昆虫少年が学者を目指し、欲求不満がつのる

欲しい欲しいと思っていたチョウをパッと網で捕える。その瞬間、目が醒める・・・。そんなことがよくありました。東京のど真ん中で生まれましたが、銀座や八丁堀あたりも当時は運河があって、セミやトンボが豊富にいました。小学校の頃はもっぱら日比谷公園でこっそりと採集し、中学になると高尾山まで遠征。疎開先の千葉県柏市では、オオウラギンヒョウモンをたくさん捕りました。

昆虫の研究をめざして入学した東京教育大学で、丘英通先生につきました。丘先生はドイツでオットー・マンゴルト(イモリ卵の融合実験などで知られる発生学者)に学び、両生類の脚の形成機構を研究していました。当時の発生学の主流です。私は昆虫で同じような実験発生学をやりたかったのですが、昆虫は小さくて卵の殻が堅い。両生類のように表面を切り取って移植できません。しかも、先生は、将来実験発生学をするにしても、最初は発生をよく観察して記載することが大事とおっしゃる。しぶしぶながら、卒業論文と学位論文はニカメイガの発生を観察しました。実験発生学に対して記載発生学と呼ばれます。

発生のメカニズムを研究したいという気持ちは止まず、記載発生的な研究をしている人たちばかりの中で、これは自分の一生をかける仕事ではない、などと言っていたので、ずいぶん生意気な奴だと思われたようです。

外からのどのような刺激で、それぞれ特徴があり役割の違う細胞へと分化するのか、それを調べたい。細胞分化を昆虫で扱えるモデル系を見つけたい・・・。

助手として赴任した群馬大学医学部解剖学教室で、医学部の研究対象は背骨のあるものだけだと言われ、「冗談じゃない」と再び教育大へ戻り、蚕の研究を始めました。蚕は中胚葉形成が始まる少し前に休眠する。養蚕業ではこれを利用し、卵で冬を越させ、桑の葉が一齢幼虫が食べるのに最適となる頃に孵化させてきました。休眠を人工的に破る江戸時代からの秘伝です。塩酸処理や温度処理。私は、休眠スイッチのオン・オフが、細胞分化に関係しているのではないかと考え、蚕糸試験場(現蚕糸昆虫農業技術研究所)で蚕の扱い方を教わり、実験を工夫しました。

実験の結果、蚕の休眠は卵の中に酸素が浸透できなくなって起きることが判明しました。残念ながら、細胞分化のモデルケースではなかったわけです。研究を続けてもそれ以上のものは出そうもない。ちょっとした行き詰まりでした。

ショウジョウバエ。研究発表の時、まず最初に見せて挨拶がわりに使っていた。

大学生の頃。伊豆下田で。この頃を境に昆虫採集をやめた。

1957年、大学院生だった頃。動物学会のポスターセッション(当時は展示講演と呼ばれていた)で。たぶん日本初のポスターセッション。

群馬大学解剖学の研究室で。この頃勉強することが多すぎて、研究活動は冬の時代だった。

アメリカに旅立つ日。左は林雄次郎、右は碓井益雄両先生(2人とも当時東京教育大学教授)。

ショウジョウバエに出合って、新境地開

幸いその頃、文部省の在外研究員として念願のアメリカ行きがかないました。カリフォルニア大学アーバイン校のシュナイダーマン先生。鱗翅類の蛹の休眠についての研究では第一人者です。休眠の研究をさらに深めれば、ホルモンによる細胞分化のコントロールの研究ができるのではないかと張り切りました。1971年9月のことでした。

ところが行ってみると、どうもおかしい。肝心の先生はバケーションで留守。研究員の話だと、もう休眠も蚕も研究しておらず、対象はショウジョウバエとのことです。困りました。ショウジョウバエは休眠しませんから。

1週間後、シュナイダーマン先生に会ったところ、ショウジョウバエの卵の核や細胞質を抜いたり化学物質を注入したりするマイクロインジェクションをやらないかと提案され、たじろぎました。ショウジョウバエの胚は見たことはないけれど小さいに決まっています。「そんなことできそうもない」と言うと、“世界で一番器用な日本人だろう、できるはずだ”と言うのです。後には引けない気分になりました。

たじろいだ理由はもう一つあります。その頃すでに、モーガンから始まったショウジョウバエの遺伝学は一大体系を形成していました。しかし、発生学では、細胞の分化は外からの影響で起こると考えられており、遺伝を考えると泥沼にはまるとよく忠告されたものなのです。

ところが、その午後、シュナイダーマン先生は私にこう話したのです。“これからは遺伝学と発生学を結びつけなければならない。発生という現象は遺伝子のはたらきの制御なのだから、遺伝学的に解析されているショウジョウバエの発生学は重要なのだ”と。

そう言われてみると、遺伝学と発生学を統合する必要性は、丘先生も発生学の将来の展望の一つとして書かれていた。それを思い出し、そのことが具体的な事態としてやってきたのだと思い、興奮を覚えました。

“・・・すでにナポリ臨海実験所のモンロイが、遺伝学の進んでいるマウスを使って発生学の研究を提案している。アメリカでもファージの研究者であったベンザーがショウジョウバエに転向した。世界の発生学は確実に変わろうとしている・・・”

シュナイダーマン先生の話は、新しい時代の息吹を感じさせました。遺伝学的な知識を用いて実験発生学ができるように、マイクロインジェクションを確立してくれというのです。

核移植が成功したことを示すキメラになったショウジョウバエ

紫外線照射した卵から発生した胞胚。極細胞がない

それに極細胞質を移植してから発生させた胞胚。極細胞ができているのがわかる。極細胞の下に胞胚に針をさした傷が残っている。この写真は、Davidsonはじめ多くの教科書に使われた。

マイクロインジェクションに挑んで成功

ショウジョウバエのマイクロインジェクションは、ヨーロッパで、イルメンズィーとザロカーがすでに始めており、ある程度成功しているという情報がありました。また、アーバインでも、マーガレット・シュビガーという前任者が、非常に低い確率とはいえ、幼虫に孵すところまでは成功させていました。しかし、それ以上は進まなかったようです。ともかくそのために、研究室にはマニピュレーターなどの実験に必要な器具は揃っていました。

次の日、シュナイダーマン先生が若い女性を連れてきて、技術者として使っていいと言いました。先生は本気なのだと知り、感激して、ショウジョウバエでやってみようと心を決めました。

瞬く間に時間が過ぎました。一番の苦労は注射した後の穴をふさぐことでした。穴ふさぎ用の物質を、マニピュレーターで触れる瞬間に押し出さなければなりません。松ヤニやパラフィンなどで試しました。結局これができたのは、日本人の私だけでした。違う変異体の間で核移植をやり、一つの個体の中で2種類の細胞が存在するキメラができれば、うまくいったという証拠になります。何度も何度も繰り返し、数ヵ月後、黄色と黒のキメラのショウジョウバエを羽化させた時のことは忘れられません。

マイクロインジェクションの技術に習熟したところで本格研究です。まず、発生の途中で死んでしまう胚を救って孵化させる”救助実験”を始めました。受精卵が正常に発生するためには、その中のDNA(ゲノム)がきちんとはたらく必要があることはもちろんですが、母親の卵の細胞質も重要な役割をしています。卵に何か欠陥があって、発生途中で死ぬ母性効果致死変異体の卵に野生型の細胞質を注射すれば、救助できるだろうと考え、まさにそれに成功しました。ギャレンより少し遅れてしまいましたが、ちゃんと成虫まで発生させた実験としては世界初、大成功でした。

ショウジョウバエには、卵の後端(後極)に特別な細胞質(極細胞質)があり、この細胞質を取り込んだ極細胞から生殖細胞が分化します。後極の細胞質に生殖細胞決定因子があるに違いない。後極に紫外線照射して極細胞ができないようにした卵に、他の卵の極細胞質を移植し、それを親になるまで飼って、生殖細胞ができることを確認しました。やった!これで帰国後もショウジョウバエの発生学を続ける決心がつきました。

ショウジョウバエの卵では、まず核が何回も分裂して卵は多核細胞となる。やがて核は卵の表層に並び、おのおのの核を中心に細胞ができる。この時、卵の後極に極在している極細胞質を取り込んだ細胞は極細胞となり、後に生殖細胞に分化する(図は『個体の生涯 I 』岩波書店より改変)。

生殖細胞形成になんとミトコンドリアが関係

極細胞形成に重要な物質は何か。それが一番知りたいことでした。帰国後は、紫外線を照射して極細胞を形成する能力を失った初期胚に調べたい物質を注射して、極細胞形成能が回復するかどうかを見る実験を始めました。

日本では、マイクロインジェクションの器具がなかなか揃わず、しかも大学の筑波移転とも重なって、細かい準備実験にも手間取り、本格的な実験結果が出るまでに結局10年以上かかりました。

アメリカで1年でできる仕事が日本では10年かかると言って、また生意気だと言われましたね。幸い興味をもってくれる大学院生も出てきましたが、彼らの苦労は並大抵ではありませんでした。

それでも結果は非常に明快で、注入する細胞質からRNAを取り除いた時だけ回復しない。ショウジョウバエの極細胞の形成に関わる物質はRNAとわかりました。でも、このRNAの実体がわかったのは、遺伝子クローニングができるようになってきた83年頃です。クローニングした小林悟君(現筑波大学講師)が、ミトコンドリアの中にある大きいほうのリボソームのRNA(mtlrRNA)の遺伝子配列と同じだと言うんです。

初めは信じられませんでした。何かの間違いじゃないか。何度も調べ直しましたが、間違いなくミトコンドリアのRNAでした。後に、in situハイブリダイゼーションを行って、電子顕微鏡で観察したところ、生殖細胞決定因子の存在場所とされている極細胞中の極顆粒に、mtlrRNAが付着しているのがはっきり見えたのです。

この結果は、紫外線照射卵へのマイクロインジェクションという方法で、初めて出せたものです。途中、変異体の解析をするほうが早いのではないかと思ったりもしましたが、極細胞を作る物質に関わる変異体はとれませんでした。結果がわかってから考えれば当たり前。ミトコンドリアの遺伝子ですから、核の遺伝子の変異体をとる手法でとれるはずがありません。ですから外国では全部諦めて、結局私のところだけ十何年続けた。岡田はクレージーだと言われたりもしましたけどね。結局それでよかった。自分のところで始めたことは、どんなに難しくても大切にするべきだといういい例です。オリジナリティとはこういうことなのです。

ショウジョウバエの卵は、なぜミトコンドリアという共生微生物に由来する小器官に、生殖細胞という重要なものを作る仕事を任せたのか。いかにして進化の過程でそういうことが起きてきたのか。私が生きているうちに明らかになってほしいと思っています。ホヤやカエルなどでも、ショウジョウバエと似たことが起きていると最近報告され始めました。

生殖細胞って面白いですよ。ゲノムを全部もっていて、もっぱら次の世代に遺伝子を渡すことばかり考えている。細胞が考えているかどうかは別としてね。卵や精子として分化した細胞なのに、自分の属している個体から飛び出すと、何にでも分化できる細胞になる。多細胞生物ができ、生殖細胞と体細胞とが別れた時に、何かが起きたはずです。ミトコンドリアからのRNAが何かのはたらきをしたに違いない。ここ、知りたいですね。

明らかになった ミトコンドリアRNAの重要
合成したミトコンドリア・リボソーム・大サブユニットのRNA(mtlrRNA)を、極細胞ができないような処理をした卵の後極に注入すると、極細胞ができる。つぶつぶ状のものが極細胞。
正常の卵割期胚におけるmtlrRNAの後極への局在を示すin situハイブリダイゼーションの写真。
極細胞質の電子顕微鏡写真。in situハイブリダイゼーションによりmtlrRNAが極顆粒に局在していることを示す。Mはミトコンドリア。Pは極顆粒。矢印がmtlrRNA。
アメリカでマイクロインジェクションの実験をしたときのセット
ガラスキャピラリーの先端部をマイクロ・グラインダーで研磨し、注射針の先端のようにする。

生意気の功罪―発生学と遺伝学を結ぶ

私は、いつも「こうしたい」ということがあり、成功すると、すぐ得意になって、生意気だと言われる。時に間違っていることもあり、得意と反省の繰り返しです。今でもそれなので、大学院生に「若すぎる」とからかわれます。生意気なこと言って、と言うと、「生意気は岡田研の伝統ですよ、先生」

帰国後は、発生学と遺伝学の統合を日本でも進めれなければいけない。とくにショウジョウバエを使う発生学を広めたいと意気込んでいました。同じ頃アメリカでショウジョウバエの研究をして帰国していた堀田凱樹さんと、遺伝学会で「ショウジョウバエでの発生学」と題して、2人とも得意になって話したことを覚えています。まだ、遺伝学と発生学がお互い関係ないと思っている人が多かった時代でした。「遺伝学会への殴り込み」と噂されていたと後になって聞きました。生意気の極みだったのでしょう。

その遺伝学会から、木原賞をいただいたのが退官の2年前です。遺伝学と発生学の統合を願い続けて、行く先々でそればかり言ってきました。それで生意気と言われたけれど、生意気も悪くない・・・今そう思っています。

カリフォルニア大学アーバイン校で。ショウジョウバエのマイクロインジェクションに取り組んだ頃。奥に見えるのはエンジニアリング部門の建物。当時としてはモダンなもので、映画「猿の惑星」の撮影に使われた。

1981年、スイスのバーゼルで行われた国際発生生物学会で。左端がシュナイダーマン博士。左から3人目は岡田節人・現生命誌研究館館長