細胞がどのように働き、どう分化していくかを知ることは重要だということははっきりしています。

自然の中から何かを見つけようと躍起になっている科学者にどれだけの額の投資を行うのが妥当なのか、難しい問題です。幸いNIHは私が20代の時から資金を援助してくれました。私が考えた研究を自分のやり方で進めさせてくれた。トップダウンで戦略的な計画やロードマップをたてるのではなく、一人一人の研究者が本当にやりたいことをじっくり考え、それを支援するという方法が研究を進めるよいやり方だと思います。日本の科学の進め方は、計画やロードマップはたくさんあるのに、肝心の人材が少ないのではないかと心配しています。

2004年、日本学士院客員会員就任の記念パーティーにて。
中央は吉川寛(JT生命誌研究館顧問)

生化学の歴史と自身の研究人生を記した自叙伝、『For the Love of Enzymes – The Odyssey of a Biochemist』。第1回の米国メディカルライター協会書籍賞を受章した。邦題:『それは失敗から始まった』(新井賢一監訳、羊土社刊)

ばい菌のはなし

昔、3人の息子たちがまだ小さかったとき、よく『ばい菌のはなし』をしたのを思い出すな。ブドウ球菌とか連鎖球菌みたいな病原菌から、研究材料だったバクテリアのことまで。「よし、まず悪いばい菌の話をしよう。でも次は良いばい菌の話だよ」ってね。息子たちは研究者や建築家になり、今度は孫にも話してくれって頼まれたから、今度はそれぞれのばい菌についての短い物語と詩を書いた。たまってきたばい菌の物語に数人のアーティストが挿絵をつけてくれようとしたんだけど、結局だめだった。ばい菌には、鼻も目も耳もない。本来の性質とは異ならないような形で、子供の興味を引くにはどうしたらいいのかな? 少なくともバクテリアは自分の好きな物に向かって泳いで、嫌いな物からは逃げる。だからいつか誰かが、そんな物語を子供たちに与えられるようになるといいなと思っています。

生命誌研究館は、現在流行の役に立つ大型の研究でなく、基本を考える研究を進め、しかもそれを展示や出版という形で表現にまでつなげているとてもユニークな活動ですばらしい。すべての人に、役立つかどうかということを離れた科学そのものを伝える試みはとても価値のあることだと思います。ぜひこれからも活動を続けてください。

本記事は、昨年10月に来日した博士への取材を元に作成した初の外国人研究者のサイエンティストライブラリーです。英語取材に精進しつつ、国外研究者の語りもお届けしていこうと思います。